特集 新たな時代に向かって
  佐渡の話 第1話 「ハートの時代」への船出
文/ 崎谷浩一郎
 

 スギダラの皆さん、こんにちは。
会員No787、設計事務所eauの崎谷浩一郎です。東京で土木設計(橋や道路、川、公園、広場など)やってます。南雲さん始め、スギダラな方々とは仕事など(ほぼ飲み会)でちょくちょくお会いしています。

   
   さて、「新たな時代に向かって」という特集テーマ。そもそも「新たな時代」って何でしょう?皆さん、それぞれ新たな時代「感」をもって2011年を迎えられたことでしょう。では、僕なりの「新たな時代」とは何か。それは一言で言えば、「ハートの時代」とでも言えるかもしれません。
   
   南雲さんも以前この月刊杉で書かれていましたが(参照:月刊杉64号「ターニングポイント」)、社会が変わるような気配が漂った2001年から10年が経ちましたが、実際、我々の社会、暮らしぶりは劇的に変化を遂げたようには感じません。むしろ厳しさを増した、という方もいらっしゃるかもしれない。9.11のインパクトを未だに生々しく脳裏に引きずったまま、長らく続いた自民党政権からの政権交代による政策転換や事業仕分けによる既得権への切り込みなど、少しは目に見える変化を感じながらも、どことなく閉塞感から脱しきれなかったこの10年間。そんな閉塞感がピークに達したかのように起きた尖閣諸島の映像流出事件。もしかしたら一番大きな変化を遂げつつあるのはインターネットを中心とした「情報分野」かもしれませんね。Wikileaks、Facebook、Twitterなどソーシャルメディアの台頭は、マスメディアの在り方や産業構造を変えるだけではなく、ごく最近ではチュニジアやエジプトのように一般大衆が国の統治システム自体を揺るがすまでに至っています。一方、我々土木のデザイン業界では、景観法(2005年)、改正文化財保護法による重要文化的景観の選定制度(2005年)、さらには歴史まちづくり法(2008年、地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律)といった人々の暮らしに密接に直接的に関係を持つ地域の歴史や文化、景観を維持形成していくための法制度が次々と整備されました。
   
   そして新たに迎えた2011年。これまで国土や地域の根幹を支えてきた制度やシステムが、ハードからソフト、拡大路線から縮小路線へと緩やかにシフトしつつある時代、一人のエンジニア・アーキテクトとして、どう立ち向かうべきか。質の高い空間や構造物のハードのデザインを実現することはもちろんのこと、その先にある人々の「ハート」の部分について、自分なりにあらゆる方法でトライしたい。ハードかソフトかではなく、ハードとハート。そういう思いで新たな時代へ向かいたい、と思っています。
   
   さて、佐渡の話とは、南雲さんも一緒に関わった佐渡鉱山遺跡群の公共広場デザインとそれにまつわる悲喜こもごもの話のこと。そして、僕が「ハートの時代」へと向かう必要性を強く感じたプロジェクトでもあります。南雲さんからのリクエストは『佐渡の話を面白楽しく書いて!』ということなんですが、何をどこからどう書くか、非常に悩ましく、改めて南雲さんからのメールを見直してみる訳です。いくつか内容の切り口へのアイデアも書き添えてあって、、、んっ?『最後は涙で終わってください』って書いてある、、、ますます悩ましくなった…。
 しかし、この佐渡プロジェクト、始まった当初は思いもよらなかったことですが、2010年度グッドデザイン賞の金賞ノミネートというトンデモナイ事態まで発展してしまったのでした―
(遅ればせながらobisugi design受賞おめでとうございました!弊社でもアシカラロッドハイスツール4基使わせて頂いてますよ!)
   
 
   
   2008年2月某日、定員260名の高速船ジェットフォイルぎんがは信濃川河口の新潟港を出航すると、みるみるうちにエンジンの出力を上げ、あっという間に時速70kmの翼走航行に入った。船は海面から船底が4mほど浮いて進むので、実際は飛んでいるようなものだ。急な旋回ができずクジラやイルカなどの大型の海洋ほ乳類に衝突することもあります…と船内アナウンス。衝突したらイルカやクジラは死んじゃうのかな、いやクジラにぶつかったらこの船が壊れて沈むんじゃなかろうか、冬の日本海で難破したら冷たいよね、寒いよね、などといらぬ不安が頭をよぎる。そんな不安をよそにいつの間にか視界から本州の陸地は消え、周囲は日本海の深く濃い青色に包まれている。初めての佐渡。興奮して居眠りする気にはならない。僕は目の前の深い青を凝視しながら、これから始まるプロジェクトのことを考えていた。
   
 
  佐渡に向かうフェリーより佐渡を見る。
   
   そもそも僕が今、初めての佐渡を目指しているのは、文化財保存計画協会という文化財の保存や修復に関わる計画・設計を専門とする会社の矢野和之さんに、南雲さんとともに仕事で声をかけて頂いたからだった。矢野さんはその道のプロ。そんな矢野さんから佐渡鉱山の遺跡群がある2カ所の場所を新たな公共広場としてデザインするのを手伝ってもらえないか、という何とも魅力的な話を頂いた、…のは確か出発の数日前のことだった気が、、、。とにかく、矢野さんの話によると佐渡では古くから金銀の採掘が進めらており、江戸時代は幕府直轄領となって奉行所も置かれたそうだ。明治時代になると採掘施設も機械化、近代化が進み、開発のピークであった昭和初期の近代化遺産が相川にはゴロゴロ残っているらしいのだ。なんだなんだ、なんだか凄そうじゃないか!そうか、佐渡と言えば金山だ!ついにきたか、一攫千金プロジェクト!よし、スタッフのみんな!待っててくれ、でっかい金塊もって帰るぜ!などとくだらないことを考えているうちに、いつのまにか目の前には佐渡島が姿を現していた。フェリーだと2時間半かかる航路もジェットフォイルだと1時間。北前船だとどれぐらいだっただろう?
   
   細かい話はよく覚えいてない。船から降りると、佐渡初上陸の感慨に浸る間もなく、佐渡市の担当者の面々が我々の到着を待ち受けており、挨拶もそこそこに、我々は用意してあった白いバンの後部座席にバタバタと乗りこんだ。道中、市の担当者Kさんが、助手席から首を後ろにひねっては戻し、ひねっては戻ししながら、ミョーに明るい声で『皆さーん!佐渡は初めてですかぁ?』『冬は佐渡の観光はさーっぱりですよ!』『でもね、魚はこの時期のがいっちばん旨いんですよぉー!』とミョーに仕事モードから解放してくれているのが気にかかる。矢野さんと矢野さんの会社で担当者の川口女史、南雲さんと僕の4人は、Kさんのミョーに明るい話題に、そうなんですかー、へーなどと答えながら、佐渡島西部のまち、相川のまちを目指すのだった。
   
   2011年現在、佐渡はこの「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」で世界遺産登録を目指しており、昨年には世界遺産暫定リストにも掲載された。日本国内の世界遺産は現在14件、その候補である暫定リストに掲載されているものも14件あり、佐渡はその中で一番最近リスト入りしたことになる。世界遺産を契機としたまち興しやまちづくりが全国各地で行われている。佐渡鉱山の中心だったまち相川もそのひとつである。こうした動きは自分たちのまちをこれまでと違う視点で捉え見直すきっかけとなり、地域の未来を考える契機にもなる。ただ、世界遺産となると地元住民や行政、それらに関わる関係者も何か正体不明の腫れ物に触るようなところがあったりして、現場は色々と大変だったりする訳で…。
   
   さて、上陸ついでにもうひと話。佐渡は僕が初めて南雲さんと一緒にやったプロジェクトだった。上陸前夜、翌朝一番のジェットフォイルに備え、新潟のホテルで休んでいた僕の携帯が鳴った。南雲さんからだ。「ちょっと飲もうか」ホテル近くの居酒屋で初めて2人っきりで飲んだ。それまで、お互い何となく見知ってはいたものの、面と向かって話をしたのはその時が初めてだったと思う。僕は、様々な地域で公共空間のデザインに関わりながらも、公共におけるデザインや自分の向かうべき方向について、あれやこれやと考えていた…いや、悩んでいた。そもそもデザインの必要性や意味はどこにあるのか、誰のために、何のために…。短い時間で色々な話をした。その時、南雲さんがしきりに言っていたことが今でも忘れられない。『僕らの色々な活動はもっともっと市民とつなげなきゃ。一緒にやろうよ!』と南雲さん。有難うございます、僕はこの佐渡の地で何か大切なものを得たような気がしています…。
   
 
  上陸して最初に撮った一枚。これは一体…
   
  (つづく)
   
   
   
   
  ●<さきたに・こういちろう> 有限会社イー・エー・ユー 代表 http://www.eau-a.co.jp/
Twitter アカウント@ksakitani http://twitter.com/ksakitani
   
 
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