特集 銘木と銘酒の町フォーラム
  吉野の木の文化とまちづくり
文/ 西村征一郎
   
 
 
  フォーラムのパネルディスカッションでは、表題のテーマをいただいたが、大変大きな課題のため10数分の報告では、意を尽くすことは適わなかったと反省している。そのため、この小論では、レジメを再録(T)すると共に、ここ数年、奈良(県)について考えてきたレポートを補完(U)とした形で、吉野町にとって検討すべきと考えられる主たる事項について述べる。
   
  ●分業化と総合的視点
  現代社会においては、林業に拘らず、産業界全般に分業化が進行し、目前の効率向上やスケールメリット追求のため、このことは“必然”とされてきた。もちろん、時には(時計や家具の業界において)、小規模なグループ(個人を含め)内で、行程の初めから完成まで製品(商品)が“見える”形で造(作)られるべきだとする論もあった。しかし、現在では、大学の研究領域まで、細かな専門分野を対象にすることが当り前である。世界に冠して競争するためには、一概に“木を見て森を見ず”とも言えず、止むを得ない方法(手法)かも知れない。しかし、そのような方法が“全て”のためマンネリ化して発生するトラブル(分野間のクレバス)も数多く見られる(情報化とは意図の見えないマンネリ模倣化になる)。各分野の完成度が頂点を極めていても、他分野との横のつながりに欠けるため、結果的に成長・発展が疎外されることもおこる。林業に関わらず、限られた分野の専門知識だけでは、目標に到達できない時代であり、(例えば、杉と樽と酒とまちづくりの関係)、総合的な視点(大局的判断)を事業の参加者全員がもつ必要がある。
とりわけ、林業再生では、木材に関わる川上と川下(供給側と需要側)の意識(あるいはトータルイメージ)の差を埋める努力が急務なのである。まちづくりにおいても、地方の小規模なまち程、町民も、行政も、生活をベースにした意識(キモチ良い)の合意が欠かせないが、木材を基盤とするものづくりの世界でも、美術系と木工(家具)系と建築系の共通項(木が導く感動)を見出せないものであろうか。
社会的なボランティア集団は、このスキ間(クレバス)を埋める役割に徹するべきかも知れない。
   
  ●“まちづくり”は“ひとづくり”
  家族のあり方さえ問い直されている現在、人生の中で、人と人の関係(コミュニティ)の大切さも再確認する必要がある。この事は、恐らく、金銭より、地位や名誉より、多くの欲望より優先するとも思われるが、さらに、くらし方を豊かに保つための最大の要因でもある。
“まちづくり”にとって、人間関係がそのプロセスに欠かせないとされるのは当然だが、むしろ“人と人の関係”をつくり、育てることがまちづくりの目的・目標と言えそうだ。具体的には、高齢者の施設、病院や学校等は人々の生き様の充実をはかる意味で至上の役割をになう。一方、個人の生活に密着した考え方に欠けるまちづくりは長続きしない。参加する個人の正直な感性を汲み上げることも忘れてはならない。自分達の生活する町を愛するということは、ある種の感動(キモチ良い〜心安らか)を共有できるかどうかにかかっていると思う。土倉翁をはじめ先達に学ぶことは多い。
“まちづくり”に最も注意を要するのは「疚しき沈黙」といわれる事態で、今回のフォーラムのように、自分の感性で発言し、寛容の精神をわきまえ、協動することが成果に結びつくに違いないと確信したい。
   
  ●プロセス(過程)の重視
  “結果良ければ(儲かれば)、全て良し”の世界ではあるが、起点と経点はコンピュータのように瞬間的に跳ぶばかりでない。線や面でも、つながりがあり、そのプロセスにある行動も結果もすぐ結びつくとは限らない。むしろ、プロセスの充実度合(フトコロの広さ)が、目的に対して、広い視野とユトリによる好判断を生むと考える。大きな成果を夢みる程、プロセスはシンドイけれど面白いし、諸々の可能性を含む。
蔵王堂の林立する柱に、玉置神社の社殿と同様の強烈な感動(霊気といわれるものか)をうけるが、形にこだわることなく、自由で、強く、そして優しい表情は、やはり木のもつ特性である。吉野川、桜、寺社、吉野のまちづくりを“木を主体”に行なうことによって、その表情が人々の日常生活に花を添える。主人公の木(樹)は、悲喜こもごもの長い歴史(プロセス)を伴う“いのち”をそなえているから。
吉野町は、文化財ともいえる自負すべき歴史と風景から成立っている。町役場近く、旧街道に沿って10数軒の由緒あり気な建物があり、吉野川流域の狭小な土地を最大限に活用した佇いは、伊根や室津の海沿いの集落や、必死に開発・維持してきた棚田にも似て懐かしく、日本の風土そのものの観があり、記憶に残る。
   
   
   
 

再録(T)

   
  「木の文化とまちづくり」
   
 
(1) まちの風景(環境)は、
 

市民文化の背景になり、住民と生活や地域の産業
とりわけ次世代の育成に大きく関わる。

   
(2) まちづくりは、
  地域の伝統や環境の継承・向上に配慮して、計画・設計され、持続的な進行をはかる
(地域固有のものであり、画一的・商品的なものではない。吉野の木の文化と歴史)。
   
(3) まちづくりは、
  自然(山林、河川)、田畑、みち、文化財、構築物を対象として総合的な評価・判断が必要である。
そのため、住民をはじめ、まちづくりに関わる人々の共通の認識(木の文化)を要し、さらに行政も各部局間を調整し、その理念を周知徹底することが不可欠であり、首長(リーダー)の役割は重い。
   
(4) 「まちなみ」の評価は、
  形、色等の物理的・数値的判断(規制)によることにより、住民に馴染んできた、誇りたかい歴史、文化と自然が一体になった「風景」として考える。
まちづくりとは、コミュニティづくりでもあり、住民それぞれにとっての風景の記憶を継承、絆として共有することにある。(キモチ良いコト、モノの記憶)
   
(5) まちづくりの具体的な問題、解決にむけての事例
  a. 区域(例えば吉野町上市)の印象(記憶)に関わるモデルを選択。評価基準を設定。
建築申請時、周辺状況を含めたスケッチパースの提出と公開義務化(住民評価)。
  b. 建ペイ率、容積率規制と連動した緑化推進と調整(空地・駐車場の緑化義務)。
  c. 電柱地下埋設、歩道の仕上材、デザインの検討(コンペ等も必要)。
  d. 仕事場(モノつくり)のまちなみ参加(“活きた”まち)。
  e. 長期にわたる仮設等や土木系の構築物(橋、擁壁、塀等)も景観規制対象。
  f.

景観保全と行政対応の実態
(例えば文化遺産と緑地管理による景観要素である樹木の伐採)。

   
(6)

“わがまち(人、山、川、木、酒、寺社等々、吉野の風景)”への
住民の愛着と誇り、自負そして志が要になる。

   
 
   
  「風景と生活〜「風格」を求めて画く」
   
  絵になり記憶に残る風景を探して歩く。
   
  画きとどめる。
そして“何故”この場所を選んだか考えてみる。
アーティストの目より、建築好きの一市民として。
それは一言でいえば“キモチ良い”場所だからと表現できるのでないか。
   
  さらに“何故”キモチ良いのかと続けてみる。
   
 
  先ずは、 山や川、樹々の緑。花。水、石や土。自然の様相。
  次に、 町中に散りばめられた寺社や地蔵。
祈りや願い、敬いの受皿“心安らか”になる場。
  一方、 祝祭時のような高揚した気分になる豪華な、
楽しく、愉快なハレの場。
  最後に、 以上の3点と混然となり、
風景の縁の下ともいえる生活の場(観光や一律の規制の外)。
多様な景観をつくり、地域の個性を醸し出す。
   
  最も興味深いのは、やはり混然とした場面。
それぞれの要素が“キワ(際)”に接する対比の面白さ、緊張感が絵筆に伝わる。
このことは、グローバルな異文化間で感じるキワの内外の刺激に似ている。
   
  「多様さ」といっても、そこに個性的な生活感が感じられるとき、はじめて魅力をもつ。
さらに重要なことは、キモチ良い場でも、直観的な感動をよぶ「風格」(品格でなく)を伴っていないまちなみや建築の“○○モドキ”は絵(風景)にならない。
   
  「風格」は歴史や日常生活に裏付けられ、継承されてきたものであり、木や土や瓦の素材から、勾配屋根の形、色にいたる土着のモノから成り立っていることが多い。
なかでも“ホンマモノ”は、先達が造り上げた風景の要を学び、十分に時間をかけ練り上げた“デザイン密度”に支えられている。
  記憶は正直である。
   
  建築の“美しさ”は、
そのシルエットとディテールにあると言われ、芸術の分野で語られることも多い。
一方、それは町なみ(公共性)の要素として、立地する状況(環境)との関係を向上・発展させることも不可欠な使命である(欧米では既に30数年前の認識)。
   
  経済至上の考え方を超え、文化として、市民にとって“心安まる(キモチ良い)”と自覚できるまちづくりが望まれていると確信している。
   
  しかし、その方法についての人々の合意形成には、多くの難関もあり、寛容ある努力を傾注することを覚悟しなければならない。
   
   
   
  補完(U)
   
  「文化遺産と風景のまちづくり」
  2010年4月17日、奈良薬師寺において“こころのふるさとと木の文化”をテーマとするセミナーを国宝東塔のすぐ横を会場に開催した。講演の内容が魅力的であったことに加え、1300年の歴史を刻む国宝を間近に、著名な講師の方々や参加者がその場を共有するという設定は盛況のうちに了え、今後にも余韻を残した。
薬師寺東塔は、この秋から10年間の改修工事に入るが、建設後1300年になる現在まで、木造技術の最高峰といわれている(西岡常一棟梁)。国宝は文字通り国の宝であるが、本来的には国民の宝(文化)であると考えている。宝は情報・知識として接するだけの対象でなく、人それぞれの感性で体感できる場・機会となって享受できることが望ましい。国宝は公開されて、はじめて文化遺産として価値を生じると考えられる。国の重要文化財のうち、(1)学術的価値の高いもの、(2)美術的に優秀なもの、(3)文化史的意義の深いものとして、文化財保護委員会(文化庁)が指定するが、文化財保護法に、“国民の文化的向上に資する”と明記されていることは“当然”なのである。
国宝とはいえ、元来、権力、名誉の象徴や戦利品、交易の結果として“お宝”を類希な“モノ”として認定されたものである。
宗教(仏教)のシンボルである堂塔や、人々の拝観の対象の仏像、シルクロードを経由した御物まで、感動をもたらす最高の技(→美術)も何らかの価値の代償と考えてよいだろう。権力(社会ヒエラルキー)を表す巨大な墓(古墳)や勾玉、鏡の類も、現代社会の勲章、トロフィー、ブランド品、超高層ビル等と同等かも知れない。しかし、ここでは国宝の価値をサステナブルに、国民の文化に影響を与え続けたに違いないという視点のもとに注目する。
奈良に日本の文化のルーツ(あるいは美意識の源流)を感じているが、現代、それを求める人々への“受皿(おもてなしの場と空気とでもいえる)”が不足しているように思う。それは文化が人を育むという自明のことの自覚の欠如ともいえよう。
素晴らしい自然・風土のもと、長い歴史と伝統を持つ我国の“まち”奈良を原点に帰って再考していくことが喫緊の課題だと痛感している。
   
  奈良は、藤原京を継ぎ、初めて安定した国家平城京として、唐の都長安をモデルに建設され、1000年を超える長い歴史を誇っている。しかし、平安京以降、歴史の表舞台に登場することが殆んど無かったことは、史実の物語るところである。一方、都として衰退、荒廃を乗り越え、その文化が継承されてきたことにもっと注意すべきではないか。それは、単に伝統を守り伝えることから、常に洗練、飛躍のトキを提供する気風に満ちていた証しなのだ。さらに、多くの文化遺産が、舞台となる大和の風景(自然)と一体となって、今もアーティストをはじめ多くの人々に文化的感動を与え続けていることからも伺える。
   
  明治以降、我国の近代化(産業革命)が進行する中、欧米先進都市に倣い、科学技術の絶対的かつ盲目的信頼によって、東京を中心に全国一律の“まち”の都市化が展開した。それぞれの地方、地域の風土が生んだ個性的な“まち”は特に建築の商業化、画一化を余儀なくされ現在に至っている。
唐招提寺では明治の洋風技術の導入による大修理のツケが平成大修理に及んでいるときく。現代の都市のシンボルとなって林立する超高層ビルも築後わずか50年に満たない。耐震工法や高速エレベーター、空調設備等、工学技術に支えられた建物は、“裸の王様”になるかも知れない。経済と技術が都市の様相を著しく変化させてきたが、その内側で営まれる人々の生活の「質」は、情報時代の利便性(車、TV、パソコン、コンビニ等)に求めているだけではないか。“ホンマモン”は何か?都市計画法はじめ、法には立法趣旨が備わっているはずではあるが、いま一度法律の“通念”を見直すことが必要と考える。例えば、「低層公共建築は木造とする努力を義務づける法律」は、本来、木(樹)が人々に与える情緒特性を公共の“ハコ”に必須とする趣旨であり、単に林業保護ではない。その意味で、この法律は建築基準法(木造制限)の上位に位置づけられるべきである。
   
  “政治とは、端的に言えば『国民から集めた税金や、国有財産をどう使うか』ということ”ともきく(井上ひさし 朝日7/4)。私は、さらに、この“どう使うか”は、国民のこころを守り、育てることに尽きると考えている。経済や生産のデジタルな数値に翻弄され、「安心」(心安らか)には、ほど遠い現代社会である。文化の継承、育成が重要な施策であることは言をまたないが、この達成度までが、入場者数や、収益性で競われている現状を憂える。ヨーロッパの美術館の名画の前で、子供達が授業を受けている光景を目にすることも多いが、イタリアの小学校では、体育と音楽の場所はないという。町中の広場や通りが運動場であり、教会が音楽教室である(安田侃)。いま、私達の社会に欠けるのが、このような日常的な生活から生れる感動体験なのではないか。
   
  山梨のH温泉の人気が高い(40万人強/年)。それも客の平均年齢が30才前後で、リピーターも多いという。そこにあるのは、甲府盆地を眼下に、露天風呂(温泉)と富士山と日の出の眺望だけである。自然崇拝が国民性となり、宗教に結びついているとされる(白州正子他)が、H温泉の魅力は現代にまで連なる日本人の本能(野生の感動)の証しかも知れない。環境が人を育むことは、文化一般と同様であろう。こころを守る意味で、自然を保全することは当然であるが、人々の生活に影響を与える人工環境(まち、建築)にたずさわる者(職能)の責務も問われている。
人々の記憶と共にある風景造りを目指したい。それは、単に手法としての“伝統表現”ではなく、さわやかで、密度の濃い“風格”とでも言うような表情をまちに提供するものであり、無国籍な情報(知識)としての環境や景観造りでは無論ない。その実現のためには、個人の感性を十分主張できるよう、風土(自然風景)と、先達の文化遺産に学ぶ日常の努力を欠かせないと思う。
   
   
   
   
  ●<にしむら・せいいちろう> 建築家。建築美術工芸同人「座かんさい」座長。
京都工芸繊維大学卒業。竹中工務店設計部を経て、京都工芸繊維大学教授。現在名誉教授。
2011年5月28日に奈良・興福寺において「興福寺セミナー」を開催する。
   
 
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