特集1 Obisugi Design 発進 !!
  スギダラな一生/第66笑 「杉騒動」
文/ 若杉浩一
     
 
 
   日南とお付き合いをし始めて、どの位が経つのだろうか? 思えば、南雲さんが日南の飫肥杉の再生に関わりの始まりからである。いつも、南雲さんが関わると、必ずと言っていい程、何らかのカタチで巻き込まれて行く。おそらく8年くらい前か?
   
  ある日「若ちゃんさ〜日南市と飫肥杉デザインの開発やってんだけどさ〜協力してくんない?」僕は、話しを聞き、取りあえず、オフィス家具ならぬ、「お櫃家具」というハコモノシリーズを考えた。日南特有の箱が家具になるという簡単なものである。それと共に、エコプロダクツ展で会場の設営やら、何やら、お手伝いをしたのだった。
   
  日南市の健ちゃんは、後日「東京に出て来たら、誰だか解らない若者達が一生懸命に手伝ってくれた。東京は凄い。」と言っていた。
   
  それは、うちのメンバーだった。
   
  この時から、既に、何ものかに向かって、何かが動き始めたのだ。 やがて、僕は、日南市から正式に製品開発の要請が来た。 僕はこの、美旗を使い、「市から要請があったので、断る訳にはいかんでしょう。まあ、当社で売れるように致しますので、どうですかね?」なんて嘯き堂々と日南市に出入りする事になる。
   
  最初の顔合わせから、飲み会まで、暑苦しい熱風、そして堂々と人の距離間を超えるオープンな感じ、前だけを見る明るさに、完全にやられてしまった。 同じく、当時知り合った、良品計画の金井社長、そして開発メンバーは当時、杉の製品を世に出したいと思っていた。僕は日南を紹介した。
   
  苦労をしながらも、日南で無印初のスギのプロダクト「飫肥杉の箱」を世に出したのだった。しかし、無印の厳しいコストや品質、流通に合致するほど、地域のモノづくりは強靭ではなかったし、企業も企業のロジックを変えるという柔軟な器は持ち得ていなかった。
   
   
  最初にお会いした当時に、金井さんは、無印が単なるオシャレ雑貨になって行く事を大変危惧されていた。
   
  「無印の魂は、新しい生活提案、賢い暮らしへの創造力なんだ。」
  「世界中から、安いモノを調達するという事でない、売れればいいということではないんだ。もっと地域と供に新しい価値をつくりたい。」と仰っていた。
   
  だから、スギダラ倶楽部を応援してくれた、いわゆるシンパなのである。 そして、僕は金井さんからいつも「スギの親分」と言われていた。 いつも「ワカ」が抜けている。もう若く無いからいいのだが。
   
   
  そして、飫肥杉デザインの最初の商品が出来上がる。飫肥杉の家具シリーズ、生活用品シリーズだ。そしてこの商品こそ、スギダラを始めて苦節8年、我が社の始めてのスギの商品になった。
   
 

これまで、社内でどれだけ開発企画とデザインをやってきただろうか?
何ひとつも、製品化されなかった。
理由は、工業製品ではないこと、
品質は大丈夫か?
どこから仕入れるのか?
誰がリスクを追うのか?
若杉そのものがリスクだ。  などなど。

   
  全てが、知らない事、経験がない事へのアレルギーそのものである。 触れようとしない、知ろうとしない、ダメな理由すら求めない、私達の便利な今に染まった「何ものか」が邪魔をして来た。 それを乗り越え、製品に導いたもの。それは、日南の地元の人達の熱意と情熱と、「何ものか」を背負う決断だった。
   
  地元にある、素材「飫肥杉」それは、単なる木材ではなかった。そして勝手に生えたものではなかった。先人達が未来に向けて大切に育み、渡してくれた財産だった。しかし、僕達は、その大切な価値を役に立たないものにしてしまったのだ。価値が有るかないかを左右するのは、人なのだ。
   
  本当は、飫肥杉は、木材ではなく人材だった。
   
  そして、この勇気ある活動がここから始まった。 僕達はその勇気、その決心に支えられ、ようやく製品化にこぎ着けた。
   
   
  しかし、道のりは、そう簡単ではない、思った様なコストにはならないし、そう簡単に成果が出る訳でもない。それどころか、様々な現実に曝される。 ただ、救われたのは、一人ではなかった事だ、そして、助け合えたことだ。 今まで長い製品開発人生の中で、これほど、自分のせいにされなかった製品は少ないし、高くても買ってくれる製品はなかった。
   
  それだけではない、宮崎日日新聞を始め数多くの地元メディアが沢山の応援があった。なかでも、宮崎日日新聞の湯田さんは、いつも会議に出席し、取材し、懇親会にも熱心に参加し、このモノづくりの後ろにある本質と挑戦を細やかに抜き出し、自分ごととして、社会に発信し続けた。もはや評論や客観論ではなく、メンバーの一員だった。
   
  僕はデザインのメディアのあり方に失望していた、信用していなかった。 だが、彼の地道で、愛がある、真実をつぶさに見ようとする、そして、静かに何かを創ろうとする、創造力、クリエイター魂に心揺さぶられ、幾度も感動したのだった。世の中、捨てたものじゃないと教えてもらった。
   
  何故このような、人や、素材や、モノや、物語が世の中から無くなってしまうのだろう。そして、何故、便利で、簡単で、安全で、安くて、心より数字を信じ、薄っぺらい心地よい道を歩むのだろう? なぜだろう? 全ての謎が、ここに、飫肥杉に潜んでいる。 飫肥杉の中に潜んでいたもの、それは「忘れてはならない、私達の誇り」だった。
   
  SUGIFT、飫肥テキスタイル(飫肥的スタイル)、KOYATTEN(小屋ってん)そして次へ。様々な製品開発をして来た、そして様々な場面で紹介して頂き、知ってもらう事が出来た。少しづつだが、何かが芽生えた。 しかし、それがゴールではないし、目的ではない。 たとえ、それがヒット商品になったとしてもだ。
   
  先人達が培って来た、育てて来た、誇り、夢を形にしなければならない、そして未来に渡さなければならない。だから、モノが出来て終わりではないのだ。
   
   
  地元の魅力やエネルギーを、希望や、誇りにしなければならない。 どんなカタチへなるのか計り知れない。 とにかく、とにかく、やり尽くすしかない。
   
 

ピンとくるまで。
あきれ果てるまで。
染み付くまで。
愛おしくなるまで。
心にしみるまで。
懐かしくなるまで。
風景になるまで。
魂に刻まれるまで。

  そうやって、飫肥杉は育って来た。
これは騒動なのだ。
未来へ価値を伝える「スギ騒動だ!!」
   
  この飽くなき活動は、様々な人達と連携し、人が人を呼び、エネルギーが集結し始めている。そして、今回、齊藤君や若い仲間達が結集し新たな未来への扉を開けようとしている。何処へ行くのか、何が起こるか、何が残せるのかは解らない。
  しかし、飫肥杉の美しい山や、木を見た時、その美しい佇まいを見た時、同じ時を費やした人達の息づかいを感じるのである。
   
  飫肥杉の中に潜んだソウルを、今、この仲間が磨き上げようとしている。 なんだか、とても嬉しくて、眩しくて、込み上げて来る。
   
  行くぞ〜〜
愛おしくなるまで。
心にしみるまで。
懐かしくなるまで。
風景になるまで。
魂に刻まれるまで。
   
   
  健ちゃんや、齊藤君や、桑畑さん、宮崎の若いメンバーへエールの気持ちを込めて。
   
   
   
   
   
   
   
  ●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 所属。
2012年7月より、内田洋行の関連デザイン会社であるパワープレイス株式会社 シニアデザインマネージャー。
企業の枠やジャンルの枠にこだわらない活動を行う。
日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長
月刊杉web単行本『スギダラ家奮闘記』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka.htm
月刊杉web単行本『スギダラな一生』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka2.htm
月刊杉web単行本『スギダラな一生 2』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka3.htm
   
 
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