特集日向

 
日向から見たコラボレーションの意味と可能性
文/写真 辻 喜彦
 
 

 

●プロローグ----始まりは、こんなふうに……。

 それは、一昨年のちょうど今頃、ナグモさん、ワダさんそして僕の3人は、日向市へ向かう日豊本線の列車の中で、顔を付き合わせ悩んでいた。

「今年は課外授業をやろうと思うんですよ」
「ナグモさん講師お願いできます?」
「一人じゃ出来ないよ、仲間二人呼んでもいい?」
「それでテーマは何にします?」
「一昨年と同じことしても仕方ないしなぁ……」
「やっぱりスギ使って何かやりたいよネ」
「イスとか机を作ります???」
「……」
「そういえば、最初にナグモさんと始めた時に『屋台プロジェクト』っていうのがありましたよネ」
「みんなに全く無視されたけどね」
「あれって何とかなりませんかね?」
「スギで屋台作るの!?」
「屋台かぁ〜……!?」
 こうして、いろいろなことがスタートした。
 本当はもっと前、さらに4年くらい前(2000年)から始まっていたことだった。
どこへ進んでいくのかは誰にも解らなかったけれど、でもみんな何かがあることは確信していたと思う。

 

 
「幻の屋台プロジェクト(by nagumo-design)」結局、天満橋でこれが実現した!



 

 
「日向市駅前」(2001年撮影)


 

●「スギ(木)との格闘」----始めからうまくいく訳がない。

 僕は、都市計画・まちづくりのプランナーです。スギに対する知識やデザインについては皆さんのように語れないけれど、スギがつないできた「輪」が、まちづくりにとっていかに大切なことか!について少しだけお話したいと思います。

「日向の街なかでスギ(木)を使って、まちづくりを進める!」 
 今ではみんなで自然に取り組んでいるこの合い言葉も、最初は、戸惑いばかりでした。2000年に塩見橋と十街区の設計に入るまで具体的な方法が見出せずに、報告書の中のキャッチフレーズとナイトウさん設計の駅舎だけが先行していました。

 街路灯、ボラードや塩見橋の手摺に木をどう使うのか、部材の加工は、仕口や納まりは……どうするの?
 設計が始まった最初の頃に、県のナカムラさん、カイさん、市のハマモトさん、シミズさん、ヤスフミさん、木の芽会のウミノさん、そして南雲さんと僕たちが集まり、打合せた時のことをよく覚えています。
 今やミヤダラ支部長として爆走中のウミノさんもナグモさんのアイデアにケンカ腰で対抗していましたよネ。
 でも、そのバトルの結果が次第にカタチとなり、具体的に動きだすと、皆もう止まらなくなってしまう。これが日向(宮崎)スタイルです!

 実は、夢空間課外授業以前にも設計だけではなくて、シンポジウムのポスターやパンフレットづくりを巡るバトルが何度もありました。夜10時に提案をメールし帰宅しようとすると、すぐに数人からいろんなアイデア・意見が返ってくる。結局、そんなやりとりが1週間ほど、毎日、明け方まで続いていく……。
 県・市担当と僕たちとが、こんな基礎トレーニングをこなした延長線上に、あの夢空間課外授業があったのです。

 

  「街路灯・ボラードの試作」ディテールにこだわって何度も衝突?した。


●なぜ日向でこんなことが出来るのか?

 最近になって、よく問われる質問です。
「なぜ日向では、ここまで盛り上がるのか?」
「なぜ日向では、みんな熱いのか?」
 明快な答えは、まだ見つかっていません。
 例え見つかったとしても、それがすぐに全国各地、どこの街でも出来ることだとも思えません
 都市計画を生業としていながら、日向での取り組み全体を計画論的に説明するのは大変なことです。「計画的」でありながら実は「情感的」に動いているプロジェクトだからです。では、何故「情感」でプロジェクトが動くのか?
 
 以前に、スギダラ広報宣伝部長のチヨダさんは、課外授業の参加メンバーをサッカーチームに例えたことがあります。
 日向をホームグランドとするこのチーム内には、「行政チーム」「宮大チーム」「東京チーム」「ミヤダラチーム」などがあり、最近では、商店街のご婦人方による「なでしこチーム」も活躍しています。
 この各チームが、試合(問題発生!)の度に出撃し、奮闘しています。そして各チームからの混成による「代表チーム」が編成され、実によく自分のポジションを理解し、チームのために何をすべきか、どう動くかを把握しています。また時々は、他都市へ遠征したり、レンタル移籍しながら、そこでも対戦相手を引っかき回し大暴れして、またホームグランドに戻ってきます。
 この「代表チーム」のコーチ(監督)がシノハラ先生であり、絶妙な采配をふるう訳ですが、実はゼネラルマネージャーには、本特集号の巻頭を飾った方などがいたりもします。
 みんなプロ意識が高く、でも良い試合をすることを心から楽しんでいます。
時々、トラップを使ったり、暴走してイエローカードは貰うけれど、レッドカードは絶対に貰わない。
 また、利き足は「右足」なのに、何故か「左足」でもボール捌きがうまい。
 地元で選手をきちんと育てて、さらに外人枠を目一杯揃え、使いこなす敏腕コーチとゼネラルマネージャーの懐の深さには、心から敬服してしまいます。
 そして大事な点は、このチームのメンバーは、偶然に集まった訳ではなく、夢中で楽しんでいるコアメンバーの姿を見たり共感したりして、「情感」に動かされて、必然的に出来上がってきたチームだということです。

 つまり、このようなサッカーが出来ることが「日向ならでは」であり、こうして進められているのが「日向のまちづくり」だといえます。
 では、他都市では、何故このようなチームができないでしょう?
 いや、本当は、個々のチームは各地に存在しているのです。問題は、選手の層を厚くできる魅力がそのチームにあるかどうか、本当に楽しんでいるか、自分たちがすべきことと外人枠を旨く使いこなしているか、ということではないかと思います。

 

  東京本郷「ゆい」での1コマ。とにかく、みんな狭くたって熱い!

 

  「名監督の退官慰労会」関係者総勢50名(宮崎市)。しかもこの全員を知っていて、必ず一緒に呑んでいるという関係が凄い、だから熱い!


● 日向からの発信----「月刊ひゅうが」で伝えたいこと。

 ごく最近の都市計画では、日向をホームグランドとするこのチームの取り組み方が、本来の意味でのコラボレーション(協働)であり、このシステムを「景観マネジメント」「まちづくりマネジメント」という考え方で紹介するようになってきました。まちづくりにとって、解答はただ一つではないはずです。これまでやろうとしていて出来なかったことに対する答えのヒントが日向のまちづくりには、溢れています。
 日向がここまで来るのに10年かかりましたが、日南油津での取り組みは4年目。西都市は2年目が始まったばかり。都城蔵原はまだ半年です。日向から始まった「スギ」が取り持つ、愉しくも試行錯誤の連続で拡がっていく「輪」は、まだまだ続きます。
 今年12月には新日向市駅が開業しますが、日向のまちづくりは、これで終わる訳では決してありません。ホントにどこまで続き拡がっていくのでしょう。出来上がっていく新駅舎を見ていると、50年、100年経っても続く「輪」を残せたらどんなに素晴らしいことかとつくづく思います。

 最後に私事になりますが、今年12月に予定されている新日向市駅舎開業とその後の展開へ向けて、日向市駅周辺での出来事や語り次ぐべきことを様々なカタチで市民や県民の皆さんだけでなく、広く全国へ向けてもっと伝えていきたいとの想いから、このたび個人運営サイト「月刊ひゅうがWEB版」を開設しました。
 興味のある方は是非一度覗いてみてください。


 

  月刊ひゅうがWEB版」<http://www.m-hyuga.org/>

 
  <つじ・よしひこ> 都市計画プランナー・歴史的地区などの都市・地域計画が専門。
アトリエ74建築都市計画研究所。
 
 
   
   
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