|
秋山郷を初めて訪れたのは高校生の時だから、40年近くも前の事になる。新潟の三俣から苗場山に登り、山頂から反対側に降りるとそこに突然存在していた集落が信州秋山郷であった。その足で向かいの鳥甲山にも登った。その頃は、鈴木牧之の「秋山紀行」そのままと言えるような集落の姿があった。滅びた集落の後もまだ生々しかった。と記憶している。飢饉で集落が滅びるなんて今では考えられない。その後、この地を度々訪れることになる。時に温泉に入ったり、時に木工所に家具の製作を頼んだりしながら。 |
|||
鈴木牧之秋山紀行の挿絵。秋山郷集落の地図。左▲印が信州秋山郷、右●印が越後秋山郷。基本的な集落の配置は変わっていないが、飢餓などで滅び、現在はは存在しない集落もある。 |
|||
集合は飯山線森宮野原駅に12時であった。家を出るのが若干遅くなり、集合時間に間に合わないかも知れない。そんな焦りから若干高速を飛ばし気味だったことは否定しない。だが後ろから覆面パトカーがさっと近づき、マイクで叫び、パトカーの後に続けといわれたときには集合時間に間に合うことはほぼ諦めた。そんなこともあり、集合場所には行けず、今夜の宿、北野天満温泉に向かう。 |
|||
苗場山に向かい南下。 | |||
満君とは久しぶりで、以前「のーりんじゃー」との対決するために、新潟県森林振興局主催の六日町セミナーで会った以来である。そのあと越後杉の普及を目指し、スギダラ魚沼支部を立ち上げたのだが、未だに会員は僕と満君の2人だけ。そんな思い出話で盛り上がっていると、彼が話し出した。「実は僕のじいちゃんは秋山郷出身なのです。」「えっ!」「はい、逆巻(さかさまき)温泉というところで育ち、熊と戦っていたと言うんです。その後、十日町に婿に行き、サン木材という製材屋を始めたのです。自分の父は製材所を継がずフラワーホームという住宅建設の会社をつくったんです。越後杉の使用量ではおそらく新潟県一ですよ。」「ほう、すごいね。」満君の秋山郷との繋がり、そして越後杉の実績を聞いて少し驚いた。「秋山郷はねー、昔は外界との繋がりがほとんど無く、結婚も集落内結婚がほとんどだったんだよ。」というと「どうりで、僕のじいちゃんは顔めちゃめちゃ濃かったですよー。」「おーやっぱり、まあ藤田君も相当濃いけど・・・(笑)」などと話していくうちに彼がぽつりと言った。「南雲さん、携帯が全然入らないんですが本隊と会えますかね〜。」「えっ、そういえば全然入らない。だけど小赤沢まで行けば多分入るし、奥ちゃんには小赤沢といっておいたから。」そんな会話をしながら新潟県側の秋山郷を楽しんだ。 渓谷の茶屋「平家茶屋」はここに来ると必ず休む場所、中津川渓谷がいつ来てもきれい。周辺を散策し、地の物を買ったり、ビールを飲んだりした。茶屋のおばちゃんに満君の事を話すと、「おじいちゃんの事はよーく知っているよ。残念ながら一昨年無くなったんだよね〜。」さて、あまりのんびりしてもいられないので先を急ぐ。 |
|||
中津川渓谷。絶景。 | |||
平家茶屋。気さくなおばちゃんが相手をしてくれる。 | |||
しばらく行くと山原木工所に到着。昔よく家具を頼んだりしていたので馴染みの店だ。社長にバッタリあったので挨拶をすると、喜んでくれお茶を頂きながら昔話をした。いまはね〜なかなか商売もうまくいかないんですよ〜。とか満君の会社や今回の栄村の関係者もよく知っていた。こちらもゆっくりしたかったが、先を急ぐので栃のお椀など買いながら先に進む。そして新潟長野の県境、硫黄川を過ぎ、合流目的地小赤沢に到着。だが電話の電波はピクリとも動かない。「どうしよう・・・」考えたあげく、集落はほとんど無くなるので小赤沢に戻り後から来るはずの本隊を道路で待っていよう!そ言っていると反対方向野河原からからマイクロバスが上ってきた。満君が言った。「多分あの車ですよ。一度見てますから。」「ええ〜じゃあ追い越されたのかな〜それで温泉を見学して戻ってきたのかな〜。」まあいい、とりあえず追いかけよう。するとその車は途中で右折し、どこまでも山の中に入っていく。15分ほど走ると滝の近くで先導車が止まる。降りてきた人々がじいさんやばあさん達山菜採りの一行だったらどうしよう?そんな心配をしていたが、車の中には若杉さん始め、スギダラの面々が乗っていたのだ。なんだかめちゃめちゃ嬉しかった。再会を感動している時間もなく、満君は夕方から結婚式の披露宴に参加するため、帰らなければならなかった。ありがとう!感謝と別れをつげる。 |
|||
黙っていてもいいのだが言おう。これが新潟長野の県境の硫黄川。魚はいない。 | |||
ようやく本隊と合流! | |||
ということでようやく本隊に合流し、杉林を中心に案内をしていただく。集落は何度か見て回ったが、今回は森林が中心。栄村の久保田さん、長野県の森林関係者に連れられ秋山郷周辺の森林を案内していただく。 |
|||
宿に向かう途中温泉から屋敷温泉、無くなった集落跡など見たかったが、時間がなく、すみません今回は我慢してください。と言われ、せめて苗場山や集落の写真を撮らせてください、と言って撮ったのが下の写真。 正面の苗場山(2145m)の西麓、中津川添いの地域が秋山郷。右下に見える集落が秋山郷最大の小赤沢。背後の山にはブナやミズナラの広葉樹と杉が共生している。標高は約1000m、杉林のほぼ限界らしい。つまり、限界集落の限界杉。その杉林の中に藤田満君家の山がある。(驚)この辺りは新潟と長野が入り組み、しかも民有林、官有林も複雑に入り組んでいる。そんな中、長野県森林保護専門員関川さんの森林、自然の説明やビジョンには恐れいった。ひとりの専門家の見識が森林の未来を左右すると感じた。 |
|||
ここから先、本当はトンネルを通り近道があるのだが、大震災の影響でトンネルが痛み、未だに通行出来ない状態。やむなく新潟県側を通っていく。するとウドが生えていそうな沢があった。「ちょっと止まってください。」ウドを採りましょう。「分かりました。」今回は快く止まってくれた。目で見て分かるところにすぐウドがある。採りたくてしょうがないのだが急斜面でしかも革靴なので、そこまでたどり着けない。残念ながら断念し他の場所を探す。しばらく行くと、あった、あった。「若ちゃんウドだよ。ほら沢山。」興奮しながら採りまくる。車に戻ると2人も結構採っていた。よしよし今日はウド料理だ、最後は気分良く宿に帰るのであった。 |
|||
本隊に遅れ宿に着いたため、宿に着くとすぐに食事。そしてウド料理はとても美味しく天ぷら、生で酢味噌、そして翌朝の味噌汁ととても美味しくいただいた。旅館の兄さんがウドの天ぷらを持ってきてくれた。「先ほどのウドです。」「違うでしょ、ウド、どうです?でしょう!」「すみません、うど、どうです?」「よしそれでいい!」そして宴会、交流会は続き、例によって自己紹介。このあたりからは他の方が書いてくれるだろうから、今回の報告はここまで。PS。宴会終了後県の職員の部屋で飲み直す。そのあと温泉に入り、寝てしまうという失態をしてしまった。(猛省) |
|||
翌日セミナー前に森林組合へ行く途中、栄村市内をあちこち巡るが3.12の爪痕はほとんど復旧していた。その間一度も訪れていない。地元の人々の苦労はいかほどのものだったか。 |
|||
温泉の近くに流れる川。水力発電所と同じ頃出来たと思われるコンクリートのアーチ橋がある。永瀬橋、昭和36年竣工。この橋が新潟と長野の県境。 |
|||
おまけ! |
|||
久保田さん家のアスパラ。こんなに沢山! | ウドのきんぴら〜。 | ||
Copyright(C)
2005 GEKKAN SUGI all rights reserved |
|||