2007年 統括

 

スギダラ倶楽部 特集記事

文/ 千代田健一

日本木材青壮年会連合会の機関紙「ウッディレター」に掲載された記事です。

 
 

今年の5月に日本木材青壮年会連合会の機関紙「ウッディレター」にスギダラ倶楽部の特集記事を掲載してもらいました。ウッディレターは木青会の方ならおなじみなのですが、読者の皆様のほとんどはご覧になったことないでしょうし、ここではスギダラの歴史について千代田なりに書いたものがありますので、掲載させていただきたいと思います。年表と合わせてご覧ください。(ち)

   
   
 
   
   
 

杉とゆく懐かしい未来
<日本全国スギダラケ倶楽部の活動>

   
   
  ■倶楽部概要
   
 

正式名称:日本全国スギダラケ倶楽部
通称:スギダラ倶楽部
設立:2004年6月1日
本部:〒135-8730 東京都江東区潮見2-9-15 株式会社 内田洋行 テクニカルデザインセンター内
会員数:一般会員 約600名 特別会員 100名 法人会員 3社(2007年4月現在)
代表者:南雲勝志(ナグモデザイン事務所代表)http://www.nagumo-design.com/
メインWEBサイト:http://sugidara.jp
月刊『杉』WEB版:http://www.m-sugi.com/index.html
秋田支部サイト(北のスギダラ):http://sgicci.exblog.jp/
宮崎支部サイト(南のスギダラ):http://miyadara.exblog.jp/
北部九州支部サイト(杉九):http://sugikyu.exblog.jp/
関西支部サイト(スギやねん、関西):http://sugikan.exblog.jp/

   
 

日本全国スギダラケ倶楽部、通称「スギダラ倶楽部」本部広報宣伝部の千代田と申します。
木青会の皆様の中にはスギダラ倶楽部をご存知の方も多いと思いますが、改めまして私たちの活動をご紹介させていただきます。実は木青会の方も多数、スギダラ倶楽部の会員になっていただいてまして、日々お世話になっております。この場をお借りして御礼申し上げます。
随分、長いこと活動やってきたような気がするのですが、倶楽部としての活動を開始したのは2004年の6月からで、まだ3年も経っていません。その間、会員として仲間になっていただいた方の数は約600名。今では、杉の有力な産地を中心に支部まで設けるに至っております。活動の中心はネット上に設けたホームページ(http://sugidara.jp)で、杉に関わる情報発信、BBS(電子掲示板)による会員同士の交流、会員の募集等を行っています。

 
【スギダラHP】 スギダラ倶楽部の総本山はネット上にあります。会員登録はこちらから!
   
 

まず、そもそもどんな団体なのか? ということですが、一言で言うと、杉の魅力にとりつかれた「個人」の集まりなんです。いろいろと問題も多い、杉を取り巻く環境ですが、問題を真摯に受け止めつつも、素材として魅力的な材料なんだからもっと楽しんで使ってゆこう、という仲間たちが集まっています。当然、木材業界の方も多いのですが、中には全く杉とは縁の無さそうなアパレルメーカーに勤めるOLとかIT系の仕事をしている方とかもいらっしゃいます。最も多いのは学生さんで、次は建築、インテリア、家具等のデザインに携わってらっしゃる方が多いです。それもそのはず、発起人がデザイナーだからなのですが、なぜこのような倶楽部を設立することになったのか、その背景からお話します。

   
   
  ■南雲勝志と杉の出会い
   
 

そもそもなぜ杉なのか? スギダラ倶楽部設立の発起人、南雲勝志と杉の出会いを少しご説明しておきます。スギダラ倶楽部の代表はプロダクトデザイナーの南雲勝志で、普段は街灯や車止め、ベンチや手摺りといった環境プロダクトのデザインを中心に活動しています。スギダラの起こりは南雲勝志が杉材の生産量全国1位の宮崎県で景観デザインの仕事に携わるようになったところから始まります。宮崎県にはかつて木造船の材料として名を馳せた飫肥杉という種類の杉がありますが、南雲勝志はその飫肥杉の歴史や特徴を知る中でその魅力の虜になってゆきます。一方では木材業界が置かれた現状に触れ、憤りを感じていました。読者の皆様であればご存知の通り、高度成長期、大量の植林によって杉だらけになってしまった日本の山林は今では杉花粉の大量発生や山崩れ、地崩れ等の自然災害を引き起こしたりして、やっかいもの扱いされています。戦後しばらくは、建材として、建築現場の足場材や杭として大量に使われた杉材も、工業製品に取って代わられ、輸入の自由化によって流入した安い外国産材に押されて次第に行き場を失っていきました。使われない、流通しないからお金も入って来ない。だから山に手を入れて保全することもままならない。かといって荒れた山林を放置するわけにもいかず、使うあてがないのに補助金をつけて間伐をする。全てが悪循環なのです。こういった問題に対する憤りと杉に感じる魅力が重なり、次第に自身のデザインの中で使ってみようという気持ちが芽生え、その後の数々のトライアルに繋がっていったわけです。

   
   
  ■景観デザインと家具デザイン 2つのトライアル
   
 

建材としての競争力を失っている杉材にも杉ならではの魅力があり、コスト的にも流通的にも入手しやすいメリットを活かせる使い方があるはずです。宮崎県日向市では、地場の杉材を使ったまちづくりを推進しようとしていました。しかし景観材料として屋外空間に使うには、木材、特に柔らかい杉材は数々の困難が伴い、50年100年という長い時間使ってゆく橋や街灯にはなかなか使いにくいわけです。一方、地元の自治体、木材業界に携わる人々の多くが、地場産の杉材をまちづくりに活用してゆきたいと願っている。そういった困難に果敢に挑んでいこうとする人々との出会いが数々の困難を克服し、現実のものになってゆきました。

   
   
  【日向事例その1】 宮崎県日向市中心市街地、塩見橋周辺の景観デザイン。照明柱やベンチ、シェルターに杉材を使用。市民の憩いの場になっている。   【日向事例その2】 橋の手摺りにも杉材を使用。年に一度市民ボランティアによるメンテナンスを行っている。
   
 

そのひとりが地元の木青会(日向木の芽会)のメンバー海野洋光さん(スギダラ倶楽部会員番号3番)です。何せ、寝ても覚めても杉のことばかり考えている正にスギダラな人で、海野さんとの出会いが日向の街を杉だらけにしてゆく推進力になったと思います。海野さんはスギダラ倶楽部宮崎支部(通称ミヤダラ)の支部長を務めてくれており、ミヤダラのメンバーを強力に引っ張っていってくれています。
そんな最中、一方で室内用の家具のデザインも手がける南雲勝志は家具の材料として使えないか試行錯誤を始めます。2001年、東京のリビングデザインセンターOZONEで行った「ON-HOT」という展覧会では6メートルもある巨大なベンチともテーブルとも取れる迫力ある作品を発表。これが杉を使った「スギダラファニチャー」の起源でした。

   
 

その翌年には同じOZONEでやった「イスコレ商店街」という展覧会で歴史的名作と言っても過言でない、「杉太」という杉ベンチを発表。「杉太」は大きな反響を呼び、数々のスギダラファニチャーを世に出してゆくきっかけになりました。家具用の木材として使われることが少ない杉材ですが、日本全国どこででも入手でき、しかもブナやタモ等、他の家具用木材の20分の1とか30分の1の価格で手に入ることから、無垢の塊のまま使うことが可能です。こういうのを贅沢と言えるのではないでしょうか? それだけでなく、「杉太」は家具の職人が手を入れる必要が無いほど、極めてシンプルな加工だけで済みますから、製材所からでもディリバリーが可能です。その思い切ったデザインには、ものの流通の新しいあり方や業界の枠を超えて取り組めるといった素晴らしい考え方まで含まれていたんです。

   
   
  【大杉】 スギダラファニチャーの元祖「大杉(ダイスギ)」。長さ6mの角材の塊はそれだけで空間の秩序を作ってしまう。   【杉太】 スギダラファニチャーの傑作「杉太」。ちなみに角材を帯でしばっただけの「杉子」は帯を解くとテーブルとしても使える。
   
 

その「杉太」の魅力に共鳴し行動を起こした人物がいます。スギダラ倶楽部本部事務局長兼デザイン部長の若杉浩一です。「杉太」を発表した展覧会に共に参加していた若杉は「杉太」が示唆する新しいデザインの概念に強烈に影響を受け、杉の虜になってゆきます。内田洋行という会社でオフィス家具を中心にプロダクトのデザインをしている若杉はこの「杉太」を内田洋行で商品化できないか、画策するのですが、メーカーが販売する商品としてはあまりにも問題が多く開発部門からは門前払いにされ続けます。それはそうでしょう。角材にステンレスの脚部を付けただけの単純な構造なので、実際のディリバリーは可能なのですが、無垢の角材なので時間とともに発生する反り、割れが予測できず、問題が発生した場合、メーカーが販売するものには必ずクレームとして返ってくることが容易に想像つくからです。それでも諦められない若杉は自社のオフィスに置いて使ってみたり、展示会の会場を構成する材料として、チャンスがあれば次々とスギダラファニチャーをつくり続けます。そんな中、同じ内田洋行でオフィスのインテリアデザインをやっている私、千代田健一と一緒に仕事をするようになり、それらのスギダラファニチャーを空間の中に織り込んで、理解あるお客さんに買っていただく活動を始めました。この時から南雲、若杉が家具デザインをし、千代田がそれを使ってインテリアをデザインしてゆくというチームワークで杉を売り歩くことになるわけです。面白いのは、メンテナンスフリーでは済まないスギダラファニチャーを受け入れてくれる顧客の反応です。私たちになり代わって杉の問題のこと、うまく使ってゆけばとても魅力的な素材であることを自慢話のように広めてくれました。スギダラ倶楽部をおこそうと考えたのはそういった良い感触を得始めた頃でした。

   
   
  【内田洋行事例その1】 スギダラファニチャーを作っては会社の目立つところに置きまくっています。   【内田洋行事例その2】 自分たちの仕事場もスギダラケにしています。組み立ても自分たちでやります。
 
  【内田洋行事例その3】 北海道支社では道産カラマツを使いました。スギダラは杉だけに非ず、です。
   
   
  ■スギダラ倶楽部の設立と名前の由来
   
 

時々そのネーミングから誤解を受けることもあるのですが、杉だらけになった山をさらに杉だらけにしようということではありません。これからは日本全国どこにでも大量にある杉材を活用し、杉の魅力をもっとアピールしてゆこう! 山じゃなくて、街や住まいを杉だらけにしていこう!ということです。
こういった考えに賛同していただける仲間を募りネットワークを広げてゆくためにまずはネット上に倶楽部のサイトを作り、杉に関わる情報発信と会員募集を始めました。

   
  設立当初は南雲、若杉、千代田のデザイン仲間や顧客を中心にメールで案内を送り、半ば無理やり会員になってもらったりもしましたが、その先、口コミでも広まり50名くらいまではすぐに集まりました。実はその頃は賛同者となる会員を増やす努力くらいしかしておらず、会員登録のページには「会員の方には特製会員証を差し上げます」なんて書いておきながら、その会員証すら発行できずにいました。
スギダラ倶楽部がクラブらしい活動を開始するきっかけになったのは、またもや宮崎県日向市からでした。
   
 

前述の日向市での景観デザインの仕事の繋がりで、南雲代表は日向市立ふれあい富高小学校での課外授業を引き受けることになります。日向市のまちづくりを、将来を担う子供たちと一緒に考えよう。という企画で、若杉、千代田もその講師陣として参加させていただきました。その授業の課題で設定したテーマが「移動式夢空間」。地元の杉材を使って自分たちの夢を形にしようというものです。2004年の10月から4ヶ月間、時間にすると40時間も使ったこの授業の詳細を語り始めると紙面がいくらあっても足りないので割愛しますが、講師の3名にとってはその後のデザイン活動、スギダラの活動を左右する程の大きな感動を味合わせていただきました。子供たちの自分たちのまちに対する真剣な想い、愛情に触れるにつれ、杉が持っている大きな可能性に気が付きました。自分たちで考えたものを自分たちで作り、使うことが可能な素材で、日本全国どこにでもある杉にはまちづくり、ものづくりだけでなく、ひとづくりをする力があるのではないかと。他の木材と比較すると加工もしやすい場合が多いので、極端に言えば誰でも関わることができる素材だったんです。
この授業に取り組んでいる時期にインテリア雑誌「CONFORT」の編集をやっている内田みえさん(スギダラ倶楽部会員番号1番)はその雑誌で杉特集を企画し、この授業のことも取り上げてくれました。その杉特集に付けたキャッチコピーが「杉とゆく懐かしい未来」です。子供たちが作った移動式夢空間は正に懐かしいけど新しい未来を示していました。この夢空間は2005年度のグッドデザイン賞を受賞し、Gマーク史上初の小学生のデザイナーによる受賞となりました。

   
  実はこの時になってようやくスギダラ倶楽部の会員証を制作し、まずはこの授業の修了証として生徒たちと学校の先生方、関係者一同に渡しました。それが特別会員の100名です。もちろん、これを機にそれまで登録だけしてくれていた一般会員の方にも送ることができました。
   
 
  【移動式夢空間】 スギダラ倶楽部の活動を加速させた一大事件でした。杉と人との関わりの未来を示していました。
   
 

 
  【スギダラ3兄弟】 これがスギダラ3兄弟だ!左から三男・千代田、次男・若杉、長男・南雲。   【会員証】 会員登録をすると送られてくる会員証。ひとつひとつ焼印を押しています。
   
   
  ■加速するスギダラな活動
   
 

移動式夢空間の授業では多くの出会いがありました。小学校の先生方、地元の木青会「日向木の芽会」のメンバーの皆さん、宮崎県土木事務所や日向市市街地開発課の皆さん他、関係者一同が一丸となって将来のまちづくりに取り組んだわけですが、その多くの方々にスギダラ倶楽部の会員になっていただきました。それ以降、スギダラ倶楽部はネット上だけでなくリアルな場での交流によって飛躍的に会員の輪を広げてゆくことになります。その活動のひとつが杉の産地を訪問し、各地の杉事情、特色を知るためのスギダラツアーです。
以前から本部のメンバーと有志数人で杉の産地の訪問をしていましたが、2005年3月にはスギダラ倶楽部の会員を募って、杉の有力な産地、奈良県吉野を訪れました。その後、埼玉、秋田、延岡、群馬と産地を訪問しています。ツアーでは各地の林業、製材業の実情やその土地土地で特色のある産業の現場を訪問、見学させていただいたり、森林組合の皆さんにお願いして、手が入れられていない杉山の下草刈りや枝打ちを体験させてもらっています。宮崎県延岡市の上崎地区では50年生くらいの杉をチェーンソーで伐採する体験までさせていただきました。女性会員も地元の方の指導を受けながらチェーンソー体験です。そう、スギダラ倶楽部の特徴のひとつでもあるのですが、女性会員が多いということです。普通、山林や製材所の視察に来るグループは壮年男性が多いと思いますので、受け入れ先の方々にとってはちょっと異様に映るかもしれません。一方で案内する方のモチベーションは上がるんじゃないでしょうか?
また、ツアーでは必ず訪問先でお世話になる皆様と親睦会を開くようにしています。見学だけの交流ではスギダラ倶楽部が何者で何のために来たのかよくわからないでしょうし、それは私たちにしても同じです。お互いの理解を深めるため、親睦会では参加者一人一人の自己紹介を全員行います。下手をすると自己紹介だけで終わってしまうこともありますが、誰もが主体者であるというのがスギダラの流儀ですから、傍観は許されないんです。まあ、許されないというのは半分冗談ですが、一人一人と向き合って行こうとするこのスタンスがスギダラの暑苦しくも憎めないいいところだと自負しております。最近のツアーでは液晶プロジェクターとパソコンを持参して、スギダラのそれまでの活動のプレゼンテーションも行っています。土地の美味しいものを食べながら自己紹介という言葉にするととても地味なイベントで大盛り上がりした後は、秋元支部で教わったアヒルのダンスをみんなで踊ってさらに仲良くなってゆくんです。読者の皆様のところに伺った際は、諦めて一緒に踊ってみてください。きっとスギダラ倶楽部に入会したくなりますから。

  各地でこういった交流が持てるのは、全国各地に会員がいて、ツアーの企画から訪問先への交渉をやってもらっているから実現可能なんです。現在、支部は宮崎、北部九州(福岡・大分)、秋元(高千穂)、秋田、関西、東京、日光(栃木)、天竜(浜松)にあり、各支部に支部長と会員の多い支部には広報宣伝部長も置いて各地で独自の活動も展開しています。
   
   
【スギダラツアーその1】 宮崎県諸塚村「内藤の森」伐採ツアー。みんな地下足袋持参。
  【スギダラツアーその2】 高千穂秋元支部発アヒルのダンス。この後、スギダラツアーの恒例行事となる。写真で見るとかなり怪しい集団です。   【スギダラツアーその3】 群馬ツアー集合写真。巨大な杉の前で。
   
   
  ■支部の活動
   
 

本部とか支部なんて言うと、組織的に動いているように見えますが、その殆どが代表者の思いつきによる拒否権なき指名制で成り立っています。素晴らしいのは指名を受けた支部長、広報宣伝部長が想像を遥かに超えて頑張ってくれるところです。まず、最初に支部の活動を開始したのは秋田からでした。まだ、会ったことも無いのに支部長の任を引き受けてくれた菅原香織さん(スギダラ倶楽部会員番号47番)は2005年の10月に実施したスギダラ秋田ツアーの全ての段取りをしてくれ、ツアーに参加した24名の会員を盛大に迎えてくれました。訪問先としてお世話になるところに連絡を取るときに、「日本全国スギダラケ倶楽部の菅原と申します」と名乗って交渉をしてくれたそうです。口にするとちょっと恥ずかしい気もするこの倶楽部名称を堂々と名乗るところなんか、さすがとしか言いようがありません。南雲代表はこのように各支部をリードしてゆくのに相応しい人材を見抜き、指名していると言うこともできますね。
現在、秋田、宮崎、北部九州、関西の4支部は独自の情報発信サイト(ブログ形式)を持っており、本部よりも常に新鮮な杉関連情報、地域情報を発信し、会員間の交流を深めています。ブログも盛り上がっていますが、リアルな場での交流も頻繁に行っており、地域イベントへの参加を企画し、次々に実行に移しています。もちろんスギダラの活動を広めてゆくためであり、まちをスギダラ化するためにです。杉屋台を持ち込み、模擬店をやったり、杉材を使ってアトラクションをやったり、スギダラグッズを販売したり、支部のメンバーがアイデアを出し合い、魅力的なスギダラワールドを築いていってくれています。そんな活動を各地で展開するたびに会員がどっと増えてゆくことになっています。これは単に杉のPRをするのではなく、杉が作る心地よい雰囲気を人が集う「場」としてうまく作れているからだと思いますし、参加する支部のメンバー自身が自ら楽しんでいるから想いや考えが伝わりやすいのだと思います。こういったイベントに不可欠なのが、スギダラ空間をつくるための杉材です。是非とも全国の木青会の皆様と協力し合える関係を今後益々築いてゆきたいと願っておりますので、ひとつヨロスギお願いいたします。ここまで読んでスギダラ倶楽部の活動主旨にご賛同いただけるようでしたら、是非会員になってください。ちなみに未だに会費無料です。

   
 
  【地域イベント】 秋田県能代市の市民イベント「サンピノ祭」にスギダラも参加。スギダラ大道具で即興的にスギダラ空間をつくっていく。
   
   
  ■まだまだやってるスギダラな活動
   
 

杉産地のツアー、地域イベントへの参加以外にも多彩な活動を展開しています。そのひとつはWEBマガジンの発行です。その名も月刊『杉』WEB版。2005年の7月に創刊し、現在までほぼ月刊を達成しています。創刊にあたってその時の想いを南雲代表がこのように書いています。

   
 
 

「杉を通じて出会った人びと。杉を通じて見えてきたこと、感じたこと。
杉を語るときりがない。伝えたいことがいっぱいある。
なのに、なんで杉を語る場がないのだろう。
杉は日本特有の木なのに。日本のいたるところにあるというのに。

杉に関わる人びとに出会うたび、杉情報の必要性を実感する。
杉を語り、ネットワークを拡げていくことで、杉を取り巻く状況が変わっていくかもしれない。
それがみんなの幸せ、日本の未来につながっていくかもしれない。

そのための場として月刊『杉』WEB版をつくりました。
このサイトが、杉と社会をつなぐ一役を担えれば・・・」 
     

   
 

この月刊『杉』、執筆、サイト運営全て会員を中心とするボランティアでまかなっていますが、いつか本にして出版したいと思っています。手前味噌で恐縮ですが、WEB版ではなく、雑誌としてあっても不思議は無いくらい素晴らしい記事ばかりです。バックナンバーも含め、是非ご一読いただけますようお願いいたします。

   
 
 
 

【月刊杉TOPページ】
世界初、杉専門のWEBマガジン。ためになる杉情報満載。2005年の7月に創刊。

   
 

その他、杉デザインの専門家を自称する南雲、若杉、千代田の本部3名(巷ではスギダラ3兄弟と呼ばれている・・・いや、これも自称ですね。)で大学や専門学校で杉デザインの講義や杉を使ったデザインの課題などをやっています。地域の木材関係、まちづくり関係の勉強会やセミナーなどではデザインを軸に講演活動もやっています。地域活性化の応援団として、呼んでいただければどこにでも参上いたしますので、関心のある方は気軽にスギダラ本部までお問い合わせください。

最後まで読んでいただいた皆様、ありがとうございます。この後はパソコンの前に行って、インターネットでhttp://sugidara.jpに行き、会員登録をするだけです。末永いお付き合い、どうぞヨロスギお願いいたします。
「杉とゆく懐かしい未来」に向けて共に頑張りましょう!

   
   
  この記事に関するお問い合わせ、苦情、激励は、
日本全国スギダラケ倶楽部 本部広報宣伝部 千代田健一までお願いします。
連絡先:〒135-8730 東京都江東区潮見2-9-15 株式会社 内田洋行 テクニカルデザインセンター内
電話:03-5634-6185? FAX:03-5634-6886? e-mail:chiyoken@uchida.co.jp
   
   
   
   
   
   
 
●<ちよだ・けんいち>インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 テクニカルデザインセンター所属。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部広報宣伝部長
   
 


   
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