連載
  スギダラな一生/第39笑「好きということ」
文/ 若杉浩一
   
 
  先日、JR九州の津高さんに招待され、九州新幹線の試乗会に参加した。前日前夜祭を、スギダラ北部九州チームの面々が用意してくれて、前後不覚になるまで酔っぱらい、楽しい夜を過ごした(最後は覚えていない)。それより、出発羽田空港の時点で既に南雲さんと焼酎を準備して、飛行機で盛り上がり、着いたときには、既に充分出来上がっていた。せっかく、北部九州チームで用意してくれた席で前後不覚になってしまった。申しわけないったら、ありゃしない。
   
  翌日の九州新幹線は、なんと津高親分が自らホスト役を担い、片道、福岡〜熊本間を約30分の行程、往復の試乗会を大いに盛り上げてくれた。
   
 

新幹線車両も凄いが、この時間短縮は、恐らく九州の産業に大きな変革をもたらすに違いない。なぜなら、今まで、九州の移動手段は、大袈裟に言うと車か飛行機に頼るしかなかった。しかしこの交通手段は九州の南から北までを僅か2時間で結ぶ事になる。一日で数カ所、廻れる事になるのだ、これは凄い。もう軽い気持ちで移動が出来る。そして駅周辺の産業や景観が大きく変化することになる。今まで博多駅は九州の拠点である事は間違いなかったのだが、繁華街ではなかった、しかしこれからは、人が集う拠点になる求心力を間違いなく持っているし、天神から博多駅に至る筋も変化して行くだろう。改めて交通って凄い力を持っていることにつくづく感心したのである。

   
  鉄道と地域は経済で繋がれているだけではなく、交通によって、まちが変わり、人や文化を育み、風景をつくっていく。まちの発展は、やがて鉄道利用という経済になって帰ってくる。地域と企業が連携している最も先端で、尊い仕事である。
   
  さて今回は、「好きということ」についてお話ししたい。思えば、物心がつき始めて、「妄想」と「一途に好きなる」性分のお陰で、変な道ばかり歩いてきた。小学校時代から「図鑑フェチ」から「プランクトン研究」と、皆が思春期を迎えアイドルや女の子に目が向き始めた頃、僕は手作りのプランクトンネットを片手に、色々な池や川、海に出かけ、顕微鏡をのぞきその不思議な微生物に熱中していた。お陰でさっぱり女子と、アイドルと縁がないどころか、名前すら知らないので、同級生と話が出来なかった。ようやく、一人前に音楽に目覚めたのが「JAZZ」である。
   
  学生で、黒人のアルバムを手に目をキラキラさせている男子を想像するだけでも、やや気持ち悪い。なんせ、目覚めるとしつこい、趣味の領域を超え変態に近くなる。プランクトン狂いのときは、ついに英語併記の専門書を買って調べるは、大学に質問はするは、親は、いつもの熱中ぶりに、うんざり気味だった。JAZZ好きにいたっては、JAZZの音がどこからか聞こえるだけで、よその家の前に立ちすくみ、盗み聞くだけにとどまらず、ピンポン後、家に上がり込むは、他にも聞かせろというわ、JAZZ談義をするわ、本当に危ない学生だった。お陰で、学生には珍しく、オッサンの友達が結構いた。新譜が入ると聞かせてくれたり、ご飯をご馳走になったり、一緒にクリスマスパーティーをやったり、しまいには「お前、うちの養子にならないか?」とまで言われ、親がまたまたびっくり仰天。そしてやはり、うんざりしていた。
   
  高校では、星新一や、遠藤周作、筒井康隆等の本を読みあさり、ギャクや落語に興味を持ち、大学受験と称し、新宿「末広亭」で生の落語を見るために上京した。今でもあの、「一人で東京」のドキドキ感、それを忘れ、涙が出るほど笑い、人情ものに涙した、高座のキラキラした映像と、高座が終わって一人で食べた熊本ラーメン「こむらさき」の豚骨臭が、今でも甦ってくる。
   
  大学に入り、いや「JAZZ好き者会」に入ると同時に九州芸工大に入った。従って、入学して初めてデザインの大学であることを、知った程である。 全く呆れたものである。ほとんどの時間を好き者会に捧げ、学生としては全くダメダメだった。狂ったようにJAZZを聞き漁り、アルバムについて誰よりも精通していた。毎日のようにJAZZ喫茶に長居をし、部室で練習し、飲み、語り、JAZZの魂を知るために、ダメになり、黒人の心を知ろうと皆でアホなことばかりやっていた。あげくの果てに、黒人の歩き方や見栄えまで研究し、ウエインショーター(テナーサックス奏者)と似た服を着て、頭はカーリーならぬ、パンチパーマで黒人歩きをしていた程である。
   
  こんな感じで、さっぱり大学に来ないのに、飲みと夜だけ現れる暑苦しい、僕のバカバカしさに呆れ、同情した同期の面々はいろいろな側面で僕の学業を支えてくれた。世の中凄いものだ。結局最後まで、大学の仲間とJAZZ好き者会の後輩の支えで、僕は「大学史上初めての超低空飛行」で大学を卒業できた。思えば好きなことばかり、親には迷惑、仲間に負担と協力を強いて生きてきている。
   
  会社に入って、この性分は直るはずもない。お陰で既に過去に何回もお話したように、窓際、ひとりぼっちの憂き目にあう訳になる。しかし、そのお陰で僕はデザインに心を奪われ、涙し、生涯をかける決心ができた。ようやくまた「大好きなこと」に出会えたわけだ。好きになったら、変態になる僕は、色々な規制や、評価などさっぱり気にならないどころか、そんなことで怯むのは黒人としての僕のソウルが許さない。そして杉に出会い、ITとデザインに出会い、建築とITの狭間を知り、その先に何が存在するのかを見てみたいだけで、ひたすら「好きなこと」ばかり追い求めてきた。従って、脈絡はさっぱりない、合理性もない、そして好きなことが歳を取る度に増えてくる。楽しくてしょうがないのだが、この先どうなるのか自分ですら解らない。しかしどれも捨てられない、年を重ねるごとに大変になるだけだ。そして、いくら真面目に会社の仕事をやっていても、そちらの方が目立ち、見事なくらいに会社の評価はさっぱり。うんざりされるどころか、いつもやり玉にあげられる始末。しかしどうしてもやめられない、どれも愛すべき存在だし仲間もたくさんいる。まさしく変態、意味不明である。
   
  しかし、最近その意味がようやく少しだけ解ってきた。 まず、このしつこさに、文句を言う方があきらめることが解ってきた。これは親と一緒である。そして長い間やっていれば、何でも少しずつ成果が出てくるものだ。しかし、ある時うまく行き始めると、よって集ってその成果を奪っていかれる。まあ、広がっていくことが嬉しいので、そんなことで責める気もない。もはや、自噴式ボランティア研究開発である。
   
  そうなると、あいつは、そう云う奴だという「変態認証」を会社から貰うことになる。課長でも、部長でも、取締役でも社長でもない「称号」を頂くことになるのだ。最近は、会社から「こんな奴でも、我が社の社員でございます」と多少の自慢に使われている。
   
  そして、今までバラバラだった事柄が、ある時からつながり始める。連鎖し、価値や形が見え始めるのだ。意図もしていないのに、びっくりなのだ。絶対何かの力が働いている、そうしか思えない。
   
  長い間、好きなことをばかりを追い求め、故郷を捨て、親や、家を捨て、山を置いてきぼりにしてきた。しかし、いつか、「大好きな、置いてけぼり」に関わりたいと心のどこかで思ってきた。思えば、その思いをスギダラで放出し、宮崎に関わり、様々な変態行為を繰り返してきたのかもしれない。 そして先日、シーガイアのイベントで、母校の九州大学(旧九州芸工大)藤原先生に出会って、思いがスパークしてしまった。藤原さんは、九州の色々なところで、デザインや建築を軸にして、様々なまちづくりに、業務を超え、色々な思いと時間をかけ丁寧に編み込まれてきた人だ。お話を聞くだけで、メールを見るだけでその凄さが伝わる。優しい眼差し、精悍な顔立ちとは裏腹の「変態ぶり」をビンビン感じるのである。その藤原さんから、先日、メールで天草のプロジェクトに関わらないかというオファーを受けたのだ。「あ〜〜、ついに来た、来てしまった。」有り難いやら、なにやら解らない。それ以外の言葉が見当たらない。
   
  それ以上に、ここに行き着いてしまった奇妙な力に、大きな何かを感じるのである。これは、単に変態のなせる技ではない。仮にそんな話があったにしても、色々なところで変態行為を実体化していなければ、いい話でも受けられないし、処理不可能な話だ。その不可能を可能にしてしまったものの実態。
   
  それは「好きということ」の存在だ。いったい「好きということ」はどこからくるのだろう?僕は、意味不明な活動に一生を捧げ、損ばかりしていた父親のようにはなりたくないとずっと思っていた。しかし振り返ると、父親と同じようなことばかりをやっている。ひょっとしたら「好きなこと」というのは遺伝子に組み込まれているのではないか?と思ったりするぐらいである。 いや、そう思わないと理屈に合わない。僕は最近、スタッフにこんな事ばかり言っている。「お前な〜、好きな事は全部やるんだよ。順位や合理性、結果を考えるなよ。好きには意味がある。自分というものに出会う意味がさ〜。時間をかけて、好きを追い求めると、向こう岸にさ、自分の魂が存在する。そんな気がするんだよな〜、だから諦めんなよ。」
   
  藤原先生との出会い、そしてスギダラとの出会い、そして多くの仲間との出会い、きっと大きな何かが待ち受けている、その先にあるものに出会うために。なんだか考えただけでもドキドキする
   
  藤原先生の「好き」を全うする変態ぶりと出会いに感謝して。
   
 
  こんにちは、下妻です。久々に挿絵描きました。
今回は「好きということ」に突き進んでいく若杉さんの姿を表現しました。「こんなおっさんは知らん!」と若杉さんに一蹴されましたがあくまで僕のイメージなのであしからず…。
まだ描ききれていない過去の記事も描いていく予定です。よろしくお願いします。
   
   
   
   
  ●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 テクニカルデザインセンターに所属するが、 企業の枠やジャンルの枠にこだわらない
活動を行う。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長
『スギダラ家奮闘記』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_waka.htm
『スギダラな一生』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_waka2.htm
   
 
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