JR九州/大分支社 地場産木造オフィス大作戦
  大分支社木質化計画
文/ 福田健一
 
 
 
  プロジェクトのきっかけ
   
  少し、概要的なものをお話しすると、今回の大分支社移転計画は大分県が事業主体の大分駅付近の連続立体交差化事業と併せて大分市が施行する大分駅南土地区画整理事業により、当社の大分支社等の機能が支障移転する必要があったことに端を発します。この「支社等」というのは、弊社には運転士や車掌、客室乗務員など、独特の勤務形態の社員がおり、これらの社員が点呼を受けたり、休憩したりといった施設や、メンテナンスを行う部門など、多岐に渡る職種の社員が執務する空間となるためです。この区画整理事業では移転物件に立ち退き移転料が支払われますが、新しい支社はこの移転料の予算内か、枠をはみ出したとしても大きく上回らない範囲で新設する必要がありました。 具体的に支社の移転計画が進み始めたのは平成20年度〜21年度あたりで、この頃は既存の機能にどういったものがあり、移転先では何uくらい必要か?そもそも移転先はどこが相応しいのか?などといった議論が主でした。
   
  私個人としては、平成22年度より今の部署に配属となり、同時にスギダラにも入会しました。当時、(というか今も)部長の津はフランシスコ・ザビエル並のスギダラ布教活動を展開しており、目が合うと「お前入ったか?」。もちろん、私は自発的に入信しています。
   
  大分支社移転計画を担当物件として受け持つことになり、プロジェクト全体の資金計画をまとめ、経営陣の承認も無事降り、具体的なデザインに入っていかなくてはならない頃、部長室でかけられた言葉、
  「福田ー、オマエせっかく支社やるんやったら地元の木ぃ使うてなんか面白いもんやろうや。オマエに俺がやらす意味わかるか?普通の支社なら誰でもえぇ。スギダラ社員として考えろ。とりあえず内田洋行の本社見て来い。」
   
  これが今回の、「支社木質化計画」の始まりだったように思います。ちなみに私はスギダラ会員ではありますが、JR社員です。
   
  チーム編成
   
  支社の計画はとにかく時間との戦いでした。内田洋行のオフィスに触発され、今回の計画に知恵を貸してほしいという話をしに、ノコノコと千代田さん達に会いにいったのは確か平成22年10月頃。支社は平成24年3月か4月には移転を完了せねばならなかったため、基本構想から設計を経て、現地で施工し引越しするまでの全ての期間は正味1年半と差し迫っていました。
   
  非常に短く苦しいスケジュールであったにもかかわらず、千代田さんは快諾。若杉さんらと共に東大の腰原先生に参戦いただくことになり、若き?エースの小林さんがつきっきりで担当してくれることになりました。当社では組織がかなり複雑なため、このプロジェクトを完遂させるまでに実に多くのハードルや調整先が転がっていました。通常のオフィスと違い、運転士や車掌も抱える職場です。深く考えるとゾッとする状況でしたが、深く考えないことにし、とにかく前進あるのみという強気のスタンスで臨みました。恐らくメンバーの皆さんはこのハードルが当時は解らなかったので、ウッカリ了解してくれたのだと思います。
   
  木質化大分支社の意義
   
  今回の支社のコンセプトは、「とにかく地元貢献」。これは何も直接的に地元の木を使うことだけではありません。近年、確かに当社は地元材や名産品を車両や駅舎に取り込み、地域と連携した様々なプロジェクトを進めていますが、それは社長や水戸岡先生の旗振り、或いは地元自治体の熱意に押されて進められてきたところも多く、お客さまと密接にかかわる当社フロント社員が、普段から地元の材やぬくもりに包まれることによって、地元貢献・地域密着・おもてなしの心といった気持ちが、より心から、より自然とにじみ出るように育める、そういうオフィスにしたい、というのが真意でした。同時にインハウスエンジニア的な我々がデザインコントロールする、ある意味初の大型物件として失敗できないという緊張感もありました。また、新しい支社が建設される場所は鉄道の高架下空間。高架下は暗い印象を与え、デザイン的にもなかなかおさまりにくい場所です。ここに、一つのうまいデザインの納め方を提案したいという野望も持っていました。
   
  設計を担当するJRコンサルや協力して頂くことになった内田洋行&パワープレイスチーム、東大の腰原先生と一緒に2週間に一度くらいのペースで福岡と東京を行ったりきたりしながら、あーでもないこーでもないと和気藹々と打合せを進めましたが、この打合せは夢物語の出し合いのようなところから始まり、半分趣味のような、非常に楽しいものでした。当初は木の、プレ加工した筒状のボックスを高架下に挿入し、大きな会議室や、ワンフロア化する執務空間などの大空間は横穴で繋ぐイメージで、そこから、計画を現実的に落とし込んでいくプロセスの中で今のような高架柱を囲む構造体兼用の柱パネルで大梁を支え、小梁を渡して天井を支えるプランに変わっていきました。このあたりは小林さんの記述をご覧ください。
   
 
  新大分支社平面図
   
  ポイントは、できるだけ「無理なく」安い木を使い、難しいところは無理に使わない。そしてその無理なく作った木質空間は外からも「丸見え」になっていて、大分支社の外を歩く人からも「こういう木の使い方もあるのか」と思わせるところ。この支社を機会に当社だけではなくよその会社のオフィスにも木質が伝播することも狙っています。この小さなコンセプトと、前述の大きなコンセプトや野望を常に胸に抱きつづけ、判断に迷うときは目を閉じて、コンセプトを、何度も何度も頭の中で繰り返し、何を選び、何を捨てなくてはならないのか、何をクリアしなくてはならないのかを決断していきました。
   
 
 
ガラス張りにして外から見える化   エントランスホール
   
  かつて鉄道の駅はどこも木で、車両も木造でしたが、度重なる火災被害から、数十年もの間、非木質化を徹底して進めてきました。最近でこそ車両の内装に木を使ったり、木質化或いは部分的な木造化を少しずつチャレンジしてはいるものの、社内では依然として、木は狂う、燃える、メンテナンスが大変、値段が高いという「木アレルギー」的イメージがはびこっています。今回のプロジェクトでは、この「木アレルギー」を払拭することも大事なテーマでした。思い切って屋根を外し、木造のように見えつつも建築確認上はRC造という手法を編み出し、内装制限がかかるような部分にまでは無理して使わない。 使用材料もできるだけ安価で手に入りやすい部材のみで構成(天井材は構造用合板!!)することで超低価格の支社にすることができました(予算を追求するために随分施工側には迷惑をかけたと思います)。
   
  今後の野望
   
  木は適切にメンテナンスを加えて付き合っていけば、温かみのある豊かな空間を提供してくれますが、当社は駅も含め5,000近い建物を管理しています。一つ一つ全てに愛情を注ぎながら管理していくことは正直難しいという現実もあり、今後どういった問題が生じるのか、どういうメンテナンスがでてくるのか、どこはもっと気をつけなければならないのか、などの貴重なサンプルにもなる物件です。この物件は勿論今回限りの提案ではなく、スタートとなる物件です。ためしに作って、とても高くついたり、高架下特有の音の問題や暑い寒いなどの苦情が出るようであれば次がない。そういう意味でも非常に重要で意義深いプロジェクトだったと思います。 しかし、その心配から、かなり安全側に考えてあきらめてしまった部分も多く、今回成しえなかった部分(例えば構造上も自立させるなど)については次の課題として検討し、より木の良いところを社内外に広められればと願います
   
  ご協力いただいた皆様、本当にご協力感謝いたします。さて次はどこをやろうかしら(照)
   
   
   
   
  ●<ふくだ・けんいち> 九州旅客鉄道株式会社 施設部設備課
   
 
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