特集 天草・高浜フィールドワーク2011開催
  高浜フィールドワークの感想ぞくぞく!
   
 
高浜で考えたこと 3
  文/ 金澤一弘
  高浜で考えたこと その6(宝の海と地域資源)
   
  高浜で考えたことも6回目を迎えた。今日は宝の海について考えてみたい。有明海は古来より宝の海と言われてきた。宝の海とは有明海が大いなる生産の現場だったからそういわれたのだ。この場合の宝とは、文字通り「打ち出の小槌の海」というニュアンスである。海は単純に魚が捕れると言うことから始まり、ノリが取れる、塩が取れる、海草が採れる。貝が取れると言うように、食生活の基盤になるようなものをふんだんに得ることが出来たのだ。残念なことにこの豊かな海は、今そこに住む人の共通の財産ではなく、漁師や釣り人のものになってしまっている。漁業権と言うことでがんじがらめになっているが、私は「海」をどう再構築するかが、これからの天草にとり、とても大きなテーマになっていくと考えている。例えば・・・私が単純に思いつきで考えることは、天草で製塩業を本格的に出来ないかと言うことだ。場所は干拓事業が頓挫した羊角湾。羊角湾は淡水化事業だったが、私はここに海水を確保するための関を創り、製塩事業を展開すればいいのではないかと思ったりしている。製塩業は現在、国内数百カ所で行われているが、どれも規模が小さく個人経営の域を脱していない。製塩業は単に海水だけ確保しても成功しない事業だという話も聞く。上流に豊かな自然と水がなければ、食味の良い塩は取れないのだそうだ。
   
  私はポルトガルでとても大掛かりな製塩所の廃墟を観た事があるが、それは海に大きな石組みの堤防を築き、そこに塩を貯めて天日で乾燥するという壮大な光景だった。しっかりとした設備を設計し、現代で言うプラントを組み上げれば、製塩業は周辺の自然も含め、環境をしっかりと作り上げなければならないので、山から川それから勿論だが、海の自然体系を育て、守ることになるわけで、先進的な取り組みに成り得るのではないかと思ったりする。その塩を余所に出さずに天草で消費することにすれば、天草の天然塩の初期需要は満たされるのではないかと考えたりする。塩の名前は「宝塩」で「海の恵みの結晶塩」という位置づけで売り出せばと思う。これから先は、確実に口に入れるものを選別する時代がやって来る。食の安全は原発事故以降・・・日本人がもっとも敏感になるところだろう。そう言う意味でも、時代に向けた先駆けとして天然塩が大規模に作られる場所だという戦略は、時代に対して正しい選択肢だと思う。一気に巨大化したものを作るのも良いし、中規模なものを作っても良い。一つ言えることは、まず地元需要を優先して作り、天草ではどの家を訪れても、天草塩が使われている状況を作るところから始めるべきだと思う。
   
  官山の水という良質な水がある。上田家との因縁の強い水だが、この水も私は積極的に売り出すべきだと思う。勿論・・・天草は島なので良質な水がふんだんに存在するわけではない。阿蘇の水脈のような大規模な水脈ではないが、天草にもいくつか旨い水と言われている水がある。この水について・・・私は島内ブランド化するべきだと考えている。これもあまり大掛かりなものを作るのではなく、しかし、しっかりと将来ビジョンを作りながら準備を進めていけば、大規模ではないが良質な水が出来るのではないか。天草に自然に存在する何かをしっかり見直すことにより、新しい展開を考えていくことこそが、豊かな地方を作り上げるのではないかと思う。天草は島である・・・・この島には古くから人が住んでいた。古くから人が住めたことの根本は、島で衣食住を完結することが出来たからだろう。閉鎖系ではあるが、完結系でもあるというのが島の特徴である。今は橋で繋がり、その記憶がどんどん薄れているが、思い出しさえすれば・・・天草は自己完結出来る島なのだと思う。よその土地では既に失われたものが、天草には残っている可能性がある。私は自然科学に造詣が深くないので、思いつくことはこの程度に過ぎないが、土地の人が知っている密かな情報を積み重ねていくことにより、何か古くて新しいことが、出来るのではないかと考えている。
   
  天草の再構築のために、天草五橋を壊した方が良いのではないかという人がいる。勿論、それは暴論だが、暴論の中になにがしかの真実があるとすれば、それは島という閉鎖系を再構築することにより、独自の文化が再生されるのではないかと言うことだろう。よそと違う場所を作り上げるためには、そこに行かなければ食べることが出来ないものとか、買うことが出来ないものとかが沢山存在する必要がある。ところが、今の地域戦略は相変わらず中央集権的に発生している。橋を壊せという言葉の中にあるのは、一旦中央との連鎖を断つことにより、天草が持つオリジナリティを再構築出来るのではないかという思いが有る。高速交通網が普及し、ある地点からある地点への移動が、以前では考えられないくらいに短時間で出来るようになった現代に於いて・・・天草のような遠隔地の戦略は橋を壊し、行くことが大変な場所を作り上げることなのではないかという思いも判らないことではない。天草へ行きたいという希求力が何処を中心として絞り込めば良いのか・・・そこに行くことが困難な天草を作り上げる事も正しい選択とは言わないが、一つの夢想としての方策なのかも知れない。勿論、橋を破壊するというわけではなく、そういう想いの本質が・・・何処にあるかを考えてみることが、重要な要素だと思うのだ。
   
  宝の海は天草にとって大きなポテンシャルを持っていると思う。天草と言えば魚が旨いところというイメージがあり、それをどう売り込んでいくのかが今後の課題になるのだろう。
   
  高浜で考えたこと その7 (メインターゲットを決める・・・私的にはそれは天草の人々)
   
  地産地消をもっと徹底すべきだと6では結論付けた。地域をどう作るかと言うことを考えた時に、その土地でしか、作れないものをどうやって見つけるかがこれからの課題だと考えたからだ。人がそこに行こうと思う原因は一体何処にあるのだろうかと思う。人が来ればお金が落ちるという理屈で高浜の問題を一つ解決しようと思うのであれば、私はやはり下田温泉と協力したり、白鶴浜をどう活用するのかを真剣に考えるべきだと思う。実は高浜の旅館での懇親会の後に、私は白鶴浜に行ってみた。私の少年時代から青年時代に掛け、そこは毎年必ず泳ぎに行っていたところだったからだ。私は同行のスタッフを誘い、白鶴浜には私の青春が埋まっていると気障な言葉で彼らと同行したのだが、そこにはかってのような若い人達で溢れるような情景は皆無だった。テトラポットで整備された白浜が拡がっては居たが、人の気配を感じることが出来ない。テントゾーンまで行けば、人は居るのだろうが、9月の誰も居ない海水浴場の雰囲気が漂っていて、あまり、人の気配を感じることが出来なかった。確かに・・・今は都市から近郊の場所に人工ビーチが造られ、遠出を嫌う人達は・・・近場で海水浴を済ませる傾向が強い。
   
  これだけ人が来なくなっているのだから、再度人を呼び込むまでには相当の年月が掛ると思う。しかし、私は白鶴浜を再び若い人達のメッカとして再生出来るかどうかは・・・これから先の高浜を計る上で、とても大きなポイントだと思い始めている。何故なら、白鶴浜が既に整備が出来上がった天然の海岸だからだ。私はここに高浜問題のすべてが収斂しているのではないかと思い始めている。平たく書けば・・・高浜までは熊本から3時間半の時間が掛る。そこにはとても素晴らしい海岸があるのだが、それより近いところにも色々と人工海岸が出来てしまい。3時間半掛けてその場所へ来る人が少なくなっている事が現状だろう。人工ビーチは人工的に作られたものではあるが、人が計画的に作ったものなので、取り立てて不満が出るような事はない。お手軽ではあるが近くに存在するという、圧倒的な理由でそこに来る人が年ごとに増えているのが都市から近場の人工海水浴場である。白鶴浜は素晴らしい海岸ではあるが、テトラポットが出来たりして本来の自然を壊してしまっている。そこに行きたいと若い人に思わせるだけの何かが既に無くなっているのかも知れない。この国は海水浴場でさえ画一化していると私は思う。画一化が起こると、必ず時間軸で近いところが有利になる。このことを理解すれば・・・白鶴浜をどうすれば魅力的に作り上げ、若い人達が行きたいと思う場所にするかを、考え続けなければならないと言う結論に行き当たる。
   
  海外のビーチは画一的ではない。各々が自分たちの海岸の特色を生かして、魅力的な海岸を作り上げているところが多い。この国の場合は整備するとは画一化することを意味する。画一化することにより良くなったと考える人が多いのが現状だが、実は画一化することにより、都市から遠い場所の海岸は不利になることが多い。白鶴浜は様々なところにビーチが画一的に出来たことにより、相対的な競争力を失った海水浴場だと思う。とすれば・・・この浜の集客を増やすためには、考え続けるという作業が必要になる。10パーセントアップを10年続ければ今来ている人に対して・・・200パーセントを超える人が、白鶴浜にやってくる計算になる。今は相当集客が落ち込んでいるはずなので、最初の数年間は少し努力すれば数字を達成出来るはずだ。その間に次のステップを考えていけばよいと思うし、はっきりとした意識を持って計画を立てていけば、必ず結果はついてくるとも思う。白鶴浜に再び人が殺到する時が来るかどうかは、今後の高浜を占う上で、とても大きなポイントだと私は考えている。
   
  下田温泉に関して私的な提案をしたことがある。それは私が信頼する温泉大好きの叔母さんが発した一言からイメージが湧いたことだ。天草には沢山の温泉が開設された。故郷創生一億円基金の時に多くの町が温泉を掘ったからだ。結果として天草にはかなりの数の温泉が出来たが、温泉の話を何気なくしていた時・・・私が何処の温泉が一番ですかと問いかけたら、即座に『やっぱり下田だ』とその人が即答したのだ。私はその言葉を聞いた瞬間に『やっぱり下田キャンペーン』をするべきだと考えた。対象は天草島内の人・・・JA等とタイアップして、農閑期の平日親孝行ギフトとして売り出せばどうかという提案をしたのだ。少数の人に話しただけなので、いまだかって日の目を見ていないが、下田は天草島民の湯治場だったという過去の歴史がある。私のところからはわずか30分で行けるところなのである。白鶴浜も下田温泉も熊本からや福岡からお客さんをと考えている気配がある。3時間以上掛るところの人に、いくら来てくれと言ってみても・・・効率的な集客は見込めない。島内需要を喚起することこそが、西海岸のテイクオフ時には重要ではないか。あまり大掛かりにしないという、私の発想の原点はこのあたりにある。
   
  高浜で考えたこと その8 (陶石の販売量を増やす手立て)
   
  今回考えてみたことは8回で終わろうと決めていた。つまり今日が最終回と言うことになる。プロローグとエピローグを加えると全部で10回の内容で、一回あたりおよそ原稿用紙5枚だから、全体でカウントすると原稿用紙50枚程度の文章量となる。随分と長い文章をと思う人もいるだろうが、私は1日5枚の原稿を書くことを日課としているので、そのこと自体は全く苦にならない。本文の最終日なのでやはり本業のことに関して考えてみたい。天草陶石をどうやって販売量を増やすのかについての提案である。天草陶石をこれから先どう販売するのか。私は問題解決の一つの手段として、素人に陶石を売ることについて、もっと積極的な展開は出来ないだろうかと考えている。素人を相手にするという発想は俄には信じられないかも知れないが、現代における消費の王様は素人だ。上田陶石の特等石は平賀源内が保証した程の天下に二つと無い良品である。素人の陶芸家の人口は200万人とも300万人とも言われている。その人達にとって平賀源内の保証付きの土はまさしく垂涎物の土だろう。プロに売るよりも高く売ることが出来るだろうし、一旦顧客としてインプット出来れば、年間に何回かは購入を期待出来る。しっかりとした顧客管理が出来れば多少手間は掛るが、極めて上質なお客さんだと思う。
   
  日本の窯屋さんの失敗を示すと、私が何故素人に陶石を売ることを考えるのかが判ると思う。日本の伝統的な窯屋さん(築窯業者)は伝統的にプロをお相手に仕事を続けてきた。確かに窯は高価な物ではあるが、プロの場合・・・一旦、窯を作ると、その窯を壊れるまで使うことが一般的だ。今は耐火煉瓦の溶解温度がとても高くなっているので、新しい窯の場合、20、30年は新品のような状態で使うことが出来る。窯はそう言う意味では・・・耐久財化してしまったのだ。私は窯屋さんに対して、素人向けの簡便な電気炉を作ればよいと再三言い続けてきた。アマチュアは趣味のための支出を惜しまないし、数年に一度、新しい窯を購入するケースが多いからだ。アメリカのホビークラフトを調べれば、一つの趣味のためのシステムがとても体系的に考えられていることが判る。アメリカの陶芸のホビークラフトも例外ではなく、土のキット、釉薬のキット、窯のキットという具合に、すべてネット上で購入出来るし、パッケージされた形で発送されるように出来上がっている。粘土も釉薬も呈色材もすべて通信販売で手に入れることが出来るのだ。
   
  窯も家庭用の電源で焼成出来るものから有り、段階を経てより高級なものになるが、一番高いものでも30万程度で、耐火ウールで出来た非常に合理的な形状のものが一般的に通信販売で売られている。故障した場合も形状に合わせたパッケージのダンボールが送られてきて、故障したものを梱包して送ればよい。修理した後に同じダンボールに詰めて送られてくるが、とても安価な値段で修理に出すことが出来るようになっている。日本の築炉メーカーはこれが出来なかった。何故か・・・結果的には古い因習に囚われていたからだ。窯はかまぼこ形に築炉されたものでなければならないという、古い体質のイメージが新素材を使うことを拒み、素人の陶芸というとても大きな市場を見落としてしまったのだ。同じようなことが上絵の具の世界でも進行している。アメリカやヨーロッパでは様々な色の上絵の具の彩料が流通しているが、国産の彩料はまだまだ流通が少ない。伝統をどう再構築するのかという現代に於いて、再構築をしない業態は衰退していくのは当たり前のことだと思う。勿論、再構築するためには電子的な管理とか、新しい陶芸のホビー体系を作り上げる必要があると思うが、そういうことも含めて仕組みを作っていけば、将来にわたり有望な事業として構築出来るのではないかと思う。
   
  陶石の付加価値をどう作り上げるのかを考えた時に重要な事は、誰が天草陶石を一番高く買ってくれるのかと言うことに行き着く。上田陶石のような特上石を販売するにあたって、現時点で最良の顧客となる可能性があるのは、アマチュアなのではないか。天下に二つと無い良質な土を使うことが出来る対象は、現代ではそういう人達ではないかというのが私の率直な考えである。1人が使う量は限られていると思うが、全国的に拡がれば膨大な量になると予測出来る。平賀源内が感じた天草陶石の優位性を前面に押し出し、展開を図ればマクロ的にはかなりの量の出荷が見込まれるのではないか。勿論、磁器の焼成温度は、陶器と比べると高温焼成なので、そのあたりの解説はしっかりと行わなければならないし、インターネットをメインとした販売をするためには、しっかりとしたコンテンツを創らなければならない。しかし情報を発信するための役割を担うところがいずれ必要になるので、それを考えれば包括的な情報発信のためのラボが必要になってくるだろう。情報発信のための方法は別に考えなければならないだろうが、そういうオペレーターに高浜に住んで貰い、情報発信を日常化する必要性は論議するまでもないことなので、町全体を包括的に考える上で是非とも必要な人材だと思う。
   
  勿論、陶石の活用に関してはこれがすべてというわけではない。ただ一つだけ指摘しておきたいのは、いずれにしても安定的な需要先が必要になってくると言うことだ。そこをしっかりと作り上げるための一つの手段としての提案である。アマチュアは長い目で観るととても有望な顧客になるのではないかということが私の視点である。
   
  エピローグ的に
   
  何処の町にも歴史があり、歴史の背景には人が生きてきた証がある。どんな聖人君子でも生きていかなければならない以上、生きるためのお金は必要になる。牛深という町がある。私がとても好きな町の一つだが、このところ人口流失に歯止めが掛らない。どんなに素晴らしい町でも仕事が無く、収入がなければ、そこに住み続けることはできない。小さな子供がいて安定的な収入が期待出来ないなら、子供達の教育も含め・・・外に出て行く選択肢しか無い。今の天草は・・・周辺部で特にその傾向が顕著になりつつあり、高浜も例外ではない。こういう時の解決法は徹底的な議論しかないと私は信じている。それぞれが具体的な案を持ち寄り、そのどれを実行に移すのか。遺された時間が少ないだけに、議論の時間も限られてくると思う。みんなが自分の考えを明確にすれば様々なアイディアが出てくるだろう。そのアイディアのすべて行うのか、一つだけ行うのか、あるいは3つか4つに絞って行うのかは、町に住む人が決めることだと思う。重要な事は決めたことは必ず実行に移すこと。実行したことは諦めないで継続する事。それが出来るかどうかは・・・住民力に掛っていると思う。どんなに優れたアイディアも実行しなければ絵に描いた餅だ。絵に描いた餅では腹が満ちることはない。しっかり計画して実行するより他に路はない理由がここにある。
   
  限界集落が現実に起こっている。限界集落の次に来るのは限界町村だろう。その先には限界市という現象が控えている。地方都市が泥舟化してしまうえば、そこの住民はこぞってそこを離れることになる。誰も泥舟に乗りたくないからだ。自分の生活に直結するのだから、人の考え方が無理をして田舎にしがみつくよりも、安穏に暮らせる都市で生きる事を選ぶ時代がすぐそこまで来ている。恐らく・・・これから先の時代は、都市に住むよりも・・・地方に住む方が様々な意味で難しくなってくるはずで、地方は生き残りを望むのであれば都会より知的水準が高い人が必要になってくる。都会はパーツとしての知識で済むが、地方に必要なものはパーツとしての知識ではなく、基盤から考えるという非常に多岐にわたる体系的な知識が必要になるからだ。都市には時間的制限はないが、地方には時間制限が存在する。地方は過疎化が進行しているので、物事の背景には必ずタイムリミットが存在している。これからの地方は走りながら考えなければならない。しかも考えたことを走りながら実行しなければならない。さらには走りながら結果も出さなければならない。これを行うにおいては、とても高いレベルでの智慧が必要になってくる。これを持ち得た地方のみが生き残るのだと私は考えている。
   
  ヨーロッパの城塞都市を巡ると、とても周到に考えられていることに驚くことが多い。町を作る時に天空から見たのではないかと思えるほど、地政学的な要所に作られていたりする。私は直感として、ヨーロッパの町は天空から眺めた神の視点と、山の上から眺めた王の視点、それから平面に立った住民の視点で作られた町が、一番住み易く優れた町だと感じた。この3つの視点を備えた町は長く栄えているケースが多い。今回・・・私が長い文章を書こうと思った背景には、高浜に対する思いもあるが、一度自分自身が町を作ることについての視点を考えてみたいと思ったことがあった。私の知る限り、ほぼすべての地方は疲弊しつつ、衰退への道を歩いている。現象が共通であるならば、原因は多くの場合一つである。メカニズムが判れば、再構築のメカニズムも提示出来るのではないか。少なくとも示唆出来るのではないかと言うことが、今回の長い文章の背景にある。既に地方は対処療法の出来る段階を過ぎているという想いが、私の率直な今である。
   
  私は情緒的な思考で物事を企てても疲弊した地方は復活することはないと思っている。復活のためには、合理的思考が必然になると思う。酷な言い方をすると夕日が美しいからといって、人がそこに来るケースはまれだ。夕日はどんなところで見てもそれなりに美しい。ビルの狭間に落ちていく夕日も醜悪なものではない。そう思う故に、衰退する地域に対しての考察を始めたのだ。合理的な視点で考えを進めること。これは文明を論じる時の手段でもある。我々は何処から来て、今何処にいて、これから何処に行こうとしているのか。私自身が原点に戻らなければならない必要がある時に、私はそこに一度戻るようにしている。立ち還って考えなければ全体像を見誤るからで、様々な情報をインプットし、そこから最適解を見つけ出す作業は、自分自身のケースも含め知的で刺激的で、面白いことだと思う。限界集落化する所には限界集落化するメカニズムがあり、そうならないところにはそうならないメカニズムがあるはずだ。今の自分たちがどう考えてどう動くべきなのか・・・それは陶芸という仕事を生業にする私にとって、自らに降りかかる最も大きなテーマであったりする。20年30年後に陶芸という仕事がどう変化するのか。その事を考え続けるのが私の日常でもある。考え続けることにより、我々人間という種族は地上の覇者としての地位を獲得した。課題が出てきた時にその事を解決してきたのは叡智の賜物であり、それ以上でもそれ以下でもない。ピンチの時にはみんなで納得がいくまで継続して考え続けてみる。そこにしか突破口はないのだと再度指摘して私の高浜を考える行為の終わりとしたい。
   
  ●<かなざわ・かずひろ> 天草・丸尾焼五代目窯元
   
   
   
   
 
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