特集 秋の「史上最強の飫肥杉デザイン大作戦」に向けて〜日南から
  杉で地域をデザインするということ
文/写真 中村安男
 

プロローグ

 

 ソウル大学のイ教授と杉談義をした真夜中0時頃までは、頭はクリアだった。だが今は、とても妖しげなバーで、南雲とグラスを傾けている。少し酔いも回ってきたようだ。カウンターの中では、秋葉原でよく見かける「メイド」の格好をしたママが、妖しげな笑みを浮かべている。残念ながら若くはない。だが、冥土に逝くほどでもない。海杉こと海野は、長らくトイレに籠もっていたが、今は、ソファーの上で水死体の様に横たわっている。いつもご苦労様。自然に手が合わさる。ふと、左手にはめているスウォッチに目を落とす。午前4時。相変わらず南雲だけは元気なようだ!

 

  南雲さん・・・か
 

 心地よい酔いの中、南雲と出会った頃のことを思い出していた。8年以上前になるだろうか。日向市の中心部に架かる塩見橋のデザイン(高欄、照明、親柱等)をお願いするため、南雲を宮崎に招聘したのが最初の出会いだった。

 驚いた!!デザイン力は過去の実績から疑うべくもなかったが、南雲の語る言葉の確かさと、真っ直ぐな眼差しに敬服した。そして、語れば語るほど、その人柄と、語る内容の本質さに魅了される私がいた。あらかじめ断っておくが私はホモではない。

   
   塩見橋(日向市財光寺)2001年1月完成   木材WG。県、市、木の芽会、メーカー。(2002年) 何とこの時、取材で内田みえも参加していたのだ。
 

 そんな思い出が、茫漠とした頭の中を廻っていたとき、「じゃ、△※◇%&□ときますからー」と、南雲の声が一瞬明るく響いた。やがて、酔いがまわり、ママが美しく見え始めた頃、やっとお開きとなった。うっ、寝る時間がない。・・・後日、スギダラ本部から「会員登録ありがとう!」という千代田さんの明るいメッセージが手元に、どうやら会員にされたらしい。21年2月のことである。

 どんなデザインも、その「人」を超えては生まれ得ない。断言できる。そういう意味で言えば、南雲は、まさに本物である。そして、その後の宮崎におけるデザイン活動、スギダラ活動においても、常に本気であり、常に全力だった。この8年間で南雲が成してきたことから着実に言えることは「南雲が本気で語ることは、ほぼ間違いない」ということだ。

 その南雲が言っている。今年秋の「杉コレ2009 in 日南」は凄いことになりそうだと。題して「史上最大の飫肥杉大作戦」。意気込みも半端ではない。前号(42号)で南雲は、こう書いている。『史上最大の飫肥杉大作戦は、単に杉プロダクトの結集ではなく、山から運河、そして街、さらに港から全国へと、日南市全体を舞台に発信してきた飫肥杉の歴史と文化を、もう一度現代版に組み立ててみようという試みであり、日南市の未来に向けたメッセージにもなる』のだと。なるほど奥深い。考えさせられる言葉である。

 

  杉で地域をデザインするということ
 

 お世話になった有馬孝禮先生(東京大学名誉教授)が、「杉」には三つの売り方があると言われていた。
一)世界に通用する商材(マテリアル)として売る。
二)産地直送住宅のように「顔の見える関係」で売る。
三)地域(循環)材として「地域内」で売る。
 一)は、この国の林業・木材業界が置かれている現状である。品質を向上させながらも、外材との厳しい価格競争を勝ち抜かねばならない。二)は、かなり理想だが量の拡大に限界がある。そして、三)こそ、極めて難しい。難しいのだが、杉を地域材として使うこと、地域で支えていくことこそ、今求められているのだと思う。地域の中で、資源も、お金も、人も循環させることが出来れば、どんなに素晴らしいことだろう。期待せずにはいられない。

 かつての日南は、飫肥藩五万一千石の所領として、それこそ「スギダラケ」であった。穏やかな山容を示す飫肥の山々は、約四百年前から整然と飫肥杉が植林され、飫肥城下も港町油津も、みんな杉でかたちづくられてきた。そして、飫肥五代藩主伊東祐実により堀川運河が開削され(1686年完成)、飫肥杉は、油津の港から全国に向け搬出された。藩財政を根底から支えていたのである。

 この時代は、当然のことながら、山は街と、街は港と繋がっていた。そう「杉」と「人」で繋がっていたのである。その後も、昭和にかけて、港町油津は、マグロ景気・木材景気などで大いに賑わい、歴史の表舞台に立ち続けることとなる。このことは、よく考えれば、前述の三つの売り方を全て兼ね備えていたと言えるのではないだろうか。

 
  昭和10年頃の鮪の水揚げ
   
   商店街の様子(現在の杉村金物店)
  濤声館 (ジャグラーキネマ園とある。)
 
  運河周辺はどこもかしこもスギダラケ!
 

 その頃の堀川運河は、油津の人々にとって、地域の活力を生み出す源泉であったろう。運河は、油津の人々の暮らしそのものであり、営みそのものであったとも言える。そして人々の夢を映し、キラキラと輝いていたに違いない。明日という希望の光につつまれて。

 堀川運河は魅力的だ。歳月をかけて綴りあげてきた二度と生まれ得ない独特な風景。江戸〜昭和が蓄積、融合している。もちろん整然とした風景ではない、だが、これが何とも美しいのである。なぜなら、そこに人々の暮らしや営みが織り込まれているから。時代とともに繁栄し続けてきた証が、確かにそこにある。しかし、やがて訪れる陸運の発展とともに、堀川運河の水運としての役割は終焉を迎えた。今、そこに、生業としての「杉」の姿はもうない。

 
  運河下流から堀川橋をみる。左の文は「堀川は日向辨甲材(飫肥杉)の筏を流すために江戸時代藩主伊藤洞林公の開鑿された運河で全町十五町余、街のの中央を貫く。橋は石材のみを用ひ耐火的なものである。」とある。
 

 未来に向けて「杉」を街づくりに位置づけようとするとき、過去を未来にそのまま置き換えようとするのは、無理があるだろう。また、単なるノスタルジーだけでは前に進めない。だが、鉄とコンクリートが蝕み始めた街を、ゆるやかに「スギダラ化」していくことは、「地球環境保全、温暖化防止」、「森林資源をいかした循環型社会の形成」などのテーマと妙に符号する。

 杉は最高の循環材であり、きちんと再植林すればカーボンニュートラルである。日南(油津)の歴史と文化を背景としながら、この杉を使って地域をデザインすることができれば、この国の未来に向け、新しい暮らし方、生き方を提案出来るのではないだろうか。そうなったら、どんなに凄いことかと思う。

 今度のスギコレ、すなわち南雲が言うところの「史上最大の飫肥杉大作戦」は、関係者が知恵を出し汗をかくことは至極当然のことである。だが、本当に仲間に引き込まなければならないのは、杉を使ってくれる地域のエンドユーザー、つまり、日南(油津)に住む地域住民一人一人である。そう、新たな時代に向けた創造の真の担い手は「地域住民」でなければならない。ここに暮らし続けてきた日南(油津)の人々が、自ら「杉」の新たな価値を認識し、自ら使ってはじめて、他の地域に胸を張って訴求できるのだと思う。

 少し話は戻るが、南雲が、この8年間、宮崎で成してきたことを総括しておく。南雲は、「志」のある様々な人と出会いながら、これに南雲自身の「志」を重ねることで「信頼の絆」を築き上げてきた。言葉を重ねると、「人と人との信頼のネットワークが生み出す力」で、立ちはだかる地域の課題を解決してきたのである。この「信頼の絆」とか「人のネットワークの力」とかが、実は「スギダラ」と同義語である。

 横文字で言えば「パートナーシップ」という少し軟弱な言葉になるが、このパートナーシップの本質は、そのプロセスにあると言える。共通の目的のもと、悩んだり、汗をかきあったり、飲み明かしたり、喜びを分かち合ったりと、達成までのプロセスを共有してはじめて信頼の絆は醸成されるのである。さぁ、今こそ住民を巻き込もう。いや、その前にもっと日南市役所の職員を巻き込まなければ・・・

 杉で地域をデザインするということは、日南(油津)に暮らす住民を、関わる関係者を「スギダラ化」していくことに他ならない。

 このためには、「じゃ、△※◇%&□ときますからー」とかなんとか言いながら、日南(油津)の地域住民、市役所、みーんなまとめて「スギダラ会員」にしてしまうのが、一番の方策かなと(笑)・・・そうなれば南雲は言うだろう、「市役所の立場がどうとかこうとか言っているけど、職員である前にスギダラだろう!」とかね。

 

  飫肥杉の聖地への誘い
 

 「史上最大の飫肥杉大作戦」の具体的な企画は、まだこれからである。だが、個人的に面白いな、やるべきだな、と思っていることがある。一つには、杉コレとは別に、油津の町並みや飫肥城下町をフィールドに、杉モノづくりで頑張っている方々の「作品発表の場」と「情報交換の場」があればいいな、ということ。二つには、森〜街〜運河〜港を「杉」と「人」で繋いで魅せるツアーの開催。三つには、油津の歴史的な街路空間、例えば「赤レンガ通り」とか「マグロ通り」とかに、「杉モノ」と「杉屋台」を持ち込んで、これぞ「スギダラ」という空間を一夜にして作り上げ、使い倒すこと。もちろん、全国のスギダラ会員の参加のもとに。最後には、飫肥、油津の郷土料理や地焼酎と、「杉モノ」とのコラボレーションなどなど。アイデア段階では、まだまだ出てきそうだが、堀川まつりも同時開催なので、関係者間で順次詰めていきたいと考えている。

 いずれにしても、スギダラメンバーの皆さん。今年の11月7日(土)〜8日(日)は、日南市油津に集合です。みんなで楽しみましょう。大歓迎します。そして、杉モノづくりを頑張っている皆さん。今回の杉コレのテーマは「堀川運河上向く杉のカタチ-笑えるデザイン」ですから、奮ってご参加ください。事前に堀川運河を見ておかなくてはと思った貴方!正解です。スギダラ本部を通じてご連絡くださいね。お待ちしております。

 

  エピローグ
 

 南雲が5本目のビンに手を伸ばした。秋の大作戦成功に向けた第一弾、「川上元美氏と語るデザイン講演会(21年2月20日)」が終わった後の酒席の一場面である。ビンは風邪薬のアンプル剤。珍しく39度の高熱を出していたのだ。
 前々日まで、佐渡にいて「佐渡菌」にやられたと、「佐渡の金山」にかけた駄じゃれをとばしていたが、敬愛する川上先生を宮崎に招聘した張本人として、明日の油津ツアーを前に、ここで寝込むわけにはいかなかったのだろう。
 ただ、5本も一気にアンプル剤を飲む光景を見たのは初めて。「こんなに飲んで大丈夫ですかねぇー」と私。「チューバッカ(スターウォーズ)に似ているから大丈夫でしょう」と若杉さん。その時は妙に納得したのだが、大事な体である。十分ご自愛いただきたい。
 そしてもう一言、財布を忘れないように。携帯を無くさないように。ホテルの鍵を無くして私を飲み屋巡りさせないように。そして、その鍵を自分の鞄の中から発見しないように。(笑)おあとがよろしいようで・・・

 

 
  夢広場に並べられた飫肥杉商品の試作群
   
   
   
  ●<なかむら・やすお> 宮崎県職員
日南海岸地域シーニックバイウェイ推進協議会 無鑑査
GSデザイン会議メンバー
   
 
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