特集 木匠塾
  木匠塾に卒業はあるのか -木と人のモノガタリ- その3

文/写真 戸田都生男

 
●木匠塾経験者たちの今
   
  木匠塾の経験者らの動向を具体的に見よう。2007年に川上村木匠塾の10周年記念シンポジウムを開催した。その際に訪れた卒業生の20歳代前半から30歳代後半の計33名に職業について調査をおこなった。予想されたことだが建築設計事務所、工務店、ゼネコンといった建築業界が多い。
   
 
  川上村木匠塾卒業生の職業調査・男女別:2007年川上村木匠塾10周年記念シンポジウム
   
  しかし、注目すべきは最近のヒアリングによると本業以外のプライベートでも、コンペ、建築の改修などものづくりに関する活動の継続や山村地域で得た経験を現在の実生活でも何らかのかたちで取り入れていることだ。
   
  以下に数名の木匠塾経験者の現在を紹介したい。
  先ず、元祖といえる岐阜の加子母木匠塾では森田一弥氏の活躍が目覚ましい。京都大学で学び、卒業後は左官職人として修行し、現在は京都の静原という集落で一級建築士事務所森田一弥建築設計事務所を主宰している。(JCDデザイン賞、INAXデザインコンテスト、大阪建築コンクール 渡辺節賞他受賞多数)
  ローカルに根ざしながらグローバルな視野をもち活動を続ける姿は、まさに木匠塾の地域に根ざした活動経験を見事に実社会で反映させており、見習うべき視点だ。
   
  川上村木匠塾では、1998、1999年に大阪芸術大学建築学科副手として参加し、2003-2005年には大阪デザイナー専門学校教員として参加した高橋俊介氏がいる。((株)基本フォルム一級建築士事務所 代表取締役・一級建築士  2000年第4回木材活用コンクール審査委員長賞、同年JCDデザイン賞新人賞)
  当時から情熱を持って取り組む姿勢は今も変わらず兄貴と慕うOBOGは数多い。
   
  同じく大阪芸術大学出身の柱エ康成氏(株)坂倉建築研究所大阪事務所勤務)は1999年学生として参加、2000年副手として参加した。2005年に、杉コレクション「一坪の森・足跡のダンス」で特別賞を共同受賞し、現在も商品化に向け活動中だ。個人でもプロダクト系のコンペなどデザイン活動を継続し受賞も数多い。
   
  滋賀県立大学出身の与語一哉氏は2006年の学生代表幹事だった。現在は岡山にある「きなりの家株式会社」にて木造住宅の現場監督をしている。大学院ではコミュニティーアーキテクト(近江環人)の称号を取得した。彼もまた2007年の杉コレクションにて「木漏れ光橋」で入賞を果たしている。
   
  スギダラの杉コンペ「杉コレクション」には知る限り木匠塾経験者では2名が入選を果たしている。(ちなみに木匠塾ではないが個人的に私の大学時代の同窓も含めると、杉本清史氏と宮田英輝氏「風のフォーリー~Blowin' in the wind~」も2005年に優秀賞を受賞している)
   
  何も受賞だけが木匠塾の与えた影響や効果ではない。卒業してからもプライベートで各地を訪れ民家の改修を続ける者や、自分たちがかつて製作した物を見学しメンテナンスを行う者たちもいる。さらに川上村木匠塾を経験した高橋功治氏(一級建築士事務所高橋功治アトリエ主宰)は自ら住まう木造の長屋を毎週のように住みながら改修している。「万能工的日曜大工こそが設計と施工をつなぐ」と言わんばかりに励んでいる。
   
  彼らの行動の結果や過程、その実践こそが木匠塾の意義の一つではないか。もちろん、ここに取り上げた方々以外にも活躍されている方はいる。私の知らないところにも。彼らは純粋に木だけを追いかけているだけでもなく、幅広い活動を展開しつつある。きっと心のどこかで「木への愛着」を抱きながら。
   
  つまり、木匠塾は木造建築設計、デザインなどの、ものづくりの入り口の部分を担い、木に対する「きっかけ」を与えている。スギダラの南雲さんふうにいえば「木っかけ」だろうか(笑)。私自身は木や森、木造建築そのものよりもむしろ、地域や人とのつながりやその仕組みに可能性を感じている。これまでに出会った参加者は数え切れない。毎夏、卒業生たちが休日になると数人の仲間と活動を見に来てくれることがある。顔は憶えてはいるが名前と一致しないこともある。今も学生時代の木匠塾仲間との連絡はある。社会に出た初期の木匠塾経験者は仕事を初めて既に10年以上となり、職場でも中心的な役割を担いだしている。かつての学内外での繋がりが社会で生かされ始めつつある。それが何よりの財産だろう。
   
  卒業後も自分が制作したものを見に再訪する参加者もいる。活動地域の工務店等に就職した者もいる。参加者同士で結婚して新たな家庭を築いた者たちもいる。そうなると木匠塾の2世代目への継承となる可能性もある。森林や木材を通じた、新しい人と人とのつながりが生まれ始めているのである。そのような人たちのネットワークを維持していくことで、受け入れ先の町や村に身の丈の恩返しをしていくことも今後の課題かもしれない。さらに毎年、現役の学生が参加することでその数は増え続ける。加えてスギやヒノキのオフィスの内装や外観など木造建築空間の活用は増えつつある。参加経験者たちが各地の行政、製材所、工務店などと連携することで具体的な木材活用がなされ、新しい木の文化が生まれていく予感は十分にある。 
   
  誤解を恐れず言えば、「木匠塾に卒業はない。」たとえ社会での昇華はなくともその濃厚な体験のみが残り続ける。
   
 
   
  ●「スギダラVS木匠塾」へ向けて その比較
   
  そう遠くはない未来に「スギダラVS木匠塾」という企画の話が浮上している。これは南雲さんからの提案で私も賛同している。「スギダラVS木匠塾」の内容はこれからだと思うが何やら面白い動きが期待できそうだ。その前振りとしてあえて両者を比較してみよう。
   
  スギダラに比べると私たちの歴史の方がはるかに古い。スギダラケ倶楽部が2005年位、岐阜の木匠塾は1991年、川上村木匠塾は1998年に始まった。関係者の人数はどれくらいだろうか。スギダラの会員は既に1,000名を越えているのではないか?前述したとおり川上村木匠塾は2009年度これまでに約890名、全国の木匠塾では正確には算出できないが約3,000名の経験者がいる。
   
  活動地域は微妙にずれている。例えば吉野町と川上村。両者とも奈良の吉野地域にあたる。吉野では「チームカスガイ」という若手が結成しているグループも立ち上がった。そのメンバーの1人は川上村木匠塾にも顔を出してくれた。秋田県もスギダラが秋田市や能代、木匠塾が角館町、京都なども同様のことがいえる。木匠塾では関東や中国、四国、九州、特に関西以外の西日本での具体的活動はない。遠い親戚より隣の人のような感覚でもって双方の交流が深まればと思う。詳しくは全国スギダラマップ木匠塾マップを参照されたい。
   
  話題性は、広報やイベントが充実しているスギダラが圧倒的なのではないか。月刊スギや杉コレクション、度々登場する木造の屋台など木匠塾からすれば豊富な活動である。川上村木匠塾では毎年、学生たち主体でMOQBOOKという活動報告書を発行しているが、これも一般公開できれば面白い。
   
  スギコレクションでのテーマの名称「こりゃスギぇー」「西都でEXCITE!古墳でコーフン!」などが目を引く。川上村木匠塾でも近年、参加学生たちが独自にその年の活動テーマとしてキャッチフレーズをつけている。「村for all、 all for村」、「いいんだよ、Greenだよ」などがある。これらの比較においては木匠塾がややおとなしいといえるだろう。
   
  両者の共通点といえば地域づくり、まちづくりの嗜好が見て取れる。ハコモノでない公共の場の創出ともいえる。今後、公共建築物木材利用促進法も施行されることもあり益々期待が高まる。言うまでもなく、木のものづくりをしている点も共通している。木匠塾で製作する小さな木造建築などは参加校の教員や地元の方々からは意見を頂くが、おそらく外部の方からは批評などを受けたことがない。スギダラ支部関係者の方やスギコレの審査委員の方々からも活動や製作物へ感想を頂くことはできないものだろうか。先ずは双方の活動紹介や意見交換、交流のできる気軽な場ができればと思う。本稿を読んで頂いている木匠塾のOBOG、現役の学生その他関係者皆さま、そしてスギダラの皆さん、「スギダラVS木匠塾」企画に賛同頂ける皆さん、具体的な企画はこれからです。先ずは本稿を読んで興味関心のある方、「この指に止まれ!」ぜひともご協力を頂きたい。場所は、この3月に南雲さんとともに出会った神奈川県秦野のみなさんの拠点!?と噂されている。
   
  さらにスギダラ、木匠塾の他にも似たような活動が各地にある。同じようなことをやっていながら交流の機会がもたれていない。いずれどこかでつながるかもしれない。なぜなら木匠塾の参加学生などの中には似たような活動を兼任しているツワモノもいるからだ。
   
 
  秦野の皆さんと南雲さんと戸田(後列左から三番目)
   
 
   
  ●おわりに
   
  参加者らは木匠塾で毎年のモノガタリをつくっている。木造ひいては建築やデザインにおいて大切なことは総合的視野とバランスの取れたな思考と実践だと思う。そのことは森林や集落の暮らしを目の当たりにすることでより意識できる。樹木の生長から木材としての伐採、木造建築としての構築、さらにはそれらが活用される風景、経年変化によるメンテナンス、やがて朽ち果て土へ帰る時、そしてまた植樹へ。森林内の循環のようにすべてが繋がっている。木匠塾のメンバーが学年や学外を越え地域に入ることで日常生活では得られない繋がりを形成している。今や実社会の中でその動きが芽吹き始めている。人を介して木や森を意識し、理解を深めている参加者たち。しかしながら木匠塾で教わることは限られている。自ら体験し、学ぶ姿勢の必要性が問われる塾である。繰り返すが木の長い歴史に比べれば木匠塾の活動は微々たるものだ。木匠塾は参加学生たちと地域の長い「モノガタリ」だ。その経験が人生に何らかの影響を与える。おそらくこれからも果てしない青春を走り続けていくだろう。
   
   
   
   
  *参考文献
 
著者
タイトル等
発行年
布野修司 他
群居47号、特集「木匠塾」、群居刊行委員会
1999.3
戸田都生男
農山村での木による実寸大「ものづくり」の実践効果「木匠塾」が建築・環境系専攻の大学生と地域に与えた影響その1 -川上村木匠塾10年の継続を事例として-
(財)住宅総合研究財団住教育委員会「住まい・まち学習」実践・報告論文集9、P89-94
2008
同上タイトル その2-川上村木匠塾卒業生の活動を事例として-
(財)住宅総合研究財団住教育委員会「住まい・まち学習」実践・報告論文集10、P83-88
2009
建築界における職域の「振幅」、建築年報2009(投稿論文)視点 、
日本建築学会建築雑誌2009年9月号、P18-19
   
   
  ●<とだ・つきお> 木匠塾・実行委員会代表
(財)啓明社・特別研究員、
京都府立大学大学院生命環境科学研究科博士後期課程在籍(建築環境心理・行動学専攻)
同校非常勤アドバイザー及びティーチングアシスタント、環境省登録・環境カウンセラー、
戸田環境企画研究所としても活動中
   
 
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