連載
  スギダラな人々探訪/第47回 「生物材料工学研究室 小幡谷英一さん」
文/ 千代田健一
  杉を愛してやまない人びとを、日本各地に訪ねます。どんな杉好きが待ち受けているでしょう。
 
今回のスギダラな人々探訪では筑波大学生命環境科学研究科准教授の小幡谷英一(オバタヤエイイチ)さんをご紹介したいと思います。
小幡谷さんは7月の下旬にスギダラ会員登録をしていただいたばかりのお仲間です。登録時のコメントにちょっと興味そそられることが書かれてあったので、早速、小幡谷さんの研究室のサイトを覗きに行きました。まず印象的だったのは「生物材料工学」という研究タイトルです。「生物工学」ではなく「生物材料工学」なのです。
http://www.sakura.cc.tsukuba.ac.jp/~obataya/
   
  バイオテクノロジーに近い基礎研究から木材を見てらっしゃるのだろうか?とも思い、ページをめくって行くと、どうやらそうではないらしい。
小幡谷さんの研究で目を引くのは木材を「楽器を製作する材料」としてとらえているところです。そこに書かれていることを読んで行くとなぜ楽器なのか、合点がいきました。楽器だけでなく、生物材料としての木の良さを最大限に引き出してゆくための研究なのではないかと感じました。
中でも最も感銘を受けたのは「一般の方向け」として書かれてある「木づかい」に関する記述でした。
木の性質を中心に研究されている中で、日本の木材が置かれている現状に触れ、もっと「たくさん」「上手に」「永く」使って行かねばならないと木づかいの勧めが工学的見地から書かれてあります。なるほど、これが生物材料を工学的に研究してゆくことから来る木の捉え方なのだ!
これを読んで、大変僭越ながら、スギダラと合い通ずるものがある!と感じた千代田は、会員登録してくれたばかりの小幡谷さんに会員登録完了通知のメール送信に乗じて、月刊杉の中で、生物材料の観点から木材についての研究をいくつかご紹介いただけないか?と依頼してみました。
そんな図々しいお願いにも関わらず、小幡谷さんは即引き受けてくださり、3つのトピックを記事にしていただきました。読者の皆様には、じっくり読んでいただけるよう、ちょっともったい付けて3回に分けてご紹介させていただきます。
   
  まず、第1回目は「木は見た目である!」というトピックからです。
小幡谷さんとの出会いを通じ、材料としての研究の世界とデザイン、ものづくりの世界に新たな繋がりが生まれ、木材活用の可能性が広がって行くのではないか、と期待が高まりました。(ち)
   
 
   
 

「木は見た目である」

 
小幡谷 英一 (筑波大学生命環境科学研究科准教授)
   
  木材科学の教科書を開くと、木材の優れた性質がいろいろ書かれています。軽くて強い、耐熱性や断熱性が高い、等々・・・。木材に含まれる精油成分には様々な生理活性がありますし、他の材料には真似のできない優れた音響特性を持っているからこそ、多くの楽器が木材で作られています。一方、木材は、材質にばらつきがありますし、湿度が変わると伸び縮みします。虫に喰われるし、火を付ければ燃えます。ですから、結局は「木材を使うときは、その性質をよく理解した上で使いましょう」という話に落ち着きます。
   
  では、100均で売られているプラスチックのお椀を使わずに、ケヤキのお椀を使っている人は、木材の物理・化学的性質が優れているという理由で選んだのでしょうか? たぶん違います。もし、そのケヤキのお椀にカビが生えて汚れてしまっても、コンロの火に近づけすぎて焦がしてしまっても、またケヤキのお椀を買うでしょう。多少ヒビが入ったからと言って、「やっぱりプラスチックの方がいいや」とは思わないはずです。
 
  ケヤキの椀
   
  誤解を恐れずに言えば、木材の良さはは一に見た目、二に触り心地、三、四をおいて五に物性だと思います。我々一般人が直接触れることのできる木材は、床や壁などの内装材、あるいは家具や食器などの什器に限られています。内装を評価する基準は、強度や耐熱性よりも、見た目や触り心地と言った感覚的な性質(感性)でしょう。また、什器を選ぶ際にも、やはり見た目や触り心地が重要です。もちろん、ダイニングテーブルには強度が必要ですし、食器には耐熱性が必要ですが、それらは選択の際の最優先項目ではありません。また、最近の木造住宅は構造材(梁や柱)が隠れている場合が多いため、木材の「強さ」を意識する機会もあまりありません。
   
  おもしろいことに、木材の見た目や触感を心地よく感じる感覚は、万国共通というわけではないようです。日本では木目を美しいと思う人が多く、塗装も透明なものを好む傾向がありますが、欧米ではそういった拘りがないため、家を長持ちさせるためならペンキを塗りたくることも躊躇しません(合理的ではあります)。また、中国では木の家より石の家の方が丈夫で安心感があると感じられるようです。
  我々日本人の木目好きは、家具屋へ行くと良くわかります。安価な家具の多くは合板やパーティクルボードなどの木質材料でできていますが、それらの表面には必ずと言っていいほど木目を模したシートが貼り付けられています。一方、最近各地に進出している北欧の大型家具店(IKEA)に行くと、白や赤など、鮮やかな色で塗装された家具が多いことに気づきます。中身は同じですが、それらは決して「木製」に見えません。つまり、我々が好む「木材らしさ」とは、まず「木材らしい外観」であると言えます。このような感性は、何千年もの間、身の回りのありとあらゆるものに木材を利用してきた日本の歴史や文化に基づくものだと考えられます。
   
  「木材は見た目だ」という考え方は、木材の物理・化学特性や環境性能を研究している科学者からすれば、いかにも乱暴で非合理的なものに見えるでしょう。確かに、住宅構造材やコンクリートの型枠、家具に多用される木質材料など、木材の「メジャーな」用途において、外観はそれほど重要ではありません。逆に、外観が重視される内装や什器はどちらかと言えば「マイナーな」用途です。しかし、それでも敢えて「木材は見た目だ」と強調する理由は、それが一般の人にとって一番「わかりやすい」からです。
化石資源や鉱物資源に限りがある以上、我々はこの先、好むと好まざるとに関わらず、木材を使っていかなければなりません。しかし、木材研究者が木材の良さを説明しようとすると、どうしても強度や耐熱性といった「性能」の話になります。それももちろん大切なのですが、我々人間はもともと感覚的な生き物です。何かを選ぶとき、必ずしも合理的な理由だけでは選びません。むしろ、何となく心地良い、何となく美しい、といった感性で選ぶことの方が多いのではないでしょうか。
そもそも、特定の性能だけを重視するなら、ほとんどの木製品は木以外の材料でも作れます。木材でなくても丈夫なダイニングテーブルは作れます。お椀や箸が木製である必要はありません。ですから、特定の(物理・化学的な)性能だけに基づいて合理的に材料を選択するようになったら、木材の用途は今以上に狭まってしまうでしょう。
   
 

材料学者は、美しさや心地よさといった感性を、ともすれば曖昧で主観的な、つまり非科学的なものとして軽視する傾向があります。少なくとも、材料学者が「木材は結局見た目です」と言い切るにはかなりの勇気が必要です(自己否定につながりかねません・・・)。実際、日本の大学で、木材の感性(視覚特性や触覚特性など)を科学的な視点から研究している人は数えるほどしかいません。また、モノ選びを左右する「デザイン」についても、どちらかと言えば科学の対極にある「芸術」の分野と見なされており、材料学者とデザイナーが協力してモノ作りをする機会はそれほど多くありません。
木材の利用を進めるには、工業の立場から研究・開発を進めるだけでなく、様々な分野の専門家が、一般の人の目線に立ち、分野の枠を超えて協力する必要があるのではないでしょうか。この月刊「杉」や「スギダラケ倶楽部」がそのような異分野コラボレーションをインキュベートする場になることを期待しています。

   
 
   
  次号は「軽い材料ほど強い」です。お楽しみに!
   
   
   
   
  ●<ちよだ・けんいち>インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社パワープレイス所属。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部広報宣伝部長
『スギダラな人々探訪』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_chiyo.htm
   
 
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