連載
  スギと文学/その35 『風の偏倚』をよむ
文/ 石田紀佳
  『風の偏倚』 春と修羅 宮澤賢治より 1922〜23年
 
 
 
心象スケッチ本文は先月号に。
   
   
  古びないどころか、よむときどきに、ちょうど今をかたっているようなことば。音がつらなって、ある情景がたちあがり、それぞれの境遇にぴったりとくる。
   
  風がびゅんとふきすぎて、クレオソートの匂いまでとばしたら、まあたらしい電柱も、ずっと前にできた山々も、それよりもっと古い月さえも、
  「すきとほって巨大な過去になる」
   
  この頁をみていて、これがおさめられている「春と修羅」の序をもういちどよみかえしたくなった。よんでみると、そうだ、このスケール観なのだ、と雨のしとしとふるうすぐらい夕方に、ひろびろとこの心身に雨粒がしみ、またこの身やこころみたいなものが雨粒になるかのよう。
  わたしじしんはたしかにたったひとり、芥子粒より小さい一点としてひろい時空にいるのだけど、
  「すべてがわたくしの中のみんなであるように/みんながおのおののなかのすべてですから」
   
  さてまた「風の偏倚」にもどれば
   
  杉が出てくるのはまんなかあたり、
  「杉の列はみんな黒眞珠の保護色」
  そしてその黒真珠の
  「杉の列には山烏がいっぱいに潜み/ペガススのあたりに立ってゐた」
   
  「すきとほった巨大な過去になる」今を生きているわたしたち。しかし、そうはわかっていても、沈澱する前の一喜一憂に右往左往している。
  だからこそ、ときに「風が偏倚」したあとにつったって、透明になりたい。
   
   
   
   
  ●<いしだ・のりか> フリーランスキュレ−タ−
1965年京都生まれ、金沢にて小学2年時まで杉の校舎で杉の机と椅子に触れる。
「人と自然とものづくり」をキーワードに「手仕事」を執筆や展覧会企画などで紹介。
近著:「藍から青へ 自然の産物と手工芸」建築資料出版社
草虫暦:http://xusamusi.blog121.fc2.com/
『杉暦』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_nori.htm
『小さな杉暦』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_nori2.htm
ソトコト(エスケープルートという2色刷りページ内)「plants and hands 草木と手仕事」連載中
   
 
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