連載
  スギと文学/その37 『鎔岩流』を読む
文/ 石田紀佳
  『鎔岩流』 春と修羅 宮澤賢治より 1922〜23年
 
 
  本文は先月号に。
   
 

宮澤賢治の作品をよく知っているわけでもないが、たまたま目にした物語に「杉」があって(『虔十公園林』 月刊杉27号の原稿を参照下さい)、いつかじっくり読みたいと思っていた「春と修羅」にも意外に杉が出ていて、この「杉と文学」の連載には宮澤賢治の作品を多く引くようになった。

   
  宮澤賢治は私にはおよびもつかない感性と知性を持った人だったから、ちょっとくらい作品を読んでもわからないことだらけだ。掘り下げて追うこともしないできたから、実はあんまりわかっていないで気ままに読んでいる。
   
  だけど私なりの賢治像というのはあった。だから先日手にとった文庫本「教師宮沢賢治のしごと」(畑山博著)に、教師としての宮澤賢治を描いたものがあり、自分がこの人を誤解していたことを知って、驚いた。けどそれがうれしかった。
   
  元教え子の証言から、なんとも楽しい賢治があらわれたのだ。考えてみれば当然でもある。風景を読むことのできる人だもの、童話を書く人だもの、それはこの世がおもしろく感じられるだろう、おもしろくするコツを知っていたのだろう。
   
  生前はほとんど作品も思想も認められず(認められたいと思っていたのかどうかもわからないけど)、若く病気で亡くなったから、悲しい印象が強かった。
   
  もちろん明るいだけではないだろう。お天気みたいに、人も晴れたり曇ったり、いろいろあるのだろうから。でも少なくとも、あの童話世界やこの心象スケッチのように世界を描いた人なら、生きることに深い驚きと喜びがあったに違いない。
   
   
   
 

元教え子たちは、賢治に連れられて行った山登りについても、とても楽しい思い出を語っていた。この『鎔岩流』ももしかすると教え子と一緒に行った山なのかもしれない。

   
  地球の胎動を感じながら、スギコケで食欲をおぼえ、リンゴかじって、遠くの景色に亜麻の農民シャツを見る賢治がいる。
   
  「ほほーほほー」と叫んではねながら手帳にメモしてスケッチしていったのだろうか。
   
  日本語で文を残してくれたことは、日本語をにとってとてもありがたいことだと思う。
   
   
   
   
  ●<いしだ・のりか> フリーランスキュレ−タ−
1965年京都生まれ、金沢にて小学2年時まで杉の校舎で杉の机と椅子に触れる。
「人と自然とものづくり」をキーワードに「手仕事」を執筆や展覧会企画などで紹介。
近著:「藍から青へ 自然の産物と手工芸」建築資料出版社
草虫暦:http://xusamusi.blog121.fc2.com/
『杉暦』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_nori.htm
『小さな杉暦』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_nori2.htm
ソトコト(エスケープルートという2色刷りページ内)「plants and hands 草木と手仕事」連載中
   
 
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