連載
  東京の杉を考える/第51話 「50年経つと」
文/ 萩原 修
   
 
 
  1961年生まれのぼくは、今年9月で50歳になる。ずいぶんと年を重ねてきたけど、まだまだ、どうやって生きていったらいいのか、何をやったらいいのか迷いながら、地面を、あちこち、うろうろしながら生きている。
   
  さて、2011年。これから10年でいろんなことが大きく変化する2年目だと考えている。「デザイン」という営みが4度、社会との関わり方を変える。4度とは、1920年代、50年代、80年代、そして、2010年代という意味だ。
   
  ちょうど30年周期ぐらいで「デザイン」が注目されてきた。大正時代、戦後、ポストモダンという時代の変革期に、「デザイン」が社会に必要とされたように思う。生活を改善し、都市を復興させ、経済を発展させるために、デザインが使われてきた。
   
  90年代のはじめにバブルがはじけ、暮らしを見直すためのデザインが必要とされた。ユニバーサルデザインやサスティナブルデザインという考え方も広まっていった。00年代は、メディアではデザインブームともいえるような状況になった。
   
  そして、2010年代。メイドインジャパンやディスカバージャパンがあたり前のようになってきている。コミュニティやシェアという言葉がデザインと接続されはじめた。農業や林業にも注目が集まり、スギダラにも追い風が吹いている。
   
  日本は、本格的に高齢化社会に突入する。「かっこいい」「かわいい」デザインではなくて、「やさしい」「気持ちいい」デザインが求められている。刺激が多いものよりも、刺激が少なく、さりげないデザインに人気が集まっていくだろう。
   
  デザイナーもこれまでのようなクライアントありきの仕事のしかたは減っていく。自らのリスクで本気でデザインに取り組まないと満足のいく仕事ができなくなっている。マスに向けたデザインではなく、限られたニーズに届くデザインが必要なのだろう。
   
  ぼく自身は、「お金」ありきの世の中にはなって欲しくないと思っている。売れる売れないのビジネスが優先する中だけにデザインが利用されるのは気持ち悪い。デザインの目的は、よりよい社会の実現だと思いたい。
   
  ぼくの仕事の究極の目的には、「世界平和です」と言ったら、笑われた。というか本気にしてくれなかった。先日、ある人に、「あなたの仕事は、社会を健全化することなんですね」と言われた。素直にうれしかった。
   
  自分ひとりではなにもできないと思っている。誰かと共感して、何かをはじめることから、少しの変化がおこる。その変化の先をいっしょに見つめていたい。見つめている先がいっしょなら、少々のトラブルも意見の相違も乗り越えていけるはずだ。
   
  杉も50年経つと、ようやく社会に役に立つ材になる。もちろん、若いうちもそれなりに、そして、60年、70年、80年、90年、100年と年月を積み重ねた何かが残る。いつ、伐採されてもいいように、しっかりと手入れだけはおこたらないようにしたい。
   
   
   
   
  ●<はぎわら・しゅう>デザインディレクター。つくし文具店店主。
1961年東京生まれ。武蔵野美術大学卒業。
大日本印刷、リビングデザインセンターOZONEを経て、2004年独立。日用品、店、展覧会、書籍などの企画、プロデュースをてがける。著書に「9坪の家」「デザインスタンス」「コドモのどうぐばこ」などがある。
つくし文具店:http://www.tsu-ku-shi.net/
『東京の杉を考える』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_tokyo.htm
   
 
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