特集 いよいよ迫った 日南飫肥杉大作戦
  それでも飫肥杉は育つ
文/ 松山昭彦
 
人は心底尊敬し、この人には到底かなわないと思う人に出会うと、あるいは仕えると、その人のためにがんばり、その人になんとか褒められたいと願うのだそうだ。組織に身を置く一人として、なんとなくわかる気がする。
   
  日南市役所に飫肥杉課が発足したばかりの頃、今から2年半くらい前だろうか、南雲さんや若杉さんらと初めて飲む機会を得た。飫肥杉を核としてどうまちづくりを進めるのか、そういった協議をした後の懇親会だったと思う。おいしい魚料理をいただき、焼酎がほどほど入った頃、田舎小役人の私は、こともあろうか南雲大先生と一次会の席から「飫肥杉の話」で真っ向から対立したのである。
   
  東京の南雲さんは「飫肥杉は素晴らしい。かけがえのない地域資源。」と褒めたたえ、地元の私が「スギはその成分は全国どこでも変わらない。性質も極端な違いはない。」とのたまう、役所の担当者にあるまじき、何ともありえない逆構図での議論?(言い合い)であった。
  2次会でも焼酎力で私のパワーは倍増し、曲げ係数がどうの、セルロース成分がどうのと、南雲大先生を前に、まさに言いたい放題、支離滅裂、今考えると自分の無分別、浅薄さ、未熟さに、直径10pの穴でも、熊が冬眠している穴でも、手当たりしだい潜り込みたいほどである。
   
  告白すると、その時の私の心境は、なんとなく面白くなかった。
  長引く林業不況の中、地元の林業・木材業界は瀕死の状態で、補助事業というカンフル剤を繰り返し投与するも、なかなか回復の兆しが見られない。
  何もやらなかったわけではない。私にも担当としてのちっぽけなプライドと、後ろめたさの様なものがあった。
   
  そんななか、「飫肥杉の夢」を熱く語る南雲さんたちに、訳もなくなーんか反感を持った。反発したかった。思春期の中学生みたいに反抗したかった。
  「そんなのでうまくいくか!飫肥林業が再興するか!まちづくりができるか!」頭の中で沸々と意味不明の対抗心を持って、つまりガソリンを腹一杯飲んで(飲めませんが)、なおかつ頭からもかぶった状態で懇親会に臨み、そして発火・自爆した。
   
  それからは気まずさもあって私は東京組と距離を置くようになる。会議で一緒になってもあまり発言せず、懇親会にも理由をつけて欠席した。しばらくそうした時期が続き、その間、私は輪の中に入れず、すみっこで状況を見守る(盗み見る)状態になっていた。
   
  そうして気付いたことがある。最初は不思議で不可解な思いであったが、やがて自分の中ではっきりと理解し、結論付けたことがある。
   
  南雲さんは、若杉さんは、東京組は、本当に打算もなく、妥協もなく、もうけもなく(?)、みんな一生懸命に飫肥杉のために力を尽くしてくれる。一人の例外もなく。
  はるばる東京から時間と金をかけて、ほんの数時間のイベント・協議のためやってくる。面倒くさそうに、いやそうに、気分が乗らなそうに(これは二日酔いの時たまにある)、そうしたことは一切なく、南雲大先生から若手までいつも全力投球だ。
  こうした部分はぐうたらな私が一番苦手とする部分だ。私には真似できない。私の価値観には当てはまらない。吾輩の辞書にはない。
  だから衝撃。驚愕。そして尊敬する。
   
  今年になって私は東京組とのつきあいを変えた。一生懸命には応えねばならない。(でも正直0.8生懸命位です。)会議や打ち合わせの場で、私は東京組に対し、意見を主張するようになり、宴会の席でも一緒にオヤジの悲哀や組織の中の生き方を語り、飫肥杉の未来を夢見た。
   
  並行するかのように、飫肥杉大作戦も動き始めた。
  役所も苦しい台所から予算を確保してくれ、議会からもエール(プレッシャーとも言う。)をいただき、いろんな人が、団体が、組織が、「日南の飫肥杉」をキーワードに力を結集し始めた。
  私も、健ちゃんも、飫肥杉課のメンバーも精力的に動き、ある時は強引に、ある時はつまずきながら準備やプレイベント、モデル住宅、割り箸事業、キャラバン事業、JR駅改装、その他諸々を進めてゆく。それはまるで飫肥杉の若木が力強く成長するようだ。
  慌ただしく、目まぐるしく日々にあって、私は確信するようになった。
  飫肥杉大作戦は必ず成功する。
   
  飫肥杉新商品の空港展示を10月1日から始めた。
  事前に東京組がすっごくいろんなことを準備してくれ、前日30日の準備には南雲さん、若杉さんが役所では希少種の「働く若手属」を引き連れて(連行して)駆けつけてくれた。地元組も大勢集まり、夜の9時過ぎまでみんな頑張って、夢のような飫肥杉空間を創りあげた。
  皆様、本当にありがとうございました。
   
  実は準備の前日29日、私に異動の内示があった。
  30日の準備は出来上がっていく飫肥杉空間のように、本当に夢の中にいるような気分(放心状態)だった。
   
  ここでは触れないが、私の心情は理解していただけると思う。
  南雲さん、若杉さん、多くの方から過ぎた言葉をいただいた。感謝の一言です。
   
  10月1日午前、辞令を受け、夕方、打合せを兼ねて南雲さんらを空港に見送りに行った。
  出発までの40分前、南雲さんと若杉さんは、空港内の「食事処」で焼酎を立て続けに頼み、テーブルに並べ次々に飲み干した。(南雲さんは私の目の前で5杯も飲んだ。)
  二人は20分前にチェックインしていないことに気づき、慌てて店を出て、数分後、店の支払のため戻ってきた。
  そして南雲さん。「まだ席の焼酎が残ってた。」と一人小走りで席に戻っていった。
   
  さーっと宮崎に飛んできて、遅くまで全力で働き、そのあとぶっちぎりで飲みまくり、(時計をホテルに忘れながらも)翌日も働き、夕方また飲みまくり、そして東京に飛んで帰っていった。
  「くーーーーー。かっこいいぜ。南雲さん!」
   
  私は思った。
  いつか南雲さんに褒めてもらいたい。
   
 
  9月中旬、飫肥杉商品カタログ用に撮った飫肥杉課のメンバーと。(写真:シーン)
 
  あちこちかけずり回り、やっと完成した油津駅飫肥杉化を終え、一息つく筆者。
   
   
   
   
 

●<まつやま・あきひこ> 日南市役所。 前飫肥杉課課長。

   
 
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