連載
  スギと文学/その31 「風景とオルゴール」 春と修羅 宮澤賢治より 1922〜23年
文/写真 石田紀佳
 
 
 

爽かなくだもののにほひに充ち
つめたくされた銀製の薄明穹〔はくめいきう〕を
雲がどんどんかけてゐる
黒曜ひのきやサイプレスの中を
一疋の馬がゆっくりやってくる
ひとりの農夫が乗ってゐる
もちろん農夫はからだ半分ぐらゐ
木だちやそこらの銀のアトムに溶け
またじぶんでも溶けてもいいとおもひながら
あたまの大きな曖昧な馬といっしょにゆっくりくる
首を垂れておとなしくがさかさした南部馬
黒く巨きな松倉山のこっちに
一點のダアリア複合体
その電燈の企画なら
じつに九月の宝石である
その電燈の献策者に
わたくしは青い蕃茄〔トマト〕を贈る
どんなにこれらのぬれたみちや
クレオソートを塗ったばかりのらんかんや
電線も二本にせものの虚無のなかから光ってゐるし
風景が深く透明にされたかわからない
下では水がごうごう流れて行き
薄明穹の爽かな銀と苹果とを
黒白鳥のむな毛の塊が奔り
  《ああ お月さまが出てゐます》
ほんたうに鋭い秋の粉や
玻璃末〔はりまつ〕の雲の稜に磨かれて
紫磨〔しま〕銀彩に尖って光る六日の月
橋のらんかんには雨粒がまだいっぱいついてゐる
なんといふこのなつかしさの湧あがり
水はおとなしい膠朧体だし
わたくしはこんな過透明〔くわとうめい〕な景色のなかに
松倉山や五間森〔ごけんもり〕荒っぽい石英安山〔デサイト〕岩の岩頸から
放たれた剽悍な刺客に
暗殺されてもいいのです
  (たしかにわたくしがその木をきったのだから)
  (杉のいただきは黒くそらの椀を刺し)
風が口笛をはんぶんちぎって持ってくれば
  (気の毒な二重感覚の機關)
わたくしは古い印度の青草をみる
崖にぶつつかるそのへんの水は
葱のやうに横に外れてゐる
そんなに風はうまく吹き
半月の表面はきれいに吹きはらはれた
だからわたくしの洋傘は
しばらくばたばた言ってから
ぬれた橋板に倒れたのだ
松倉山松倉山尖ってまっ暗な悪魔蒼鉛の空に立ち
電燈はよほど熟してゐる
風がもうこれつきり吹けば
まさしく吹いて来る劫〔カルパ〕のはじめの風
ひときれそらにうかぶ暁のモティーフ
電線と恐ろしい玉髄〔キャルセドニ〕の雲のきれ
そこから見當のつかない大きな青い星がうかぶ
   (何べんの恋の償ひだ)
そんな恐ろしいがまいろの雲と
わたくしの上着はひるがへり
   (オルゴールをかけろかけろ)
月はいきなり二つになり
盲ひた黒い暈をつくって光面を過ぎる雲の一群
   (しづまれしづまれ五間森木をきられてもしづまるのだ)

   
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暈(かさ)とは、太陽や月に薄い雲がかかった際にその周囲に光の輪が現れる現象。
ここでは月のことか。
   
   
   
  ●<いしだ・のりか> フリーランスキュレ−タ−
1965年京都生まれ、金沢にて小学2年時まで杉の校舎で杉の机と椅子に触れる。
「人と自然とものづくり」をキーワードに「手仕事」を執筆や展覧会企画などで紹介。
近著:「藍から青へ 自然の産物と手工芸」建築資料出版社
草虫暦:http://xusamusi.blog121.fc2.com/
『杉暦』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_nori.htm
『小さな杉暦』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_nori2.htm
ソトコト(エスケープルートという2色刷りページ内)「plants and hands 草木と手仕事」連載中
   
 
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