特集 日南飫肥杉大作戦に見る、スギダラの可能性
  杉玉大作戦

文/写真 荒川堅太郎

 
●杉玉との出会い
   
  日南飫肥スギ大作戦の準備も終わり会場が沢山の人でにぎわう頃、スギマモ氏と私は「北のスギダラ」が出展するテントに吊下がっている杉の葉でできた球状の物体を眺めていた。私はどこかで見たことがあるなと思っていた。
   
  すると「それは“杉玉”と呼ばれ、酒屋などの軒先に吊るすことで新酒ができたことを知らせ、この杉の葉が枯れて茶色になることで新酒の熟成具合をみなに知らせるものである」と中の人が教えてくれた。そういえば、私の実家の近くにも酒蔵があったので、子供の頃によく見かけた遠い記憶が蘇ってきた。私がお酒を飲むようになった頃には故郷の広島を離れ、“酒=焼酎”という文化の九州で生活するようになった。それ以来、杉玉を目にすることや思い出すこともなく年月を重ねてきた。
   
  しかし、今、私の横で幅1mを超えていると思われる巨大な杉玉を、若杉さんが「やっと挿し方のコツが掴めてきたよ。」と言えば、南雲さんが「そうそう段々上手になってきたじゃない。強引に挿してもダメなんだよ。ちゃんと優しくしないと。」と二人でニヤニヤしながら製作しているのである。その後も沢山の杉の葉が追加され、私の目には“愛・地球博のモリゾー”のように見えた巨大な杉の固まりは、見事に直径70cm程度の球状にカットされ、スギダラ館のエントランスを飾る杉玉として旅立って行った。
   
  それを見ていた負けず嫌いのスギマモ氏が「オレ達も昼までに一つ完成させるぞ!」と突然言い出した。それも、一から十まで全て自分たちの手で作り上げると言うのだ。偶然その場に居合わせた千代田さんに話を聞いてみると、「杉の葉は芯玉に挿すので、まず芯を作らないといけない。この作業は非常に重要であり結構時間がかかるので、大きな杉玉の芯になるとそれだけで数時間かかってしまう作業になるが・・・」とのこと。
   
  この時、既に10時半。観光特急“海幸山幸”の内覧会までには絶対に間に合わせる必要がある。早速、私はすぎっち師匠に弟子入りして芯玉の作り方、枝の挿し方そしてカットの仕方を教わった。
   
  私としては作り方も教わったし時間もあまりないので、北のスギダラメンバーの手によって作られた芯玉を拝借して杉玉を製作するつもりだった。しかし“一から十までオレ達の手で作り上げる!”というスギマモ氏の半強制的な圧力に敗北し、完成した芯玉を横目に新たな芯の製作に取りかかった。
   
  ツタを輪にする → 球状に縛りつける → ネットで覆うといった、口では本当に簡単な作業だが、これがなかなか難しく綺麗な球状にならない。しかし時間が無いので急がないといけない。そうしたプレッシャーの中、土木畑で歩んできたスギマモ氏の大胆さが役に立った。
   
  ツタの骨組みは楕円形で杉を差し込むスペースの大きさもバラバラであるにも関わらず「よし、ネットに移ろう!」、ネットもある程度ひもで縛ると「よし、完成した♪」と喜んでいる。私は見本に似ても似つかぬ芯玉の歪さと粗雑さに“本当にこれで完成か?”と疑問に思ったほどだ。師匠に見てもらうと「まぁ、最初にしては上出来。」と言ってくれたので次に進むことにしたが、最初の“まぁ”という響きにモヤモヤは晴れなかった。
   
  残された時間も少ないので、二人とも無言で杉の葉を挿していく。ネットの穴という穴を見つけてはひたすら挿し続ける。密集した杉の固まりに挿すことのできる丈夫な杉の葉が無くなるころ小さなモリゾーとなり、二人でカットして杉玉が完成した。喜んでいる二人を見た師匠は「これで免許皆伝なので、どんどん杉玉を広げて下さい。」とやさしい言葉をかけてくれた。
   
  我々は完成した小さな杉玉を持って“海幸山幸”の待つ油津駅に向かった。その途中、いろんな人が「それは何ですか?」とか「どうやって作るの?」と声をかけてきた。私は杉玉が何かの勲章のような物に感じながら、上機嫌で海幸山幸に乗り込んだ。
   
  お世辞にも上玉とは言えないが味のある可愛らしい杉玉は、飫肥杉をふんだんに使用した空間と見事にマッチした。それだけでなく、自然が創り出すキレイな緑色により一気に車内が上質な空間に生まれ変わった。私はその風景や油津駅を見ながら、スギダラメンバーになってからの慌しい4ヶ月を思い返した。
   
 
  杉玉1号
   
 
   
  ●日南線飫肥杉化
   
  私は4月に福岡から宮崎に異動でやって来たが、“杉の生産量日本一”も知らない。“飫肥杉”は字も読めない。ましてや、“日本全国スギダラケ倶楽部”という組織なんて・・・
   
  そんな私がスギダラを知るきっかけは、4月中旬頃のスギマモ氏との会話であった。
「お前、杉と檜の見分けはできるか?」「もちろん分かりますが・・・」「ふ〜ん。しかし、スギダラは知らないだろ?」「???」「とりあえず、インターネットで“スギダラ”と入力して勉強してみろ。」と言われた私は、早速スギダラのホームページを開き“スギダラ宣言”や“スギダラとは・・・”を拝見した。
   
  確かに言っていることは分かるし、木材利用に関わる法律や技術的環境が変化したことから、木造駅舎は増えてきていることは確かである。しかし企業は“メンテナンスフリー”や“ランニングコストゼロ”といった響きのいい言葉を好む。鉄道建築にすれば、今まで耐震化・不燃化・重層化という意味でひたすら反木造を進める立場にあった。
   
  だからといって私は木造建築が嫌ではない。大好きだ。新入社員の頃には、木造駅舎にチャレンジしよとしたこともある。しかし、当時は放火により木造駅舎が延焼する事件や、会社も“駅≠木造”という考えを持っていた時代であったため、人が管理できないローカル駅舎は“木=悪”的なイメージがおのずと植えつけられた。そんな私に、スギダラ活動は魅力的に感じられても、“日向市駅はただ特別なのだ、ローカル駅の多い宮崎では所詮不可能だ”という否定的な思いが勝っていたし、“日南線はいずれ廃線になるのでは?”と感じていた。
   
  転機が訪れたのは、スギダラを知って約二ヶ月が過ぎたころである。日南線観光特急「海幸山幸」の運行が決定した。JR九州は以前から「旅は列車に乗ってから」をコンセプトに観光特急を運行している。最近ではH21.4に肥薩線 八代〜人吉間の「SL人吉」が運行を開始し、多くのお客さまにご利用していただいている。その観光特急が日南線を走るのだ。
   
  日南線といえば、S62年に志布志線、大隅線が特定地方交通線として廃止された際、同時に廃止する協議が行われた九州でも代表的なローカル線である。当時は輸送道路が未整備であるという判断から存続が決定したが、その後も利用者数の減少に伴い、ワンマン列車の運行や駅無人化が進められローカル線の一途をたどっていた。
   
  しかし、ここには観光資源が豊富にあるため「海幸山幸」の運行が決定したのである。(観光特急の名称である「海幸山幸」は、“海の幸山の幸”ではなく、日向神話の“海幸彦と山幸彦”である。)
   
  海幸山幸は「木のおもちゃのようなリゾート列車」をコンセプトに、H20.12に廃止となった高千穂鉄道から購入したトロッコ列車を多額の投資をして改造したものである。特徴は、車両の内外装やインテリアに地元素材の飫肥杉を使用していることだ。最初に外装材に杉材を使うと聞いた時は、社員でありながら我が耳を疑った。
   
  観光特急を運行する際は、着地点となる駅のリニューアルも同時に行っており、ローカル駅筆頭の子供の国、青島、北郷、飫肥、日南、油津、南郷の7駅が当選した。
   
  今回のリニューアルは
 
  (1) 飫肥杉と調和するベージュ系のコンセプトカラーで塗装を行い、統一感を出す
  (2) 男女一体型の旅客便所を男女分離型に改良し、サービスの向上を図る
  (3) 不要掲示物を撤去し、上質な空間を提供する
  これらを基本に工事の準備が進んでいた中、スギマモ氏が「油津駅でスギダラと一緒に何か面白いことができないか?」という言葉を残し福岡に異動して行った。
   
  確かに観光特急が走るのに塗装だけとは芸がない。しかし、面白いことと言ってもそれに回せる予算は残ってないし、いいアイデアも浮かばない。とりあえず、スギダラメンバーの知恵を拝借しよう的な気持ちで、7月15日油津駅にみなさんに集まっていただくことになった。この出会いが自分をとんでもない方向に歩ませていくとも知らずに・・・
   
  ホームページは見たとしても、実際に会って話をしたこともないしどんな人達が来るのか分からない。取りあえずはみんなの意見を聞く方針で考えていた。
   
  「本当に材料費の資金提供もないのか?」「キヨスクの残骸は撤去できないのか?しかし、ここでジュースを売っても面白い。」「自販機は外に出せないのか?」「飫肥杉大作戦と・・・」話はどんどん弾んでいくが、適当に話をしているのではない。みんな真剣である。
   
  しかし、会社として油津駅リニューアル計画は掲示物の整理だけであり、それ以外のことを何も調整していない私は「とりあえず持ち帰って検討してみます。」と答えることしかでない。しかし、日南市や地元の飫肥杉にかける情熱や可能な限り協力するという言葉に、JRとしても何とか予算確保ができないか再度検討することになった。正確には検討せざるを得ない雰囲気であった。
   
  その後はスギダラ恒例の飲み会に参加させてもらった。正直、みんな熱過ぎる。何でそんなに熱くなれるのか分からないほど熱いし、みんな目がキラキラ輝いている。あとで話を聞くと飫肥杉大作戦に向けてみんな大きな問題や不安を抱えているらしいが、“絶対に成功させる!”という意気込みで挑んでいるため自然とそうなるらしい。
   
  みんな熱いココロにアルコールという燃料をどんどん補給し、会場は異様な熱気に包まれていく。若杉さんは何を言っているか分からないほど絶口調だ。そんな非日常的な雰囲気にやられてしまったのか“みんなと力を合わせればローカル線の未来は変わる。変えないといけない。”とここに来るまでとは全く違うことを考えながら「にちなん・にちなん・にちなんだぁ〜」と叫びスギダラとの初対面が終了した。
   
  その後はJRの工事内容を見直し、ある程度“油津駅飫肥杉化”に工事費を与えることが決定し、社内や日南市と打合せを行い、8月11日に現地で第2回打合せを行った。そして、自販機や不要掲示物等を待合室から排除し全面塗装を行い、ベンチ等のファニチャーを設置する具体的な方針が決まった。
   
  私は社内の関係箇所にこの取組みを説明していた。ある日突然、「他駅のベンチ等についても飫肥杉化しよう。」という電話がかかってきた。今までまったく無関心だったのに、地域一体での活動に突然噛み付いてきたのだ。そして、いつの間にか“日南線飫肥杉化計画”がスタートした。しかし、この飫肥杉化については予算・工期が非常に厳しい。私は怒られるのを覚悟して、元飫肥杉課長と一緒に地元のみなさんに協力の依頼に回った。みんな“せっかくならいい物を作ろう”と了承してくれた。
   
  それからもいろいろ問題は発生した。しかし、みなさんの熱意で乗越え、10月8日(海幸山幸運行の2日前)日南市エリアの5駅に飫肥杉を材料としたベンチ、掲示板、ポスターフレーム、サイドボードが設置できた。その中でも、待合室のベンチは激重(約400kgらしい)にも関わらず、宮崎に台風が大接近した暴風雨の中、死にそうな思いで運んだのを思い出す。
   
  その後、11月6日に宮崎市エリアの2駅も、地元自治体の協力(公園協会のミヤダラメンバーの強力なバックアップ)により同様の飫肥杉化が行われ日南線飫肥杉化計画は完了した。
   
  その頃には、私はどっぷりとスギダラに浸かり、自分の業務の枠を飛び越えたスギダラ的思考を行うようになっていた。それが、海幸山幸と飫肥スギ大作戦のコラボである。もちろん、内覧会を通して“海幸山幸”を全国各地のスギダラメンバーに見てもらうことで、名前を広めてもらう狙いはあった。
  しかし、それ以上に見てもらいたかったのが日南線沿線に住んでいる地元の人たちである。列車は観光客を運んでくる。しかし、車両をどんなに贅沢にしたからといって、それだけでリピーターを呼ぶことはできない(一部のマニア系の人は・・・)。
  やはり、観光地での人と人との触れ合いにより“また訪れたい”という感情を抱いてもらう必要がある。そのためには、地元の人にも飫肥杉でできた海幸山幸の素晴らしさを理解していただき、列車に乗ってやってきたお客さまの気持ちを少しでも感じてほしいと思ったからである。
   
  実際に今、車内を見学している人たちはほんとに楽しそうだし、飫肥杉化されたベンチに座っている人たちも心地良さそうだ。これはスギダラ館でも目にしたが、本物を追求したからこそ見られる光景であった。そして、そろそろスギダラメンバーが来る頃かなと思っていると、「よし、正月には海幸山幸に杉玉を飾ろう!」とスギマモ氏から威勢のいい声が私に発せられた。
   
 
  海幸山幸外観
 
  海幸山幸内観
 
  油津駅の待合室・ホームをスギダラ化
 
  南郷駅の待合室もスギダラ化
   
 
   
  ●杉玉大作戦
   
  飫肥スギ大作戦が大成功を収めた次の週、会社の机の上に小さなかわいい杉玉をぶら下げた。みんな興味津々である。私は“これは絶対に使える”と感じながら、スギマモ氏との約束を果たすための次なる作戦を練っていた。すると、現宮崎トップ上司が「宮崎駅に飾れ!」と言い出した。しかし、この小さな杉玉を宮崎一の乗降人員を誇る空間に飾るのも忍びないと思い“杉玉大作戦”の構想を打ち明けた。
   
  内容はこんな感じである。“県木である飫肥杉を有効に活用することで地域に貢献し、お客さまへの視覚サービス向上も同時に図る。宮崎駅だけでなく海幸山幸停車駅に門松的な感じでぶら下げれば、話題性もあるのでは?”と伝えた。すると、二つ返事でOKがもらえ“チーム杉玉”の許可が出た。その代わり「大きな杉玉を作れ!」と条件が付き、直径80cmの大玉と50cmの中玉を製作することになった。
   
  “別名:酒林”“酒の神様である大神神社の三輪山の杉”等のお酒にまつわる話しはいくらでもある。しかし、駅に杉玉を飾るのであれば飫肥杉つながりだけでなく、それらしい理由が欲しい。いろいろ調べた結果、「丸い形状は“物事が丸く収まる”“家庭円満をもたらす”とか言われ、香りも心地よく“癒しの効果”があるため、駅舎に設置することで地域のみなさまやJR九州を利用されるお客さまの幸せをお祈りします。」と、もっともらしい理由を後付した。
   
  しかし大変なのはこれからである。免許皆伝したと言っても、私は小さな杉玉1個しか作ったことがない。大玉の重量も分からなければ、吊下げる骨組みも決まらない。しかし、幸せを祈る杉玉が崩壊したり落下することは絶対に許されない。
   
  私は相手を知るために、インターネットで重量を調べた。しかし、作り方によって随分違うようだ。それなら、自分で計算すればいい。机の上の杉玉直径は約20cm、重さは約600g。そうすると直径60cmの杉玉では重さはどうなるんだ?そのためには密度が分かればいいのでは?いや、その前に球体の体積はどう計算すれば・・・
   
  すっかり退化した脳みそと格闘しながら、全く同じ条件なら直径50cmの杉玉は約9kg、直径80cmなら約38kgとの計算結果がでた。しかし、大きくなると杉の幹も入ってくるので確実に重くなる。根拠はないが安全率を1.5とすると50cm=14kg、80cm=57kg!もし、頭に落ちてきたら・・・。かなり恐ろしいが、吊下げる紐を丈夫にすれば解決できるだろう。
   
  しかし、杉の葉をどうやって確保するか?これこそスギダラの出番だ。すぐさまミヤダラメンバーに連絡し、北郷(飫肥スギ大作戦で宿泊したコテージ周辺の地域)で林業を営んでいる方を紹介してもらった。早速電話して、無料で枝打ちと杉の葉を提供してもらう交渉を行った。そして、メンバー6人とダブルキャブ2台で山に向かった。
   
  枝打ちと聞くと山奥で密かに行われているイメージを持っていたが、今日の作業場は山の麓でアクセス良好な場所である。私は初めて杉山に足を踏み入れた。本当に辺り一面スギダラケだ。そして、前日の雨の影響か、空気がヒンヤリして気持ちいい。
  今日は植えて5年くらいの若杉が相手のようだ。背丈はまだ低いが、素直に成長している。しかし、人間と同じでこれからどんどん癖が出てくるらしい。我々はこの杉たちがこれから出会う数多くの誘惑に負けずまっすぐ成長することを祈りながら、残虐にも枝をノコギリで切り落とし始めた。
   
  みんな枝打ちは初めての経験だし、日頃の業務から離れた山の中で枝を切るのが楽しくてしょうがない。手当たり次第に枝を切り続ける。開始後わずか30分で大量の杉の葉が集まったが、杉玉には使えそうもない太い枝も多いため、再度、細い枝の部分で剪定した。その後も枝打ちと剪定を繰り返し、ダブルキャブ2台山積みの材料を確保することができた。しかし、実際に枝打ちをした範囲はほんのわずかであり、仮にこの一面を一人で枝打ちすると考えると思わずゾッとした。
   
  この日は山主さんとメンバーで一緒に昼食をした。その際、枝打ちの大変さと大切さ、木材として出荷するまでの年数、市場価格の暴落等、林業の置かれている厳しい立場を教えていただいた。しかし、何も考えていないのではなく、いろいろな作戦は考えているようであった。私は杉山枝打ち体験と題して、自分で切った枝で杉玉を作って持って帰ってもらえば?とかバカな提案しながら楽しいひと時を過ごした。
   

 

 
   
  枝打ちメンバー   枝打ち風景
   
  枝打ちした杉の葉(ダブルキャブ2台分)   てんこ盛りで運びます
   
  大量の杉の葉   杉玉芯の製作
   
  杉の葉は大量に集まった。次は芯玉の製作だ。本当は伝授された通り、杉に絡み付いているツタを使いたかった。しかし、寒いからか分からないが大玉には使用できそうもない弱いヤツばかりであった。そのため、針金で骨組みを作り、ネットを巻きつけ芯玉にすることにした。大きさは杉球の1/3程度がいいと聞いていたので、直径30cm、20cmの頑丈な2種類の芯玉を製作した。
   
  その後はひたすら枝挿し。目標50cmの中玉は結構楽に作ることができた。しかし、大玉にはかなり手こずった。枝を挿しても挿してもきりがない。二日かがかりで出来上がった超巨大なモリゾーの身長は1m40cm、体重は一人で持上げると体のどこかが破壊されると思われるほどであった。その巨大すぎるモリゾーを何とかカットし、直径90cmの大玉が出来上がった。それとは別に、直径50cm×5、直径20cm×1の杉玉も製作した。
       
   
  針金でつくった杉玉の芯   ひたすら枝挿し
   
  折りたたみテーブルの2階建て   超巨大なモリゾー、まだボサボサ。この時点で1m40cm。
   
  モリゾー、散髪!直径90cmに。   集まるととてもかわいい
       
  しかし、重すぎる。当初の予定よりも大きくなったし、楽をするために枝のついた杉の葉を挿しすぎたのか、優に70kgを超えているようだ。ここまで巨大になると、天井からは吊下げられない。大きな杉玉と言っていた宮崎のボスも「こりゃ大きすぎる。」とお手上げ宣言。結局、短管足場を骨組としてみんなの手に届く低い位置に吊下げることで、誰でも気軽に楽しんでもらえるようにした。
   
  今回完成した杉玉は、12/29宮崎駅に大玉、南宮崎、青島、飫肥、油津、南郷に中玉、海幸山幸に小玉を飾りつけ新年を迎える準備が終わった。年末の忙しい中での作業であったが、杉玉を吊下げる際には多くの人から「これはいい。」「本当にJRだけで作ったのか?」とか声をかけてもらうことができ、メンバー一同達成感に浸ることができた。そして、杉玉を製作することで今までとは少し違った、より地域に密着したJR像をみなさまに見せることができたのではと思っている。
   
 
  宮崎駅 (直径は約90cm)
 
  南宮崎駅 (直径は約40cm)
 
  青島駅 (直径は約40cm)
 
  飫肥駅 (直径は約40cm)
 
  油津駅 (直径は約40cm)
 
  南郷駅 (直径は約40cm)
   
 
   
  ●最後に
   
  これまで、JR九州は観光特急「いさぶろう・しんぺい」「はやとの風」「あそ1962」「SL人吉」を運行開始してきた。この際、観光資源の開発については地域一体で進めてきたが、駅舎についてはJR単独で行っている。そう考えると、今回の日南線での取組みは初の試みであり、全てが手探り状態からのスタートであった。そのため多くの方に大変なご迷惑をおかけした。しかし、地元密着県産材“飫肥杉”というキーワードで駅舎、車両、ファニチャー等を整備することで、自治体・地域・JRの三者で一体感が生まれたと確信している。
   
  今回の“杉玉大作戦”は、“日南線飫肥杉化”で生まれた一体感を風化させることなく、より大きな力に結びつけるために検討し行動したものである。今はまだJR単独での小さな行動であるが、今後は地元を取込み一緒に活動を行い、地域の活性化、さらには日南線全域の活性化につなげる起爆剤になればと思っている。
   
  JRにすれば田舎の一つの駅でしかないかもしれないが、その駅を必要とし町興しをしようと考えている地域は数多くある。しかしうまくいかない。それは両者が他力本願的に話をしているからではないか。簡単なことだ。お互いが手を取り合い、本気で未来を考えればいい。
   
  ローカル線や駅を地域と共に元気にする。これが地域に根付き、全国に鉄道網を走らせている鉄道会社に課せられたこれからのテーマではないか。
   
 
   
  同じ内容の記事が、宮崎支部のブログ「南のスギダラ」でも紹介されていますので、こちらも是非ご覧ください。(編集部)
  http://miyadara.exblog.jp/12719345/
   
   
   
   
 

●<あらかわ・けんたろう> 九州旅客鉄道株式会社 宮崎総合鉄道事業部 所属


   
 
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