連載
  スギと文学/その32 「風林」を読む
文/写真 石田紀佳
 
  前回と前々回の「風林」と「風景とオルゴール」へのコメントを今月と来月で行 います。
   
  (63号の「風林」をご参照ください。)
   
  引率してきたのだろうか、生徒を背中に、「あんまり粗く」て「倒れるにてきし ない」草にからだをなげる。
   
 

月はいましだいに銀のアトムをうしなひ
かしははせなかをくろくかがめる
柳沢の杉はなつかしくコロイドよりも
ぼうずの沼森のむかふには
騎兵連隊の火も澱んでいる。

   
  そんな景色の中、生徒たちの会話を聞く。
   

「ああおらはあど死んでもい」
「おらも死んでもい」

   
 

誰がいったのだろうかと一瞬推測するが、打ち消して、

   
 

たれがそんなことを云ったかは
わたくしはむしろかんがはないでいい

   
  死んだ妹と自分に重ねているのかもしれない。
   
  たとえば友だちや何人かで出かけたときに、その風景の中で、人はそれぞれの思いにいる。ここにはいないけど、とても気になる人のことを思い出す。うわの空というわけではなく、この景色が思い出させる。だからそういうことは特別ではないけれど、最愛の人が亡くなったばかりなら、どこにいてもなにをしても、その人を思う。広い空の下ならなおさらだ。
   
  おまへはその巨きな木星のうへに居るのか
   
  夢できいたのか、一度だけとし子から通信がきた。昼も夜もないような、明るい ところにいるという。
   
 

此処は日は永あがくて
一日のうちの何時だかもわがらないで

   
  しばらくぶりにこの詩を読んで、どこで読んだかすっかり忘れていたけど、とき どき聞こえてくるフレーズに再会。
   
 

さういうことはいへばいい
(言わないなら手帳に書くのだ)

   
  いえなくても、書けばいい、というのは、文字を知ったものにはときどき救いに なる。でも、書いて自分以外の誰かに読んでもらうのか、書けばその場で満足す るのか、自分で再読するのか。伝えるというのは、つまりは共有したいというこ とだが。
   
   
   
   
  ●<いしだ・のりか> フリーランスキュレ−タ−
1965年京都生まれ、金沢にて小学2年時まで杉の校舎で杉の机と椅子に触れる。
「人と自然とものづくり」をキーワードに「手仕事」を執筆や展覧会企画などで紹介。
近著:「藍から青へ 自然の産物と手工芸」建築資料出版社
草虫暦:http://xusamusi.blog121.fc2.com/
『杉暦』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_nori.htm
『小さな杉暦』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_nori2.htm
ソトコト(エスケープルートという2色刷りページ内)「plants and hands 草木と手仕事」連載中
   
 
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