連載
  杉が日本を救う/第4回 「杉文化の復活を願う」
文/写真 高桑 進
   
 
 
  「杉文化」の再発見
   
  スギは、年間降雨量が1800ミリを超える地域に分布することが知られています。アジアモンスーン地域に位置する日本列島の気候風土は特異な針葉樹である杉を育み、縄文時代の昔から私達日本人の生活を支えて、日本の文化を生み出して来たのです。しかし、空気のようにあまりにも身近なために、私たち日本人はスギの恩恵を受けていることに気づいていないように思います。恥ずかしながら、私もスギに関心を持つようになる数年前までまったく意識の中にはなかったのですから。そこで、スギという針葉樹を利活用してきた日本人の文化を再発見した事で、「稲作文化」に対抗して「杉文化」と呼ぶことにしました。
   
 
   
  杉と日本人のおつきあい
   
  林弥栄の「有用樹木図説(林木編)」(1969年)によれば、スギの用途として以下のように書かれています。
   
  「建築材、器具材、土木用材、船舶材、車両材、楽器材等、極めて多岐にわたる使い道がある。すなわち、建築材としては天井板、建具、欄間、長押、磨丸太、床柱、壁止め、縁桁、戸、障子、襖の縁と骨、屋根板、木羽板、湯屋の流し板、踏み板など。器具材としては、家具類、指物、箪笥、長持、陳列棚、洋家具、寄木細工、木象はめ、装飾用、活字ケース、屏風の骨、一閑張りの器物、支那鞄、額縁、鏡縁、柱掛、短冊掛、仏壇、飯びつ、茶器、菓子器、箸、笹折、蒲鉾板、曲物、曲輪、呑口ひねり、木釘、荷棒、鋸柄、吹子、張板、木型、鋳型、梯子、遊動円木、そり、釣瓶、油樽、その他桶および樽類、たらい、農具等。土木用材としては、電柱、橋梁、水道の樋など。船舶材としては、河船、漁船、ボート、帆柱、櫂、船棹、筏棹。車輛材としては、人力車、箱車など。その他、彫刻材、下駄材としては焼下駄、塗下駄。経木材、楽器材(神楽太鼓の胴およびばちなど)。包装箱材など用途が非常に多い。葉は線香および抹香とする。樹皮は屋根茅葺用とする。老木の根は木香として清酒に香気をつけるに使う。」
   
  この中には、今ではまったく目にすることもないものが多いのですが、昔は身の回りにはたくさんの杉製品があったことがわかります。恐らく、杉製品から出てくる各種の揮発成分が日本人の健全な生活空間を作り出していたのではないかと思います。日本料理は日本の文化であると誰もが認めますが、その日本料理を口に運ぶ食器である割り箸こそ、まさに日本文化の一つではないでしょうか。なんとか割り箸の普及をしたいと考えて、2008年から始めた「ワリバシコンペ2008」で最優秀賞に選ばれたキャッチコピーは「たかがワリバシ されど割り箸 賢く使おうNIPPONの木」です。そこで、まず最初に杉の割り箸を紹介します。 
   
 
   
  箸の起源
   
  日本で最も古い二本組の箸は、7世紀の遺跡である奈良県飛鳥板葺宮遺跡から出土した檜の箸(長さ30〜33センチ、箸先直径は0.3〜1.0センチ)ですが、日常の食器ではなく祭器だったようです。藤原京跡や平城京から、恐らく建築に関わった人が使用したものと思われる多数の檜の箸が出土しています。弥生時代から平安時代頃までの遺跡がある静岡県浜松市の伊場遺跡からも、長さ22〜26センチで、径0.6センチの面取りした檜の箸が出土しています。6世紀には仏教が伝来し、7世紀には遣隋使が送られたことから、わが国での箸の起源は7世紀頃と考えられます。
   
 
   
  杉の割り箸の起源
   
  いうまでもなく、杉は柾目では割りやすく(割裂性がある)、木肌が美しく、いい香りがして、口当たりがいいことから檜よりも箸に向いた材料です。江戸時代になると、杉樽を作る際の廃材から箸を製造するようになります。千利休(1522〜1591)が、茶席で一期一会の気持ちを込めて客を迎える際に,吉野杉の赤身を削り出して作ったのが有名な利休箸。始めから1本1本が別で、中央が平らで両端に行くほど細くなる箸でした。
   
  明治時代には割箸を客に出すのは高級な料亭でした。なぜなら、昭和の初期まで一般の飲食店の箸は塗箸で、使用後に洗い直してくり返し使用していたからです。大正時代以後に、飲食店で割箸を出す習慣が広まり、昭和の初めに割箸製造機が考案されてから大量生産が可能となったのです。
   
  杉の割箸の発明:現在、割箸といわれる使用時に割る箸は、「割りかけ箸」とか「引裂箸」と呼ばれていた。吉野地方で生産されていた日本酒を作るための樽丸からでる廃材を利用した柾目の割箸づくりは、江戸時代の文政のころから吉野地方で作られたといわれています。杉の箸は、酒樽を作る際の樽丸(たるまる)の余材、建材の端材である背板から作られます。杉の割箸は、柔らかく、油分が少なく、口当たりもいいので食器としては檜箸よりも優れているため、価格は檜の割箸よりも高いのです。
   
 
   
  杉割箸の製造工程について
   
  吉野の下市で、実際に杉の割箸を作っている製箸所を紹介します。
   
   
  乾燥過程
まず、杉材から柱や梁を取り出した残り部分(これを背板とか木皮(こわ)と呼ぶ)を屋外で、雨風に当てて自然乾燥します。この過程で杉の油分等が抜けます。
 
  杉の背板の乾燥。外に出して雨風に当てることで、自然の力でアク抜きをする。
   
   
  箸の加工過程
ダイヤモンドの端がついた円盤鋸で、この乾燥した長さが5m程度の背板を7寸(21センチ)か8寸(24センチ)に切断する。ダイヤモンドの刃を使用しないと、断面(割箸の両端になる)がきれいにならないとのことである。
 
  背板を割り箸の長さにカットするダイヤモンドソー(ダイヤモンドの刃)
   
   
  次に、柾目になるよう年輪に直角に割箸の厚さにスライする。これをしばらく水槽につけてから、割箸の幅に切断する。水につける理由は、切断を容易にするためであるという。乾燥したままで切断すると刃がすぐに鈍ってしまうという。春目と秋目がある杉は柔らかいが、加工する場合は工夫が必要であることを学んだ。箸の形に成形される時に,同時に箸に溝が作られる。目にも留まらない早さで箸が作り出されていく。
 
  製箸機。板にしたものをすばやく、一膳ずつ削ってゆく。
   
   
  その後,乾燥(昔は天日乾燥、今は電気乾燥)した後,吉野揉みとよばれる工程がある。これは数百本まとめた割箸を横にして、ゴロゴロと回転させて表面の毛羽をとる作業である。なかなか工夫された細かい工程があり、最後に仕上がった箸を検品する。
 
  吉野揉み。出来上がった割り箸を左右に揺すって割り箸の表面の細かいケバを取る。
   
   
  一番高級な利休箸(らんちゅう、ともいう)の場合は、1級品から5級品までに目で検品します。素人目には、どこが悪いのかわからないが、目を凝らすと小さな穴があいていたり年輪がきれいでなかったりするので歩留まりが悪くなります。商品価値がないという赤身の利休箸を頂いて使用してみたところ、1年間使用しても折れず腰が強く大変素晴らしい品質であるということがわかりました。しかし、今では国産間伐材の割り箸の正しい使い方は「使って捨てるのがエコである」と分かり、元禄や天削の割り箸は洗って使う事はしないようにしているのだが、さすがにらんちゅうは捨てがたい上等な割り箸です。
 
  出来上がった最高級割り箸の「らんちゅう」
   
 
   
  日本人とスギのかかわり
   
  1300年間も正倉院の宝物が保存されている秘密は、ヒノキで作られた校倉造りにあると思われて来ましたが、宝物が保存されているのは唐櫃(=杉の箱)の中です。杉には湿度を一定に保つ力とともに、宝物を劣化させない力(オゾンや二酸化窒素の吸着する働き)があることが最近分かって来ました。経験的に、この杉の特質を利用した当時の人々の知恵には驚く他ありません。自然科学が発達する遥か以前ですから。
   
  室町時代から江戸時代にかけては、大衆的なレベルでも大量に利活用されたスギは日本の文化を育てた陰の役者です。特に、奈良の下市で発明された吉野杉の割箸は、無駄なく杉を利用する大変エコな商品でした。冬場の山仕事がない時期に、手間ひまかけて製造した割り箸を春に売ることで村人のいい収入になったからです。割り箸をドンドン消費して捨てる事で経済が成り立っていたのです。
   
  ところが、様々な生活用品が杉から作り出されていたのは戦前までで、戦後に出てきた石油から作り出されるプラスチック製品にほとんど取って代わられました。特に、ここ50年間ではスギの持つ柔らかさや清潔性など日本の木の文化を象徴するスギの生活用品(飯びつ、三宝等)が完全に忘れ去れているのは、大変寂しい限りです。
   
  現在の中山間地の活性化には林業の再生が必要であることはいうまでもありません。杉材の活用から出てくるバイオマスをより付加価値の高い商品に開発することができれば一番いいのです。ペレットにして利用するのもいいですが、1立米の木材から約2万本はとれる割り箸は1膳が2円としても4万円にもなります。最近、岐阜県の高山市、岡山県の西粟倉村、広島県の尾道市などで新しく割り箸の製造が始まりました。
   
  割り箸のように木材よりも付加価値の高い商品を考案した先人に習い、さらに新しい商品を開発することができれば杉文化の復活ができるのにと、これからの若者に期待しています。
   
   
   
   
   
   
  ●<たかくわ・すすむ> 京都女子大学名誉教授
31年勤めた京都女子大学を2013年3月に退職し、4月から同大学で非常勤してます。9月から同志社女子大学、大阪大谷大学でも非常勤の予定。たった一人の妻と同じ家で生活してます(笑)。
1948年富山高岡市生まれ。名古屋大学大学院博士課程修了し、理学博士号を取得。米国ミズーリ州立大学でポストドクを2年やり、京都女子大に勤務。全てのいのちを大切にする「生命環境教育」を、京都市左京区大原にある25ヘクタールの自然林「京女の森」で、1990年から実践中。専門は環境教育、微生物学。フェイスブックとLINEしてますよ。現在、杉文化研究所所長。
著書:「京都北山 京女の森」ナカニシヤ出版。
趣味:フロシキと手ぬぐいの収集。渓流釣り、自然観察等。
   
 
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