特集 祝!obisugi design グッドデザイン・日本商工会議所会頭賞!
  未来は僕等の手の中

文/写真 河野健一

 
ボクが飫肥杉に関わり始めたのは2006年に入ってからだった。ありがたいことにその後、この月刊杉で6回ほど書かせていただいた。
   
  2006年10月号(第15号)では「飫肥杉(オビスギ)で、ふるさとに自信と誇りを」というタイトルでこんなことを書いていた。
― まだ動き始めたばかりの事業だが、飫肥杉を生産するだけでなく、自分たちの生活の中でもうまく使っていき、地元にとって飫肥杉を「なくてはならない存在」に持っていきたいと思う。そして、大人も子どもも「飫肥杉」に自信と誇りを持って、それが「ふるさと」に対する自信と誇りになって、オビスギダラケの元気なまちに再生されていくことを強く強く願っている。
   
 

2007年01月号(第18号)では「飫肥杉大作戦その1計画秘話」と題して、こんなことを。
− 「飫肥杉ダラケのまちづくり」は、まだ動き始めたばかりの事業だが、飫肥杉を生産するだけでなく、自分たちの生活の中でもうまく使っていき、地元にとって飫肥杉を「なくてはならない存在」に持っていきたいと考える。大人も子どもも「飫肥杉」に自信と誇りを持って、それが「ふるさと」に対する自信と誇りになって、オビスギダラケの元気なまちに再生されていくことを強く強く願ってやまない。

   
  まったく同じことを書いていた。2回目は1回目のわずか3ヶ月後だったので・・・と言い訳をしつつ、3回目を見てみる。
   
  2007年11月号(第28号)は「『オビダラ日記』の日記」として、日南市油津の堀川運河に架かった飫肥杉製の屋根付き橋「夢見橋」のことを書いた。木橋づくりを単なる公共事業にせず、市民みんなでつくりあげていこう、その過程において飫肥杉やまちづくりに関心を持ってもらおう、とした活動だったのだが、このことがキッカケで日南市役所に飫肥杉課(正式名称は「飫肥杉を活用した日南再生プロジェクトチーム」)が誕生し、ブログ「オビダラ日記〜飫肥杉ダラケのまちづくり〜」もスタートした。
   
 

4回目は少し間があいて2009年3月(第43号)で、「秋の『史上最強の飫肥杉デザイン大作戦』に向けて〜日南から」という特集が組まれ、「飫肥杉の力を借りて、日南らしく、にちなんにちなんで」と書いた。
− 今年の「飫肥スギ大作戦」で、日南らしさ、にちなんにちなんだ飫肥杉のモノ・コト、人と人との関係、思い出、まち・スギを愛する心、達成感・自信・誇りなどが見えてくると期待している、ということ。
日南のまちや暮らしや風景や商売や人々。飫肥杉の力を借りて、「+杉」して、良い方向へ持っていきたい。

   
  その次は、2009年10月号(第50号)の「にちなんにちなんだ飫肥杉商品開発 "obisugi design”」を書いた。
− 飫肥杉を使っていくため、飫肥杉を救う活動を通じて地元にチームワークをつくるため、日南らしい日南に戻していくため。
   
 

直近は2009年12月号(第52号)だった。「日南飫肥スギ大作戦!で感じたこと」を書いた。
− あきらめなくてよかった。杉ってやっぱりよかった。手を抜かなくてよかった。

   
  あらためて読み返してみると、なんと幼稚な文章で、同じようなことばかり書いていたのだろうと思う。しかし、今回のグッドデザイン・日本商工会議所会頭賞受賞の連絡が届いたとき、感激、感謝、感動、感無量・・・などなど、頭の中がカンカン、カンカン鳴りながら、まず思ったことはやっぱり一番最初に考えたことだった。まだ杉やスギダラや右も左も分からない中、やっとこさ書き上げた記憶のある1回目(2006年10月号(第15号))で願った、「飫肥杉で、ふるさとに自信と誇りを」の確実な一歩だと素直に喜んだ。
− 「飫肥杉」に自信と誇りを持って、それが「ふるさと」に対する自信と誇りになって、オビスギダラケの元気なまちに。飫肥杉を生かしていく活動が、地域を生かしていく力に繋がり。飫肥杉の未来は日南の未来であり、それは今こそ、今に生きるボクたちが自分らの手でつくってゆくべきもの。
   
  なぜ、日南市から発信する飫肥杉プロダクト"obisugi design”に、グッドデザイン賞そしてそのすべての受賞対象の中から選ばれて日本商工会議所会頭賞が贈られることになったのだろうか?
GOOD DESIGN AWARD 2010のサイトを見ると、会頭賞は「すべての受賞対象の中で、豊かでゆとりのある国民生活の実現、地域経済の活性化、社会一般の福祉の増進等、わが国経済・社会の発展に寄与すると認めるもの」に贈られる賞のようだ。
審査委員の評価を読んでみると、「今一度、飫肥杉の復権を目指し、単に杉の商品開発に留まらず、行政を動かし、メーカーの参画を促して、飫肥杉を生かしていく活動を、地域を生かしていく力に繋げたいという強い目的意思のもとに稼動しているプロジェクトである。」ことも評価していただいている。この「強い目的意思」はこれからもしっかりと持ち続けていきたい。
   
  受賞の第一報は、obisugi design の共同開発をしてもらっている内田洋行の若杉さんの携帯電話からボクの携帯電話に伝えられた。いきなり、「けんちゃん、とったぞぉー!!!」だった。電話の向こうから、すぐ近くにいると思われる坂本さん(同じく内田洋行TDC)の「まじっすか? まじっすか!」という声が響く。隣にいる仲間に伝える前に、一分一秒でも早くボクなんかに?
こんなことばっかり起こるから、やめられない。
   
  では、このことが「確実な第一歩」だとしたら、その先はどこに向かうのだろう。ボクらの未来はボクらが望んでいるような豊かなものなのだろうか。
   
  ちょっと話は飛ぶけど、ボクは何かあったら(良いことも悪いことも)、ブルーハーツを聴く。彼らの一枚目のアルバムは「未来は僕等の手の中」という歌で、ずかずかと心の中の方へ入ってくる。彼らの歌詞は40も近くになると少し乱暴かなぁと思うところも一部あるが、抜粋して少しご紹介したい。
− あまりにも突然に 昨日は砕けていく それならば今ここで 僕等何かを始めよう
− 生きてる事が大好きで 意味もなくコーフンしてる 一度に全てをのぞんで マッハ50で駆け抜ける
− 僕等は泣くために 生まれたわけじゃないよ 僕等は負けるために 生まれてきたわけじゃないよ
− 未来は僕等の手の中!!!
   
  そして次の2曲目は「終わらない歌」。
− 終わらない歌を歌おう 僕や君や彼らのため
− 終わらない歌を歌おう 明日には笑えるように
   
  自分ではなかなか良い文章が思い浮かばないものだから、こういうふうに歌詞なんかを引っ張り出さないといけないのだが、ボクらは未来を手に入れたぞ!なんてことでは絶対にない。ありえない。無理だ。
泣きそうな負けそうな大変な社会だけど、未来に向かって何かを始めれば、その未来にコーフンして突っ走れば、なんとか出来るんじゃないか?的なことだ。つまり、「オレはどうしたいんだ?」と考え行動することが大事で、そういう意味で「僕等の手の中」に「未来」があるぞ、お前次第だぞ!と歌いかけてくるのだろうと感じる。
そして、明日やあさって、ふるさとの子ども達、未来の日本人、今から先のその時々の人たちが笑えるように、ボクらは歌い続けようよ!と思うのである。その歌は終わらない。歌うのをやめないから「終わらない歌」。
   
  obisugi design に関わる全ての皆さん、応援してくださる皆さん、日南の山々で何十年ものあいだ雨の日も風の日もたくましく育ち続けた飫肥杉と、それを支えた方々に心より感謝と敬意を込めて。
   
 
  2009年10月、宮崎空港にてobisugi designの展示を行う。内田洋行の倉内くんが、感動のあまり架空の雑誌の表紙をつくった。   2009年11月、「日南飫肥杉大作戦」にてインタビューを受ける筆者。またもや内田洋行の倉内くんが、感動のあまり架空の雑誌の表紙をつくった。
 
  2009年11月、日南市にて行われたobisugi designの具の発表「日南飫肥杉大作戦」スギダラ館の外観
   
   
   
   
  ●<かわの・けんいち> 日南市飫肥杉課 obisugi design 推進室長
ブログ「オビダラ日記〜飫肥杉ダラケのまちづくり〜」担当
   
 
Copyright(C) 2005 GEKKAN SUGI all rights reserved