特集スギダラ秋の陣 vol.3
 

200年の茅葺民家と明治の酒蔵 「白水 Shiromizu」 

文/写真  有馬晋平
 

佐賀市と唐津市のちょうど中間に位置する厳木町は、四方を山に囲まれた山間の町です。
天山、作礼山、八幡岳、女山に抱かれ、清流「厳木川」のせせらぎが聞こえる、そんな町に「白水 Shiromizu」はあります。

僕が生まれ育った「白水」は江戸時代より酒造業を営んだ旧家です。敷地内に入ると、大きな茅葺屋根とレンガの煙突が出迎えてくれます。築200年の茅葺民家をはじめ、銘酒「ともえ」を醸した明治初期建築の旧酒蔵と民家を残しています。清流厳木川のほとりにある敷地には水田が広がり、初夏には蛍が飛び交います。昔は普通にあった風景が佐賀の片田舎にひっそりと生き残っているような感じでしょうか。

   
 
  白水の全景。季節の移ろいによって風景が変わります。

  江戸時代後期に建てられた茅葺民家には、「夫婦柱(めおとばしら)」と呼ばれる二本の大きな柱があり、今もどっしりと茅葺を支えています。僕の祖母が嫁に来たころまでは、茅葺の屋根裏で蚕が飼われていたそうです。祖母は虫が嫌いで耐えられなかったようですが。
   
 
  茅葺民家の中。初めて訪れた方もゆっくりくつろいでしまう空間です。

  明治の酒蔵には、レンガで造られた大きな煙突やカマド、麹室が残っています。酒を造っていない今でも神聖な空気が漂っています。仕込み蔵には大きな柱や梁が使われ、ダイナミックな空間です。今はひっそりと静まり返っていますが、酒蔵の建物や道具たちを見ると、この場所で酒が作られていたことをふと想像します。我が家にある明治の蔵男たちの写真には、酒蔵に立つ屈強な男たちが写っています。当時はこのような男たちの働く場所として活気あふれた場所だったのでしょう。
   
 
  酒蔵2階の風景。以前はここにも道具がてんこもりありましたが綺麗になっています。今でも大きな杉樽がしっかり残っています。
 
  レンガ作りの麹室。昔は神聖な場所でとても立ち入れませんでした。

 

この茅葺民家に江戸時代に住んでいた「文平じいさん」という先祖の「かみしも姿」の肖像画が今でも残っているのですが、そんな人たちがこの民家に住んでいたなんて子孫の僕らにも不思議な感じがします。この先祖のじいさんたちがこんな歌を詠んでいたそうです。

「酒あり 薪あり 降れ降れ雪」

   
   
   
  厳木町について
 
 

厳木町は人口約5400人の山間の町です。農業が盛んな町で、昭和20年代から30年代にかけては炭鉱の町としても知られていました。
また厳木町は、古くから林業の町として栄えた場所で、町全体の面積の7割を森林面積が占めています。「厳木(きゅうらぎ)」の語源は、清らかな木があるということから「清ら木(きよらぎ)→(清い木)の意」となったと言われているほどです。
県内最大級の山間部には多くの杉の木が植林され、良質の杉の産地です。厳木の風景を見渡せば、杉また杉。まさしくそこは、“スギダラケ”な場所。町の木に指定されているのも「杉」なのです。森林関係者の話によれば、戦時中の供出により本来の厳木杉の大木が無造作に伐採されたという悲しい歴史もあるようです。戦後から高度経済成長期にかけて、森林には多くの杉の木が植えられ、林業も栄えたということです。しかし、近年の林業の衰退に伴い、杉林は放置され、山林の管理不足が進行しています。現に昨年の大雪により厳木の山間部の杉林は倒木などの被害が著しい状態にあります。

杉の恩恵を受けそして、杉の問題も抱えている、そんな町だからこそスギダラ展示会にはぴったりの町だと思うのです。
スギダラ展示会を厳木町の「白水」で行うという機会を通して、参加者に少しでも杉の木の魅力を伝えたいと考えています。そして同時にスギダラの活動で厳木町に良い刺激を与えたいと思います。

   
 
  厳木の杉山。スギダラケ。
   
   
   
  「白水 Shiromizu」のこれから
 
 

酒造業は僕のじいちゃんの代で止めたようです。じいちゃんの時代は酒造業苦境の時代で戦争を潜り抜け、戦後に酒造業は解体され、また復興したのですが、時代のあおりを受けて止めたようです。
余談ですが、このじいちゃんは厳木町で初めてバイクを買った人らしく、晩年に乗っていたカワサキのバイクが今でも蔵に残っています。マニアにはたまらないものらしいです。

両親は15年ほど前まで酒販所と宴会場を切り盛りしていました。僕が子どもの時には、茅葺民家と酒店舗に酒と酔っ払いたちがあふれていました。子どもの僕は、酔っ払いのおじさんたちが友達のようなもので、時にはご飯まで一緒に食べていました。土間には酒が大人の背丈以上に積み上げられ、かくれんぼしていたほどです。まさに酒と共に育ってしまったわけです。が、しかし、そんな僕は酒が一滴も飲めないのです・・・。酒の神様のいたずらです。ちなみに酒屋の血を引く「酒屋のようこちゃん」と呼ばれる母も、醸造学校まで出たひいじちゃんも一滴も飲めません。
当時のお客は酔っ払いのおじさんばかりでしたが、白水もずいぶんと活気があったことを覚えています。今では酒販所を移転したことや地域の産業の衰退や人口減少により使われることがめっきり少なくなりました。

   
 
  酒店舗の土間。中央のテーブルは蔵男達が作りました。

  茅葺屋根に関しては、僕の両親の代で2回大きな葺き替えを行いました。二度目の葺き替えは佐賀の吉野ヶ里遺跡で再現された「物見やぐら」や「竪穴式住居」を葺いた茅葺職人が葺いてくれました。
約25年前の一度目の葺き替えは、茅葺を葺く技術を持った地域の人々が総出で屋根を葺き替えてくださいました。葺き替えの時に朽ちた茅の中からカブトムシの幼虫がいっぱい出できたことを覚えています。おそらくそれが厳木町最後の地元の人々による茅葺の葺き替えとなったと思います。
   
 
 
25年前の一度目の葺き替えの模様

 

酒蔵にいたっては、酒造業廃業後約50年の間、ほとんど使われることなく眠ったような状態でした。20年ほど前に僕の父と母が老朽化した酒蔵を修復しました。これが意外と大修復となってしまったわけで、屋根替えをして、朽ちた柱や梁を取り替え、仕込み蔵を1メートル地上げしたのです。今思えば、使うあてもない古びた蔵をよく修復したもんだと思うのですが、この修復がなければ酒蔵は残っていないでしょう。
それ以後も物置程度に使う以外はほとんど利用せずに今に至ります。父と母は「この家と息子たちにどれだけの金をつぎ込んだことか・・・」と時折つぶやくのです。
まぁ、世話がやける子ほどかわいいってもんでしょうよ。(家、息子共々開き直り気味)

近ごろ約半世紀使われていないこの酒蔵に入ると「ご主人様、僕たちまだまだやれまっせ〜」とか「ぼちぼち出番ですか?」などという声が聞こえる気がします。

その声に導かれるように、今我が家の使い方を模索しながら掃除や修復を進めています。兄やスギダラ企画担当の長尾行平さん(ユキヒラ・モノ・デザイン)や仲間たちと何度も掃除と片付けをやっているのですが、50年の月日とホコリたちに悪戦苦闘の日々です。明治の写真の屈強な蔵男たちであれば、朝飯前なのかもしれないけど・・・。

今は年に数回のイベント活動を行っていますが、今後はひとまず、日常的に美味しいものが食べられて、素敵な作品が並ぶ空間を作って、人々が集まり行き来できる場所づくりを目指しています。人々の活気にあふれた「白水」を取り戻すべく試行錯誤をしていきたいと思います。

   
 
  酒蔵でのライブの様子

 

そんな時にふわふわと「白水」に舞い降りてきたスギダラツアーと展示会のお話。
なんだか先祖たちが歌った「酒あり 薪あり 降れ降れ雪」の雪のように舞い降りてきました。
スギダラの皆さんがスギを見る目と同じ目で「白水」を見てくださればとっても嬉しいです。きっと皆さんが我が家に足を運んでくださることが「白水」の原動力となるはず。そして、スギダラの活動がこれからの「白水」の足掛かりとなればと考えています。

皆様「酒あり 薪あり」そして今回は「杉あり」です。
ぜひ「白水 Shiromizu」に遊びに来てください。

   
   
  ●<ありま・しんぺい> 造形作家、「白水」企画担当 「白水」に生業と人々のにぎわいを取り戻すべく活動中。
  造形ワークショップも展開中。木の作品も制作してます。
 
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