特集 二周年記念

 
吉野が月刊杉を生んだ・・・
文/ 出口近士
 
 
   

会員番号73(並み)の「出スギ」こと、出口近士(でぐちちかし)です。会員になってまもなくの頃、南雲さんの誘いで同僚の吉武さんと日向市の和田さんと吉野ツアーに参加させて頂きました。奈良県に行くのは中学校の修学旅行、友人が働いていたダム建設現場の視察に続いて3回目でした。

   
  杉王の南雲さんとのつきあいは日向市のまちづくりの縁で2000年頃から始まりました。その後、日向市のまちづくりだけでなく宮崎市の天満橋の照明・舗装・ポケットパークのデザイン、都城市の蔵原通線シンボルロードのデザインなどで景観デザインやまちづくりの仕事を一緒にさせて頂いています。杉王の仕事振りとスギダラ振りはみなさんもご承知と思いますので省略します。
   
  スギダラ3兄弟の次男若杉さんと3男千代田さんとは、やはり日向市のまちづくりで出会ったのが最初でした。その時は、お二人は既に日向市立富高小学校のまちづくり課外授業に関わられていたと思います。名刺交換の際に、人なつっこさと“乗り”の良さを感じたことを覚えています。確か、乗りの軽さは千代田さんの方が上だったと思いますが・・・・、普通の乗りではなく“悪乗り名人”だとは当時は知るよしもありませんでした。また、お二人が九州人であること、“乗り”は行動力の化身であることも後で知りました。私は九州から離れて暮らしたことのない九州原人ですので、最初の出会いで九州人の雰囲気(きゅうしゅう:旧い+臭い?)を感じたのかもしれません。酒が入った後の“暑苦しい話”も南の國の九州人のDNAのせいだと拝察します!?
   
  さてさて、表題の月刊「杉」の発刊の話に移りましょう。発刊の経緯は内田みえ編集長の06号「web版発刊半年間を振り返って」に、“スギダラ吉野杉ツアーで、酔いにまかせてぽろっとこぼれた一言が、月刊「杉」の発端だった。”と書かれているように、参加された本部メンバーのみなさんのスギダラケ倶楽部の発足からの溜まった思いに、世界遺産の吉野の仏さんや、杉に宿る神様が火を付けたのだと信じています。
   
  吉野ツアー
   
  吉野ツアー
  吉野ツアー
   
  ところで私が吉野杉ツアーに参加した理由の一つは、なぜ吉野杉が生業として成立しているのかを自分の目で見てみたかったからです。私はダムの堆砂問題や濁水問題の研究に関係しており、その中でも山林伐採方法に興味をもっています。そして研究の最終目的として、山で生業をする人々が地域で生活し、生活文化を継承できる社会システムにすることへの支援ができればと願っています。宮崎県では戦後に造林した杉が伐採期に入っているとのことで、また採算の関係で大規模な皆伐が進んでいます。作業道も多く作られ、これに最近の豪雨が加わり崩壊地が急増しており、堆砂・濁水問題を深刻にしています。
   
  一方、吉野杉の場合は、石橋さんの「吉野杉をハラオシしよう!」に連載されていますが、ヘリコプターなどで材を吊り出しているとのことで驚きました。(参照 09号 石橋さんの連載第3回)また、材単価や林地所有の関係からでしょうか、私が見学した範囲では大規模に伐採された山も少ないようでした。高材質や製材で付加価値を付けて出荷するなど、さすがに吉野杉との感想を強くしましたし、200年生の杉は尊厳さえ感じました。私が吉野から学んだものは、生産するだけでなく材に付加価値を(自らが)付けて、流通に乗せるという経済・流通機能が吉野の地に古くから存在するということでした。(吉野中央木材のみなさん、梶谷さん・狩野さん、他のみなさん、その節はありがとうございました。2年越しにまでに遅れましたが御礼を申し上げます。)
   
  環境保全のために流域管理という視点が重要になってきています。杉を伐採して売っても赤字で再植林できず、林業として成り立たず、過疎化も進むという現状があります。一般の方が消費財として杉材を購入する際はかなり高価になっている一方で、山地崩壊に伴う環境問題(負の効用)には誰も対価を払わないシステムになっています。この問題は、郊外に大資本の大型ショッピングセンターができて中心市街地の商店街が寂れていくが、市場関係者は誰もこの再生コストを支払わない構図にも似ています。山村の崩壊や環境問題などの負の効用に対して、その地以外で暮らす流通業者や消費者が対価を払う、つまり山から得た利益(効用)の一部は村・地元に還元し、その地で生活できる社会・経済構造にする必要があると考えます。
   
  具体的には、伐採した山に再植林し、山地崩壊と山村地区の過疎化を最小限に留めるシステムに再生しなければならないと思っています。このためには、吉野のように生産財を加工して付加価値をつけること(2次産業の育成)、さらには建築関係者、インテリア関係者、デザイナーと連携して最終製品として消費者まで流通する仕組み(3次+高次産業の育成)づくりが必要と思います。
   
  私の専門の地域・都市計画では、地域や都市にあるべき機能として単純に、@生活機能(まずは、安全に住める居住を確保すること)、A経済・生産機能(居住できる空間や施設を確保したら、次は、生きるために働く糧や場所を確保すること)、B文化機能(食住が満足されたら、人間は遊びや文化活動を求める)を確保すること、加えてこの3機能を担保するための運輸・交通を計画します。
   
  月刊「杉」webを眺めると、発起人のスギダラ3兄弟は専門とするデザインから、他の本部のみなさんは各専門を領域として、B文化機能方面から全国各地の@生活機能へアプローチしているスギダラ振りが垣間見られます。一方、支部の皆さんは、それぞれの生業に関わる@生活機能を基軸にして、各人がスギダラ以前に活動されていたコトを再確認し、語り、飲み、楽しむ、人的ネットワーク形成の場になっているようです。若杉さんの言う“スギダラは「スギをつまみに」人が集まる”といった『杉・楽しみモデル』ができつつあるように思いますが、一方でB文化機能も指向(志向)しているのだと拝察します。
   
  このように3機能で単純化してみると、スギダラ3兄弟を中心とした本部は全国各地に放射状に行脚(地方巡業)し、スギダラ ケ(化)精神を布教するなど@←Bの活動を指向し、スギダラ支部は@→Bを指向しています。これらの活動はスギダラ3兄弟の布教精神と、スギダラ3態“(1)悪乗り”+“(2)杉をつまみに焼酎・酒を飲む”+“(3)酔って暑苦しく語り始める”に支えられてきていると思います。したがって、3兄弟の体力の続くかぎり現状のスギダラ活動を継続するのが楽しいと思います。ただし、精神は低下することはないでしょうが、“(2)杉をつまみに焼酎・酒を飲む”能力低下が日本全国スギダラケ倶楽部のアキレス腱になるかもしれません。その危惧からすれば、スギダラケ倶楽部の活動に、@とBの間を結ぶ“A経済・生産機能”を組み込むことが必要になる時期が来るのかもしれません。内田洋行の中で試行されているような企業活動と連携する「杉・ビジネスモデル」が芽吹き始めていることも楽しみです。
   
 

野暮(野望)な話を一つ。
いつぞやの夜に“志村や”で飲む機会があり、途中で内田洋行の向井社長と出会いました。さすがに2兄弟の親分ですね、うんちくのある楽しい会話を楽しませて頂きました。その際、酔った勢いで「みやざき産の杉をふんだんに使ったバーが東京にあって、みやざきに無いのはおかしい。有志に出資を募って、みやざきにスギダラBEERバーをつくろうと思う。社長にもお願いしたい。」との酔狂な申し出に、社長から“出資しましょう!”とのありがたい回答を頂きました。しかしその後がいけません。数ヶ月後に私が急性肝炎に罹り、原因となった胆嚢を摘出するハメになりました。そして山の神から私の夢想に休止命令(発言は“中止”のようですが、私には“休止”と聞こえました)が出てしまいました。

   
  みやざきスギダラBEERバーのBeer Meisterには吉武さんを予定していますが、若杉さんのスギダラ家計画より先に実現したら申し訳ないので、野望として雌伏しておきます。出口は遠いですが、みなさん、期待せずに待っていて下さい。
   
   
   
   
   
 
 
  ●<でぐち・ちかし> 宮崎大学 工学部土木環境工学科准教授
工学博士・技術士  専門:地域計画・交通計画
出口研究室 http://www.civil.miyazaki-u.ac.jp/~dcken/index.html

   
   
   
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