連載
  続・つれづれ杉話 (隔月刊) 第20回 「本棚に惚れた」
文/写真 長町美和子
  杉について、モノづくりについて、デザインについて、日常の中で感じたモロモロを語るエッセイ。 
 
今月の一枚
  ※話の内容に関係なく適当な写真をアップするという身勝手なコーナーです。
   
 
  2004年夏の昼下がり。
引っ越して間もない頃、まだ整理がすんでいない本棚でぐっすり眠っている鱈三。
 
   
  本棚に惚れた
   
  住宅の取材に行って、建築家の話や施主の話をひととおり聞いてしまうと、あとは撮影が終わるまでは勝手にいろんなところをプラプラしながら待っていることが多い。猫を飼っている家だったりすると、帰るまでずっと猫と遊んでるし、子供がいれば子供の描いた絵なんか見せられて延々お話を聞かされたりしている。カメラマンが家具や雑多なモノを移動させながら必死で撮影している横で、座り込んで猫や子供の相手をしてるんだからいい気なもんだ。場合によっては、編集者や奥さんとお菓子を食べながら主婦話に興じている場合もある。
   
  ところが、この間訪れた家には猫も子供もおしゃべりな奥さんもいなくて、化粧っ気のないショートカットの少年みたいな奥さんは(しかし、ユニークなアシンメトリーの緑のセーターを着ていた)恥ずかしそうに「ちょっと出かけて来ますから、夕方までご自由になさっててください」といなくなってしまったので、特にすることもなく、隅から隅まで家の中をじろじろと眺めて時間をつぶしていた。
   
  真っ先に向かったのはリビングの本棚の前。建築家に家を建ててもらうタイプの人で、本の収納に力を入れる人というのは珍しい。ほんの一握りである。いや、ほんのひとつまみと言っていい。お風呂はぜいたくに、とか、リビングの窓はガバッと開きたい、という人は多いが、本棚をばっちりつくりたい、という人はなかなかいない。中には、構造材がそのまま棚になっていて、壁面全体に本や雑誌を含めてコレクションがずらりと飾られているような特殊な家もあるが、そういう「量」で勝負の家の場合は、質が伴っていないことが多く(失礼)、『ガラスの仮面』が1巻から全部そろっている、とか、とにかく文庫本だらけの家だとか、映画やコミックスのフィギュアに埋め尽くされているとか、そういうのがほとんどで、「飾るモノのサイズに合わせて棚板の出を決めたんです」なんて話を聞いて「すごいですねー」で終わってしまう場合が多い。
   
  しかし、その家の本棚は見れば見るほど素晴らしかった! 建築家やデザイナーには悪いが、本棚のつくりに感心したわけではまったくなくて、中身の充実ぶりに惹きつけられたのである。まずはその家の建っている町の歴史や風俗、文化に関する本を集めた棚、イギリスのお菓子の本のコーナー、南方熊楠関連の棚、オオカミにまつわる話を集めた棚、野良着や裂織の写真集……と、思わず手に取りたくなるような本ばかり。セレクトショップじゃないが、これらの蔵書を並べる夫妻の人柄がにじみ出るような本棚なのだ。棚に並ぶ本を見れば、その人の趣味や嗜好ばかりでなく、思想や生き方までもが見えてくる。日記がそのまま開いて置かれているようなもんだ。
   
  それに比べて私の部屋の本棚はどうよ。引っ越し直後は憧れだった壁面いっぱいの本棚に浮かれて、上から順番にお気に入りの本、日本の文化関係の本、建築本、絵本、美術本と自分なりに並べたものだが、その中身を吟味することなく年数だけが経って、全然成長していない。引き出しの中に20代の頃につけていたアクセサリーがそのまま並んでいるような、押し入れの中に子供時代の宝物箱が手つかずにそのままあるような、気恥ずかしさが漂っている。
   
  あーいかん。本棚の中身を編集しなおさなくちゃいかん。ここ数年、本を買うことが少なくなったこともあるけれど、気合いを入れて「自分の本棚をつくる」ということをして来なかった。これじゃ単なる過去の記録の物置ではないか。
   
  そんなことを思いつつ(まだ撮影が終わらないので)1階に下りていき、プラプラとお風呂やトイレを覗いていたら、おぉぉぉ……リビングの本棚よりも格段上の書庫を発見! 即、ノックアウト。
   
  「1階はまだコンクリートの湿気が残っているので、本も全部運びこんでいないんですけどね」とさっき奥さんが慎ましくおっしゃっていたのは、この書庫のことであったか。高さ50〜60センチもの大型美術本がどーんと数十冊。光琳や若冲やらの画集から海外の建築本、骨董、民俗、文化、哲学、もちろん文学書も、家を建てる時に参考にしたと思われる数々の建築誌も……個人図書館が開けそうだ。これだけの本を買う財力があるということは、それだけのお仕事をされているということで、そういうお仕事の傍ら、さまざまな興味を持って日々を過ごし、読書をする時間を持ち、こうして別荘をお建てになって、畑仕事にも力を入れ、窯を持ってやきものも焼いている、と。いやはや、足元にひれ伏して拝みたくなるではありませんか。
   
  あぁ、仕事じゃなくて、この本を読みに遊びに来たい。ご主人がどんな人なのかお会いして話をしてみたい。一度取材した住宅がその後どんな風に住みこなされていくか、増改築でどんな風に変化していくか、というのが気になることはよくあるけれど、本棚と住んでいる人が気になる、というのはなかなかないことだ。
   
   暮らしをよりよくするための建築の力、デザインの力はもちろん重要で、今の時代ならではの新しいアイデアや構想が生かされた空間の面白さにも惹かれるんだけど、最終的には「誰が」それを使いこなすか、住みこなすか、なのだ、と本当に思う。素敵に暮らす人は、どんなモノを使っても、どんな場所に住んでいても素敵に暮らせるのだ。名もないふつうの雑貨を使っていても、古ぼけた公団住宅に住んでいても。なぜなら中身が充実しているから。モノの力に頼らずとも十分豊かに暮らせるのである。そういうことを思うと、新しい建築やデザインのコンセプトがなんちゃらなんてどーだっていいような気になってくるからいけない。
   
  すでに世の中にあふれるほどモノがあって、じゃぁ今、何をつくるべきなのか、と考えた時、ポッと頭に浮かんだのは「人」をつくるべきなんだ、ということ。教育とか啓蒙とかいう大げさなことではなくて、「そういう素敵に暮らせる力のある人をこれから育てるために」今のデザインや建築は必要なのかもしれないな。身の回りのモノの質が少しずつよくなって、意味のあるデザインが増えていって、自分だけのことじゃなくて社会や環境までを意識したモノや建築が当たり前の世の中になっていく過程で、人も育っていくはずだ。
   
  そうだね、今のデザインで今の暮らしが急によくなるわけじゃない。対処療法ではなく、持続的な療法が必要なんだ。今のモノづくりは、もちろん今の人のためでもあるんだけど、これから50年100年先に素敵な感性を持って(いいモノを自分で選んで自分らしく使いこなせる力を持って)暮らすオトナを育てるためにあるのかもしれない。いいデザイン、いい建築の結果(評価)は一世代後に出る、ってこと。責任重大ですな。
   
   
   
   
  ●<ながまち・みわこ> ライター
1965年横浜生まれ。ムサ美の造形学部でインテリアデザインを専攻。
雑誌編集者を経て97年にライターとして独立。
建築、デザイン、 暮らしの垣根を越えて執筆活動を展開中。
特に日本の風土や暮らしが育んだモノやかたちに興味あり。
著書に 『鯨尺の法則』 『欲しかったモノ』 『天の虫 天の糸』(いずれもラトルズ刊)がある。
『つれづれ杉話』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_komachi.htm
『新・つれづれ杉話』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_komachi2.htm
恥ずかしながら、ブログをはじめてみました。http://tarazou-zakuro.seesaa.net/
   
 
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