連載
  スギダラな一生/第18笑 「屋台が俺達を呼んでるぜ」
文/    若杉浩一
  対極にあるものは一つになるのではなく、補完関係になればいい
 
 

杉コレも終わり今年のスギダライベントづくしが終盤に入ろうとしている。しかしそれにも関わらず「高千穂夜神楽ツアー」「スギダラ総決算大忘年会90名迄可能」(皆さん参加して下さいね)と、後から、後から入ってくる。これじゃ土日は全くありません状態になってきた。何よりブツブツ言っても結果楽しいのでしょうがない。また行くぞ〜〜〜ってなるのだ。慢性的スギダラ症候群なのである。今回はそんな中、南雲さんとずっとやって来た「屋台の可能性」、いや、いよいよ世の中が屋台を呼んでいるというお話をしたい。

先月の月刊杉でも話したが、今企業と地域(日南市)との共同開発を行なっている。全国に向かっているものと地域に根ざしているものの共存はなかなか難しい。いやそれより前例が見当たらない。従ってどっちつかずになるのである。最近飲むたびに南雲さんと、その話ばかり、されどサッパリ結論が出ない。

そんなことをしている時に、偶然、宮崎県事務所の大山さんから誘われ「綾町の照葉樹林を守る」ということに地域貢献に企業がどうか変わるか?というような座談会に参加した。実は僕はビックリしたのだった。有名な一流企業のしかも企業CSRセクションだけでなく、金融や投資会社のリサーチ部門の方々が来ているのだ。照葉樹林と一流企業?何の関係があるのか不思議でしょうがなかった。しかし彼らの説明で実態がわかった。東京の一流企業あるいは大企業は日本の経済を支えている反面、ある意味で地球環境や、地域に負荷を強いている。地球環境や、地域経済や環境保全は彼らから見ると負わざるを得ない役割であり、如何に貢献しているかが問われる時代になってきた。従ってその活動そのものが資産価値や企業が持つ企業林や不動産の価値の変動に繋がるのである。まあ、なんというか人間はたくましいものだ。その是非は問ないが、大企業が地域や環境と関わらなければならなくなっているという事だけはリアルにわかったのだった。
しかし、どうも解せないのが、森を守り環境を守る、それはいい事だが、地域はそれだけじゃ生きて行けない。環境を保全していただくのはいいが、経済活動が出来ないと益々格差は生まれてくるだけなのだ。

僕はその席で、思わず言ってしまった。「森を守る事も大切ですが、地域のモノ、特にスギや木材をどうして積極的に使おうとしないのですか?消費がなければ、いや、使っていく知恵や活動こそが新たな循環を再生させるように思うんです。使う知恵の開発を同時に行うべきだと思います。」と訴えてしまった。(もっと、語りましたが。)みんな僕の一方的な暑苦しさに、唖然としていたように思える。しかし一部の人には何の事かが伝わった気がした。そうなのだ、慈善事業じゃだめなのだ。この循環に、新しい価値を生み出す一員として参加する、そして実践する事が重要なのだ。責任逃れは結果よくならないと思うのだ。

そんなことを思わず喋ってしまい、ふと気づいた。そうだ、企業活動、つまり経済活動と地域に根ざしたコトづくりやモノづくりは一つになるのではなく補完関係になればいい。立場の違うことが同時に起る事の方が正しい。地域の出来事が企業に繋がり、そして経済活動が地域のモノづくりやまちづくりに役立って行く。相反する事だがその対局が時間とともに一つの形やシステム、そして価値を生み出して行く。時間や立ち位置が違うものをごっちゃして、しかも性急にやる事の方が間違っている。違和感のあるものはやがて無くなってしまう、永い風雪の時間が必要なのである。

あれ?これってスギダラじゃないか。今まで、やってきた事じゃないか。そうだ、それでいいんだ。全くもって、「I am阿呆」である。回り回って足下に戻ってしまった。僕は興奮気味に南雲さんに伝えた。 南雲さんも喜んでいた。「そうだよ、若ちゃんそれでいいんだよ、一緒になんか出来ないんだよ。解った、それでいこう」日南の打ち合わせは殆どこの会話で終了した。そして喜びの酒に突入した。「南雲さん僕、明日出張なので深酒は出来ませんよ」「若ちゃん僕だって、明日早いから電車で絶対帰るぞ」「あまり料理、頼まないで下さいよ」「おう、了解!!」そして、そして気づいたら。紹興酒4本そして見事にタクシー帰りになった。嬉しかったのである。随分楽になった。そして楽しくなった。さあ、あとはデザインだ。

企業活動(経済活動)と地元ならでは、のイベントやモノづくり、同時に起こる事で意味が生じる、それは対局かもしれないが、やがて一つの結果になるに違いない、両方必要なのだ。結果はその後なのだ。

僕らは製品開発とは別に同時に町がスギ化して行く風景を探った。その中で目にとまったのが町中で行なわれたバザール用(市場)の台である明らかに街がスギステージ化しているではないか、南雲さんが「これいいだろう、何で、こんなのを、きちんとデザインして長く使えるものにしないんだよ〜」「お〜〜、可能性ある、これって屋台じゃないですか〜〜いい、やろう」そうなのだ、製品開発という道筋が一つできると、あとは楽だ、その関連でやればいいのである、しかしどっちか、しかないといい訳もきかないし、苦しくなる。何てことはない、両方やればいいだけなのだ。

そんなノリで話していた矢先に、またまた偶然のように、また出来すぎた話しがやって来た、東京芸大の助手で柚木君が芸大のプロジェクトで台東区の佐竹商店街の活性化で屋台アートをやったという、しかも小屋に注目しているという、そしてスギダラ屋台をウォッチしていたという。「なに??」これって神田技芸祭でもくろんだ事じゃないか?(スギダラケ奮闘記14話参照)

それだけではなかった、丸の内のまちづくりに関わっているメンバーと話す機会があり、屋台の話をしたらやたらと興味を示し、それだけではなく、丸の内が屋台ダラケになる、しかも企業が屋台を持ち合い、地域と組んでイベントをやるなんて素敵だなんて話しになった。「色々なデザイナーや地域の特色を生かし屋台祭りなんてどうですか、屋台って移動式の極小建築ですよ、これって面白くありませんか?」「いいですね、やりたい(屋台)」という、話しになったのである。

こんなに連続して屋台話しで盛り上がる事はめったにない、これは何かある。思えばスギダラを始めて随分、屋台や焼き鳥台、鍋用家具(ブンブクスギッチン)等作っていた、しかも各地でスギダラメンバーがオリジナル屋台を作って来た、こりゃ何かがある、そうだ今年は何かがあるのだ!!!!!

妄想は妄想を呼ぶ。この話しをまたまた興奮気味に電話で伝えた「南雲さん屋台ダラケプロジェクトどうですか?」「いける!!僕さ〜もつ鍋だけの屋台を作りたい」「釜飯だけの屋台」「お〜〜〜〜機内に持ち込める屋台」「鍋物屋台連合〜〜」「オカモチ屋台〜〜〜」もう止まらない。そして遂に出た「来年の日南の杉コレのテーマいよいよ屋台はどうだろう」「日南の街が屋台通りになる」「いい!!」

このまま行くかどうかは別にしてかなり本気である。
何かが集結してしまった。多分、概ね、おそらく、きっと何かが起こる。今年は凄い。やっぱり、そうだった。「南雲さん、さあご発声を」この後は本人に任せます。
屋台が俺達を呼んでるぜ。(かなりの思い込み)ねえ溝口さん。

   
 
 
最初につくった屋台「KATARI-BAR」
   
 
 

2番目に作った屋台「一人じゃ屋台」。第一作目はエレベーターに乗らない高さだったため、高さを調節し、サイドの天板を折りたたみにしたことでコンパクトにして運搬可能に。

   
 
  内田洋行にデザインの学生がプレゼンに来た時の、懇親会に「一人じゃ屋台」を使用。JUNK PARTYということで。ホッピーとビールをてんこ盛りです。
   
 
  焼鳥を焼くための台
   
 
  「ブンブクスギッチン」きりたんぽなどの鍋を大量につくってみんなで食べます
   
 
 

「WATASHI MATSU BAR」[私待つ(松)わ(バー)] 。内田洋行 北海道支社で活用されている。北海道は杉がないため(杉の生息する北限が本州までなので)、 地域の松を使用。

   
 
  飫肥杉の屋台
   
   
  東京芸大の助手・柚木君が仕掛けたプロジェクト   柚木君、自ら屋台を引く
   
 
 
柚木君の屋台
   
   
   
   
   
  ●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 テクニカルデザインセンターに所属するが、 企業の枠やジャンルの枠にこだわらない
活動を行う。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長
   
 
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