連載

 
つれづれ杉話 /第6回 「雨と杉下駄 その2」
文/ 長町美和子
日常の中で感じた杉について語るエッセイ。杉を通して日本の文化がほのかに香ってきます。
 

 

 


雨じゃなくても下駄

1月14日

 ここ数年、夏は台風ばかりだし、暖冬続きだったし、日本もすっかり亜熱帯の国になったかと思っていたら、このドカ雪。雪国の方のご苦労を思うとどうにかいい処理方法はないものかとヤキモキしてしまいます(屋根に室内の暖まった空気を引き込んで排気しながら屋根面の温度を上げる、ってのはどうでしょうか、建築家の皆様)。それでも、テレビを見ていると、かんじきをリュックにつけてマイクを握るレポーターの姿が映ったりして、昔の生活道具の思わぬ活躍にエールを送っている私です。

 そういえば、雪駄というのがありましたね。雪駄は今や季節もお天気も関係ない男性用の履き物になってしまっていますが、本来は文字通り雪(水分)に強い履き物であって、防水機能をプラスするために草履の裏に皮を張ることを考えついたのは千利休なんだそうです。お茶室に入るまでに水を打った露地を歩くための草履として。庭には飛び石があるので、水に濡れていてもぬかるむことはないから草履に防水するだけでいい、ってことだったのでしょうか。庭下駄も底が平らですもんね。

 前回、下駄が地面から上がっている必要があったのは、理由はどうあれ「ぬかるみ」をうまく歩くためだったというお話を書きました。あの掲載の後、「板前さんも下駄を履きますよ」と、建築家の武田光史さんからメールをいただきました。そうですね、調理場の足元も水浸しですから。

 その昔、江戸の魚河岸で生まれた下駄に「小田原下駄」というのがあったそうです(なんで小田原なんでしょ?)。革の鼻緒がついていたのがオシャレだというので一般に広まったとされていますが、鼻緒が革だったというのも雪駄と同じように防水機能だったのかもしれません。そしてもう一つ、小田原下駄が流行った要因は、歯をすげ替えることができるように工夫されていたためでしょう。後にこれが駒下駄として一般的な下駄になっていきます。

 歯をすげ替えられる、というのは画期的なデザインが生まれたのは18世紀初頭。木工用語で言う蟻継ぎの技法を使った「蟻差し歯」をはめ込むことで、側面をトントンと槌で叩くだけで取り外しができるようになっていたのでした。最初につくった人は家具職人でしょうかね、指物師とか。エライ!

 この歯を替えられるというのも、それだけ消耗が激しい履き方をしていたということから生まれた知恵でしょうけれど、歯がすり減ってくると用をなさないし、駒下駄よりも歯が細い(薄い)日和下駄などは、歯が折れてしまうこともあったので、戦前から戦後にかけては「歯入れ屋」さんがリヤカー引いて町を回っていたそうです。

 日和下駄ってのは、本来「雨上がりの晴れた日に履く下駄」でした。晴れた日には草履、というのが基本ですけど、晴れていても地面はまだぬかるんでいる、という場合、この日和下駄を履いたわけです。だから雨の日専用の足駄より歯の高さが低い。それがいつの間にか、「ちょっとの雨でも、晴れていても履ける両用の下駄」になって、今じゃ、ビニールの爪掛けとセットになった「雨用の婦人下駄」になってしまいました。モノの意味はこうやってあいまいになっていくんですねー。 

 日和下駄は、桐に漆塗りを施したものが多いようですが、下駄が雨の日や農耕用の履き物だった時代は、桐のようなヤワな材ではなくて、松や杉、ヒノキ、桑などが用途によってさまざまに使われていたのです。中でも堅くて減らない朴歯の下駄は、学生が履く下駄として知られています。(そういえば、『柔道一直線』では桜木健一が鉄の下駄履いてましたよね。歳がバレるけど)

 桐が流行りだしたのは下駄が庶民の普段履きとして定着する明治に入ってからで、そのために桐の栽培がぐっと盛んになったとか。昔から国産桐だけじゃ需要に追いつかなかったそうですが、今出回っている普及品の下駄のほとんどは中国産の桐でできているんですって。というか、下駄自体が中国でつくられていて、「中国産の下駄」が輸入されていることが多いという話。いやはや。関係ないですけど、一口せんべいの海苔を巻いているのも中国だし、冷凍イカの皮むきしているのも、冷凍エビの殻むいてるのも中国の方々です。いいんでしょうかねぇ、日本はこんなことで。

 話が脱線しましたが、明治になってなんで下駄の需要ぐんと増えたのか、というと、「裸足禁止令」っていうのが出されたからです。直接のきっかけというのは明治34年のペストの大流行で、衛生面を考えて裸足で歩くのはやめましょう、ってことだったらしいのですが、もう一つ重要だったのは、諸外国との交流が盛んになってきて、「裸足で歩く原始的な国」と思われるのを避けたいという思いも政府にはあったらしい。つまり、それまではぺたぺた裸足で歩く人も結構いたということです。雨が降っても降らなくても足は汚れる、汚れりゃ拭けばいい、と、どこの家でも玄関先に桶と手ぬぐい(足ぬぐい)が用意されていました。

 ……と、ここまで雨をキーワードに書いてきましたが、「地面から高く持ち上がっている」というのは、雨対策という現実的な用途の他に、「宙に浮く」とか、「人より高い、特別な位置にいる」的なイメージもあったのではないか、と思うのです。例えば天狗様の履いている一本歯の高下駄ね。あれは空を飛べる、風のように駆け抜ける、というイメージをかき立てる道具だったのかもしれないし、人間よりも天(=神)に近い、とか、特別な力を持っている、とか、そういう意味もあったかもしれません。「宙に浮いているように見せたい」という目的としては、バレエのトウシューズもそうですよね。ほんの10cmかそこらのことだけど、爪先立ちすることで地面から軽やかに離れるわけです。

 ここらへんの話は、実は今回のためにわざわざとっておいたのですが、なんと偶然にも神々の話と天狗の話が今度の号と次号で続くらしいので、専門家にお任せしたいと思います。楽しみ楽しみ。しかし、なんで急に神がかった話が集中しちゃったんでしょうね! ふしぎー。


 



 

<ながまち・みわこ>ライター
1965年横浜生まれ。ムサ美の造形学部でインテリアデザインを専攻。
雑誌編集者を経て97年にライターとして独立。建築、デザイン、 暮らしの垣根を越えて執筆活動を展開中。
特に日本の風土や暮らしが育んだモノやかたちに興味あり。
 
 

   
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