特集 天草・高浜フィールドワーク2011開催
  高浜フィールドワークの感想ぞくぞく!
   
 
九州大学 藤原恵洋研究室 -その1-
   
  そこに住む人の物語から地域を紡ぐ
  文/ 國盛麻衣佳
   
  【いざ、天草高浜へ】
   
  生まれてはじめて訪れた高浜は、同じ天草でも16歳まで頃毎年泳ぎに通っていた観光地とは全く違った場所だった。私たちは3日間、学生や社会人、地元の方々と一緒くたになって「地域のリデザイン」をキーワードに、見たい聞きたいことをいっぱい抱えあちらこちらを歩いた。美しい景色を持つコンパクトな地域は、静かではあるが人の生活の匂いが濃い。山、川、海、農村、漁村、窯元、家具製造、陶石、石垣・・・この土地の魅力は溢れんばかりで、フィールドワークもより一層「宝島探検」といった気分でわくわくした。方向感覚が著しく優れない私でさえも、2日もすれば高浜を昼夜歩き回ることができた。訪問者が自分の場所として地域を自在に歩き、身近に感じることができることはそれだけでも貴重だと思った。  気温の高い中まちを歩いたが、不思議と苦痛ではなかった。ゆったりと流れる時間と、気取らない昔からの生活の名残を感じ、抜けるような空が爽快感を与えてくれる。至るところで見かける鳥居や、聞けば高齢者の方々の日課はお墓参りであること、朝市で人気の商品はお供えの花であること、郷土歴史家の氏から聞いた高浜とキリシタンの関係などから、この場所は信仰と共にある場所だと思った。ハワイは「天国に近い島」とうたい観光客を誘致しているが、この場所の方がよっぽど天国に近いと思った。写真家の藤田洋三さんは、陶石の原産地である高浜を「陶磁器のメッカ」だとおっしゃった。私の中で、高浜は人の営みの神聖な部分を司る場所として印象に残った。
   
  高浜の方々は穏やかでおおらかで、気取らず優しく、元気な方々ばかりだった。私はアートプロジェクトを研究し、以前各地の海岸沿いのプロジェクトを点々としていたことがあった。 その中で「海際の人は包容力があり、異なる文化を地域の人が許容し取り入れる器の広さを持っている」という言葉を聞いてきたが、そのことをここでも思い出した。高浜の方々はワークショップの提案や展開をするすると受け入れてくださり、積極的に私たちの思い以上に熱心に応えてくださった。地域の詳細な情報を提供してくれ、インタビューに行きたいと言えば何人もの方を紹介してくださり、また相手側も快く受け入れてくださった。 
   
  私たちは高浜マップを作る班としてリサーチを行った。地元の大脇さんが車を出してくださり、一同の特派員気分で地域をまわった。インタビューには朝市に野菜や漬け物を出品されている川口さん、郷土史家の松本さんが応じてくださった。お二人ともとても気さくで沢山の質問に丁寧に答えてくださった。  「高浜のいいところは、どんなところですか?」インタビューをおこなった郷土史家の松本さんに尋ねた。 「彼(大脇さん)と私は年が十何歳も違うけれども、こうして友達として関わっている。私は足が自由ではないが、彼がたびたび訪ねてくれる。皆が知り合いで、こうしてお互い関わっているのがいいな。」
   
  漁師や漁村では厳格な師弟関係の風潮は薄いという。漁というチームプレーの中では、相手を近しく感じ協力することが重要なので、そこそこの主従関係で親方子分仲良くやっていくことが重要とされていると聞いたことがあった。高浜はチームプレーがひときわ得意な地域かもしれないと思った。  朝市に野菜を出品されている川口さんは、皿山に一人で住んでいた。3年間朝市をほとんど欠席することなく参加しているそうだ。 一人暮らしの小さな住まいは菜園に囲まれ、川から引いてきた水が途切れることなく流れていた。育てている作物は10種ほど。70代後半の川口さんがすべて一人で育てていることに一同驚きを隠せなかった。「一人でこの山に住むのが淋しくないといったら嘘になるよ。けれども私はここで生まれたし、ずっとここ。朝市は知り合いに会えるけんな。三年間ほとんど行っとるな。利益なんてなかよ。配ってくるもん。あははは」「バイクに乗って町に降りる。周辺の人も買い物しきらっさんけん、私が買うてくるときもある。」 川口さんがビールで漬けた新鮮なキュウリのお漬け物をいただきながら、ちょっぴり切なくて、けれどもそれ以上に明るくて優しくておおらかな暮らしの様子に耳を傾けた。
   
  郷土史家の松本さんは以前高浜で唯一の写真屋さんだった。長崎で写真の技術を習得し、帰郷して長年写真業を勤めた。天草の暮らしを切り取った写真集を出版されたこともある。長崎と高浜の、特にキリシタン文化に精通しており、大江天主堂隣の天草ロザリオ館の館長として働かれたこともあったそうだ。  「オマブリって分かるかな。」「オマブリ、ですか?」「キリスト教徒が、マブリという星形の紙を額に貼って信仰する文化があった。"マブリ"は"マブル"、守るという意味だよ。キリスト教に限ったことではない。こちらでは仏壇にまぶってください、と仏教でも使う言葉ですよ。」 キリシタン文化について、昔の生活の様子、高浜への思いなど、もう使うことはないという写真スタジオのセットを背にして、松本さんはいろいろなことを話してくださった。
   
  それ以外にも、メンバーは分散して様々な人やお店の店主にお話を聞いた。のどかな高浜の景色の中に、沢山の人々の人生がちらちらと光って見えた。ここに住む人や人々の暮らしを反映した、地元の人にとっても訪れる人にとっても喜ばれるマップにしたいと思い、手書きで似顔絵やイラストを描き溜めていった。公民館に戻り、出会った人々への感謝と充実感を感じながら情報をマップに落とし込んだ。
   
  民泊では大工の松原さんのお宅にお世話になった。ご夫妻とも高浜生まれの高浜育ちで、松原さんが建てた家には、娘さんご家族が帰省されていた。 夕食の食卓には沢山の新鮮なお魚料理が並ぶ。高木冨士川計画事務所の宮地さん兄弟も見え、8人の大家族状態になった。「こうやって楽しく皆で飲めるのがいい」と松原さんは何度もおっしゃってくださった。松原さんは、私たちがインタビューをした皿山の川口さん宅を二度建てられているなど、地域の人との関係も知ることができて嬉しかった。大工のこと、職人のこと、家族のこと、高浜のこと、2日にわたりたくさんのことを聞いた。 松原さんは出発日の早朝、「あまくさ」と焼き印を押した杉材のコースターを手作りで作ってくださった。とても嬉しく、私は松原さんが取って来た杉材にご家族の似顔絵を描いて渡した。
   
  日本全国スギダラケ倶楽部の方々の考え、提案、プレゼンテーションを間近で見ることができたのは、本当に貴重な体験だった。 千代田さんのエスキースの美しさ、若杉さんの故郷への沸き上がり続ける想い、南雲さんの的確で美しい提案。その後のスギダラケ倶楽部の活動のレクチャーは、おもしろくとも真摯で優しいプロジェクトで来場者一同聞き入っていた。  今回の発表の成果が今後どう現実のものとして結びついていくか、皆の共通の課題として、期待と、少しの不安と、参加者の一体感と共に残った。地域再生への道のりは短くはなくても、力が注がれる限り可能性はあり続けるのだと思う。  どういったことが、地域再生になるのだろう。ずっと考えているが具体的な方向性は私の中ではうやむやなままでいる。観光客、誘致、訪れてもらう、という言葉をまちづくりの現場ではよく耳にするが、果たして人は訪れるのだろうか。少子高齢化、経済の低迷で働くことが不可能になったり、あるいはますます強いられている人々も少なくない。旅行となれば、海外へ行く人も多い。どこから人が訪れるのだろう?そして訪れる人が目的とするものは何だろう。  自給自足で地域を保つ、ということは地域の歴史性や土地柄を受け継ぐ意味もあり、とても大きな意味を持つ。高浜で聞いた「自分が生まれ育った場所がさほど衰退していなければ、その場所に行けば自分の大切な人やルーツに出会うことができる。けれど高浜は、働くためにこの場所を出なければいけない人が多かった。だから自分が生まれて、働いて結婚して、その子供をこの地で育てるという物語にありつけなくなってしまったんだ。」といった言葉が忘れられない。物質的、情報に恵まれても、自分のルーツや根源に触れることができない生き方はやはり悲しい。地方が自立して心豊かに暮らせる方法を見つけたい。
   
  今回高浜の人の暮らしや物語に注目したマップを作りたいと思ったきっかけは、地域の文化や温かな魅力を発信するということと、物語を伝えることで、高浜に愛着を感じるきっかけにしたかった。私自身地方に生まれ育ち、衰退する地域や、どことなく移ろいの多い日本という国そのものにも嫌気を感じる頃があった。都心へ出たい、外国への憧れが募り続ける中、それでも父は故郷のいいところ、先代の話、日本の素晴らしさをよく話していた。当時軽視しながらもそれなりに聞いていた話が、時間が経つにつれかけがえのないものに感じ、またそれらに触れていたい、失いたくないという思いから、故郷にてまちづくりの分野を勉強したいと思うようになった。今はまだ大規模なシステムや革新的なことが出来なくても、小さな紡ぎのきっかけは、伝えることにあると思う。  
   
  この実りの大きいワークショップとなるために、人々が共感できるビジョンをしっかり持ち、正確にプログラムへと落としていき、実現させるために長い期間たくさんの準備を重ねてくださった藤原先生はじめ高浜地域振興会の方々、民泊を受け入れてくださった方々、窓口となってくださった高倉さん、三浦さん、日本全国スギダラケ倶楽部の方々、JR九州の方々、高木冨士川計画事務所の方々、関わってくださった全ての方々に心より感謝いたします。
   
  ●<くにもり・まいか> 九州大学大学院芸術工学府 藤原惠洋研究室博士2年
   
   
 
  魅力を引き出すパワー
  文/写真 仲村明代
   
  麦わら帽子、拡声器、ビビッドな名札。  つい先日、九大公開講座の天草西海岸ツアーで再度訪れた高浜のまちで、わたしはあの3日間の残像を見ました。まちじゅうそこかしこで。上田家のお屋敷でも、朝市ひろばでも、小学校でも。おもしろいくらい鮮明に見えたのです。それくらい高浜フィールドワーク2011でのできごとのひとつひとつがとてもインパクトがあって、強烈でした。  何よりも、そこに集った人たちの語りやたちふるまい、キャラクターこそが、高浜の魅力を引き出し、印象づけ、盛り上げてくれたのだなぁ、と思います。その感謝感激の気持ちをここでは綴っていきたいと思います。
   
  松原幸高さん、幸子さんへ。
   
  民泊では、たいへんお世話になりました。とても楽しい時間を過ごすことができて、本当にありがとうございます。  松原さんご家族と過ごした時間を振り返るといちばんに思い出されるのは、お二人が教えてくれた高浜の絶景のお話です。十三仏公園の展望台から見る夕陽のこと、海から見る高浜の素晴らしさを教えてくれたお二人に、わたしはとても感動しました。幸子さんが、夕暮れになると公園まで上って夕陽を見ると癒されるのよ、と話してくれたとき、まだ見ぬその夕陽がどんなに素晴らしいかを想像することができましたし、高浜の海からまちを望みたいって本気で思わせるパワーがお二人の言葉にはありました。それに2日目の朝、松原さんが公民館に向かう前に公園へ連れて行ってくれたことや、その日のフィールドワークでたくさんの眺めのいい場所を教えてくれたことが本当にうれしかったです。  翻ってじぶんには日常の中に自慢できる場所があるだろうか、と思い返してみたけれどなかなか思い付かなくて、愛が足りないなぁ、と反省しました。そんなわたしですから、愛着のある場所やお気に入りの場所を惜しげも無く教えてくださったことが、本当にうれしかったです。わたしもじぶんの住むまちで見つけたいと思います。  ここではエピソードをしぼりにしぼって書きましたが、もっとたくさんのエピソードが松原さんご家族と過ごした3日間にはありました。そのひとつひとつにこころから感謝します。今度、高浜を訪れたときにはぜひ海からの高浜をいっしょに見ましょう。楽しみにしています。
   
  高浜のみなさんへ。
   
  高浜フィールドワーク2011では、お世話になりました。ありがとうございます。日を追う毎にみなさんとの距離が縮まっていって、福岡へ発つバスを見送ってくださったみなさんに手を振りながら、「また来よう」と思いました。福岡に戻ってから、家族や友人に高浜での経験を何度も話す機会がありました。その度に、みなさんが教えてくれた高浜のまちのことが、しっかりとわたしに刻み込まれているように思います。  あれから3週間後、大学の別のプログラムで高浜のまちを訪れましたが、短い滞在でしたのでバタバタとしてしまいましたが、高浜ぶどう再生の本多さんに偶然お会いしたときに顔を覚えてくださっていて、とてもうれしかったです。  福岡では森さんの展示会のお手伝いができて、とても良い経験になっています。  フィールドワークをきっかけに、高浜のみなさんとわたしたちが知り合う機会や輪がもっと広がっていったらいいな、と思っています。また、その輪がフィールドワークの枠を超えたものに育っていくこと(たとえば、わたしが友人たちと高浜に遊びに行く、など)を期待すると同時に、その力のひとつになりたいと思っています。  どうぞこれからもよろしくお願いします。
   
  日本全国スギダラケ倶楽部のみなさんへ。
   
  モノゴトを10倍にも100倍にも楽しむこと、を教えてもらった3日間でした。  わたしはグループEの「プロダクトデザイン/公共サインのデザイン」に入りましたが、実はプロダクトデザインは全くの専門外で、このグループに入って大丈夫だろうか、と不安でした。グループワークが始まって、南雲さんから次々に発せられるジョーク、からの、インパクトのあるアイデアに圧倒されました。  まちの大きな課題を立てて、現状はどうなのか、どんなモノゴトが必要なのか、どんどん枝葉がわかれていくようにアイデアが具体化されていく様を目の当たりにしました。わたしは情けないくらいに口をパクパクさせることしかできませんでしたが、グループワークやフィールドワークを通して得たものは大きかったように思います。  もちろん、このフィールドワーク全体を通しても同じことが言えました。楽しみ方が尋常じゃない!すごい!ナニコレ!まちの中に隠れるモノゴトの拾い上げ方がおもしろくて、一緒に歩いていて何度も笑いました。そして思ったのは、冒頭に書いた残像のことです。同じ経験や体験も「楽しむ態度」をプラスすることで俄然イキイキしてくるなぁ、ということです。そして、その態度が、デザインやアイデア、新しくなにかを創造することの可能性をぐんと押し広げてくれるのだということです。何かと難しく考えがちなカチコチに固いわたしの頭にとって、この経験と発見はクリティカルなものでした。これから何かに取り組むとき、この「楽しむ態度」をプラスしていきたいと思います。またみなさんにお会いできることを楽しみにしています。 追伸、今やわたしもスギダラケ倶楽部の会員です。よろしくお願いします!
   
 
  (上段:白鶴浜(左)、松原さん推薦!「皿山焼窯跡はここから見ると良い」(中央)、松原さんご家族と(右)、下段:麦わらわらわら(左)、その先に見えるものは?(中央)、キャッチコピーが生まれる瞬間(右))
   
  おわりに。
   
  楽しいこと、思い出になったことがたくさんある中で、反省するべき点もありました。  それは、何ヶ月も前からこのフィールドワークの開催と参加が分かっていたにもかかわらず、参加者に徹してしまったことです。事前の準備や打ち合わせがどんなに大変だったかと思うと、反省の気持ちでいっぱいです。本当に高浜地区振興会のみなさん、中原貴さん、高倉さん、三浦さん、藤原先生、ありがとうございました。今後は高浜フィールドワークが展開していく中で少しでも力になりたいと思います。
   
  ●<なかむら・あきよ> 九州大学大学院芸術工学府 博士課程2年
   
   
   
   
 
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