特別連作@

 

スギダラな一生/第5笑 今回はキャッシー(袴田)と連作です!

文/ 若杉浩一
 
 
 

「行け、袴田」 スギダラ天竜支部開設に向けて

月刊杉もいよいよ3年目に突入する。丸2年。スギダラ倶楽部は4年目に突入する。随分仲間も増え、そして、飲み屋でのただの冗談が、「全国都市再生まちづくり会議2007」で大賞を頂くまでになってしまった。まさしく「大笑」ものである。活動が活動を呼び、なんだか毎週スギダライベントがあるような気がする。荷物運び、会場セッティング、そして飲み会,撤収。千代ちゃんが「若杉さん、今回は、このくらいでいいでしょう」というイベント計画を聞くたびに「何考えてんだよ?いつものリズム、学生相手だろうが、何だろうがいつもどおり!」といいながら互いに首を絞め合っている。困った性である、これを出口先生は「悪のり名人」と呼ぶ。今回はそんな悪のり組の、ノリを支えてきた、通称「キャッシー」袴田のお話をしたい。

袴田は入社6年目、浜松で育ち、神童と呼ばれ(聞いた話ですが)、慶応大学SFCを卒業し、我が社の、次世代ソリューション開発センターに配属された優秀な人材である。しかも学生時代に鍛えたアーチェリーは、インターハイで活躍するレベル、卒業後も大学で指導し好成績を納めている。文句無しの出来の良さである。そんな彼女が会社の中でリズムを崩してしまった。配属先の次世代ソリューション開発センターの技術開発にハマらない、そしてチームになじまない、仕事になじめない。プロジェクトを任されマネジメントらしきものをやるのだが、マネジメントなんて様々な経験が無いと出来ない、だれも袴田の杓子定規の論理だけの仕組みにはついて行けないのだ、「あいつの言ってる事はまったくわからん」という声を僕も漏れ聞いた。

ある日、上司の村(村部長:私とユビキタス(漫談)開発のコンビを組んでいる相方)が「若杉さん、袴田はどうやらデザインがしたいようです面倒見てもらう訳には行きませんか?」
ぼくは、これからITとデザインを繋ぐ担い手が必要だと思っていたし、当時から絵を学び、絵の勉強会の発表会を誘われて見に行ったことがあった事もあって何の戸惑いもなく引き受けた「いいよ、そのかわり席を僕らのチームに作っていいか?」
そんな事で袴田の次世代の組織にいながら僕らのデザインチームに籍を置き、概ね何をしているのか解らない奇妙な会社生活が始まったのは彼女が入社2年を過ぎてからだったと思う。

僕らは、とにかく大騒ぎをする、大変な仕事であればあるほど、お祭り騒ぎになる。人の仕事だから関係ないという事は許されない。聞いていない、言われてないという言葉は禁句である、君の仕事は僕の仕事、僕の楽しみも、君の楽しみという、余計なお世話をする。一言で言うと暑苦しい関係を強いるのである。たまったもんじゃない。「ほっといてくれ?」と言っても知らぬ間に担がれてお祭りの真ん中に連れられて行く。「え?いどうにでもしやがれ」とやけくそになってしまってから、ことが始まるのだ。

そんな、中に袴田は拘留された。元々純粋で素直なのは解っていた、ただ自分自身が出せない、出そうとするとなじまない、どんどん辛くなってくる。後で御両親のお話を聞く中で彼女は何回も(本人曰く1回だけだそうだ)「帰りたい」という泣きながらの電話をしていたそうだ。そんなこととはつゆ知らず、袴田に家具の組み立て、搬入、搬出、掃除、飲み会を強要した。最初はその度にエスケープをしていた。
そして、パソコンに向かいたくさんの資料や提案書をつくっていた。役に立ちたかったのだろう。しかしどれも面白くないどころかリアリティーも夢も無い。僕からすると彼女の魅力とは裏腹に堅苦しいことばかりやっていた。そして僕から怒鳴られ、その度に苦しんでいた。「袴田、いいからこれ手伝え」おおよそデザインや教養とは関係のない肉体労働、宴会の準備、しかも突然である。

その度に彼女は僕たちの計画性の無さ段取りの悪さに抗議していた。それでもそんな些細な仕事ばかりつづく、しかしそんな些細な仕事でも僕たちは盛り上がる。些細なことだから皆でやると楽しいのだ。出来上がった清々しさ、そしてそれを分かち合える仲間がいる。小さな感動や連携が生まれる。そしてそれを喜んでくれる人がいる。繰り返し繰り返し続けた。そんな中で彼女はしだいに裸族の本性を現した。どこかで諦めたのだろう「こりゃ言ってもダメだ、さっさと済ました方がましだ」って。そして「袴田,行くぞ」とまたまた突然、デザイン仲間や案件先に連れられて行く。そしてまた盛り上がる。さながら市中引き回しの刑である。だんだん裸族の運動神経は高まりスピードと反射神経が豊かになった、それどころか先回りまでするようになった。

   
  happi 第1回
  happi 第一回 小さな夢展にて
   
 

袴田にとってエポックな出来事がある。それは「happi 第一回 小さな夢展」である。彼女に手伝ってもらった。彼女は本当に一所懸命に動き回った。搬入搬出、展示の説明、たくさんのお客さんへの対応,彼女の元気と気遣いに、僕もそうだが、多くの人達,仲間が喜び絶賛してくれた。南雲親分はそんな彼女を一目みて理解した。彼女の魅力を掴んでしまった、そして「袴田さんは、なんだかキャッシーって感じだよね」親分に言わせると、キラキラ輝いていたらしい。それからずっと袴田のことを「キャッシー」と呼び、可愛がってくれた。そして彼女はキラキラ輝いた本物の「キャッシー」へと変貌した。どんなことでも一所懸命。走る、運ぶ、喜ぶ、感動する。僕たちの動きや会話を読み、事前に準備をし真っ先に到着し元気に楽しく動けるようになった。そんな彼女を見れば誰でも楽しい、どんどん仲間が増え、出かけ、余計なお世話をするようになった。彼女の元気や笑顔で周りが豊かになるそんな力を彼女は持っている、いや持っていたのだ。

しかし会社の中でこの才能をどのように活かすかが問題である、カテゴリーにハマらないのだ、どうせハマらないなら創ればいい。後は僕たちが支えるだけだ、そんなことは容易いことだ。そして彼女にWEBの編集やデザインを任せた。絵がうまい、機動力がある、自らが感動する、そしてなにより伝えたいという気持ちが人一倍ある。ある日彼女はカメラを購入した。そして現場に行き写真を撮り、出会い、はなし、飲み、踊るようになった。そして、いきいきとした写真を撮りWEBや社内の出来事を伝えるコンテンツを次々に作っていった。そして彼女が持っていた、色々なものがつながり始めた。また皆が喜んだ。

   
  袴田写真 空   袴田写真 時計
  袴田の撮った写真 空   袴田写真 時計
  袴田写真 花
  袴田写真 花
   
 

彼女は年に3〜4回、挫けそうになると僕に、あたり始める。そして「帰りたい」と言う。そして深夜までののしり合い、負けそうな自分に前に進む決心をつけていた。そんな彼女が今度は本当に帰ることになった。しかも今度は、僕にあたりもせずに。古里の御両親や自然が大好きだった純粋な少女が凛と立ち上がったのだ、僕はそう感じた。それから刻々と時が経つにつれ彼女の存在を支えていたつもりが支えられていた事に皆が気付き始めた。そうなのだ、チームって簡単ではない。仕事ができる、形にする、作り出す、効果を生むという以外に意味がある、ハマらない魅力がある、必要不可欠な何かがある、僕らはそれを袴田から学んだ。

どれも必然性がある、それが活き活きと存在できるチームこそ僕ら自身の力であり、僕らに問われている事なのであろう。なんだか随分教えられてしまったもんだ。 彼女はふるさとでスギダラ天竜支部を立ち上げようと企んでいる。きっと沢山の人を、また魅了するであろう。そして持って生まれた才能を多くの人に見いだしてもらうだろう。
「キャッシーの心の中には既に、大きな旗が立っている。風を受け、たなびき、存在を誰しもが、理解し、そして集まれる大きな旗が」
「行け!!袴田、心配するな、俺たちがいる。」ねえ南雲親分,千代ちゃん。
そして皆!! お〜〜!! スギダラの未来は明るい。

   
  アヒルのダンス
  アヒルのダンスも率先して踊る
  ヨシモトポール納涼祭
  7月28日、ヨシモトポール納涼祭にて。自ら手配したアヒルの着ぐるみを着て踊る。
  アヒルのキャッシー
  アヒルのキャッシー。見よ、このしたり顔!
   
   
 

→若杉さんの文章をうけて、キャッシー(袴田)から

   
   
 
  ●<わかすぎ・こういち>インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 テクニカルデザインセンターに所属するが、 企業の枠やジャンルの枠にこだわらない
活動を行う。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長




   
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