特集1 Obisugi design 発進!!
  世界に挑戦しようとしたメンバーの情熱
文・写真/ 河野健一
 
 
  もう今となっては、名前を名乗るより「飫肥杉仮面レッド」と言った方が伝わりやすい。普段、杉仮面を着けていないと「あれ?今日は仮面は?」とか、赤い恰好じゃないと「え?赤くないの?」などと言われる始末。ほんと「期待を裏切って、すぎません…」という気持ちでいっぱいになる。
   
  でも、今回は飫肥杉仮面の話ではない。「ありがとう」という気持ちいっぱいで書き進めよう。  「杉祭りin東京」は、obisugi design 世界展開プロジェクトチーム(有志6人)による、林業再生への挑戦の1ページとして開催した。いや、10ページ分ぐらいあったのかもしれない。その挑戦とは、どんなものなのか。FAAVO(ファーボ)という地域応援クラウドファンディングを通じた取組だ。FAAVOに掲載されていた文章を切り取って紹介しよう。
   
 
いま、日本の森林の衰退が、少しずつ、確実に、進んでいます。私たちは、日本林業の衰退をくい止め、子どもたちに豊かな自然を残すために、地方からできることをしたいと立ち上がりました。 今回のプロジェクトでは、日南市が誇る財産「飫肥杉」を商品化したobisugi design をニューヨークのギフトショーに出展し、新たな販路開拓を目指します。これは、子どもたちに豊かな自然を残すため、林業復権に向けて長期的な継続を視野に入れた活動の第一歩です。 たくさんの人の想いが詰まったobisugi designが海を飛び越え世界中の人の手に渡り、それが日本林業の復権の足がかりとなれば、これほど嬉しいことはありません!日本の林業の歴史、地域との関わりをもう一度顧みながら、国産杉の新しい可能性を探り、国内外で盛り上げていくことは、子どもたちに美しい自然を残すための有益な財産になると信じております。
   
  スギダラの精神とかなり近い。考え方は、ほとんど同じだと思う。
   
 
 
  FAAVO宮崎のページ。目標金額250万円に対し、残り3日少々の時点でまだ141.5万円(56%)だった。
   
  何度も「ネットで250万円集めて、ニューヨークに行くんだろ?」的なことを言われた。ネットは手段で、ニューヨークはキッカケだ。そもそもこの挑戦自体がキッカケづくり、第一歩なのだから。この活動を通じて、ずいぶん飫肥杉や杉、森林、林業への興味・関心が高まったのではないかと感じた。目標金額を達成する前から、挑戦の成果が見え始めていた。
   
   11月24日にスタートしたFAAVOでの資金調達期限2月6日に向け、いくつかのイベントを開催した。しかし、この原稿を書いている2月24日までにメンバー6人全員が集まったのは、たったの1回だけ。1月17日に宮崎市内で開催した「これからの飫肥杉を飲み語ろう!」という名の作戦会議だけだった。その他にも、11月30日には宮崎市内で「obisugi designを世界に発信するための作戦会議をやってみよう。」を、1月19日には日南市内で「obisugi design×女子大生 世界展開に向けた作戦会議」を、そして、2月1日に内田洋行本社で「杉祭りin東京」を、期限翌日の2月7日には日南市役所で日南市長も同席して「緊急記者会見」を、2月16日に宮崎市内で「FAAVO達成の打ち上げ&妄想会議」をやったが、メンバー全員が集まることは出来なかった。
   
 
  「obisugi design×女子大生 世界展開に向けた作戦会議」のバナー
 
  「杉祭りin東京」のバナー
   
  その6人はどんなメンバーなのか?  この挑戦が始まる時点でボクが知っていたのは2人だけで、少しだけ知っていたのが2人、残り1人は会ったことさえなかったのである。そもそも、スタート直後に日南市が(市長とマーケティング専門官が)開いた記者会見を取り上げた新聞記事に「メンバー6人」と書いてあったのを見て、代表に「5人は分かるんだけど、あと1人は誰?」と聞いた。そのあと1人はボクだった。(笑)
   
  ボク以外の5人は、いわゆるワカ者でヨソ者。代表の斎藤(潤一)さんは関西出身で、シリコンバレーでの仕事を経て帰国し、震災後に宮崎へIターンしたNPO法人の代表(若杉さんに初めて会ったその日に「君は変態だな!」と言わせた男。笑)。田鹿さんは宮崎県高千穂町出身で、リクルート勤務などを経て、昨年誕生した新市長の公約「市役所に民間人を登用」により日南市マーケティング専門官に着任した。もう1人の斎藤(隆太)さんはFAAVOを運営する東京の企業の役員。桑畑さんは宮崎市内のNPO法人で働き、長友さんはコーチング講師やラジオパーソナリティをしている。
   
  この5人は、かなり頻繁にオンラインでミーティングしていた。ランチや夜中や休日や仕事の合間の時間などに。そんなことやったこともないボクは、ほとんど「名前だけ」だったのである。達成後に、本当にたくさんの皆さんから「おめでとう!」と声をかけていただいたのだが、「名前だけ」なのだ。この5人のワカ者・ヨソ者の情熱や暑苦しさ、言い換えるとバカ者度は、スギダラのそれとほぼ同じだ。飫肥杉とはまったく関係のない仕事をしているのに、世界で一番、飫肥杉のことを考えている。そして、Facebookでは、語尾に必ずスギを付ける。(うれしスギ!とか、ありがとうございまスギ!とか。) 変態が率いる変態編隊なのだ。
   
  5人が悪戦苦闘し「やれることは全部やる!」の精神で走りまわっていたこの挑戦に対して、地元の林業・木材産業の関係者からの反応があまり聞こえてこなかったのは、残念なことだった。これは、地元にいるボクがその関係者にしっかり説明しなかったことや、反応を聞きに行かなかったことが原因だ。いつも「待ち」な自分に対して反省を繰り返してはいるものの、いっこうに成長がない。悲しいくらいに。
   
  今回の月刊杉の特集は「杉祭りin東京」なのに、ほとんど触れていない。(汗)
 このイベントを開催し、日テレのカメラが取材してくれ、宮崎県内のニュースで流れたことは、地元でのものすごいラストスパートになった。イベント参加者からも多くの支援をいただいた。ボクと南雲さん、斎藤(潤一)さん、若杉さん他が登壇したのだが、最後にボク以外3人の方々の名言を紹介しようと思う。
   
  ●斎藤さん「(調達期限が5日後に迫る中、達成率がかなり低い状況に対し)楽観も悲観もしていない。地元の人が動き出したから。」
   
  ●若杉さん「バカバカしいと言われるコトを途中でやめるから、バカバカしいコトになる。やり続けていたら名物になり、代名詞になり、そして価値になり、歴史・文化になる。」
   
  ●南雲さん「日南の歴史、風景、人を繋ぐ飫肥杉」、「『ありがとう』で人は生きていける」(←アンケートの「特に良かった内容や発言」で、この名言を書いている参加者がすごく多かった。)
   
 
 
左から、南雲さん、若杉さん、筆者、斎藤さん、飫肥杉仮面ガール。   飫肥杉仮面レッド。
   
  本当に本当に、たくさんの方々に応援、支援をしていただいたこの挑戦。北は東北、南は鹿児島、アメリカやオーストラリア、シンガポールからも支援金が寄せられた。そして、飫肥杉やobisugi design の存在を知っていただけた。それら多くの皆さまに感謝するとともに、ワカ者・ヨソ者・バカ者のメンバー5人にあらためてお礼を言いたい。「ありがとう!」 (小遣いもいただくし、飯も食べるけどね。笑)
   
 
  残り時間「1日11時間11分11秒」の瞬間。まるで杉林( 1 11 11 11)のようだ。
   
   
   
   
  ●<かわの・けんいち> 日南市飫肥杉課 obisugi design 推進室長
ブログ「オビダラ日記〜飫肥杉ダラケのまちづくり〜」担当
   
 
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