連載
  スギダラな一生/第21笑 「『史上最大の杉イベントが始まる』 飫肥スギ大作戦」
文/ 若杉浩一
  まちづくりの活動がそれぞれ連携し合い、時には手を結び、違う時間軸を歩む仲間達が、同時に動き出す
 

毎年新年になると、僕たちのデザインチームでは新年の抱負を語るようにしている。僕は、いつも暮れに「今年は例年になく激しい年だった。あ〜〜大変だった」と思う。そして「こりゃ来年は、もっと大変な年になりそうだ、まいった。」と思っている。そんな感じで20年ぐらいが経った。この調子だと、数年先が思いやられる。いつも、いつもギリギリな感じがするのである。

それにつけても、今年こそは本当に、えらい年になりそうである。昨年も激しい年だった。年初めから例年になくスギツアーを開催し、回数も多かった。その上、その他の社外活動にほとんどの休みを費やし、次は秋のスギダライベント目白押し。仕事は仕事で、ようやくチームも育ち拡大し色々な仕掛けが出来るようになったかと思いきや、30人のチームは突如分断され、その上、デザイン仲間も4人も減らされ、半年後には千代田、そして新人2人も、もぎ取られた。人員的には、もうちょっとで、あの最低の時代の残党の人員に戻ってしまうほどである。まったくこっちもギリギリの年だった。

仕事でのデザインは、実態としては多くの仲間が増え、活動も新しいステージへと変貌を遂げた。ダサダサだった会社が、「デザインが資産だ」と述べるほどになった。それは我々だけの力ではなく、ひとえに、外の人たちが評価してくれたお陰である。何よりも、外部からの評価ほど内部を動かすものはない。しかし、相変わらず内部の評価は冷酷である。景気のいいときは身を委ね、悪くなると真っ先に責任を問われる。まるで、成果というものは、どこかの有り難いお地蔵さんが、夜にそっと宝物を届けてくれているかのように思っている節がある。評価されるどころか、真っ先にバッシングの矛先にあう。たまったものではない。しかし、それが現実なのかもしれない。思えば、スギは植えて、育って、大きな財産になるまでには、随分時間がかかる。植えた本人は、もはや生きていない。次の世代に価値をゆだねるだけなのだ。そんなことを思うと、なんだか、今を生きていると、自分が小さくなってしょうがない。

さて、長くなったが今回は昨年末から日南のことを随分書いてきたが、その活動のスタートをお知らせしたい。日南から製品開発の依頼を受け南雲さんと地域の地元にちなんだモノづくりを興すということと経済活動(製品開発)をするということの矛盾と町づくりのギャップ等について随分悩み、活動をしてきた。そして、一つの僕たちなりの結論を出したのだった。それは「まちづくりの活動がそれぞれ、別々に存在するのではなく、連携し合い、時には手を結び、違う時間軸を歩む仲間達が、同時に動き出す」という、なんとも哲学的なというか意味不明な言い訳に納得した出来事である。(参照:月刊杉39号・スギダラな一生/第18笑

昨年からこのプロジェクトに参加してあることを思っていた。
ただ地域の一部が頑張って成功するような出来事とは違う、地域や自治体、そして周辺の仲間達、そして外部の仲間や企業が連携して、無理をせず互いにお互いを活かし合う豊かなモノづくり、つまり「新しい関係性のものづくり」が起こせるのではないかと。
しかしそれは可能性であって、そう簡単なことではない。しかし昨年、秋にスギダラで色々な所に仕込まれていたことが現実となり、それは偶然から必然に変わった。しかも今回は、スギコレが日南木青会の担当である。篠原軍団のまちづくり、そして内藤廣審査委員長のスギコレ、にちなんにちなんだモノづくり、スギダラ軍団、運河まつり。そうくれば、市民からモノづくり、まちづくりが繋がってしまっているではないか。しかも市民も含め色々な人種が色乱れているのだ。こんな偶然、いや必然はない。これはもう史上最大のスギイベントである。スギダラ発足以来、初めての出来事である。スギという何処にでもある資産を通じて新しい価値が生まれる瞬間である。こんな凄いことはない。そんなことを想像するとドキドキである。

南雲さんと、宮崎へ飛行機の中でこんなことを熱く語った。「南雲さんこの秋にスギを通じて、今までの全てが総決算される可能性がありますよ、これは凄いことになりますよ」「若ちゃんこりゃ史上最大のスギイベントだよ、飫肥スギ大作戦だよ」あっという間に企画は決まった。南雲さんもノリノリだった。しかも偶然にも数日前に川上元美さん(有名なデザイナーです)と飲んだ席でこのことを話し、宮崎に来て頂けるように頼んだばかりだった。そして一気に、この秋のイベントに向け川上さんに協力して頂き、秋のイベントのスタートを2月に切ることになったのだ。「にちなんにちなんだモノづくり」の試作を披露するとともに川上さんのセミナーである。スタートの意味、それは地域発の新しいモノづくり、そして枠を超えた仲間達のつながりが生まれる。地域か中央かも、立場も、有名無名も越え、仲間達と豊かな未来に思いを馳せることである。

僕は、今回、北部九州の(スギ+の仲間たち)仲間を是非日南と繋げたいと思っている。それは、宮崎のみんなは、行政、地域、林業、産業(スギの加工)と人材の宝庫である、しかも豊かで、仲間の連携がいい。それとスギ九のセンスと技が繋がったらえらいことになりそうな気がするのである。お互いに新しい関係や交流の中から新しいモノや売り方、デザインが生まれるような気がしてならないのである。こんなことは、利益関係で仕組まれた企業のモノづくりや東京で騒いでいるデザインとは訳がちがう、地域に根ざした本物である。
そんな、「すっげ〜〜」ものが生まれるに違いないと意味不明な確信を感じるのである。なぜかというと、皆が「すっげ〜〜人たち」だからなのだ。そうならない筈がない。

先日有馬君(スギコダマの作家)が東京を訪れてくれた。そして彼は今回の日南で作った金物を利用して自分もスギのスツールを作りたいと言ってくれた。
僕はすぐに、彼に金物を送ることにした。きっと僕らがつくる製品とは一味も二味もちがうスギの椅子が生まれるに違いない。それは作品とか製品とかの枠組みを超えた新しい存在になり得ると思うのである。

地域から発したことが周辺や企業に繋がり、やがて日本の新しい価値となる。欧米で生まれ、東京で咀嚼され、全国にまことしやかにバラまかれるデザインやモノづくりとは訳が違う。こんなモノが生まれ、地域が豊かになり、そして全うな社会になってほしい。本来、地域のモノづくりやまちづくりは、地域で生まれ沢山の人たちの志と汗で出来上がったものだった。それがいつの間にか、中央の人たちから自動的に与えられるモノになってしまった。その間僕たちは、地域に対する思いや価値、そして本当の豊かさを忘れてしまった。
便利なものに囲まれて豊かになるのではない。お金があることが豊ではない。
今ある豊かさの裏にある、もう一つの豊かさに気づき、豊かに思う気持ちを育むこと、そんなデザインが、ここに仕込まれているようでしかたがない。
日南ではそれが始まるのだ、凄いことなのである。

僕は思う、一人だったら何もやれなかった。文句を言っていただけかもしれない。実は、いつも仲間に支えられてきた。本当に、現実は理不尽で正義なんて殆どない。自己と見栄と欲が渦巻いている。その霧で先が見えなくなる。何をしていたか、何のためにやっていたのか、何をやりたいのかさえ、わからなくなる。悲しみと、悔しさと、情けなさで、諦めてしまう。そして、それを言い訳にしてしまう。
かつてのまちづくりや、スギを育てた時代を考えると、自分がなんてセコいのだろうと思ってしまう。「今、認められたい」「今、豊かになりたい」「今、結果を出したい」と思ってしまう。こんな自分が仲間を通じて思い知らされたこと。
それは「未来に通じている自分」ということ。未来に照らして自分を見れば、勇気が沸き、未来を思えば、ちっぽけな自分を笑い飛ばせる。今の時間を未来に照らし、編み込んでいく仲間達、こんな人たちと出会ったことに感謝している。そして、少しずつだが点が線になり、やがて面になる楽しさを感じている。まだ始まったばかりだが、その中にいることだけでも豊かな気持ちでいっぱいである。

今年は凄い、史上最大のことが起きる。ギリギリの裏側に真実が隠れている。
そして、きっとこれは、豊かな未来に通じている。  
さあ!!景気なんて関係ない。場所なんて関係ない。
思う気持ちがあれば充分だ。さあ、やるぞ〜〜!! お〜〜!!

(突然、チームから離れることになり、現場で頑張っている仲間、千葉、今井にエールの気持ちを込めて。)

   
 
 
新しく、オタフクフォース(タスクフォース)として、頑張る今井(左)と千葉(右)。
   
   
   
   
  ●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 テクニカルデザインセンターに所属するが、 企業の枠やジャンルの枠にこだわらない
活動を行う。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長
   
 
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