特集1 木匠塾 VS スギダラ in 秦野
  スギダラ×木匠塾を目指して −森上がる木と人のツナガリ−
文/写真 戸田都生男
   
 
  【 木匠塾 vs スギダラ in 秦野  中止のお知らせ】 2011.03.14
3月26日(土)・27日(日)に開催を予定していました「木匠塾 vs スギダラ in 秦野」ですが、このたびの東北地方太平洋沖地震の影響で、秦野市も計画停電が行われ、混乱がしばらく続くと予想されることから、今回は中止を決定し、延期といたしました。 皆様には様々なご準備もして頂いており、大変恐縮ではございますが、何卒ご理解のほどよろしくお願い致します。次回開催予定はまた改めてご案内いたします。(月刊杉編集部)
   
 
  今回の経緯は先の南雲勝志さんの文章のとおりである。昨年3月に東京での南雲さんや秦野のみなさんとの出会いがなければ、今の私はなかった。以降、スギダライベントへの参加が活発化した。実はずいぶん以前からの会員だが、催しに参加することはほぼなかった。それがあの元気で楽しいオヤジ!?ギャグ満載の杉を愛する人たちに魅力を感じたのだろう。
   
  昨年8月川上村の隣、吉野町からスギダラ関西支部長、吉野中央木材の石橋専務らが川上村木匠塾の懇親会に訪れた。吉野では銘木と銘酒、木桶のフォーラムも予定され、かつての吉野杉の樽丸復興に森上がり(盛り上がり)を見せている。昨年10月初旬にはスギダラケ倶楽部の皆さんと岡山西粟倉村を訪問し、自己紹介と称し今回の対決を忘れぬよう、黒板に宣戦布告を記した。完全アウェイでまるでスパイのようであったが、ゴーイングマイウェイで一人意気込んだのだ。
 
 
その夜、現地に来られていた若杉さんの携帯に東京の南雲さんから電話が入った。たまたま若杉さんと話していた私は電話の先の南雲さんに呼ばれ「必ずやろうよ、対決を」とまた念を押されていた。かくして、気持ちはもちろ
ん向上したのであった。
2010年10月西粟倉村 森の学校にて宣戦布告「木匠塾VSスギダラ」  
   
  やがて木匠塾の学生からもスギダラ会員に入会する者も現れた。(否定しているわけでない。私自身も会員だからだ。)しかし木匠塾は正式には会員という制度はない。けれども、つながりは継続されている。無論、参加者すべてに浸透されないが、十年以上も経てば知らない誰かと街中や仕事で出会ったかと思えば、「木匠塾の・・・あの時の・・・」なんて、会話もあり、森上がる(盛り上がる)ことさえあるのだ。
   
  何やらスギダラケ倶楽部に良い意味で巻き込まれているが、木匠塾はこれからも健在である。以下に幾人かの今回の発表候補者などから望む想いを頂いたので紹介したい。
   
 
 
  ■ 森田一弥(かしも木匠塾1996OB 京都大学出身 森田一弥建築設計事務所主宰)
  「大学時代にお世話になった木匠塾で木の世界を知り、その後、左官職人の世界に飛び込んで土の世界を知り、その結果、建築家としての今の自分があります。当日を楽しみにしています。」
   
 
 
  ■ 渡辺菊眞(かしも木匠塾1996OB、角館木匠塾2006ゲスト講師他 京都大学出身 高知工科大学准教授・D環境造形システム研究所主宰)
  「木匠塾では最悪の落第生だった。不器用で、勝手に大酒飲んで暴れる始末。そんな私は、華やかな上棟時より地味でしんどい基礎打ちの方が好きだった。木造の素晴らしさは、それを支える石垣や地盤との相克あってこそだと想う。お呼びじゃないかもしれないが、『木の下にあるものから再度、木をみつめなおす』という観点で参戦したい。」
   
 
  ■ 羽原康成(川上村木匠塾1999、2000OB 大阪芸術大学出身 現在、ah主宰)
  「木匠塾からの発表ではありますが、杉コレクション2005を起点とする活動が節目を迎えましたので、報告させて頂きます。よろしくお願い致します。」
   
 
 
  ■ 栗田翔陽(川上村木匠塾2008、2009OB摂南大学出身 現在MOQ木匠塾事務局コアメンバー)
  「木匠塾には多大な時間と苦労が必要です。一度経験すると、あの頃の情熱と感動と美化された苦労と後悔が忘れることなく鮮明に残っています。それらを負けじと伝え合い、今回の企画を全力で盛り上げます。(森上げます)」
   
 
 
  ■ 岩井一也(川上村木匠塾2007-2011大阪芸術大学4回生 首都大学東京大学院進学)
  「四年間、大学に通いました。四度、木匠塾に通いました。僕の大学生活は、常に木匠とありました。そんな四年間に得たこと、 そして これからのこと。それを振り返るため、見据えるため、色んな話が出来ればと思います。 」
   
 
 
  ■ 藤田翔太(六甲山木匠塾2010、かしも木匠塾2009 神戸大学3回生)
  「昨年度は、かしも木匠塾に参加しました。今年は自分が学生の先頭に立ち引っ張って行く立場にありました。慣れない事が多く、とてもスマートであったとは言えませんが、結果的には満足のいく物が出来上がったと思います。たくさんの人に支えられた成果を、胸を張って発表したいと思います。」
   
 
 
  以上、木匠塾らしい!?真面目なコメントを頂戴した。主にこのメンバーが木匠塾側の発表者になる。 秦野は木匠塾にとってはまたもや完全なアウェイである。しかし、それぞれがゴーイングマイウェイの精神でありながらも最終的には一つの絆でマイホーム的に仕立てあげることだろう。また、秦野の里山や砂防ダムの文化財などの見学は今後の木匠塾の活動にも参考となることだろう。
   
  私は今、農山村や都市山麓の森林環境教育や木のものづくり活動の参加者に与えた影響を定量的に探っている。まさに「人とのつながり」や「絆」といった青臭いかもしれない熱い想いを学術的にも実証しておこうと考えている。これまで現場にいる時間が大半だったことや経済性や形態重視の設計やデザインへの疑問に対する反動かもしれない。1995年の阪神淡路大震災以降、廃材から木材、森林、木造建築、まちづくり、環境教育・環境デザイン、環境心理学へと関心が拡散していった。これまで木匠塾の農山村で見たものは、地元の人を通じた背景としての杉や檜などの地域資源であった。木そのものだけでは表層的にしか理解できなかっただろう。振り返れば、農山村の人々独自のレイヤーを通しての想いは私にとってはオルタナティブな視点に他ならなかった。つまり、地域資源やその場での出来事について何層にも多角的に考えさせてくれた。それだけに同じような使命を抱いた両団体が出会い、対決することへの想いは重いのだ。加えて今回の対決は、先月の月刊杉65号の内田みえさん南雲さん若杉さんらの示唆した文意を支持するものであろう。木匠塾やスギダラの活動にも地域や森林環境の問題などを解決する可能性は充分にあるはずだ。そして今年は国際森林年でもある。いよいよ森上がり(盛り上がり)を見せるときだ。今回の対決は「VS」をこえて、スギダラ×木匠塾、すなわち、「×」で倍々になると思えば、よりいっそう期待が高まるのだ。
 
  2001年8月 川上村木匠塾 集合写真
   
   
   
   
  ●<とだ・つきお> 木匠塾・実行委員会代表
(財)啓明社・特別研究員、
京都府立大学大学院生命環境科学研究科博士後期課程在籍(建築環境心理・行動学専攻)
同校非常勤アドバイザー及びティーチングアシスタント、環境省登録・環境カウンセラー、
戸田環境企画研究所としても活動中
   
 
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