連載
  私の原体験/第6回 「稲刈り」
文・イラスト/ 南雲勝志
   
 

 秋が終わらないうちに幼少の頃の大きな記憶、「稲刈り」の事は書いておかなければなりません。恐らく自分の生活やその後の未来に大きな影響を及ぼしたと思えるからです。

 小学生の時は2日か3日、農繁期休業という休みがありました。これはもちろん農家だけでは無く学校全員休みになるわけですが、今のように機械化されていない時代は人海戦術こそ効率良く作業する唯一の方法だったのです。

 春の田植えと違って、腰がそんなに痛くならないのが救いでした。田んぼに水が無く足がズブズブっと埋まらないのがその理由だったのでしょう。子供は小さいので大体三列を刈り取りながら前に進みます。大人は5列が普通でした。一株を左手に持って稲刈り鎌でザクッ、ザクッと刈ります。稲刈り鎌とは稲を切るために刃の部分がノコギリの刃のようにギザギザになっているので切るとザクッという音がします。子供は三株以上持てないので一旦地面に置き、これが10束位になると腰にぶら下げた藁を3本ほど引き抜き、クルクルっと2回転ほどした後、残った藁をその中にキュッと差し込み入れて縛ります。これが一束です。この束は田んぼにそのまま残して行きます。当時は10アールくらいだったので、気が遠くなる広さではなく、もうすぐ一枚終わる、そんな目標が立てられたような気がします。そうして田んぼ全体を刈り終わると、今度はその束を集め30束程度を大きな束にして行きます。その時は「結び」という藁と藁の穂先側を結んだもので束ねていきます。全部束ねたら農道までまで持って行き、待機している耕運機でハッテ場まで運びます。

 「ハッテ」とは稲を乾燥させる仕組みで一般的には「はざ掛け」のはざの事です。独立した柱を立てることはあまりなく、大抵は家の周りに植えた杉の木がその支柱となるのです。ですから家の周りや農道のあちこちに杉の木が一列に植えられていました。ハッテの作り方ですが、まず杉の木と杉の木を上下2カ所やはり杉の丸太で繋ぎます。上の丸太の高さは5mくらいでしたでしょうか。次にその丸太の間を横に40cm置きくらいに縄張っていきます。最後に上の丸太と下の丸太に縦に縄を掛けて行きます。横縄を横切るときは1回転させ、稲の加重を受け横縄が垂れないようにするためです。これで縄の格子が出来上がります。縄を張って、張ってまた張っていくので「ハッテ」といったのかも知れません。

 さていよいよハッテ掛けです。耕耘機で運んできた稲の束をハッテの下まで運びます。横縄三段目くらいまでは子供でも手が届くのでみんなで掛けていきます。束を二つに分けハの字になるようぎゅっと開き縄に掛けていきます。一番下が終わると二段目、その次は三段目というように下から順々に掛けていきます。そして手が届かなくなると、父親がハッテに木の梯子を掛け、そこに登り待ち受けます。子供達は一束ずつ父親に向かって投げ上げるのです。その時切り株を上にし、穂を下に持ち、穂を少し曲げ右手の平にしっかりとあてがいながら一気に投げ上げます。上の方に行くと高いので結構真剣に投げないと父親まで届かず叱られたものです。この作業は大体夕暮れ時でしたが、残しておくと湿ってしまうので、必ずすべて掛け終わるまでハッテ掛けは続けられました。夕日を背に暗くなるまで投げていた記憶があります。
(※参照 私の原風景」/エンジニアアーキテクト協会)

 
夕暮れ時のハッテ掛け。家族総出で行われた。昭和30年後半。
 

すべて掛け終わると最後に落ち穂拾いです。暗くて余り見えない中、もったいない、一粒でも大事に、という理由で可能な限り補を拾っていきました。

 稲刈りに使う道具は藁、繋ぎ、縄、鎌、耕耘機、杉の丸太、梯子といったものです。ビニル紐やアルミ梯子はまだありません。というか繋ぎや縄そのものも自分達であらかじめ作っておく必要があったのです。ほとんどが手作業という時代、お金は掛かりませんが手間は掛かりました。それは当たり前の事だったので疑問にも思いませんでした。しかし、その後訪れる農地改革。昭和45年頃から機械化に対応するため沢山あった10アール程度の田んぼが、三反歩(30アール)田んぼに大型化されていったのです。そして稲刈り機で刈ってそのまま脱穀、同時に籾の袋詰めを行うコンバインという代物がストンストンと袋を落としていく、そんな現代の方法と比べると、あまりにも効率の悪い気の遠くなる作業でした。
 今では籾が入った袋はすぐに大型乾燥機で乾燥するため、ハッテ掛けの光景はほとんど消えてしまいました。

 機械化による効率の良さは、家族みんなで行なわなければならなかった稲刈りを一人で行えるものに代えてくれました。そしてそれは農業を手伝う子供を極端に減らして行く事にもなったのです。一頃は「便利になったものだなあ〜。」と関心したものですが、一時的な田植え体験や稲刈り体験と違い、何日も行う重労働は僕に農業を嫌いにさせた原因でもありました。
 あれから半世紀近く経ち、刈り終わった田んぼを見つめ、改めて幼少期の体験の貴重さを感じながら、これからの時代に何が出来るか考えています。

 
   
 
  ● <なぐも・かつし>  デザイナー
ナグモデザイン事務所代表。新潟県六日町生まれ。
家具や景観プロダクトを中心に活動。最近はひとやまちづくりを通したデザインに奮闘。
著書『デザイン図鑑+ナグモノガタリ』など。
日本全国スギダラケ倶楽部 本部  エンジニアアーキテクト協会 会員
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