短期連載
  佐渡の話 第6話(最終回) 「そして、これから」
文/ 崎谷浩一郎
   
 
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   2010年4月18日、北沢の広場が完成し、オープニングセレモニーが行われると聞きつけ、勝手に佐渡へ向かうことにした。現在の日本の公共事業の発注システム上、公共施設や空間の設計者が、その場所のオープニングに居合わせることは少ない。なぜならば、設計業務としては、工事発注するための数量と概算工事費を算出するところで終了しており、工事が発注される頃には、発注者である行政との契約関係も切れてしまっている。工事の間も、一般的には現場監理に携わることはほぼ無いので、そうした情報も入らない。だから完成しても、そのことを設計者が知らされることはまず無い。嘘のような本当の話だ。無論、我々は手弁当でも工事の進捗に合わせて現場に通い、当然、オープニングにもかけつける訳だが。
   
   50年以上前は、当時日本最新の鉱山技術とそれを支える人々が集積した場所。20年以上前は、相川高校のプールやゴルフの練習場があった場所。そして、2年前までは竹やぶと雑草で覆い尽くされ、人の出入りもできずに長らく放置されていた場所。この場所が、まちの新たなパブリックスペースとなって生まれ変わり、また、人々が集う場所になって欲しい。そう願いながら、ここまでやってきた。わずか2年間だったが、中身があまりに濃くて、もう何年も通っているような気分だった。
   
   高台から見下ろすと、その場所は、今まで見たことないほどの人で溢れていた。選鉱場の前には出店やステージと客席がセッティングされ、臨時の屋外劇場となっている。下に降りて、整備された広場へ向かうと、かつて鉱山施設に使用する機械の仕上げ工場だったその場所に、ムシロが広げられ、赤ら顔の相川の人々が一升瓶を手に、笑顔で春の陽気を楽しんでいた。なーんだ、今までどこに隠れていたんですか?っていうぐらい人がいて、ちょっとびっくりしいていると、『おめぇらも来いっちゃ!』と声をかけられた。誘われるままムシロに乗った。プラコップをほいっと手渡されると、落ち着いて座る間もなく酒がなみなみと注がれた。『飲めっちゃ!飲めっちゃ!』見ず知らずの旅人に、次々と酒が注ぐ。(あれー?こんな感じだったかなぁ?まあ、いいや!)と、飲みながら話を聞いていると、『俺は鉱山が閉山される直前まで穴を掘ってたんだ』というおっちゃんまで現れた。選鉱場やキューポラに囲まれて、とつとつと当時の話を語るその顔がどこか誇らしげだった。
   
 
  高台から見下ろした広場のオープニングイベントの様子
 
  『飲めっちゃ!飲めっちゃ!』酒を注ぐ男性と南雲さんの奥に見える眼鏡のおっちゃんが最後の穴掘り大工
   
   大間港の広場で日本海に沈む夕日を堪能し、我々は再び北沢選鉱場へ戻った。日が沈むとライトアップされた選鉱場をバックに、おけさが舞い、佐渡の和太鼓集団「鼓童」による太鼓の音が鳴り響いた。4月とはいえ、佐渡の夜はまだ肌寒い。広場を後にした我々は「きよ」に向かった。そして、キヨさんの佐渡おけさを聴きながら、心温まる相川の夜を過ごしたのだった。
   
 
  大間港広場にて日本海に沈む夕日を臨む。美しい。
 
 

ライトアップされた北沢選鉱場。幻想的な風景。

 
  選鉱場をバックに舞う佐渡おけさ   鼓童の力強い太鼓の響きがこだまする
   
   佐渡から東京に戻ってきて考えた。2010年6月には、佐渡が単独で暫定リスト入りするなど、世界遺産へ向けての動きは徐々に進みつつあった。しかし、これはそれなりに時間がかかることでもあるし、また、時間をかけて進めるべき話でもある。とはいえ、相川の人々には焦りもあった。この佐渡島で動き出した新たな物語にもっと光を当て、相川の人々が次へ進むために何か少しでも希望を与えることはできないか。そう考えて、2010年度のグッドデザイン賞に応募することにした。
   
   グッドデザイン賞の事務局から、特別賞候補に佐渡のプロジェクトが挙げられていると連絡があった時、半ば信じられない気持だった。プロダクトから自動車、果ては人工衛星まで、人の生活に関わる実に幅広い分野から3,000点以上の応募数がある中で、特別賞はわずか15点にのみ与えられる。また、同時にその15点が、その時代のデザインのあり方のひとつとして社会にプレゼンテーションされる。その特別賞に佐渡がノミネートされた。身震いするような出来事だった。
   
   地域の抱える希望や課題は様々だ。それは、その地域が過ごしてきた時代によっても異なるし、また、その時置かれている状況によっても異なる。しかし、どんな地域でも変わらない大切なことがある。それは、そこに人がいる、という事実である。僕は、土木の設計事務所をやっていて、本当に良かったと思った。人は土地の上で生きている。その土地に、人が生きるための場所をつくるのが土木の仕事である。そのために、人と人がダイレクトに気持ちや考えをぶつけ合い、未来のために今やるべきこと、できることを真剣に考えなければならない。もし、この思いが、今世の中に必要とされているデザインのあり方として評価されたのだとすれば、これ以上ない喜びであった。
   
   結果的に、特別賞にはあと一歩届かなかったが、僕の中でひとつ確信と自信を得たことがあった。それは、地域にとってのデザイン、といったとき、それはその地域に暮らす人達にとって不可欠な存在として、真に受け入れられるものでなければならない、ということだ。佐渡のプロジェクトは、まさにこれからその真価が問われるものだ。結果が出るにはもうしばらく時間がかかるだろう。逆に、現時点で特別賞に届かなかったことが、地域にとってのデザインのあり方の尺度を、自分の中に決定づけることになった。デザインの領域と可能性は明らかに広がりを見せている。ときによそ者の我々は、その場所、人の内側へと入っていかなければならない。たまに衝突もする。辛いこともある、全てがうまくいく訳じゃない。でも、それでいい。失敗しながら反省しながらも、人を信じ、愛し、泣き、笑い、人とのつながりをもちながら、明るく次の一歩をみんなで踏み出そう。僕にとって、デザインは、そのための手段だ。
   
 
  多くの観光客で賑わう北沢の広場(2010年10月)
 
  大間港広場に訪れる人々(2010年10月)
 
  北沢の広場で行われた両津市民バンドによる屋外演奏会。こうして地域に使われて親しまれる場所になっていって欲しい(2010年10月)
   
   2011年3月11日を境に、時代はさらに大きく変化した。言葉にならないほど、辛く悲しい現実に僕らは向き合わなくてはならない。効率化やシステムに依存する生き方そのものを根本から考え直さなければならないとも言われている。日常のあり方を模索してきた、これまでのスタンスでは、何も太刀打ちできないのではないか、という無力感に襲われることもある。それでも、社会のシステムがどんなに変わろうとも、人の、人に対する気持ちだけはずっと変わらないのではないだろうか。
   
  スギダラの真ん中にはいつも人がいる。他の何にも代えがたい仲間がいる。そして何より新しい時代を進んでいくために欠かすことができない「ハート」がある。佐渡のプロジェクトを通じて、南雲さんには、大切なことを教わった。『勉強になりました』って言ったら、また怒られるだろう。『バカヤロー、プロは勉強なりましたとか言ってらんないんだよ!』そうっすね、でも、本当に勉強になりました。僕は未来へ向かってぶれない芯を得ることができたのです。そして、そのことを形として残す「月間杉」という素晴らしい場所を与えて頂き、有難うございました。半年間、つたない文章にお付き合い頂きました読者の皆さん、編集して頂きましたスタッフの皆さん、有難うございました!新しい時代を、ともに歩みましょう!!
   
 
  本物の風景のある場所.地域の人々に愛され続ける場所となることを祈りつつ(2010年10月)
   
   
  (完)
   
   
   
   
  ●<さきたに・こういちろう> 有限会社イー・エー・ユー 代表 http://www.eau-a.co.jp/
Twitter アカウント@ksakitani http://twitter.com/ksakitani
   
 
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