ある日突然、黒い服を着た長身の魔王様が、日向の地に舞い降りてきた。
すべてはそこから始まった。
平穏に暮らしていた村人には、魔王様の言葉が理解できなかった。
村人には魔王様の声は「デザイン! デザイン!」と聞こえるが、意味はわからず、その声に、恐怖を感じていた。
魔王様が次に発した言葉は「スギダ! スギダ!」だった。
「スギダ!」と言い始めたのも、そんな昔じゃなかったと記憶している。
そうだ、確かにはじめは「杉」ではなかった。
魔王様が貢物として要求したのは、「地元の木材」だったはずだ。
たくさんの村人たちは、魔王様が描いた橋に「地元の木材」手すりを取り付けた。
最初の「モノ」が出来上がる、魔王様の言葉は、村人にも少しずつ通じるようになっていた。これが「デザイン」というものであることが、村人にもなんとなくわかってきた。
魔王様は、村人たちがこれまで見たことないものを描き(デザインし)、「作れ」と言い出した。
村の周辺には、「杉」だけは、有り余るほどあった。しかし、売れば売るだけ赤字になる杉は、村の厄介者とまで言われていた。杉は捨てるほどあるが魔王様の言う「デザイン」までは考えたことすらない。まして、杉で魔王様が要求するモノを作るのは不可能だと思い始めていた。それは、この村の問題だけではなく、日本全国の村に共通する杉の問題で、頭を悩ませていた。
魔王様の「作れ」と言う言葉に立ち向かおうとする少数の若者たちがいた。
毎日酒を飲み歩き、酒代を踏み倒したり、口から火を吹いたり、「まな板」と称して板を酒やツマミに替える詐欺といわれてもいたしかたない行為をしている輩たち。最初の指令だった、橋の手すりも先頭になって村人を引っ張ったのが、この「日向木の魔界」メンバーだ。
魔王様の描くモノは、ベンチ、街灯、ボラード、パーゴラ等などこれまで、何処でも見たことのない杉の形をしていた。日向木の魔界の若者は、一生懸命、なんとか杉で作った。
魔王様のデザイン語をすべて理解するのは不可能だが、どうすれば杉が生きるか、その知識は魔王様には負けないと思っていた。
魔法様と日向木の魔界の若者は、毎晩のように酒を酌み交わし、多少の言葉は理解できるようになっていった。
ところが、魔王様はある晩、突然「ヤタイ! ヤタイ!」と言い出した。
日向木の魔界の若者は、魔王様の次なる命令が理解できなかった。
どうやら「ヤタイ」とは、「屋台」のことらしい。
「小学生と杉で屋台をつくろう!!」
まちづくりのために子どもたちにアイデアを出させ、屋台をデザインさせようと言うのが、魔王様の次なる企みらしいのだ。
そんな『加害授業』は、あまりにも唐突過ぎて、「無理に決まっている」と日向木の魔界の仲間からも話が出た。
魔王様は若者たちに「手伝ってくれ」と指令を出した。「加害授業」には、あの恐ろしい魔王軍団もやってくるらしい。
加害授業イコール平日の昼間。たった数回の加害授業で本物の屋台を数基製作する。
「そんなことは、出来っこない」でも、結果は「できた! グッドデザイン賞をもらった!」
これを魔法と言わないで他になんと呼べばよいのだろう。
魔王様は、古くなった一枚の紙を日向木の魔界の若者たちに見せた。
その紙には、連なった屋台のスケッチが描いてあった。
まだ魔王様とは片言の会話がやっとできるようになったころの昔のスケッチだった。
「まだまだ魔王様のデザインは続くぞ」と魔王様の企みを予感させるスケッチだった。
日向木の魔界の若者たちも次第に気づいてきた。丸太を売ったり、製材した木材を売るだけでなく、デザインされた杉を売る方法もあると言うことを。そして杉には、不思議な魅力があり、杉にかわりはないのに、デザインされた杉は、遠くからも人を呼び寄せる力があることも・・・。
「杉にはすごい力がある」でも本当にすごいのは、杉を中心に動く仲間たちだった。
大魔王様が舞い降りて、この村は、変わり始めました。
「杉」なんか、見向きもしなかった村の人たちが、「杉、杉」と言うようになってきた。
商店主は、自分たちの店にどのようにしたら杉を取り込めるか真剣に考えるようになってきた。設計屋さんは、杉の使い方に興味を持ち始めました。子どもを持つ親は、子どもたちと環境を考え、家庭でも食卓の話題のひとつに「杉」がのぼるようになった。活気的なことだと言える。
「加害授業」もとい「課外授業」をきっかけに杉をめぐる仲間たちの動きが急速に加速した。この動きを全国に広めたい・広げたいと言う魔王様の野望がやはり、形となってできてきた。「日本全国スギダラケ倶楽部」だ(ちなみに「日本全国スギダラケ倶楽部」は私がタイピングすると「日本残酷すぎだけ倶楽部」になる)。
日向木の魔界は、魔王様からさまざまなことを学ばせてもらった。
いや、まだまだ学んでいる最中だ。遣り残していることもたくさんある。
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