特集 天草・高浜フィールドワーク2011開催
  懐かしい未来を求めて
文/ 藤原恵洋
   
 
  高浜フィールドワーク・リデザインワークショップが私たちにもたらしたもの
   
  さる2011年7月16日(土)から18日(月・祝)にかけ、天草の西海岸・高浜の静かな集落にはいつもとはちょっと風貌が変わった参加者が三々五々集っていった。誰に依頼されたわけでもない、長年私は九州大学大学院芸術工学研究院の研究テーマのいっかんとして独特の地域づくりやまちづくりを実践してきたが、そうした体験知のような勘どころも手伝ってこの地が気に入った。  忘れもしない。今年の2月5日(土)に「懐かしい高浜の未来に向けて」と題して開催されたまちづくりシンポジウム席上で「ぜひこの地を学生諸君や仲間たちと再訪させてください」と宣言して以来、少しづつ教え子や知己たちに呼びかけて、ゆるやかに連絡が全国を飛び巡った挙げ句、賛同した面々が自分の学業や仕事の都合をやりくりしながらこの地へ集ってきたものだ。  天草は遠い。私たちは福岡から片道4時間もかけて、九州大学のバスを駆って行かねばならなかった。しかしそんな遠隔の地ゆえに、彼の地に潜んだものは極めて無垢で美しく、そして謎めいている。
   
  そんな天草を畏友・金澤一弘氏は「日本の宝島」と形容してみせた。これが私にとっての大きな価値の逆転となった。つまり誰もが手垢をつけてしまった町並みや集落やふるさとならばそれもしかたがあるまい。しかし天草へ辿りつくには、それだけで大きなエネルギーと覚悟がいる。そう簡単には観光客たちが押し寄せてブームになるような安易な土地ではないということを知っている。それだけに宝は掘らなければどこからも出ては来ない。では掘りに行こう、と私が天草へ気を向け、そして天草へ行く理由はいたって簡単である。掘れば出てくる宝探しを毎回探し続けているのだ。  だからと言って、このような集まりを催すことに関しては、かつてのウッドストック的なイベントを狙ったものでもなければ、誰に依頼されたわけでもないから、ここに来て果たさねばならない義理や義務はまったくない。しかし私は、ぜひともこの地に集って、多士済々の仲間たちに私の見つけ出した宝物としての「高浜」を見せたいと思ったのだ。
   
  同時に、もうひとつの期待があったと言えば、私たちからじいっと見つめられることで、無垢な高浜が、どこか隠し持った魅力や潜在的な地霊の力のようなものをいつもとは違った深度で発揮してくれるかもしれない、と勝手なことを考えていたのだった。ある意味で、それは私の勝手な妄想や白昼夢かも知れなかった。しかしいたずらな近代化や現代化の波に攫われることなく、眠ったまちやむらが今の日本にとってきわめてたいせつなのは、こうした想像力を喚起させてくれる場所というのは、なにかがそこには隠れているからだ。掘るという行為は、こうした想像力を逞しくするということにほかならない。  そして、私の呼びかけに呼応しながら集った面々のプロフィールはじつに多彩である。いったいどういう関係なのですか、と何度も聞かれ続けて答えに窮した全国からの参会者は、ある意味で私の妄想や白昼夢を一緒に味わってみたいと集った仲間である。いわば妄想共同体のようなユートピアを一緒にまさぐってみようと名乗りをあげてくれたのだった。
   
  しかし、彼ら彼女らはどこにでもいる観光客のようでもあり、一見安全だが、どこか隠し持った意志の持ち主であったようだ。7月16日(土)午後に集ってすぐ、町中をまずは歩いてみましょう、とばかりトランセクトウォークを催したが、一緒に歩いてくださった高浜住民の方々を含めば40人以上のメンバーがわいわいがやがやと静謐な高浜の通りや路地をゆったりと歩きながら、次々と発される質問や感想がものの見事に高浜の地域社会の構造や仕組みをあぶりだすような指摘や発言となっていくことに気づいた。単なる観光でもビジネスや営業でもない、もうひとつの関心や関わりを醸成しながら、はじめてこの地を訪ねてくれた仲間たちと高浜がどのように結びついていくのか、期待が膨らむばかりであった。
   
  題して「高浜フィールドワーク・リデザインワークショップ」、けっして難しいことなんかどこにもない、むしろ日頃の方の力を抜いて、この地から湧き出ている地霊やアウラに出会ってみるのもいいものだ、と参会者をそそのかした。1980年代から私は全国各地さらには世界各国でフィールドワークを展開してきたが、元来フィールドワークがめざすものは、多彩な地域社会の中からテーマに適した場所を把握しつつ、観察行為や分析活動を通して、その場所の特性や意味を掬い上げていくことを大きな目的としてきた。しかしながら私は純粋な意味での調査や分析もさることながら、課題や問題が把握できるのならば、それらを解決し改善するための活動やそのための提案を行っていきたいと日頃から念頭に置いている。それらが学術調査を基盤にしたフィールドワークとの決定的な相違だと認識しており、今回の高浜でも、学問的に客観的な成果を挙げるための作業で終わらせず、必ず課題や問題への気づきを促し、さらにはそれらに対する解決・改善するためのデザイン提案をアウトプットとして求めていった。
   
  同時に、観光客がそうであるように、みずからの体験や見聞を広めるためだけのいわゆる観光や旅行でとどまらせず、さらには未開・未踏の土地を歩くだけの喜びや一方的な興味や好奇心だけで見てほしいとは思っていない。むしろ他者の視線や視点で地域社会に潜んでいる魅力や可能性をおおいにあぶりだしていただきたいと参会者には強調していったのだった。
   
  さて三日間の成果はどうであったろうか。
   
  フィールドワークの活動は、高浜の地域特性や事前調査から少しづつ見せていただいていた課題などを足場にしながら、5つの活動プログラムに基づいて行われた。参会者の多くはこれらのグループに別れて、さらには案内役や運転手を買って出る高浜のかたがたと一緒に活動を開始していった。もちろんこの間、かくいう私も一緒に方々へ歩き出ていたから、全体がどれほどの広がりや深さや厚みを持って動いていったのか知る由もない。本報告書には、こうした一人一人の参会者の経緯が、じつに多彩に、じつに多くの眼を通して語られており、読み応え十分であると同時に、高浜の地域づくりやまちづくを考えていく上で、じつに重大な観点や示唆が溢れた見事な成果集となっていることに気づく。そればかりか、参会者の心の中に宿った言葉にしにくい感情のようなものまでが一人一人の言葉として紡ぎ出されており、どこかじ〜んと感動を誘ってくる。こうした荒唐無稽なまでの集いを開催して良かった、と心から参会者のみなさまに御礼を申し上げたい。
   
  成果発表会は三日目の午前に開催されたが、本報告書に著された字面以上に魅力溢れた園芸大会のような素晴らしいパフォーマンスが繰り広げられていったんことは忘れられない。発表する者、聞き惚れる者、呆れて笑い転げる者、感激して目頭を熱くする者、高浜を媒介として出会った土着のたかがたと風のように現れた私たちが一緒につながりあった至福のひとときであった。
   
  本報告を巡っては、まだまだ語りたりないこと、伝えきれないこと、表現できないことが多々あるに違いない。でもそれは気にしないでいい。足りなくても構わない。全部を包みきれなくてもいいのだ。なぜなら、今回のフィールドワークとリデザインワークショップを通して、長年のフィールドワーカーを自認していた私だが、高浜を歩いてよかったと本気で感じた、そこからさらに続けて少なくともあと2年ほど、歩かせていただきたいと思っているからだ。来年も、夏の頃、各地から面白いメンバーを招いて、あらためて高浜の地を歩いてみたいともう気分は先に向かっている。きっと私だけではなく再訪してくれるメンバーは少なくないはずだ。
   
   
   
   
  ●<ふじわら・けいよう> 
工学博士・建築史家・まちづくりオルガナイザー・九州大学大学院芸術工学研究院教授・日本全国スギダラ倶楽部北部九州会員
九州大学研究者情報 HP http://hyoka.ofc.kyushu-u.ac.jp/search/details/K002281/index.html
E-mail keiyo@design.kyushu-u.ac.jp 
藤原惠洋研究室 http://www.design.kyushu-u.ac.jp/~keiyolab/
ブログ http://keiyo-labo.dreamlog.jp/
   
 
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