連載
  最近の様々な動き vol2
文/写真 ・  南雲勝志
   
 

収収穫の秋、今年の話題で特に気になったのは熊の出没とスギヒラタケの毒性であった。熊は 今までもちょくちょく出没してはいたが、今年の数は異常である。サルも同様で相当数が増えているという。一説によるとナラが大量に枯れ、ドングリが出来なく食料が足りないためとか言われていが、確かな事は里地、里山に於いて人と動物の領域が変化し、ずっと人家に近づいている事だ。人の足が遠のけば、当然動物は自分の領域が増えたと思い、山を下りて来る。
スギヒラタケは実家のあたりではカタハと呼ばれ、子供でも絶対に間違わない安全なキノコであった。伐採した杉の木の古木に生える半円状のしっとりとした白いキノコである。杉の木と苔の臭いが少々きついが、秋の薫りを感じる欠かせない食材である。それが今年は行政からも摂取禁止令が出て、採る人もほとんどいないらしい。こちらは雨の中の成分が原因で土壌が変化したのでは…とか言われているがこれも確かな事は分からない。このところの自然の変化には本当に驚く。いずれにしろ、この異常も人が原因である事は間違い無さそうだ。

       
  再び大間へ
 

さて、前々号はここまでで続くであった。
もうずいぶんと前のことのようである。
ドーコン安江親分、内田洋行札幌支社長名畑さん、伊藤さん、本間さんが参戦した。
要は本州最北端、下北半島の大間町で頑張る「あおぞら組」の勝手に応援団である。
あおぞら組は凄い。島組長以下10名ちょっとのまちづくり精鋭NPO集団である。まちづくりの企画、商品企画、デザイン能力を持ち、まちおこしゲリラと自らを呼ぶ。言ってみれば「専門的市民が、自ら実行力を身につけた実行集団」と言えるのではないだろうか。行政と市民の間に立ち、現実的にわかり安く、事を起こし、実行していく。その活動の場は大間を離れ、東京や四万十まで波及している。多分元気な地域では、同様の組織がこれからアチコチに出来るのではないだろうか。これからのまちづくりのトップリーダーになるであろう。
話は戻るが、この青空組の10周年記念のお祝いに屋台ワークショップを開催し応援しようと言うのが安江親分から与えられたミッションであった。ヤタイは製作や管理保管が結構大変である。「たとえば工場にある「ウマ」に板を載せたような簡単なもので良いかも知れない。大きいものはヤタイ、小さいものはベンチ・・・」そこまで話すと横にいた若杉さんが嬉しそうに言った。「おうまの親子ですね。大きいウマ、小さいウマ。おおまだけに。うまい!」こうやってまた新しいデザインが生まれていく。もちろん木材は地元産天然青森ヒバである。 10月8日、例によって津軽海峡経由で大間に入り、翌日のWSは「地元大間中学校との屋台コラボレーション」だ。やけにみんなテキパキ動きが良いと思ったら、この日集まってくれたのは生徒会役員の面々だった。それにしてもみんな元気がいいし、いい顔してる。即日完成し、夜の青空組10周年祝賀会にさっそく登場し活躍した。

 
おうまの親子組み立て中 
完成後記念撮影
10周年会場で大漁旗で飾り付け。 
j女子郡は特に明るい。 
 
 
   
 
杉コレ2010 in 西都
 

10月29日本審査当日、美しい「鬼の巖」古墳をバックに作品が並び、西都原の空は夕焼けに輝き、作品の横にはかがり火が燃え上がる。その風景は当初イメージした西都杉コレの光景そのものであった。感動的だった。
思えば昨年の杉コレ in 日南で、皆川さんと池水さんが、「来年は我々が担当します。よろしくお願いします。」と言ってから一年が経ったのだった。
「西都でEXCITE」と漠然としたイメージは決めたものの、具体的には皆川さんと野沢温泉火祭りの見学がスタートだった。その後「古墳で興奮」を初め、最終テーマを決定し、いよいよ応募を始めた途端、今年最大の苦難の時期に突入する。一時は開催も危ぶまれた。しかし関係者の努力で何とか一次、二次審査を行い、さて、いよいよ本番という時に今度は台風である。一週間間前から前日までは天気予報と睨めっこだった。
終わってみれば、西都でEXCITE、古墳で興奮。まさにタイトル通りの杉コレが行われた。木青会、県関係者、西都市、地元商店街の皆さん、スギダラや応援団の想いが伝わった。 しかし、今年は杉コレ史上、本当に大変な年だった。疲れたがその分達成感も、満足感もあるのでは無いだろうか・・・
杉コレ2010 in 西都は大成功だった。しかし簡単には言えない感情がある。多分宮崎を一巡した杉コレは第一段階を終え、次のステージに向かうのだろう。来年のことは少し経ってから考えたい。しかし日向木の芽会はすでに動き出しているらしい。(笑)
杉コレ終了後、西都市内で開かれた深夜の懇親会は杉コレ関係者と市、商店街の皆さんと盛大に開かれた。杉コレはまちづくりかどうか? は別としても、とてもいい光景だった。辻さんの笑みが浮かんでくる。

 
櫓から見た鬼の窟 古墳全景  
夕暮れ時、先品の横にかがり火が並ぶ。  
審査を終えた神々。   
杉コレ関係者と西都市関係者の合同懇親会。 

翌日は朝早くから、日向市駅周辺グランドオープンに参加するために日向市へ。口蹄疫でひょっとこ祭りはじめ、大きなイベントがことごとく中止になった今年。そんな気持ちを払拭するようなグランドイベントであり、多くの市民が参加し賑わった。その企画のひとつに山田洋次監督の「幸福の黄色いハンカチ」の上映会があった。感動した。
終わった後、僕は日向市の和田さんが、なぜこの日にこの映画を選び上映したか、考えていた。「深い愛や優しさ、笑いなどがテーマのこの映画を、日向市の記念すべき日に市民に見て貰うことで、みんなが一緒に優しく温かい気持ちになり、それを記憶に残しておきたい。その思いに共鳴した山田洋次監督の熱意も加わり、メッセージはしっかり伝わった。それは和田さんにとって、そして日向市にとって、市民が一体になって初めて可能になる、まさに日向流のまちづくりなのである。」そんなことを和田さんに話すと彼は少しはにかんだ。

その日の懇親会は日向プロジェクトチームのみんなで、ただひたすら呑み、語った。内容は例によってよく覚えていないが、心地よい、楽しい、幸せな夜だった。

翌日は「日向都市デザイン会議」祭集会。最終報告と日向市が次に繋ぐ体制づくりを宣言し、10年余りのプロジェクトが一旦終了した。日向の面々に別れを告げ、都城市に向かう。

       
  西都城駅前通り竣工イベント
 

残念ながら予定が重なり、「西都城駅前通り竣工イベント」は参加出来なかったが、11月3日は歴史的な1日になったのではないだろうか。7〜8年に渡り、蔵原通線シンボルロード、そして西都城駅前広場の整備を行ってきたが、我々の目的は道や駅広の整備だけではなく、いかに地域に密着した場を作るかであった。 日向を例に出すまでもなく、道や広場を作ってもまちは動かない。そこに住む市民が一緒に担って作り上げることに意味がある。しかし日本中みんな日向市のようには行かないのだ。
通り会加治屋さんとミヤダラ崎田さんが中心となり、地元との調整を図ってきた。というか一生懸命まちづくりの大切さを説いてきた。 少しづつだが地元通り会、そして都城木青会にも声を掛け、協力をお願いしてきた。完成の半年前くらいから地元の機運は盛り上がり始めた。 第一段階で9月22日、地元の小学生によるバスシェルターの杉ルーバー取付イベントを行い、都城木青会も子供を対象にしたイベントを行った。徐々に下地は出来て来た。そして迎えた駅広竣工日多くの市民が集まり完成を祝った。 木青会は今度は全長15mとなる、「みや根性団屋台」を製作し、イベントを盛り上げた。
途切れ途切れだったいくつかの力が、少しづつ繋がり始めた瞬間だったと思う。

 
9月22日、取付イベントを終えた地元の小学生 
都城木青会と大人達   
   
  完成間際の西都城駅前広場   都城木青会による15m屋台「みや根性団屋台」
 

 

 

宮崎空港保安検査場デザイン

  どれだけひっくり返ったかわからない。もうやめよう、もう降りる、そんな事を一年間若杉さんと繰り返し、ようやく完成した。
宮崎空港の長濱社長から内田洋行チーム、ナグモデザインチームは今までに無い価値観を求められ、しかしここまで来たらもうやるしかないだろう!と突き進んできた。
11月9日、こちらも残念ながら竣工式に行けなかったが、完成した空間はそれだけ時間をかけただけあって、今までに無い新しい機能を持った空間が出来た。終わってみれば空港で一番嫌な空間、保安検査場を心地よい空間にする事で宮崎空港のイメージアップをしようという極めて説得力のあるプロジェクトであった。若杉さんと納得のいくものが出来たね、とたたえ合った。 我々は別に杉の伝道師ではない。(笑)でも杉も奥が深い。試練を乗り越えると次のものが表れるのかも知れない。坂本君、出水君本当にお疲れさま。
 
ついに完成した保安検査場
一応オビスギダラケ。柔らかな曲線が特徴。
       
 

Gマークとobisugi design

 

11月10日のグッドデザイン賞大賞選考会、及び授賞式は粛々と行われた。一年かけて審査を終え、残りは大賞選出と授賞式である。少しお祭りモードの中、ミッドタウンで行われた。 その結果や感想については別の機会に語るとして、この日の最大の盛り上がりは、日南飫肥杉研究会のobisugi-design商工会議所会頭賞のお祝いであった。日南から駆けつけた3人に加え、7時頃から始まったお祝い会は、今まで関わったさまざまな人々が駆けつけ、加えて健ちゃんのサプライズバースディも絡み、最高の盛り上がりであった。
Gマークの最も大切なこと、受賞することではなく、受賞者が喜び、誇りに思い、デザインのエネルギーを次に繋げていく勇気を持つことだ。そういう意味でobisugi-designチームは「Gマーク de 盛り上がり大賞」であった。日南飫肥杉研究会はそれを日南市地域全体の喜びに繋げていくに違いない。

 

受賞する内田洋行大久保専務と池田会長 

サプライズもありました。   
 

さて、このように書いて見ると、色々と準備し、継続してきた幾つかのプロジェクトが次々と終了した。バタバタしたけど、終わってしまうと何だか寂しいものだ。しかし、スギダラでやることはどんどん増える。仕事のようで仕事でないもの。仕事であってもスギダラのようなもの、そんな事が多すぎるのだ。スギダラを初めて8年余り、それまで見えなかった大切なものがずいぶんと見えてきたことも事実である。 それは人と人が気持ちよく、幸せに、豊かになるために、お互いの共有価値を見つけ出すこと。そしてそれを具体的にするためにデザインは成立するということ。様々な人々、様々な事例に直面し、喜び苦しみ、笑い、呑み、そんなどうでも良いことに見える一連のことのなかに、デザインのベースが含まれていると教えられた。 最近思うことは、金とは別の価値観で、気がついたら思わず体が動いてしまう。そんな仕事をライフワークとしてやって行けたら幸せである。

間もなく今年も終わる。あと二山かな。何だかとても疲れた。そしていろいろな人にお世話になった。 誰かれなくお疲れ様、そしてありがとう、と言いたい気分であるがまだ終わらない。

   
   
  ● <なぐも・かつし>  デザイナー
ナグモデザイン事務所 代表。新潟県六日町生まれ。
家具や景観プロダクトを中心に活動。最近はひとやまちづくりを通したデザインに奮闘。
著書『デザイン図鑑+ナグモノガタリ』(ラトルズ)など。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部
 
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