特集 杉コレ2010in西都 二次審査発表と今年の意義
  宮崎県と杉コレ

文/写真 若松茂樹

 
●はじめまして
   宮崎県山村・木材振興課 みやざきスギ活用推進室の若松と申します。スギの担当なのに若マツ、と残念な名前ですが、これが若スギとなりますと色々ややこしいことになりますので、現状維持でいきたいと思います。
 今年から、杉コレへの支援を含む県産材需要拡大の仕事について、「熱い男」外山さんや「まじめに熱い」田中さんから引き継いで担当しています。私の場合、火の通りの悪い「ぶ厚い男」といったところですが、皆さま何とぞよろしくお願いします。
   
  ●はじめに
   宮崎県の一員として、約29万頭の家畜が殺処分されるまでの事態に及んだ「口蹄疫」に触れないわけにはいきません。今年4月の発生以来、全国の皆さまにご心配とご迷惑をおかけしましたが、さまざまな面におきましてご理解ご協力をいただき、心からお礼を申し上げます。
 スギダラの皆さまにも、義援金活動やあたたかい励ましの言葉、そしてなにより「自粛」中止しかけた杉コレ2010への叱咤激励や作品応募による盛り上げなど、多大なご支援をいただき誠にありがとうございました。
 7月27日の「非常事態宣言」全面解除、そして8月27日の「終息宣言」を経て、未曾有の打撃を受けた畜産業はもとより、地域全体の復興に向けて県民総力戦で取り組んで参りますので、あらためまして皆さまのご支援とご協力をよろしくお願いいたします。
 
  杉コレ2010二次選考会の様子(8/21、西都市)
   
  ●杉コレとは
   さて、杉コレとは何かなんて、担当1年目の私が皆さんに説明する必要はないでしょう。実は未だよく分かっていません。スミマセン。今の職場に来るまでは、木材需要拡大のイベントの1つくらいにしか思っていませんでした。
 3月まで日向地区に勤めていたので(といってもクルマで2時間かかる椎葉の駐在でしたが)、駅とその周辺の素晴らしさには感動しましたし、08年の杉コレも遠くからでしたが見ていました。ただ、何となくヨソの世界かなと(すごスギて、難しスギて・・)。林業の世界に20年間勤めているのに、何でだったんでしょうね?
 杉コレの素晴らしさは、田中さんからの引き継ぎで何となく理解し、ネットの情報で確認し、南雲さんや若杉さんとお会いして確信し、そして贅沢にも現在、スタッフとして実体験しています。西都の皆さんのガンバリに驚かされた二次選考会も終わりましたし、いよいよ10月の本番に向けて、ますます杉コレの土器、じゃなくツボにハマりたいと思います。
 宮崎にとっての杉コレは、スギ素材生産量が日本一(しかも19年連続!)の県としてのシンボルだと思っています。駅前に「スギ日本一の県」と看板とか建てるのではなく、全国に誇るスギのデザインコンペを地道に続ける。何だか宮崎らしからぬカッコ良さに、スタッフとして責任を感じています。
 
  審査員の先生方(長時間お疲れ様でした)
   
  ●世界を驚かす覚悟がある
   実は若松45歳、杉コレに初挑戦しました。「一次選考突破、そして世界を驚かす」を合言葉に、コーフンと言えばコレしかないと放ったPDFは・・・?
 ・・と、杉コレ奮闘記を延々書き連ねる予定でしたが、諸般の事情により、このお話はここまで。続きは、今年の杉コレが無事成功した頃にまた改めて・・・
 というわけで(?)皆さまの杉コレへの更なるご支援をよろしくお願いします。
 
  応募作品を制作中の筆者
   
   
   
   
  ●わかまつ・しげき> 宮崎県環境森林部 林業技師
 3月までの3年間、平家伝説と八村杉で有名な椎葉村に駐在していました。
   
 
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