連載
  東京の杉を考える/第30話 「日本、デザイン、ジャーナリスト」 
文/ 萩原 修
  あの9坪ハウスの住人がスギダラ東京支部長に。東京から発する杉ものがたり。
 

昨年12月7日に、突然、友人が亡くなった。ぼくと同じ47歳のデザインジャーナリストの山本雅也さんである。携帯電話で知らせをうけたのは12月15日で、場所は新宿駅のホーム。冷静に電話の内容を聞きながらも、その時は、何をどう考えていいのかわからなかった。あまりに突然の死だったため、葬儀もなく、すでに火葬にして、両親と実家にもどったという。電話で知らせてくれた人も、たぶん冷静さを欠いていて、何をどうしたらいいのかわからない様子で、「ぼくらが何かしないと」としきりに言っていたけど、その時は、自分にできることが思い浮かばずに、あいまいな返事をして電話を切ったら、ホームを歩きながら涙があふれてきた。

ぼくが、山本雅也さんにはじめて会った時のことは鮮明に覚えていて、1994年。その時にオープンしたばかりの「リビングデザインセンターOZONE」の中のエスカレーターの近くだ。バイクで転んだらしく松葉杖をついていた。「山本雅也」という名前は、「デザインの現場」という雑誌などで何度か見かけたことがあり、ずいぶんと批評性のある鋭い文章を書く人だと、気になっていた。その後、別の会で話す機会があり、意気投合し、98年から04年まで、この連載の24回に書いた「D-net(ディーネット)」というデザイン関係者の交流会を共同で開催していた。この交流会がなければ、ぼくの今の活動は、別のものになっていたことを考えると、ぼくにとって山本雅也さんとの出会いは、とても大きい。

デザインが好きで、デザイナーが好きだった山本雅也さんにとって、デザインが社会に届いていない現実や、デザイン雑誌に好きなことが書けない状況や、会社社会の日本の閉塞感といったものに、正面からぶつかって、限界までできる限りのことを試みてきたのだと思う。02年には、日本におけるジャーナリストとしての立ち位置に悩み、41歳でアメリカ・ミズーリ大学コロンビア校ジャーナリズムコースに留学までしている。帰国後は、「デザインジャーナリストはデザインそのものを語るのではなく、デザインを通して社会現象を語るべき」という独自の信念で活動を再会し、テレビの司会や、講演会、デザインセミナーの司会、学校での講師など、執筆以外の分野でも才能を発揮していた。

いまさらながら、その戦いぶりは、けっしてスマートなものではなかったと思う。どちらかというとストレートで、しつこく、自分の信念を曲げることなく、編集者や企画者と衝突することもたびたびあったようだ。しかし、だからこそ、彼の活動は貴重であり、多くのデザイナーからは絶大な信頼を得ていた。デザイナー以上にデザイナーの社会における役割や必要性を感じ、社会に切り込んでいった。ある意味では、デザイナーのひとり応援団であり、デザイナーの仕事を理論的に裏付けていたデザイナーの味方だったのである。彼の意思が今後、どのように活かされるのかはわからないけど、幸いにも05年に書いた「インハウスデザイナーは蔑称か」(ラトルズ)という刺激的な著書をはじめ、さまざまな雑誌に彼が書いた文章が残っている。それらを読み直した時、「日本」「デザイン」「ジャーナリズム」の問題点が明確になり、進むべき方向がみえてくるのだろう。スギダラの皆さんにもぜひ、山本雅也さんの書いた文章を少しでも読んで欲しいと願う。その内容は、一見して自分に関係ないようで、きっとどこかで自分の暮らしとつながっているはずだ。

   
   
   
   
  ●<はぎわら・しゅう>デザインディレクター。つくし文具店店主。1961年東京生まれ。武蔵野美術大学卒業。大日本印刷、リビングデザインセンターOZONEを経て独立。プロダクト、店舗、展覧会、書籍などの企画、プロデュースをてがける。著書に「9坪の家」「デザインスタンス」「コドモのどうぐばこ」などがある。
   
 
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