連載  
  あきた杉歳時記/第49回 「酒屋と杉玉」
文/ 菅原香織
  すぎっち@秋田支部長から、旬の秋田の杉直(さんちょく)だよりをお届けします ・・・・
 
 
 
  日の丸醸造の杉玉
   
  9月1日、所用があって秋田県南部の横手市増田町の日の丸醸造を訪問しました。店の入り口には大きな杉玉が下がっています。昔は灘の杉玉業者から購入していたそうですが、最近は地元の花屋さんに作ってもらっているそうです。昨年西都市で杉玉ワークショップを行った際に、ミヤダラの杉鼓さんが調べてくださった資料をもとに、いつ頃から杉玉を下げるようになったのか、酒屋と杉玉のことについて調べてみました。
   
   
  杉玉とは
  杉玉は、酒屋の看板として軒先などに吊るし、新酒ができたことを知らせる役割を果たします。吊るされたばかりの杉玉はまだ青々としていますが、やがて枯れて茶色がかってきます。この色の変化によって新酒の熟成の具合い(飲み頃サイン)を知らせているとも言われています。  
   
     
  杉玉の起源  
  昔、神に供える酒を「みわ」と言いました。奈良県桜井市の大神神社は三輪山全体がご神体で、三輪山の杉の木を神木としていたことから、大物主大神のご神威が宿る杉の葉を束ねて酒屋の軒先に吊した風習が杉玉の起源とされているそうです。当初は「酒箒(さかぼうき)」や「酒旗(さかばた)」江戸中期には鼓のように束ねた杉の葉を「酒林(さかばやし)」呼び、軒先にかけて酒屋の看板としていました。江戸後期に現在のような球状になっていったらしいです。  
      「和漢三才図会」より
  杉と酒に関する文献
 
760年前後に編集された日本で最古の和歌集「万葉集」に「味酒(うまさけ)を 三輪の祝(はふり)がいはふ杉 手触れし罪か君に逢ひかたき」巻四・七一二(丹波大女娘子)とある。(訳:三輪の神官が崇める神聖な杉に手で触れた罪だろうか、あの方になかなか会うことができないのは)味酒は三輪にかかる枕詞として使われている。
1659年(万治2年)仮名草子「百物語(上)」(編者不詳)に、一休和尚(1394-1481)の歌とされる「こくらくをいつくのほどとおもひしに杉葉立たる又六が門(極楽をいづくの程と思いしに 杉葉立てたる又六が門)」又六は一休和尚のいた大徳寺の門前の酒屋の名。極楽はどこにあるかと問われて、「酒屋の又六」(=酔って寝るのが極楽)と答えたとの意味。
1677年(延宝5年)俳諧類船集(梅盛編)に「杉の葉をゆひては酒はたとし…」
1686年(貞享3年)井原西鶴作の浮世草子「好色五人女」の第三巻、中段に見る暦屋物語の「小判しらぬ休み茶屋」の一節に「わら葺ける軒に杉折り掛けて上々諸白…」(わら葺き屋根の軒に杉の葉を束ねて掛け、上等の酒あり…)同年、西鷺軒橋泉 [作] ; 井原西鶴 [序・画]の浮世草子「近代艶隠者」にも酒林が描かれている。
1712年(正徳2年)頃、大坂の医師寺島良安が編集した日本の類書(百科事典)「和漢三才図会」の第32 家飾具の「旗」の説明図には、棒の先に杉の束を鼓のように束ね両端を丸く刈り込んだ形のものが「さかはた、今云酒林」と記されている。酒林は造り酒屋の看板だけでなく、酒を売る店の看板としても使われていた。また、酒桶は杉材を用いて作り、杉柿(こけら→木片)を酒の中に投ずることからも酒と杉は相性がよいと記されている。
   
   
  酒栄(さかえ)請と「しるしの杉玉」
  酒造りの神社として全国に知られ、酒造家たちの厚い信仰を集めている大神神社では、この大神様と杜氏の祖神の御神徳を慕う全国の酒造家の集まり「酒栄講」があり、新酒の仕込みの季節を迎える毎年11月14日に新酒の醸造安全祈願祭が執り行われます。この日、拝殿向拝に吊っている「しるしの杉玉」が新しく取り替えられ、参列した全国の酒造家や杜氏には、三輪山の神杉の葉で作られた直径30センチほどの杉玉が配られ、酒造りの安全、商売繁盛、子孫繁栄などを祈って軒先に吊るすそうです。
   
   
 

秋田県内の造り酒屋の創業年

 
飛良泉本舗 長享元年(1487年・室町時代中期)創業の秋田県最古の酒蔵。初代斎藤市兵衛は泉州堺(泉佐野市あたり)の出身で屋号を「和泉屋」と称した。酒造りを始めたのは2代目から。
木村酒造 元和元年(1615〜1624年)創業。
奥田酒造店 延宝年間(1673〜1681年)に創業。以来、代々重右衛門を名乗る当主は十八代目を数える。
福禄寿酒造 禄元年(1688年)安土桃山時代、織田信長の一向一揆で石川県松任より落ち延びてきた、渡邉家初代彦兵衛氏が「羽後の国、五十目村(現在の秋田県五城目町)」で酒造りをはじめた。
日の丸醸造 元禄2年(1689年)現在の山形県最上から来た沓沢甚兵衛が創業
   
   
  秋田で杉玉を飾る習慣がいつ頃からはじまったかは定かではありませんが、おそらく1603年の佐竹義宣の転封や北前船によって、江戸時代には伝わっていたかな?と想像しています。また時間をつくって調べたいなと思います。
   
 
  奥の座敷蔵の前には歴代の杉玉が飾ってありました。
   
   
   
   
  ●<すがわら かおり> 教員
秋田公立美術工芸短期大学 産業デザイン学科 勤務 http://www.amcac.ac.jp/
日本全国スギダラケ倶楽部 秋田支部長 北のスギダラ http://sgicci.exblog.jp/
『あきた杉歳時記』web単行本 http://www.m-sugi.com/books/books_sugicchi.htm
   
 
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