短期連載
  佐渡の話2 〜笹川十八枚村物語〜 /第6話 「社会に接続するデザインの力」
文/写真 崎谷浩一郎
   
 
 
  南雲さんがデザインした案山子サインのモデルは、笹川集落のたもっちゃんとなおこちゃんである。たもっちゃんは笹川集落の若手で歳は僕より下だが、農業をしながら笹川の未来に向き合おうとしている。なおこちゃんはゴールドパークで働いていて、いつも明るく僕たちを迎えてくれて、笹デ会にも毎回参加していた。もちろん、2人の容姿的な特徴をそのまま形にしている訳ではなく、笹川集落の方々との交流を源泉にデザインが生まれたということだが、僕が初めてそのデザインを目にしたときに、南雲さんは本当に凄いなと思った。ご存じの通り、最近のデザインの概念は広くて、単に形の話だけに留まらない訳だが、それでもやはり形として示すことの力は大きい。僕は南雲さんの形を生み出す力に対して、笹川の風景に調和するとか、デザインが洗練されているとかではなく、もっと本質的な部分での凄さを感じたのだ。
   
  フランスの政治思想家でアレクシ・ド・トクヴィル(1805-1859)という人がいる。独立して間もないアメリカ社会には歴史のある古いヨーロッパに比べてしがらみがなく、理想的な民主的制度をつくることができると言われており、フランス政府の依頼でアメリカの政治社会を研究しに出向いたトクヴィルは、アメリカの優れた民主制度を認めながらも、そこには排他的で危険な側面もあると指摘している。
   
  トクヴィルが社会の構造分析に用いた概念がフランスの古語でモレス(mores)という言葉で「精神の習慣、心の習慣」などと訳される。トクヴィルは、その地域社会の持つ精神構造が社会構造をつくるという考えのもと、当時のアメリカ社会を分析する。そして、様々な精神の習慣についての調査を行った結果、『アメリカ人たちは単一の精神の習慣の中にある』という分析結果を導いた。つまり、『働いて巨万の富と名声を得ることこそが人間の使命である』ということが、当時のアメリカの精神の習慣として単一化していて、それ以外は人間の使命を果たしていないとして排斥されるようなアメリカの社会構造の危険性を指摘したのだ。
   
  さて、厳しい自然環境の中で長い間暮らしてきた日本の人々は、地域で共同体をつくりながら、困った時は助け合い、寄り添い合って生きてきた。近代化し、都市化した今日では、そうした共同体の崩壊が個人主義の社会を招き、地域づくりや防災、医療福祉など様々な側面において問題視されている。かつて、この共同体の根幹を支えていたものは、その地域の精神の習慣、心の習慣であったとも言えるだろう。笹川集落を訪れるようになって、ずっと不思議な感覚が僕の中にあった。それは、僕自身の心の底の方に潜んでいる感覚で、喪失感とか寂寥感のような感覚である。それは、笹川集落の方々と話をしたり、集落の方々同士のやり取りする様子を見聞きしていて押し寄せる感覚だった。
   
  精神の習慣がどのようにつくり出されるのかという問いに対して、トクヴィルは"小さな集団(社会)"であると言っている。それは個人単位ではなく、同じ精神の習慣を持つ地域社会がつくる、そしてその地域社会の精神がそこに属する個人の精神の習慣をつくるという考えである。僕が笹川集落で感じる感覚は、笹川集落でつくり出された地域の精神の習慣、それが生み出す色濃い共同体というものを今の自分は持ち得ていないのではないか、という意識からくるのではないかと思っている。
   
  持続的な共同体の維持のためには、それが、ある程度社会に開かれた状態が必要であるということも歴史が証明している。現代の日本社会において、地域のことを考えるときに、その地域の習慣を最大限に尊重しながらも、その地域以外に認められ、受け入れられるような方向性を考えなければならないのではないだろうか。地域の精神の習慣と社会の精神の習慣を接続することが必要なのではないかと思っている。ここに、笹川集落の人間ではない、南雲さんや僕のような他所者が関わる理由と役割がある。この責任ある役割として、それを形として示す南雲さんの凄さを感じたのだ。
   
  もうひとつ。実は最終的な案山子サインには小さな笠がついたデザインとなっている。当初、サインの頭部は丸いリング状の形状で、季節や地域の行事に応じて、干し柿やらニンニクやら色んなものをぶら下げたり乗っけたりしてもらおう、という考えであった。デザインや設置位置など集落の方々の了承を取り、平成24年度末にまず施設の解説サイン(たもっちゃん)を設置することになった段階で、佐渡市の重要文化的景観の委員である篠原修先生に、サインのデザインを見てもらった。デザイン図や現地でのモックアップの写真を見てもらいながら『例えばサインに傘なんかを被せたりしたらいいんじゃないかと考えています』という話をしたところ、『いや、それだったら最初から笠を被っているようなデザインにした方がいいよ』とコメントを受けた。そのままのデザインでも魅力的だし、むしろ笠をつけたらちょっと具象的になってしまわないかなと心配だった。後日、その場に同席していなかった南雲さんにそのことを伝えると、南雲さんは2〜3秒黙ったあと、『よしわかった、笠つけるか』と応じた。凄い。僕だったらそれは地域の人と一緒に形を作り上げる、という考えを取ってしまいそうだ。この懐の深さとそれを形としてまとめあげる力が南雲さんにはある。こうして小さな笠を乗せた案山子サイン(たもっちゃん)のデザインは、生まれたのであった。
   
  なんだか、また南雲さんへの愛を語ってしまった(笑)。
次はいよいよサインの設置について書きたい。
   
   
 
  笠をかぶった最終的なデザイン図(たもっちゃんタイプ)
   
  (つづく)
   
   
   
   
   
   
  ●<さきたに・こういちろう>
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