特集 天草・高浜フィールドワーク2011開催
  高浜フィールドワークの感想ぞくぞく!
   
 
九州大学 学部生
   
  まちづくりへの関わり方
  文/ 工藤亜実
   
  1日目:
   
  福岡から天草までの4時間にも及ぶバスの旅は、スギダラの皆さん主導の自己紹介リレーによりあっという間でした。みなさん自己紹介は内容が濃く、なおかつおもしろく話されるので大変盛り上がりました。このなかで、初対面の方に自己紹介をするときはへんにかしこまってただ経歴や得意なことを言うのではなく、面白おかしく自分に興味を持ってもらえるように、覚えてもらうように、経歴や好きなことに興味を引くような補足入れるなど、工夫をするのが大切だと感じました。 高浜の公民館に着き開会式の準備を行いました。何の変哲もないただの公民館の一室が、藤原先生が筆で書かれた参加者氏名の半紙を壁一面にはり、どこにでもある黒い厚紙に写真をはって無造作に並べるだけでガラッと雰囲気が変わり、今日から3日間の活動にわくわくどきどきの期待とやる気を倍増させる効果があるように思いました。 次に、トランセクトウォークを行いました。なにか強い目的を持たず、ぶらぶら歩いて気になったことを高浜の人に聞いてまわりました。実は、私はこのトランセクトワークの前半、FWに参加していない高浜の人とどのくらいすれ違うことができるかちょこっと気になり、なんともなしに記録していました。
   
 

14:30川で船をいじくるおじいちゃん(1人)
14:40車1台(1人)
14:44車1台(1人) 運送店の主人(1人)

   
  高齢化が進んだ限界集落聞いていたので、思ったより人通りがあるなと思いました。まちを歩いていても、珍百景がぞくぞくと発見され、いたるところに苔むした石垣があり、まちへの道の通し方も面白く、なにより高浜地区振興会の皆様のまちへの思い入れの強さ、そして人柄がこのまちの価値ある資源だと思いました。
   
  夜は本多さんのお宅にクラスメイトの山本さんと民泊させていただきました。 お宅に到着してすぐに愛犬のハナ(柴犬)にほえられてしまいました。私は中学時代に柴犬に追い掛け回された経験があるので正直ちょこっとこわかったですが、本田さんが帰ってきてしっぽをふりふりする姿はとってもかわいかったです。インコのユウちゃんやスズメちゃんもいて、特にユウちゃんのおしゃべりが楽しかったです。娘さんがいらっしゃらず、娘ができたみたいと山本さんと私を歓迎してくださり、夜になると本多さんの奥さんとはいこ人形をつくり、とても和やかな時間をすごしました。宮野岳明さんが途中で私たちの様子を見にこられました。宮野さんに「まちづくりをするにあたって大切にしていることはなんですか?」と質問すると、詳しくお話してくださり貴重な時間をすごしました。
   
  2日目:
   
  朝、目を覚ましたらテレビがついており、どうしたのかと思ったら、なでしこジャパンがワールドカップで優勝していました。 7:04に青空市に行きました。すでに人がいっぱいで、聞くところによると野菜や花は少ないので開始の30分前にはすでに売れてしまうそうでした。とトラックに人がたくさん集まっておりのぞいてみると、1000円のあじと200円のげそのすり身が売れていました。売っていたおじさんにきくと、品は時々変わり、げそはこのごろ手に入らず、次はないかもと言っていました。 プログラム活動ではCグループに参加しました。マップを作ることになり、どんなマップを作るか意見を出し合う中で、空き家マップや人に注目したマップなど、たかがマップではなくマップを通して高浜の問題点が浮かんで来、もっと高浜を魅力的にするにはマップを使って、マップを作るという行動の中で、どうすればいいかなどの話し合いがされました。私はこの活動を通してマップの力というものはすごいと感じ、まちづくりを行う上での重要な装置になると思いました。 夜は高浜地区の皆さんがバーベキューの場を用意してくださりました。お酒も入り、わいわいとした楽しい時間をすごしました。一番感動したのはやはり夕日です。180度以上見渡せる水平線に太陽が沈む姿は神秘的で感動しました。
   
  3日目:
   
  2日目の活動の発表会を行いました。各グループそれぞれ特徴があり、発表の仕方も内容もおもしろく、皆さん興味をもって発表に聞き入っていました。特に高浜の方はこれからのまちづくりに参考にしようとより真剣な目で見つめていらしたのが印象的でした。
   
  とうとう3日間の充実した活動が終わりました。バスで帰路につくなか三浦さんの「さまざまな問題を投げ掛けた責任がある」という投げ掛けの言葉が3日間の活動の中でもっとも考えさせられました。 私ははっきりいって高浜の人たちから見たらよそ者で、問題を投げ掛けるだけ投げ掛けて高浜を離れました。高浜の人たちから見たら無責任だと思われるでしょう。以前、ある人から言われた言葉があります。「まちづくりをするにあたってその土地に住み着く覚悟がいる。」と。また、こう言われたこともあります。「よそ者がその土地を訪れ、住民とは異なるものに興味を持ち、楽しんでいる姿を住民が見ることによって、住民が気づかなかった地域資源を発見するきっかけになる。」とも。今回の私たちの活動は後者でしょう。私はまだ、まちづくりにおいてよそ者の責任の取り方とは何なのか答えを見つけていません。これから高浜の皆様と関わっていく中で見つけられたらと思います。まちづくりにおいてリーダーとなるべき存在、組織は必要だと思います。しかし、そのリーダーが自分の周りだけの意見を聞くのは偏ったまちづくりになりますし、リーダーが周りの意見を聞こうとしてもリーダーに反発意見を言いづらかったり、わざわざ会話する必要はないと考える人もいます。逆にリーダーに話しかける人よりも、話しかけない人、リーダーの周囲に普段いない人のほうが貴重な意見を持っていることもあります。 私はまだまちづくりと将来どう関わっていくか悩んでいる途中ですが、今はこの、よそ者で若者で女の子という特徴を目一杯活用して、このような埋もれた意見を広く集めながらまちづくりに関わっていこうとう結論に達しました。  最後に、貴重な体験を共有したすべての人と高浜に生きるすべての人に感謝を。
   
  ●<くどう・あみ> 芸術工学部環境設計学科3年
   
   
 
  高浜での3 日間 is priceless!
  文/ 山本友紀
   
  旧上田邸。ずっしりとした瓦屋根が古さを感じさせる。緑の芝が美しいお寺。藤原先生もお気に入りの商店。ガラス窓から見えていたちり紙もふくめていい味出しています。 2本の道に挟まれた角地。敷地ぎりぎりまで有効活用しようとした結果。
   
  私の生まれ育った愛媛県今治市の玉川町というところは山に囲まれた農村地域である。自然がいっぱいで幼いころはつくしをとったり、タケノコを掘ったり、川で泳いだり、山滑りをしたりと遊びには事欠かなかった。しかし高校生ともなると、様々な不便さも感じるようになった。片道10km弱の道のりを自転車で毎朝通うのは面倒だと思う日もしばしば・・・。休日に買い物す る場所も、カラオケやボーリングで遊べる場所も町内にはない。都会にあこがれることも何度もあった。毎日の買い物やちょっとの移動にも車は欠かせなかった。そんな玉川も市町村合併に伴って開発が行われ始めた。切り売りされる土地、新たに越してくる人々。手入れをする人のいなくなった田んぼや畑は、簡単に住宅地に変わっていった。そして人が増え始めた町に、大きなショッピングモールを建設するという話がもちあがった。確かにそれによって買い物の不便さは解決するかもしれない。過疎化の進む町がもう一度たくさんの人が訪れる場所になるかもしれない。でも私は大きな違和感を覚えた。幼いころのあの風景はもうなくなってしまうのだろうか、細々と頑張ってきた小さな商店はシャッター通りと化し、蛍もいなくなってしまうのではないか。でもこのままこの町で年をとったとき、ちょっとした買い物にも困るようでは実際とても大変である。ベストな答えは一体何なのか。そしてその答えを探すために、私は大学に通っている。ちなみにショッピングモールの建設は案の定地元商店街をはじめとする有志達の大反対に遭い、現在土地の造成が終了したところで何年間もストップしたままである。
   
  前置きが長くなったが、今回の高浜でのフィールドワークも過疎化の進む町で今後どういう展開が考えられるか、という趣旨のものであったので大変興味をもち、参加させていただいた。古い木造住宅。背景の青と緑に長い時を越えてきた木の色が美しい。美しい曲線美を描く磁器。おいしかった夕食。とびきりのごちそう!朝市の新鮮なお魚。白鶴浜海岸。高浜のもつ立派な宝物。結論としては私の知りたい「答え」はまだよくわからない。でも確実にそのヒントを得ることはできたと思う。そして何よりこの3 日間が楽しくて仕方がなかった。一番自分にとって新しい気付きだったことは、「何もない」なんて町は存在しないということだった。過疎化の進む田舎の地域は、自然以外「何もない」町だと信じて疑っていなかった。それは別にバカにしたり蔑んだりしているわけではないが、ただその言葉通り「何もない」と思っていた。でも実際高浜にはたくさんの宝物があった。それはぶどうとか、天草陶石とか、目に見えるものもあれば、圧倒的な自然を目前にした時の表現しきれない感動とか、素敵な人たちとのたくさんの出会いとか、目には見えないものもあった。
   
  そしてもうひとつの気づきは、これらの宝物は実はきっとはじめて発見したものではないということだ。先に書いたが、私は田舎で生まれ育つ中で自然や町とふれあい、こういったかけがえのない宝物たちの恩恵を受けながら育ってきたはずだった。でも、成長するにつれてその不便さやデメリットばかりに目がいくようになり、結果「何もない」ところだと平気で言うようになっていたのだと気がついた。美しい自然があるのに。おいしい食べ物もあるのに。素敵な人たちもいるのに。高浜ではみんなで一緒に宝物さがしをした他に、民泊というもう一つの貴重な体験をさせていただいた。泊めていただいた本多さんご夫婦には大変よくしていただき、たった2 泊3 日だというのにもかかわらず、帰り際にはさみしくてこっそり少し泣いてしまったくらい(笑)それくらい楽しい3 日間だった。実家を離れて暮らす私にとって、高浜が第二の実家、故郷といえるくらい大切な場所になった。高浜は多くの日本人にとって原風景ともいえるような、そんな素敵な要素をもったところだとおもう。訪れた人を温かく包みこみ、日々の疲れをいやしてくれる。この素敵な高浜という場所を維持していくには竹山の問題じゃないが、積極的に人が介入して自然を保護したり、若い人たちが町を活性化していったりすることも不可欠だと思う。そしてそのためにはこの町で暮らせるだけの雇用の機会がどうしても必要なのだということもひしひしと感じた。
   
  夕暮れの漁港。高浜では見慣れた光景でも、私にはとても新鮮で美しかった。  
水平線に太陽が沈む。ジュー  
みんなでハイヤ踊り。海に飛び込んだ有志達。
   
  3 日間の成果を発表。でも高浜はこんなに魅力がある町だということを、私たち外部者だけでなく地元の人たちも再発見された今、高浜の未来は明るいという気がしている。どういう形で人を呼びこみ高浜をよりよいところにしていくかは、たった3 日間で考えるにはちょっと内容が濃すぎて、具体的には未知数な部分も多いけれど、わたしもこれから本多のお父さん、お母さんと仲良くさせてもらいながら、末永くかかわらせてもらいたいなと思っている。できる限り遊びにも行きたいと思う。また今回のフィールドワークでは多くの人々にお世話になり、多くの魅力的な人々に出会うことができた。スギダラのみなさんの周りを巻き込む大きな力、人を説得させるパワー、エネルギーにはただただ驚くばかりだった。3年間同じクラスで過ごしてきた工藤亜実ちゃんの、とても素晴らしい魅力にも改めて気づくことができたし、人前で話すことが大の苦手な私にとって、このフィールドワークは刺激的なことばかりだった。 貴重な経験をさせていただいたことに感謝して、この夏の思い出をこれからの自分の成長の糧にしていきたい!
   
  ●<やまもと・ゆき> 九州大学芸術工学部環境設計学科3 年
   
   
 
  高浜のなかで
  文/ 本田裕紀
   
  3日間フィールドワークをし、民泊をする、というのは私にとって初めての経験でした。高浜FWはその3日間ともよい天候に恵まれ、暑すぎるといってよいほどでした。
   
  1日目のトランセクトウォークでは、高浜の皆さんにとても親切にまちのことを教えて頂いたおかげで、やや緊張していた私も、楽しくまちを見て回ることができました。上田家のお屋敷は、まわりを庭でかこまれ、また入ってみると中はとても涼しく、思わずこんな家に住みたい!と思ってしまいました。そして初めて見た防空壕。しかも小さいものと、大きいものと、2つもありました。私が高浜の子供なら、絶対に秘密基地にしていると思いますが、高浜のこどもたちはそんなことはしないのだろうか、なんてことを考えながら、歩いていました。  その日の夜、民泊を受け入れて頂いた宮口さんのお宅に、はじめてお邪魔しました。宮口さんのお宅では、手作りのところてんから、お刺身などの海鮮、サラダなど、とにかくたくさんのお料理で出迎えて頂きました。とてもおいしかったです。宮口さんのお宅では、お味噌や甘酒、アイス、かぼちゃなど、その他様々なものを手作りしていて、最終日には、その手作り味噌をお土産として頂きました。
   
  高浜での朝は、毎日とても早かったです。2日目の朝は、朝市があるということで、早速7時には広場に到着していました。ここでは小さいジャガイモが、つめほうだいで無料!ということだったので、いただきました。小さいといっても、福岡のスーパーでは普通に売られている大きさのものです。高浜の人の懐の広さを感じます。しかし、ここで私が感じたのは、品物を買いに来ている地元の人の姿があまり目立たないな、ということでした。FW参加者の姿がただ目立っていただけなのか、私は他の朝市の日を見ていないので、はっきりとしたことは言えないのですが…。ただ、宮口さんのお宅に民泊した際思ったのは、高浜では、ご近所さん同士のコミュニティが成り立っている、ということでした。というのも、宮口さんのところでは、手作りした品々をご近所の方にあげたりしているそうです。そして、宮口さんも、ご近所の方から食べ物などをもらう。その、ある意味では物々交換(?)とも言えるコミュニティがあるうちは、高浜の人はなかなか朝市で買い物をする、というのに積極的にならないのかもしれないと感じたのでした。かといって、朝市を否定している訳ではありません。極端ではありますが、そのコミュニティにとりこまれていない者、つまりよそ者がもっと増えれば、朝市はいっそう賑やかになるのではないかと思ったのです。
   
  ワークショップでは、プログラムE「プロダクトデザイン・公共サイン」に参加しました。私自身、公共サインにとくに関心があり、プログラムが発表された時点で、絶対これに参加しようと意気込んでいました。最終的にできたデザイン案は、誘導するサインではなく、人と人とのコミュニケーションを促すサイン。例えば海水浴場を教えるサインがあったとして、それが矢印でただ誘導するだけではつまらないし、高浜らしくない。家の軒先に、陶石や白磁でできたサインをつるして、高浜の人が教えてあげることで、よそ者と高浜の人とのコミュニケーションが生まれる。高浜らしい公共サインのあり方として、とてもよいデザイン案ができたのではないかと思います。
   
  2日目の夜は、漁港でバーベキュー。漁港にはネコがたくさんいました。ここでは友人が民泊しているお宅の本多さんとお話しすることができ、バーベキューの後お家にお邪魔させて頂くことになりました。というのも、漢字は違ったのですが私の名前が本多さんの息子さんとまったく一緒だったのです。これも良い縁、本多さんのお宅では、ご主人の修学旅行の思い出を語ってもらいました。これが信じられないような本当の話で、とても面白かったです。奥さんには、手芸のストラップを頂きました。大切にします。
   
  3日間が、あっという間におわりました。この3日間がこれからの高浜のためになったのかどうか、私にはまだわかりません。それは、今後高浜がどう変わっていくのかにかかっていると思うからです。変わらないところがあったとしてもいいと思います。高浜の人たちがなりたい高浜、になれることが一番です。
   
  高浜のなかで過ごした3日間は、高浜を見つめ直し、また自分自身をも見つめ直す3日間でした。高浜の皆さん、参加者の皆さん、藤原先生、ありがとうございました。
   
 

●<ほんだ・ゆうき> 九州大学 21世紀プログラム課程3年

   
   
 
  とても遠くて近いところ
  梅田 和久
   
  バスに揺られること5時間、天草の高浜はとても遠いところでした。しかし、地元の方々の話を聞いていると色々な問題、悩み、不安があって意外と近いなーと思いました。 高浜の姿は、現在の日本の集落が持っている姿そのものではないでしょうか。
   
  少子高齢化は避けて通ることはできません。少子化・人口減は今後の日本の姿だと思います。だからこそ持続可能な社会の構築と地域間交流による相互扶助が必要だし、そこにしかない地域の魅力、個性がその地域の価値を決めていくのではないかと思います。
   
  高浜もまた地域の価値を高めるため、ひいてはそこに住む人々の幸せのためにまちづくり活動と地域間交流が続けられなければならないと感じました。
   
 

●<うめだ・かずひさ> 九州大学 公開講座受講生

   
   
 
  高浜の魅力
  文/ 松野尾仁美
   
  一日遅れで入った高浜は、じりじりと焼け付くような炎天下の日差しのもと、海の色がまぶしいばかりでした。私が到着した時は、すでに、参加者の皆さんはフィールドワークに出かけており、熱心に活動中のご様子でした。 遅ればせながら、町を散策すると、町の構造が変化に富んでいて、大変面白いことに気づかされます。海と山、そして川と多様な要素が絡み合い、ちょっと進んで振り返ると、全く別物の景色が眼前に展開されます。特に、曲がりくねった川沿いの様相は、一歩進むごとに、スライドが入れ替わるように瞬時にして変わり、まったくもって、油断なりません。この豊かなシークエンスを持つ町並みは、階層的でありながら、構成要素がシンプルなため、その魅力が素直に伝わるものとなっているのだと思えてきます。
   
  実際、川沿いの石の積み方は大変美しく、随所にちりばめられた石の祠や石段など、高浜は石の文化の町であることを感じずにはいられません。斜めに積み上げられた石は、どんな職人が積んだのでしょうか。そのセンスの良さには驚かされるばかりですが、高浜の長い歴史と営みが培った技術と美的感覚が伝承されてきた証なのでしょう。 地元の方に「素晴らしい石の文化ですね。」とお伝えすると、「昔から、こうだから、特によいとは思っていなかったです。」との返答。それは、もったいない!と思った次第です。郊外の住宅地で育った私には羨ましい限りです。10歳までに育った環境は「原風景」として残るといいますが、変化に乏しく同様のプレハブ住宅が立ち並ぶ住宅団地に育つのと、高浜のような豊かな環境で育つのでは、随分と差がでてきそうだと感じました。
   
  現地での活動は、夜のバーベキュー、翌日の発表会と、暑い、熱い、厚いものでした。今までに参加した、どのワークショップよりも濃い内容であったと思います。今回のことがきっかけになり、地元の方々と外部の方々と交じり合い、高浜の核となるものが整理され、豊かさや魅力の再発見に繋がればと思えます。 お世話になりました高浜のみなさま、藤原先生、三浦さん、タカクラさん、参加者のみなさまに、御礼申し上げます。ありがとうございました。
   
 

●<まつのお・ひとみ> 九州大学 公開講座受講生

   
   
   
   
 
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