隔月連載
  スギダラな人生・ここでしか言えない 『流通編』3
文/ 山口好則
   
 
  『黒船』
   
 

 仰々しいタイトルですがなにも「hello!」とやって来る訳じゃなくベタな業界ですから「宜しくお願いします。」と言いながら粛々と近づいて来ます。

『プレカット』の出現です。それまで人の手で加工されていた住宅の「構造材」をコンピュータ制御の機械でやってしまおうと言うのです。

最終的にこのプレカットと言う「黒船」の出現が全く違う方向から「杉」を後押しする事になります。

?…何故に?

プレカット創世記の頃はなかなか酷いものでした。
工場創設初の出荷の時には「お願いですから建って下さい!」と手を合わせて拝みながらトラックを見送ったり(これホント)、不具合のなおしで現場を走り回る専門部隊がいたりして苦労も多かったそうです。

しかし上棟までの時間が大幅に短縮出来るようになったうえ、納材業者は搬入・搬出の労力から解放されるようになりました。
構造材を工務店や大工さんの加工場に納品するのは大変な作業でした。
なんせ材木って重いんです。
クレーンやリフトを準備している作業場等は皆無に等しくほとんどが手降ろし、そして上棟前には再び作業場で刻んだ木材をトラックに手積みし、そして現場で再び手降ろし。
それがプレカット工場納めならリフト積みのリフト降ろし、手降ろしは現場の配送だけで済み時間も配送経費も大幅に削減できるようになりました。
工務店も刻みの時間が大幅に短縮できるうえに重い木材を触る必要もなく、作業場や機械のメンテナンスも考えずに現場作業に集中でき、仕事がダブってもクライアントを待たせること無く並行して着工が可能に。

製材所は品質に対してのクレームが減少するなど作業の幅が大きく簡素化できるようになりました。こだわりを持って敬遠していた工務店・大工も次第にプレカットを利用するようになると、納品された木材は職人の目をすり抜けて上棟されることに。
当時は誰もプレカットの出現を「黒船」と感じている人はいませんでしたが、気がついた時には大工さんは技術と収入を全てプレカットに吸い取られてしまっていました。
その昔アグネス・ラムやリア・ディゾンが海外から突然現れ既存のグラビアアイドルのシェアを奪った時のように。(ちょっと違いますね、おまけに古い。)

   
 
   
  『乾き』
   
 

 世はバブルの時代、住宅産業も好景気を横臥する中で少しずつプレカットによる弊害…と言うより地場の製材所の意識の薄さ(結果論)が新たな問題を生みつつありました。

木材の「乾燥」の問題です。

40坪程度の在来住宅の構造材を大工さんが手刻みに掛かる日数は30〜50日程度の時間がかかりました。その間に材にはほぞ穴が開けられ表面積の増えた木材は有る程度の乾燥が見込めたうえ、収縮による変化を想定して大工さんが「墨線の内外」で微妙に刻みを調整し対応していました。
それがプレカットになれば加工は1日で終わるしミリ単位の高精度!(などと本気で言いだす大工さんも現れました。)
「昨日カラスが止まっていた木が明日(住宅が)建つ。」なんて揶揄する人もいるほど工程は短縮されたのです。

短い工期の物件に生材(グリーン)を使って問題が起きない訳がありません。

国内の米材メーカーが「KD材」を打ち出したころ「製材する丸太も細く、目も粗い。地場では通用しない!」と木柄には絶対の自信がある地場の米松製材工場は完全に油断していました。
しかし地場製材の丸太挽き製品では加工後に収縮が発生し(グレードの低い目粗な材では360巾で10ミリ縮んだ例も)当然のごとく敬遠されるようになってきます。

いままで時間と力量が解決してくれていた事が実害となって表に出てきた事で、ユーザーは品質基準を目の細かさや木柄などの原木のクォリティから製品の乾燥度へとシフトせざるを得なくなり、乾燥施設を持たない中小の製材工場は岐路に立たされることになりました。

   
 
   
  『選択』
   
 

 バブル景気も崩壊し住宅産業も低迷期に入り国民が「痛みを伴う構造改革」を押し付けられる頃、KD化に対応できず仕事が激減した地場の米材製材所は「選択」を迫られることになります。

廃業か樹種転換か。

多くの製材工場は先細りする外材マーケットに不安を抱き撤退したり、環境を維持しながら国産杉・桧にシフトして行きました。
世はミレニアムと2000年問題がお祭りのように騒がれる頃、実家の製材工場は廃業を決め事業転換することに。私は一族の中で一人それに従わず木材と付き合い続ける事の出来る道を模索していました。
IT関連のベンチャービジネスが氾濫していたこの頃、インターネット上の仮想木材市場(面倒な言い方だとバーチャルマーケットプレイス)造ったものの木材取引の実務に詳しい人間がいないので来ないかとのお誘いで慣れないネクタイ締めてデスクワークすることになりました。

   
 
   
  『転換』
   
 

 それまでの現物至上主義の木材取引を各地域の中だけに止まらず日本全国に各社製品をPRして販売先を増やそうと新たな市場を開きました。
しかし物の見えない仮想市場の中でなかなか「取引成功」の声が聞こえてきません。では見えるように画像で情報を増やそうかとか製品に対して細かな説明を記載してもらおうかなどと意見は出るものの功を奏しない。
「IT産業」と言う言葉に皆浮き足立ち「人」と「人」との繋がりに目を向ける事を忘れていたのです。
なんとも表現できない「違和感」を感じていたとき出資者の一人から

「杉挽いたことあるか?」(扱ったことあるかの意)と問われ
「あります!米松屋でしたが自宅は全部杉の天然乾燥でやりました!」と軽〜く答えると
「じゃあ手伝ってくれ、そこ辞めてウチこい!」
会社の出資者の鶴の一声で再び現場に戻ることに。(なんとも簡単な転職)

それから14年たった今までとてもディープな「杉の世界」にどっぷりと浸かるワケです。

やっとここまで来ましたね〜。
しかし前回お約束したはずの「要らなかった杉から必要な杉に。流通に媚びない生産者の逆襲!」とか「「黒船」の登場で思わぬ形で「杉」が業界の救世主に!」とかまでたどり着いていません。
忘れている訳ではありません。

次回です。<(_ _)>

   
   
   
   
  ●<やまぐち・よしのり> 1960年生まれ またの名をシブチョー スギダラ天竜支部支部長(自立立候補) 山口材木店退社後、丸八製材所営業開発課長として「天竜杉」の製品開発と販売に取 り組む(スギダラな人々第一回に登場) その後、有限会社アマノの営業課長として「天竜杉」の販売に携わる。
   
 
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