連載
  スギダラな一生/第38笑 「カッコいいということ」
文/ 若杉浩一
  JR九州のスギダラ大将、津高さんの「カッコ良さ」に敬意と、感謝の気持ちを込めて  
 
毎年、毎年、今年はもっと大変だと言い続け、昨年は本当に大変な年だったイベントが暮れまで続いた。大半の休日が費やされた、そして終わると必ず熱が出る。今年もそうだった。しかし本当に今年は大変である。仕事もそうだが、仕事だかスギダラか、もはや区別のつかない代物が増えてきた。いったい何者なんだろうか自分は?これでいいのだろうか?と普通デザイナーであれば不安に思うはずだ。しかし最近はその意味が解らない世界の果てに、何かがあるような気がしてならない。
   
  さて、今回は、最近思った事「カッコいいって、凄い」って事をお話したい。 この事を痛切に感じたのは、宮崎での夜の事だった。川上木材の川上さんと宮崎文化本舗の石田さんに連れられ、カビリアに行った。この店が面白い。小さい店で、マスターが一人の一見、さして特徴のある店ではないのだが、とにかく面白いというのである。
   
  なんだか、昭和のアイドルの写真やポスターが貼ってあるので、まあ昭和バーかな、なんて思って酒を飲んでいた。そんな中、マスターが突如「赤尾敏」の選挙演説の映像を流した。僕はびっくりした。かなりの年だったので、聞き取りづらい。フリップなしでは、よく解らないのだが、そのエネルギー、言っている事の真っ当さ、当時は、右翼で云々なんて、皆が言っていたが、実に真っ当なのである。むしろこの年で、ここまで貫く姿が、妙に魅力的だった。そして次は内田裕也の選挙演説だ。これまた面白い、全て英語でしゃべっている。しかもロックンロールなまりだ。全て英語なのだが妙に、解りやすい英語なのだ。こんな演説やっても当選するはずがない、何でこんな事やるんだ?まったく意味不明だが、妙な力がある。
   
  それから、続いて昭和アイドルの連ちゃんだ、ちょっと何か言おうものなら、その言葉をたよりに映像が次々に出てくるのだ。場は異様な興奮に満ちてきた。「ノーランズのセクシーミュージック」「アバのダンシングクイーン」「ジンギスカンの、目指せモスクワ」「クイーン、フレディー・マーキュリーメドレー」なんだか説明出来ないのだが、これが映像を見ると本当にへんてこりんなのだ、いやどちらかというと、奇妙、いやどうにかしている。しかし、そのエネルギー、変な振り付け、昔はこうだったのかもしれないし当時は皆が熱狂していた。だんだん、そこで飲んでいたメンバーは、総立ち、手を叩き、踊り始めた。
   
  そしてあの感動のビデオが流れた、「ローリングストーンズのシャイン・アライト」である。平均年齢74歳バンド。ローリングストンーズのライブ設定の映画なのだが、僕は、数曲聞いたことがあるのだけで、ローリングストーンズを殆ど知らなかった。中学生から生意気なジャズオタクだった。そして初めて動画を見た。目茶無茶感動した、そのエキサイティングな音、躍動感、パフォーマンスどれをとっても、カッコいい、ただ、ただ「カッコいい」。
   
  メンバーの誰もが歳をとって、しわもあり、ジジイに違いないのだが、それを乗り越え「めちゃくちゃ、カッコいい」のだ。「パイレーツ・オブ・カリビアン」の船長と思っていたのがギタリスト「キース・リチャーズ」しわだらけの危ないジイさんが、神がかったギターを弾くわ、ヨボヨボの感じの、やせたジイさん「チャーリー・ワッツ」倒れそうだが、ドラムの前では生き返る。まるでゾンビバンドだ。「ミック・ジャガー」なんて、一体、歳幾つなのだ?ってくらい、セクシーで、激しいパフォーマンスをするのだ。2〜3曲見ただけで、口は開けっ放しで、瞳孔開きっぱなしだった。僕は、そのときの映像と興奮が脳裏から離れなかった。
   
  帰ってきて、僕はすぐそのDVDを購入し、最初から見返した。ローリングストーンズの何ものかが少し理解出来た。そして2回目以降は、今度は正座で見た、それから、そのDVDを会社へ持ち込み、パーティの度に一方的に見せている。
「どうだ、カッコいいだろう」「いや〜、カッコいい、まいった」。本当に「カッコいい」の押し売り。その上、皆でこのパフォーマンス覚えようなんて、スタッフに押し付ける始末である。何がそうさせるのか?何で熱狂するのか?何が潜んでいるのか?
   
  僕らの少年時代は、カッコいいヒーローや、凄い大人、憧れの先輩が沢山いた。そして、自分もいつかああなりたいと切望していた。大人になるにつれ、そして会社に入って、そんなものは、ありゃしないという事を知った。皆、カッコ悪い事を当たり前にし、むしろそうする事が経済なのだとすらいう人ばかりだった。僕はそんな会社にぜんぜん馴染めなかった。そして荒くれ、組織から追い出された。 しかし、そのお陰で、人生の師匠、鈴木恵三親分に遭遇し、カッコいい大人がまだまだいる事を知った。
思えば、自分はそんな、なれもしないヒーローに未だに、憧れているだけの、大人になりきれないオッサンだった。
   
  カッコいい」って難しい。お金では買えない。むしろお金がある事を前提にしていない。ぽっと出のスターや、アイドルには与えられない称号である。真っすぐに、真っ当に、歩み続け、その活動やパフォーマンス、人柄、そして生き方に与えられる言葉である。それなのに、大人も子供も、誰しもが解る、感じる感覚なのである。
「カッコいい」って凄い。そして「いつまでもカッコいい」ってもっと凄い。
ローリングストーンズも波瀾万丈な生き方をしている。若いときには、アバンギャルドで過激な発言や行動も多かったから、非難や中傷も随分あった。しかし、その真っすぐな音楽に対する情熱や愛、そして行動が、今も74歳バンドでも続いている、そして、今も輝いている。実に「カッコいい」。
   
  僕らは、今を、生きる事に一杯になり、そのためにカッコ良さを捨て、「カッコいい」事をまるで若者の戯れのようにしてしまったような気がする。お陰で何処を見てもカッコわるい大人ばかりだ。人を押しのけ、出世やお金を最優先させている。これじゃ夢も希望も無い。「カッコいい」の絶滅だ。
未来に対して人が勇気や元気や夢を持って豊かに生きて行くには、僕たちはお金や、地位、名誉でもなく様々な「カッコいい」をもう一度、創造しなければならないような気がする。
経済が悪いのではない、経済を成立させる為の理由として、格好わるくてなってはダメだという事なのである。正義を捨て、生き残るために、「カッコいい」を平気で捨ててはダメだということである。
僕らの身の回りには、カッコ悪いモノばかりだ。一円でも安くと、平気で人の努力を踏みにじってしまう。そして、いらなくなったら捨ててしまうような、束の間のモノに身を埋め、面倒で厄介な「カッコいい」を排除してしまった。そしていつの間にか、「カッコいい」が解らなくなり、平気でカッコ悪さを、皆が主張する世の中になってしまった。
   
 

杉を工業素材と同様に語るには無理がある、素材(組成)としてや、経済性としてだけ見るともっと無理がある。そんな事を力づくで、解決するより、現代の生活の中で「杉」を賢く豊かに使うこと、新しい「カッコいい」付き合い方を僕たちが身につける方がもっと自然なのではないかと思うのである。モノそのものに寄るのではなく、人や風景や、自然や環境と重なって、カッコ良く見える価値づくりを創造しなければならない。つまり人が変わる方が早いという事なのだ。全くナンセンスで、経済のロジックや、今の価値からは意味不明な事を、正しさと信念と力強さと愛を持って、凛として生きる、ロックのような「かっこ良さ」そんな事に、改めて感動し、到達し得ない「カッコいい」を思い描き、元気と勇気がまた沸き起こるのであった。
「こんちくしょう〜〜かっこいい!!」

   
  JR九州のスギダラ大将、津高さんの「カッコ良さ」に敬意と、感謝の気持ちを込めて。
   
   
   
   
  ●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 テクニカルデザインセンターに所属するが、 企業の枠やジャンルの枠にこだわらない
活動を行う。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長
『スギダラ家奮闘記』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_waka.htm
『スギダラな一生』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_waka2.htm
   
 
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