連載
  スギダラな一生/第17笑 「スギダラプロダクト製品化 8年かかりました」
文/    若杉浩一
  地域と企業が共存する、そんな未来へ向けたスタート
 
  杉コレ1次審査も終わり最終審査が目の前に迫っている。これから怒濤のイベントづくしが待っている。しかも今僕たちのチームは新製品の撮影のまっただ中、おまけに新しいショウルームまで11月にお披露目する。よくもまあこれだけ作るもんだと思う。楽しい事はどれも諦めきれない。ホイホイのってしまう。お陰で僕のチームのメンバーは大変だ。大騒ぎなのである平和な日々がない。お祭りの連続、たまったもんじゃない。
「みなさん、ごめんなさい、申し訳ない。けど諦めきれないんです。許して下さい。」
今回は、南雲さんと言わばスギのプロダクトを世に送り出そうとして、実に8年もかかった、一つの成果というかマイルストーンである、スギプロダクト「ASHIKARA」の話をしたい。
   
 
  「ASHIKARA」シリーズ
   
 

そもそも、スギダラの始まりは南雲さんが「ダイスギ」や「杉太」を一緒のやった展覧会で作った事から始まる。そして、それに魅せられ、世にこれを広めようとすることから始まった。しかし殆どうまくいかない、いや相手にすらされない。冗談で人づてに売るのはいいのだが、沢山の人に提供しようとすると仕組みや流通は必要になる。つまり新しいデザインはできても、それを理解する人に繋げる、そして流通させるとなると、違う仕組みづくりが必要になる。製品にしてもクレームや、売りという実績が伴わなければ何れ世の中か消えてしまう。作品でいいのか?いやこのデザインにはそれを超えた何かがある。そう直感していた。だから諦めきれない。その謎を解き明かすこと、それが僕の勝手な使命感の一つであった。

数々のスギダラ家具を南雲さんと一緒にデザインした。そして数々のお客様のインテリアに提供してきた。みんな喜んでくれた。しかし僕からすると、一品製作で(当然デザイン料なんてただである)、特注の金物とスギの運賃によって、高くなってしまう家具をみて申し訳ないやら、悔しいやら。もっと多くの人に納得出来る金額で、なぜ供給出来ないのか? 

一方企業は、つまらない、そして既に競合にあるような製品を作るのに数千万の投資をする。このささやかな、そして投資もほとんどいらないモノに何故、ささやかな応援や流通への支援が出来ないのか。

製品開発への執念は更に暑苦しいものに変わり始めた。どんなチャンンスでもスギを使って社内の露出を図っていった。しかし8年の歳月をかけてもさっぱり協力を得られない。それだけならともかく、そもそも、アフターファイブでやっている活動に「仕事もしないで、スギで遊んでいる」「景気が悪いのに、製品開発しないでスギの提案をする」と非難すら受ける。こうなるとやっていることさえ、やっていないとなる。理解者どころか非難者の声の方が聞こえてくる。もう理解者ですら「スギダラを露出させるな」となるのだ。
しかし善意に見れば、個人としては、理解は出来ても、これが組織となると世論や数字に繋がる何かが見えない限り実態や企業としては、理解することができない宿命を持っている事に他ならない。
つまり市場や世論というリアルなものが見えないモノには、企業は全く反応する手管を持っていないのだ。国が支援している、補助金がでる、エコロジーや環境に配慮するという実態が伴う。つまり見返りが見えない限り、よほど志しが無い限り活動を持続できないのが企業の現実なのだ。

僕は、この「見えているのだが見えない価値を、見えるようにすること」そのものが、企業が新しいモノづくり、そして社会に参加するきっかけだと思うのである。スギのプロダクト「杉太」に出会い、沢山のモノを作り、そしてスギダラが出来た。しかしモノよりもなによりも本質は、多くの仲間が未来を感じ活動をすることだ。それが繋がり、動きになり、音が聞こえ、振動となり大きなうねりになった。そして企業から見えなかったモノが、見えざるを得なくなってしまった。そればかりではなく、領域を超えた人々の繋がりは新しい未来を繋ぐコミュニティーへと発展した。今年はそう言った意味で各拠点でイベントが目白押しなのにも意味がある。

ひとつのプロダクトが投げかけたものそれは、やはりモノを超え、新しいモノを受け入れる仕組みを示唆していたのだ。正直僕は最初そんなことなんて当然気付いていない。南雲さんがどう思ったか、それは定かではないが、スギダラを通じて知り合った皆の力で結果そこへ行ってしまったという方が正しい。
8年もかけて作ったものそれはモノではなかった、それを受け入れる仲間だったのだ。そして遂に仲間の力で堂々と製品にすることが出来た。それが「ASHIKARA」である。

   
 

デザインがどうか?カッコがいいか?果たして正解か?それは僕にもわからない。あるデザインの仲間が僕にこういった「南雲にプロクトデザインをさせたらダメなんだ、彼は僕らの夢なんだ、現実に戻さない方がいい。プロトタイプで充分なんだ。」確かにそうかもしれない。現実は目の前にある形や、モノで判断される、そして下世話な企業やメディアに荒らされてしまう。モノになった瞬間、人を離れ世にまみれていく。だからどうなんだ?いや、それでいいではないか。もっと、もっと人の繋がりは広がり、本質へと繋がって行くに違いない。

「単なるスタートなのだ」
形は磨かれ多くのモノの中から社会に根ざした地域に根ざしたものが生まれる。本当はそういう事をわかる人達や作る仲間の創出こそこのデザインの中身なのだと思う。もっともっと時間がかかるのである。
作り手に磨かれ、地域に磨かれ、そして使い手に磨かれ、変化し日常になる。
多くの人に開放されたモノづくり、多少ださくても、人に託されるモノの方がいい。毎年、沢山のグッドデザインが生まれる。果たしてどれだけ本当に必要なのだろうか? 僕らはモノを作る事だけに安住し、モノを受け入れる価値や仕組みを作ろうとはしなかった。出来合いの枠組みや、モノに形や色そしてデザインというトリックを着せて来た。「何かが違う、納得出来ない。」それだけはわかる。果たしてこれが正解か否か解らない。ただ以前と違うのは、スギダラの先に何かがあるという確信だけだ。

南雲さんがこう言った「若ちゃん、地域に根ざしたものと、そして企業活動に通ずるものが共存できるのだろうか?」実は僕も解らない、口には出せるが何も見えない、そしてドキドキ、ハラハラ不安になる。何故なら実例が何もないからだ。
ただ最近こう思うのである「地域だって、企業だって人なんだ」地域に根ざしたものだって一人の人から始まる。スギダラがつくって来たもの、それは形ではなく人と人の繋がりだった。多くの素敵な未来が出来上がるに違いない。
杉コレから生まれた形が未来的か?そうは思わない。冗談もある、洒落もある、だけど楽しい。皆が楽しんでいる。解放された世界がある。その奥に未来のデザインが仕込まれている。こりゃ面白くなって来た。
もっともっと恥をかき、真っ当な時間を使ってみませんか? 恥をかける企業が仲間として今度はいます。どうでしょうか?南雲さん。
僕らの未来への模索はまだまだ続く。

南雲さんからこんなメールが届いた。

   
 

若杉さん、お疲れ様です。
あついですね〜、そしてさすがです。
それが人を引っ張って行くんだろうな。
ボクへのメッセージともとりました。
ひとつ山を越えましょう! 
頂上はあそこに見えるんだけど、その頂上から見た向側がさっぱりわからん。
それがみえたら、つまらないか。

   
 

南雲さん有り難うございます。そして製品化へそして支えてくれた仲間,木青連の皆さんへ、そして、そして、のんきな僕らに製品化の後押しをしてくれた出水君へ感謝の気持ちを込めて。

   
 
 

9月17日に内田洋行で行われた「杉コレ2008」一次審査の際に、プレスに公開・展示した。左で海野さんが説明している。

 
  千代田さんはいつものように司会。スギダラはっぴで盛り上げる。
 
  南雲さんも「ASHIKARA」の説明をする
 
   
   
  ●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 テクニカルデザインセンターに所属するが、 企業の枠やジャンルの枠にこだわらない
活動を行う。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長
   
 
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