連載
  スギダラな一生/第40笑「あの燃えた日々(卒業パレードの出来事) 前編」
文/ 若杉浩一
   
 
 
  今年は、昨年より凄い年になりそうだと、言い続け、自ら大変にしているわけだが、それには理由がある。いよいよ、今までの、物販中心の経済構造が危うくなり始めた。確かに、車に興味がなくなり、さして欲しいものがなくなり始めている。若いスタッフの話を聞くと、さして物欲がない。そのような構造のビジネスにぶら下がっていた様々な事業や製品、デザインが危うくなり始めている。予想はして、準備していたものの、ここまで皆が思い始めると、形として現実になる。そして、今年は「新しいデザインを、形にする。狼煙を上げる。」と宣言しまくっているのだ。まったく、うるさいことだ。しかし、そうする事、言葉にする事で自分を追い込み、形にするように、今まで自分を強いてきた。そういう意味では、今年は結構、面白い年なのだ。
  よく、僕は自分を誰かに置き換えて、考える様にしている。そうした方が、物事がよく見えるからだ。
いつから、有名建築事務所、デザイン事務所が、2、3人の小さい所帯から100人レベルの所帯に変わったか?おそらく、あるときに、めちゃくちゃ背負いきれない程の仕事が存在したはずだ、それを乗り越え、成功し、信頼を得て、人が増えていく。計画的に仕事なんて、元々ないし、自ら仕事を取りにいかない限り、そもそも仕事は発生しない。つまり、何らかの意図で自ら背負いきれないハードルを作る事から事が始まるように思えるのである。去年と一緒、いつもの仕事、いつもの仲間では、成長も、拡大もありえない。
拡大する事が、ゴールではないが、新しい「何か」や、感動が出来上がる時って、どうやら、そんな感じのように思えるのだ。
   
 

さて、今回は高校3年生の時の漫画のような出来事を紹介したい。
僕は、天草の小さい町の中学校から、単身、熊本市内の結構有名進高校へ入った。地方からは滅多に行けない高校に合格したのだ。それを知った親戚一同は、親戚の誇りと多いに喜び、「浩一の将来は、東大か、医学部ばい、よかった、よかった若杉家の誇りばい。」と自慢していた。しかし、そんな親戚の期待とは裏腹に、入学して早い段階で僕は、勉強をピタリと止め、JAZZと読書(役に立たない本ばかり)と仲間との、ろくでもない喜びに、目覚め、もはや、新しい生命体に変態していた。したがって、成績は下がる一方、留年しそうになるは、下宿先での評判は悪いは、全く持って、自慢できない、落ちこれになっていた。それを、どこからか漏れ聞いた、親戚一同の間では、僕の話はすっかり禁句になってしまっていたらしい。

   
  しかし、本人は、全く悩みなんてない、毎日が面白さの連続、さっぱり色気のある話はなかったが、友達と、体育の先生だけには気に入られていた。なんせ、学校は、面白いキャラの揃った面々ばかりなのだ、その技や、魅力を、自分も、欲しい、「こりゃすげ〜ばい、もう勉強なんかしている状況ではなか。俺は、小っちぇ〜。俺もあげな、面白か男になりちゃ〜。こんちくしょう。」といつも思っていた。だから、そんな、面白い、心を揺さぶる魅力のある仲間と日々遊んでいた。気付けば、進学校の中の珍しい落ちこぼれ不良グループ、いつも教室の最後尾の席を占領している一味だった。しかし、不良といっても、悪さをするのではなく、殆ど毎日、野球や、バレー、テニス等を仲間と、ただやって盛り上がる、雨の日は誰もいない教室で、机を片付け、学校がしまるまで室内野球、終了後、駄菓子屋で屯し、その後、仲間の家でつるんで馬鹿話のオンパレードの毎日だった、強いて悪さと言うと集団学校さぼりと、学校脱出ぐらいのものだった。
   
  何が面白いって、とにかくメンバーのキャラクターが濃い、勉強はさっぱりしないのが共通なだけだった。メンバーは、運動能力抜群で女子にモテモテのマグマ大使のような髪型の「マグマ」、面白い事を言わせたら抜群のセンスを持つ「トンガラシ」、見るからに悪だが心優しい大物「深井ゴンゴン」、女子のような顔立ちで、最も頼りない「イワモツ」、面倒見がよく、いつも荒くれた僕らに付き合ってくれた「ガタヤン」、頭がいいのに何故かオカマ、太ももツルツル、ホットパンツの「カマ」、地域の名士で広大な土地と家屋敷を持ち、人の良さではピカイチの「センズル馬」。そして僕、色黒なので、「からす麦、改め、略してムギ」と呼ばれていた。とにかく面白い仲間だった。僕に取っては、心を揺さぶる、新しい世界、最重要課題が、目の前に立ちはだかったのだ。毎日が楽しくて、仕方がなかった。大人から見ると、そんな未来も何もない、ろくでもないことに、毎日、現を抜かしている我が子にハラハラした事だろう。それにも関わらず、そんな親に向かって僕は「親父さ、おりゃさ〜、勉強が全てじゃ無いって解ったったい。こん、仲間ば作らないかん時期にくさ、そんな事やってる場合かってぐらい思うとる。今さ、おるが知らん事が世の中たくさんあるって、解ったったい。成績は悪かし、心配ばかりかけとるばってん、それば、知らんと、心が許さんとたい。悪かな。」と言い放った。
  親父は「ばいた〜。そりゃ、大変なこつばい。大学はどげんすっとか〜」とすっかり意気消沈していた。
   
  そんな生活に明け暮れ、3年の秋を迎えた。相も変わらず勉強はしていない、もはや大学受験が人ごとであった。3年の秋と言えば我が校では、卒業生の晴れの舞台、体育大会での「3年生による仮装パレード」が花であった。とにかく、凄い、男子も女子も口が開きっぱなしのような派手でトリッキーな企画を皆ぶっ放す。男子はアホ、女子は色っぽい、先輩たちの意味不明な行進が名物だった。そんな、イベントを迎えた僕たちは、早速仮装パレード実行委員会を立ち上げ、普段勉強しないのに、なおさら勉強そっちのけ昼夜を問わず集団を結成し、ミーティングと制作に取りかかった。放課後は教室で、その後は僕の下宿に集合し夜な夜なアホな事をいいながら図面を書き、段取りを整えていった。
  そしてテーマが決まった「自由の女神」を作るである。しかも歴史上無いぐらいのドデカイものを作ろうということになった。今思えば、なんでそうなったのか、さっぱり思い出せない。よほど、エネルギーがあまっていたのだろう。さて、その構造だが、移動させるので台座は、リヤカー6台、その上に「自由の女神」が立っている。骨格は竹、全身を布で覆い、細かい細工は発泡スチロールを削って造形しようということになった、設計はできた。
   
  これからは、物資の調達である。物資の殆どは、富豪「センズル馬」のお父様にすがった。リヤカー、竹等の調達すべてを快く引き受けてくれ、千馬家の竹山にトラックを出動させ伐採に出かけた。とにかく皆よく働く、これくらいエネルギーがありゃ、大学受験なぞ楽だろうというぐらい、熱心なのだ。僕らは睡眠時間すら削り、頑張った。一番厄介だったのが発泡スチロールである。でかい頭部や腕を削りだすために沢山の量が必要だ。僕らは6台のリヤカーで毎日街に出動し、発泡スチロールを集めた。想像して欲しい、目が血走った、男軍団(ちなみに男子クラス)が、発泡スチロール満載のリヤカーを引き毎日出没するのだ。哀れにしか見えない、笑えるぐらい妙で情けないのである。
中の一軍がこんな事を言ってきた「おう、皆〜。あのさ〜リヤカー引いとると、どこぞのおばさんがくさ〜。あんたたち、大変やな、頑張っとるな〜ちゅう言うて、50円くれるったい。こりゃ儲かるぞ〜」と自慢げ、まったくアホである。
魚臭い匂いをさせ、発泡スチロールの粉を体につけ、首にタオルの哀れな姿なのだが、妙に自慢げな高校生。もう可笑しくってたまらない。
   
  そんな事を重ね、苦労の日々を過ごし、大会前日ようやく念願の女神が完成した。全長12メートル巨大な女神である。皆でその出来映えに感激した。そしてリヤカー台座に立てようと言う事になった。しかしだ、ここで大問題が起こったのだ。
重すぎて、デカすぎて立てられないのだ。根本的な事を忘れていた。皆呆然とした。しばらくして、4階からロープで引っ張って持ち上げようという結論に達した。「センズル馬、ロープ調達頼む!!」「了解!!」とにかくセンズル馬の親父は凄い、何でも出てくる。しかし残念ながらその作戦も歯が立たなかった。「おい、どげんすっとや〜寝たまんまの女神なんて笑いもんやぞ〜」「そげんばい」「だいたいくさ〜竹がこげん重かちゅ途中で気づけよ」「そげんたい」。「横たわる自由の女神ってどうや?」「あほか!!」そんな事を良いながら、一同、4階から女神を眺めそれでも悦にいっていた。アホの集団である。
そんな中、救世主が現れた「ガタヤン」である「あのくさ、おれん、親戚がさ緒方クレーンちゅう会社ば経営しとるったい。頼んでみよか?」「なんてや?なんちゅ言った?あん有名な緒方クレーンか?」「そげんたい」「ばか、はよ言え」。緒方クレーンは熊本では有名だったし、テレビで宣伝もしていた、そして工事中の現場でよく見かけたので、みんな知っていた。「ガタヤン、でくっだけ、デカかとば、頼のめ〜〜、そげんじゃなかと起き上がらんけんな〜」「わかった。」
そして、しばらくして、正門から、想像を超えたドデカイクレーン車が現れた。ぼくらは、腰を抜かした。それは学校を破壊するのではないかというぐらい、でかい奴なのだ。僕らもびっくりしたが、学校側が大騒ぎ、どういう事なんだという事になった。僕らは担任の瀬戸先生(心優しい神様のような先生)に事情を説明し、なんとか校内で作業を進めさせてもらうことができた。
「ガタヤン、でかすぎるちゃ」「なんば言よっとか〜、デカかとば頼めちゅう言うけん、頼んだとに〜」「デカ過ぎで目立つやろが」。でかいのが取り柄なのに、全くアホである。そしてプロの手と「大型、緒方クレーン」のお陰で女神が静かに立ち上がった。すばらしかった、4階の校舎並みだった。みんな感動した、ここ3日みんな貫徹だった疲れが吹っ飛んだ。そして、嬉しさと喜びと汗と汚れに僕たちは満ち溢れていた。
  「さあ、みんな、いよいよ仮装の準備ば、すっぞ!!」ぼくらは、不眠不休の後の更なる、楽しみに突入するのであった。
   
   
  つづく
   
   
   
   
  ●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 テクニカルデザインセンターに所属するが、 企業の枠やジャンルの枠にこだわらない
活動を行う。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長
『スギダラ家奮闘記』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_waka.htm
『スギダラな一生』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_waka2.htm
   
 
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