特集 新連載 2本立て
  短期連載 佐渡の話2 〜笹川十八枚村物語〜 /第1話 「佐渡、再び。」 NEW
文/写真 崎谷浩一郎
   
 
 
   (あれ…?ここは…どこだっけ…)朝、目覚めて自分がどこにいるのかすぐにはわからないことがある。ぼんやりと見上げる天井の格子らしき模様にもすぐには焦点が合わない。ゆっくりと布団の上で身体を起こすと、徐々に、しかし鮮明に、昨晩の祭りのひと時が頭に蘇ってきた。そうだ、夕べは南雲隊長と笹川集落の方々とにしこたま酒を飲んだんだっけ…。
   
 
  *笹川集落全景
 
  両津港から1時間ほど、海沿いから5kmほど山に入ったところに笹川集落はある。
   
   
   毎年4月15日、佐渡島は島内の各集落で春の訪れと五穀豊穣を祈る祭礼が行われる。神輿や鬼太鼓、神楽など、祭りのスタイルは集落で様々だ。佐渡島の南西に位置する西三川地区に笹川集落という全戸約30世帯、100人ほどの小さな集落がある。笹川は西三川砂金山と呼ばれる砂金堀を集落の成り立ちに持つ。笹川の祭りは、獅子が門付けを行いながら集落の家々を一日かけて練り歩き、獅子を迎える家々は酒と食を振る舞う、というもので、朝から晩まで、飲んでは獅子、飲んでは獅子、とにかく飲みまくる。そんな素敵なお祭りだ。
   
 
  獅子の舞い手の若者たち。毎年、周辺地域からも加勢に来る。
   
 
  獅子の門付け。写真正面奥に見える山は笹川のシンボル、虎丸山。
   
 
  祭りの歓待。各家の建物正面にはオマエと呼ばれる広間が間取りされており、歓待はオマエで行われる。祭りでは、ある程度飲み食いしたら、獅子の門付けを行い、次の家に向かう。
   
   
   笹川は古くは室町時代から本格的に砂金堀が始まったと言われている。現代で佐渡の金銀山といえば、相川が有名だが、かつての金山といえば笹川であった。近世以前の鉱山集落は里山の薪炭材や用木、採草地など入会地の中に多く発生した。入会地への入会権は共同の権利として村毎で管理された。佐渡各地で漁村が発達するかたわら、山では探鉱が盛んであった。笹川も周辺6つの村の入会地に砂金山として成立した。戦国時代に入ると笹川は佐渡を平定した上杉氏の代官の支配下に置かれ、ひとつの採場から(1日にまたはひと月に、と諸説はあるが)金18枚(約2.9kg)を上納していたことから「笹川十八枚村」とも呼ばれていたという。(何て格好いい名前だろう!)
   
 
  *笹川十八枚村砂金山地図(明治初期)
   
 
  *西三川砂金山で採れたと言われる砂金(個人所蔵)
   
 
  *絵巻『佐州金銀山之図』
   
   
   砂金の採り方は時代によって異なるが、熊手やユリ板などの専門の道具を駆使しながら川底にある砂金を採る川流しという採り方から、徐々に砂金を含む山裾を崩し、ため池や堰、水路を使って土砂を流し、比重の違いで砂利や石と砂金を選別して採取する大規模な砂金流しへと変わっていった。ちなみに、砂金採りのために山肌が削れた様子が伺える笹川のシンボルともいうべき山の名前は「虎丸山」という。(これまた何と格好いい名前!!)
   
 
  笹川のシンボル、冬の虎丸山。砂金堀で山肌が削られている。
   
   
   こうして山を削り水路を村中に張り巡らせながら、砂金を採り続けてきた笹川だったが、その産出量が徐々に減ってくるに伴い、砂金堀で生きて来た人々の生活は厳しくなっていく。明治時代に入り、幕府から政府へ移行する中、笹川はこれまで砂金堀で培った技術と地形を最大限に活かして新たに農地開発を行い農業への産業転換を行った。こうして、300年以上続いた笹川砂金山は明治5年に閉山となった。
   
   そんな笹川集落だが、明治5年に鉱業から農業へと産業転換するという大きな変化があったにも関わらず、閉山直前の明治3年で家43軒、人は182人(男96人、女86人)というから、100年以上たった今でもその世帯数が大きく減っていない、ということに驚く。さらには、現地に立つと、それこそ300年前の面影を風景の随所に留めながら、その風景の中で、今なお、人々が互いに絆深く暮らし続けている様に心を打たれる。
   
   2011年9月、この笹川集落は、この砂金採掘のために形成された場所に人々の生活が渾然一体となった特異な鉱山集落の形態的価値により、国の重要文化的景観「佐渡西三川の砂金山由来の農山村景観」として、選定された。
重要文化的景観は、2005年に改訂文化財保護法で位置づけられた、地域や集落の風景と人々の営みそのものに文化的価値を与えるものである。
   
   選定を受ければ、来訪者が増えたり、案内や受け入れ体制、規制など、集落として考えなければならないことがある。僕は南雲隊長とともに、佐渡市から、国の文化財となった笹川集落の地域トータルデザインを住民の方々と一緒に考えてもらいたい、という依頼を受け、昨年度から再び佐渡に通うことになった。2年前、月刊杉の「新しい時代へ向かって」という特集で『佐渡の話』を連載させて頂いた。当時は新しい時代へ向かいたい、という思いだけであったが、まさに、今ここ笹川は、ひとつの「新しい時代へ向かって」いる気がしないでもない。デザインが地域の未来にできることは何か。『佐渡の話2〜笹川十八枚村物語〜』その新しい時代へ向かう実感らしきものを何かしらお伝えできればと思う。
   
  『崎谷さん!こーゆーのどう?砂金だからさ、チョッキン(直近)のことではなく、もっとずっとサキ(先)ーンのことを考えよう!』…相変わらず南雲隊長は流石だなあとプロジェクト初っぱなから気を引き締め直す、サキン谷であった。(つづく)
   
 
   
  「*」のついている写真は、佐渡西三川の砂金山由来の農山村景観保存調査報告書(編集・発行 佐渡市世界遺産推進課、平成 23 年 3 月 31 日)より
   
   
   
   
   
   
  ●<さきたに・こういちろう>
有限会社イー・エー・ユー 代表 http://www.eau-a.co.jp/
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月刊杉単行本『佐渡の話』 http://m-sugi.com/books/books_sakitani.htm
   
 
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