3周年記念特集

月刊杉 「記憶に残るあの記事、あの特集」
各地から多くの方々に3周年に寄せてメッセージをいただきました。ありがとうございました。
 

■高千穂から/飯干淳志

神々のスギダラ考

 3周年を迎えた月刊「杉」には、スギダラメンバーの生き生きとした群像が迸っている。好奇心を源にあふれ出るアイディア。わくわく感。チェレンジ精神。一人一人がリーダータイプの理想指向者でありながら、寛容なすばらしき仲間達だと正直に思う。
高千穂から仙人的遠眼鏡で眺めるには、天地を創造した八百万の神々の世界観がスギダラの姿に重なるのは、思い入れが強すぎるであろうか?
 高千穂の冬に舞われる夜神楽では、天の岩戸から天照大神(あまてらすおおみかみ)を再びこ夜に誘い出すことが出来た喜びを手力雄命(たじからおのみこと)が「舞開き」という舞で表現する。この場面で奉仕者殿(ほしゃどん:神楽の舞手)全員が詠い上げる神楽歌では、「月と日を両手にもちてーやぁ、舞遊ぶ。月こそまされーやぁー、宵もを照らしゃーるぅー」と詠う。
 日本人の「ハレとケ」「陰と陽」の世界観。この奥深さこそが社会を明るく支えていく原動力だと高千穂夜神楽は教えるのである。神々の意を添えて編集スタッフ面々の労をねぎらい。スギダラの偉業を讃えたいと思う。

 

■内藤 廣 / 建築家

もう三年になりますか、時のスギるのは早いものですね。おめでとうございまスギ。
この間、やりスギ、ひろがりスギ、つかれスギ、よろこびスギ、 いろんな新種のスギが開発されましたが、いずれも育ちスギ、品種改良はうまくいっているようです。
よりたくさん新種のスギを開発していただきたい。
そして、日本全国にバラまいていただきたいと思っています。

 
杉の木クラフト

「記憶に残るあの記事」は、内田さんの「楽しくなければスギダラじゃない」です。

この方にはぜひ仲間になってもらいたいと思った時、スギダラ名刺を差し出しつつスギダラ活動について説明するのですが、いつもどこまで端的に伝えられているか分からなくてとにかく入ってみてください、楽しいしすごいんです、と
少々乱暴な誘い方をしていたように思います(みなさんよく入会してくださったなと我ながら思います・・)。
内田さんの記事はまさにこれを読めばスギダラが分かる内容でそうそう、そうだ、スギダラってのはそういうものなんだ、と頭の中がすっきりする思いで読ませていただきました。
そしてスギダラがここまでいろんな人を惹きつけ、感動させ、幅広い活動に発展していっているのは、文化、教育、楽に楽しくの3要素をおさえた活動だからだこそという点にもなるほどと深く感心するとともに、こんなすごい活動の仲間に入れていただいていることに改めてうれしく思いました。

初心に帰るべく、スギダラ宣言とともに時々読み返したい記事です。


 
■和田康之 / 日向市

2007年1月発刊第18号「特集宮崎は、忘れられない。
2006年12月17日、新たに整備された日向市駅東口駅前広場では、壮観な新駅舎を背景にステージイベントや屋台による物産市などの新駅開業イベントが行われた。1万人以上の多くの市民が訪れ、新たな日向市駅の誕生を祝った。後で聞くと、この日、駅の入場券が、千枚近く売れたそうだ。
この開業イベント企画は、どこかのイベントプロモーターが仕掛けたイベントではない。すべて手作りのイベントだ。市内各種団体が、自分たちにできる最大限の祝福のあり方を半年以上前から検討してきた。その一人ひとりの想いは、来場した多くの市民の心をつかんだ。このイベントが、一朝一夕にできた訳ではない。これまで10年、駅を中心としたまちづくりをするなかで、常に市民目線で、また、将来を担う子ども達も含め、いっしょにまちづくりを進めてきた。
街なかのイベントは、市民と行政が適度なバランス感覚を保ちながら行われてきた。特集記事を書かれている南雲さん、小野寺さんもその市民の渦に自然と溶け込んでいった。そのことは、市民に設計者の顔、思想が見えることによって、デザインが決して無機質なものでなく、人の血が流れていることに気づく。そのようなイベント、交流がこれまで、たくさん行われてきた。それが、日向流まちづくりだと言っても過言ではない。月刊杉にもつうじるものがある。
 小野寺さんも書かれている。新駅開業式典での篠原修先生のあいさつは、圧巻だった。そして感動した。「この駅は、JR九州のものですが、ぼくの駅です。」と言われた。そしてこう続けられた。「内藤廣もそう思っている。市長もそう思ってくれないと困る。つまり、市民の駅なのです。JRの駅だとは思わないで、これはぼくの駅だと思ってほしい。」
 後世にわたって多くの市民が、駅舎や広場に来たとき、こんな想いをもっていただけること、幸福とは、そういうことかもしれない。デザインは人によってなされるが、デザインによって人に幸福をもたらすこともあるのだ。

 

黒沢ミユキ / Atelier B2

こんにちは。
いつも「月刊杉」楽しみに拝見しております。

デザイナーの皆さん、地場で木を育てている皆さんの
活動を見るにつけ、感心したり刺激されたりしております。

中でも ホホォ。。。と思いましたのが

2005年11月号
南雲さんの 有楽杉(うらくすぎ)
都心における杉の仮囲いの可能性

でした。(こんなに古い記事でもよろしいでしょうか?)

「仮囲い」といえば鋼板製
最近では写真データを印刷したシートを貼ったりして
しばらくここにお邪魔いたします・・・うっとおしい「壁」を
少しは楽しくしようという涙ぐましい努力のあとがみられるもののさっぱり景観となじまない、美しくないなぁ……。と感じておりましたのでこのアイディアには、まいりました。

その前に仮囲いに杉を使ってしまいましょう!という発想じたいにやられたカンジでした。
普遍化してしまっているモノの材料に関してはなんともはや頭が固いものだなぁ。としみじみ感じ入ってしまったものです。

杉は役目を終えて、また違う現場に運ばれていき貫禄も出てくる。
貫禄を通り越して、ばっちくなってきたら表面を削ればいいわけで。
こんな現場が増えればいいなぁ。と思います。

もっと、現場に近い方々への啓蒙活動が必要かもしれませんね。
現場はきっと作業性や耐久性のほうを重視したいのだとは思いますが、
それを超えた、景観や素材に対する「愛」が必要だと思いました。

この記事に限らず、月刊杉はモノづくりの発想の源になっています。
今後も皆様のご活躍をひっそり拝見しております。

 
山田徹 / 内藤廣建築設計事務所

月刊杉三周年おめでとうございます。
毎月読ませていただいて、ものすごいスギパワーをもらってます。スギにはいろんな 効用がありますね。最近、私に効いたのは癒しスギ効用です。読んだ後は落ち込んで いる気分もスカッと晴れました。下手な薬より、よっぽど効き目ありますよ、絶対。
これからも、私をはじめ全国の月刊杉愛読者のこころのお医者さんでいてください。

 
吉武春美

南のスギダラ」を担当していますハルスギです。
これまでの35号(3年分)の中から、「記憶に残るあの記事あの特集」を選ぶのはきびしいものがありました。あまりにも厚みがあり、名作が多すぎて絞るのがたいへん(^_^;)!今後はできたら1年くぎりでして下さいと切に思いました。締切も過ぎていて、これでもダイジェスト版のつもりです!
◆特集
◇第1号「杉の未来 」」(創刊号巻頭)内田みえさん
第1号にふさわしい内容と編集力で、編集長の熱い思いと意気込みが伝わってきました。
小野寺康さんの油津木橋記シリーズ
屋根付き木橋づくりの現場経過が、ドキュメンタリーながらドラマ展開。次号は?と思わせる迫力が感じられました。小野寺さんの文体には、引き込まれるものがあります。
◇武田光史さんの5号「いとおしくもこわいすぎ」、7号「筒石
どれも自然に情景が浮かび上がってくる文学的センスを感じ、強く印象に残る作品です。
◇12号特集「日向まちづくりにおける杉の可能性」海野洋光さん
魔界&魔王様の物語仕立てで、とてもおもしろく、そしてわかりやすい。南雲さんと日向木の芽会との出会いや、そこから変化していく魔界の様子描写が、うまスギました。その表現力には参りました!
◇18号の「特集宮崎
内容の厚みに圧巻でした。前月に新日向市駅舎開業があり、記録を綴ったスライドショーを見る機会や、開業イベントに参加したあとだけに感動が甦ってきたのが思い出されます。スギダラ活動の原点も見え、それまでの宮崎の総決算、統括のような内容にも思え、集結した9名のみなさんのどれもがこれまでの関りへの熱い思いにあふれていて、読み応えのあるすばらしい特集でした!!
そして、宮崎に限らず、秋田、日光、北海道、吉野、智頭と「日本全国スギダラケ倶楽部」らしく、各地方の特集は、各地で頑張っている方々のカラーが見えて、元気をもらえたのも事実です。
◆連載
◇石田さんの新たな連載「杉と文学」、そして長町美和子さんの「つれづれ杉話」シリーズ
さすがにプロのライターが書かれている内容と文章力で、ひとつには特定して選べません。読み応えがあり、石田さんの感性と表現力、長町さんのクールでキレのある切り口と視点、思考にはいつも感心してしまい、毎回期待してしまいます。
◇若杉浩一さんのスギダラな一笑シリーズ
物事への取り組みに対しても、若杉さんを取りまく人との関係においても、毎回臨場感にあふれ、笑いあり、そしてじわーっと感動が広がる傑作の数々。その中でもある人物にスポットをあてる人間味あふれるまなざしには、いつでも手を抜かない、人が大好きな熱い若杉さんがよく現われています。特に記憶に新しいところで印象に残っているのは、第5笑「今回はキャッシー(袴田)と連作」と第11笑「ビッグママ、宮崎さんのこと」。以前男だったら弟子になりたかったと言っていた私ですが、女でも弟子になりたいと思いました。けれどまだ若い頃に・・・(今度は、年齢で逃げてしまった(^^ゞ)。
◇南雲勝志さんの3号「杉スツール100選第3回」、18号「宮崎と杉とものづくりとデザイン」、21号「スギダラはどこに向かうのか」、24号「月刊杉WEB版の重みとスギダラ
スギダラが発足した経過や活動のコンセプトにもどれて、志が伝わってくる内容でした。その中でも、スギダラの活動が各地で活発になりながらも、自分たちの位置がよくわからなくなった時期、どこに向かっているのか怖く?感じ始めたころ、「スギダラはどこに向かうのか」から「スギダラから杉をとったら何が残るか? その問いに対する答えは徐々に芽生え始めている。スギダラはもはやスギダラではないのだ。」という名言(迷言?!)は、その当時リアリティーのある共感を与えたインパクトのある言葉であり、投げかけでもありました。

これまでの月刊杉全体を振り返ってみて、「地域に向かう」というそれを行っていけるのは、少数の人の特別な力や努力というより、よりたくさんの仲間たちの少しずつの力と、想い、知恵の紡ぎ合いなのだと思えます。そこに「継続すること」も関わってくるのではと。(「各地のスギダラ」が、15号から月刊杉に仲間入りしてリンクされるようになり、全体的にも各支部ともより身近に繋がり、意味のあることに思えました。)
そしてさらに「地域から社会、世界へ」つながっていく風景が見えます。地域と世界がつながっていくこと!これらの風景は、すべて私たちの財産になっていくのですね!
杉という「モノ」だけでなく、信頼できる仲間が集まり、「いま何が必要か?」「未来のために何が大切か?」「私たちの未来はどこに向かっていくのか」みんなで考えながら活動していく・・・未来を自分たちでデザインしていくことは可能なことだと・・・この月間杉35号までを振り返りながら思いをめぐらしました。

 
■河野健一 / 宮崎県日南市役所・飫肥杉課

オビダラ日記」担当の「おびた」です。

ボクの「記憶に残るあの記事」は、第32号、長町美和子さんの連載「新・つれづれ杉話 第19回 『三方良し』を支えているもの」です。
長町さんは、「天竜杉ツアーでsugioは『なぜ杉なのか、答えられるようになれ』と申されたそうだが(天竜支部のスギ天ブログを参照のこと)、私は人からスギダラの意義について聞かれたとき、こんなことを話すようにしている。」と書かれています。

この連載を読んで初めて、ボクは「なぜ杉なのか」をきちんと考えました。
◆杉を活用していた昔の日本の暮らしの本質を見直し、現代の暮らしに取り戻していく工夫
◆売り手も買い手も世間もちょっとずつ負担し、協力しあう中で育まれた、懐かしい豊かさ
◆その懐かしい豊かさを取り戻す工夫の過程における、人と人をつなぐ杉の魅力
(長町さんの受け売りですが)折に触れて、そんなことを意識し、周囲に伝えようとするようになりました。

日南市役所に「飫肥杉課」という名のプロジェクトチームを設置しましたが、「飫肥杉の利用促進」ばかりに目がいき、「なぜ飫肥杉を使って欲しいのか」が欠けていたような気がします。
長町さん、ありがとうございました!

それと、34号、同じく長町さんの連載「新・つれづれ杉話 第22回 『道具箱』」です。

この中に、「社会に対して、今足りないモノやコトを提案したり、人々に活動の意義を伝えたいと思うのであれば、それがちゃんと生きるようなモノづくりをするべきであって、ワークショップや実験に参加する人のレベルに合わせて計画の内容を下げる必要はないと私は思います。」
「大人が、プロが、真剣になって取り組む仕事に、学生や子供や一般の人ができる範囲で参加する。その結果、自分が社会の一部として役立つ喜びを感じるし、達成感があり、完成したモノやコトを将来まで大事に使っていこう、守っていこうと思えるのだと思います。夢中になって本気で仕事に取り組む大人が、自らの背中を見せること。それが『伝える』ということではないでしょうか。」とありました。

このときもまた、ハッ!と気付かされたのでした。

杉に関わられている方々の、いろんな経験談を聞かせてくれる「月刊杉」が、大好きです。
なにかに挑戦しようとするとき、多くの経験談たちが、もう一歩前に進ませてくれています。
(たぶん)(きっと)39!

 
袴田彩子

http://www.m-sugi.com/07/m-sugi_07_takachiho.htm
最後の、高千穂の写真でノックアウトされました。
ほんとに神が棲まわれているのでしょう・・・。
そして、アヒルのダンスの発祥の地からのレポートという意味でも、意義深いと思います。
自然発生的にアヒルのダンスが出てくる村(仲間)って、最高ですよねえ!!

http://www.m-sugi.com/10/m-sugi_10_chiyo.htm
かなり手前味噌で恐縮ですが、私が目の前でというか、文字通り体を使ってスギダラをしたのは、この「桜の宴」だったような気がします。非公式に、キワモノ集団がやっていた杉活動・全身デザイン活動がついに公式の場に姿を現した、記念すべき行事でした(確か、これだけの大規模な行事はこれが最初・・・)。
 "楽しそうだけど、オレ、別チームだし・・・" 
"あいつらあんなことばっかりして・・・!" などなどの思いを抱えた大人が、喜んでか強制的にかは分かりませんが参加するはめになり、やっぱり体を動かしたり、お客さんに「いいですね〜!」と言われると嬉しそうにしていた様子が思い浮かびます。 世間的にも、正真正銘の一部上場企業の公式行事としては、記念すべきものなのではないでしょうか。

http://www.m-sugi.com/27/m-sugi_27_muji.htm
無印良品なら、身近さを感じます。
そして、「問題意識ではなく、良いから使いたいというポジティブな気持ちが、熱さの源」という言葉、今もう一度読んで、叱咤激励された気がします。
林業関係者ではなく、私のような一市民(いちしみん)が参加しているのがスギダラのいいところですが、一市民には何ができるのか、そもそも身近に杉がないのに、どうしたものだろうか。
そんな焦燥感を常に抱く訳ですが、無印のような、本当に日常的(しかもちょっとおしゃれ)なところで杉を手に取れるのは嬉しいなあと素直に思ったものです。また、この箱のサイズが、田舎暮らしとは違うスケールだったのにも驚きました。都会は、繊細なんだなーと思ったものです。

 

小野寺康 / スギデラ

記憶に残るというか、若杉さん(杉若丸)の記事は最初から面白かったですね。「スギダラ家奮闘記」から始まりましたが、テンポが良くて、写真もイラストも明るく楽しく馬鹿馬鹿しい…。しかし、スギダラ家プロジェクトが行き詰ったあたりから記事が迷走しはじめて、ついには突然「スギダラな一生」に切り替わったのには笑えました。「いきなりかい!」と突っ込みたくなりましたが、まあ今思い返せば予兆はあったと思います。記事の内容がスギダラ家と離れたまま、かなり苦しくなってきていたので。
しかし、その中でも「スギダラ家奮闘記/第16回」のジョー中尾さんのくだりは、とても印象深いものでした。若杉さんのスタッフに対する真摯な気持ち、人を大事にすることの意味といったものが沁みてきました。幽体離脱する中尾さんの様子も良かった(そのまんまで)。若杉さんの文章は、歯切れのいいリズムの中に素直で純粋な言葉遣いが連なって、つい読んでしまう。上手い、と思います。

自分にとって記憶に残るのは、02・03・04号に載せてもらった「油津木橋記」と、27・28号の「油津特集」です。27号の熊田原正一さんの記事は素晴らしく良かった! あの自由な文体! もうびっくりです。そして28号の岡村仁さん。彼がテクニカルな話題を、こんな形でエッセイ的に書いてくれたことに感銘を受けました。
自分の記事でいうと、先の「油津木橋記(正編)」は、楽しくも苦しかったです。いっぱい書いていいといわれて調子に乗り、ノリノリで書いたはいいが、いくら書いても終わらない。その続編の「油津木橋記・完成編」は、さらに本当に苦しかった。なぜだろう、肩肘張ってしまってなかなか書き進められませんでした。また、冒頭にわざと不穏な雰囲気で書き出してからぶつんと放り出し、時間をさかのぼってから改めて物語を始めたりして、われながらちょっと凝り過ぎで、鼻に付いたかなと少し反省してます。あれは何をしたかったかというと、読者をいきなり物語のど真ん中に放り込みたいというような気分が常にあって、それが少し高じてしまったという次第でした。おそまつ。
その木橋「夢見橋」も、その周りの広場がこの春めでたく完成しました。完成式典は11月だということですが、すでにオープンしています。機会があればご覧ください。タイミングが合えばご案内します。あ、「オビダラ日記〜飫肥杉ダラケのまちづくり〜」を見れば分かるか。

 
栗元 幸子

続・油津木橋記〈完成編〉(後編) 小野寺康(都市設計家)

先月、夢見橋を訪れた時、とても癒されるような居心地のよさを感じました。
こうして皆さんの想いによって生まれた橋だからだったんですね。
全ての記事を読んだ訳ではないのですが、この記事には皆さんのいろんな想いが客観的に書かれていて分かりやすく、出来上がった時から風化していくような、ものづくりの皆さんの熱い想いがきっちり残されていてホッとする感じです。
この記事こそ、夢見橋に埋め込んでおけたら・・・とさえ思えます。

 

中村 裕

月刊杉31号の「森の待合所」の作品は素晴らしいと思いました。
すべて曲線による生体を思わせるデザインは作者の豊かな独創性が感じられました。受賞されたのもうなづけます。

 

水木 千代美

いつも楽しく拝読させていただいております。
スギカンNO.505 ふらふらし杉こと水木です。

さて、心に残る記事ですが、九月杉話/「楽しくなければスギダラじゃない」日本全国スギダラケ倶楽部の在り方と可能性、です。

ひとつひとつの記事は勉強にも発奮材料にも感動も…、と面白いものばかりなのですが、
この「楽しくなければ…」が、わかりやすく根本を書いている気がするのです。

月刊杉web外では、“移動式夢空間”です。

杉が次世代また次の代のために植えられたように、
スギダラの活動もそんな先につながるもののような気がするのです。
スギダラの活動はひとつではなく、様々な思いの種を人の心に植える作業だと思うので。
私もコドモ向けの活動をしていますので、とても惹かれた記事でした。

 

北村仁 / ヨシモトポール株式会社

ついこの前、2周年を迎えてのコメントをさせていただいたような気がしますが、また一年経ったんですね。
3周年、おめでとうございます。
記憶に残ったという意味では、その時々で自分が関わっていた仕事と「杉」がリンクしたり、「月刊杉」で記事となったりですごく思い出深いものがたくさんありますが、そんな中で長町さんが書かれている「つれづれ杉話」を毎月、心地よく読ませていただきました。
いろんな道具や現代でも日常で使われている物について、その物が造られた背景や当時の技術など、単純に勉強になりましたし、物造りを仕事にしている自分にも思うところがたくあさんありました。
今後は新連載、隔月とのことですが、隔月でも毎月待ってます(笑)

「月刊杉」のスタッフの皆様、これからも毎月楽しみに待っています。

 
佐藤 薫

「記憶に残るあの記事、あの特集」、気軽に応募しよう〜、と
思ってたくせに、いざとなると書けずにウンウン唸っていました。
というのも・・・。
ここ数日過去の月刊杉を読み返していると、あれもこれも面白い。
どれもこれも面白い。読めば読むほど悩んでしまいました。
心に残る記事を絞れない、というのもある意味凄い(困った)ことです。
ただ「全部面白い!」では話しにならないので、無理やりひとつだけ
チョイス致しました。



自分も少しだけ関わらせて頂いたせいか、思い入れが強いのは2007年
8月9月の杉道具特集。
ペアの池杉さんが産休中で、自分自身色々と模索している最中でした。
杉道具を通して蘇ってきた古い懐かしい記憶、作り手と使い手の優しい思いや工夫、そして新たな人とのつながりが見えてきた時、難しく考えなくても、関われば関わるほど、知れば知るほど、杉があるべき方向に自分を導いてくれるんだ、ということを実感しました。

杉道具考」最後の石田さんの言葉が印象強く残っています。
「未来の生き方を考える道具として杉山があると書かせていただきましょう。杉の道具はスギの山にのぼるための杖のようです。」
杖は持ちました。私自身ゆっくりでも着実にスギの山に登っていこう、そんなことを思った特集でした。



他にも「越後杉のーりんジャー」や、「余計なお世話一本勝ち!」、「ペーパークラフト杉九」などお気に入りはたくさんありますが、書ききれませんので一つに抑えさせて頂きました。

 
大坪和朗 / 建築設計

領域を越えた新しいデザインの方向性」セミナーへの参加をきっかけに、活動の全体像もよく分からないまま、とにかく楽しそうだと感じて入会。

まずホームページのプロダクトを覗いてみた。
力の抜けた、程よくデザインされたキュートな家具に愛着を感じた。
その力の抜き加減が心地良い。そしてネーミングもまた楽しい。
杉の持つ「大らかさ」をデザインに活かしたいと、南雲氏がどこかで書いておられたが、そこなのかもしれない。
冗談みたいで、実は本気。そんな印象が私の中でヒットした。
私も杉を通して、程良く力の抜けた親しみやすいデザインを試してみたいと思った。

次に、月刊杉を全体的に読んでみた。
皆さんが、楽しく、そして暑苦しく取り組む様子が伝わってきた。
自分も故郷周辺に置いてきてしまった里山の景観問題について、難しいと言わずに、何かしら働きかけられないものか、と再び考えるきっかけを与えてくれた。
スギダラはとにかく、楽しそうだ、これならすぐに始められそうだ、と思える。そこがポイントなのではないかと思う。

冗談みたいで、かなり本気。
そしてそこが面白いと感じた。
難しい事柄も、冗談みたいに楽しいことになるのかもしれない。
「楽しそう」というその原動力は、どんな方向にでも展開できるのではないだろうか。何か大事なヒントをもらったような気がした。

3周年おめでとうございます。
そして、これからの活動に参加できることを楽しみにしています。

 

岡田幸子 / 昭和鉄工株式会社

私は月刊杉の表紙と編集後記とあとがきが大好きなので、多少脇道に沿った感がありますが、投稿します。 画像を、つい勢い余って作ったので添付します。
+++
★トップページではなく、表紙
 
 

月刊杉は、3歳。
積み重なるあつい記事を前にして私が思い出すのは、月刊杉の表紙。
表紙(目次)をずらっときちんと並べてみる。

表紙の写真が葉書になって並んでいたらいいなー。
カレンダーになって一年中眺められたら素敵だなー。
と、思いながら3年間を眺めていたら、今更ながら気がついた。

月刊杉は、WEB版。
でも、表紙がある。

本屋さんで本や雑誌を手にとる。
買った本や雑誌を捨てずにとっておく。
そういうとき中身はもちろんだけど、
表紙の力がぎゅぎゅーっと働く。

3年間、35号、月刊杉にぎゅぎゅーっとひっぱられた人たちがたくさん。
私もその一人。

ひっぱってくれた月刊杉に、ありがとう。
そして、3歳、おめでとうございます。

 
若松泰裕 / 都城木材青壮年会連合会

30号31号のスギコレ特集に1票入れさせて頂きたいと思います!
特にスギコレにおけるWCの役割は笑わせていただきました。

私は昨年開催いたしました「スギコレ2007IN都城」を通して、スギダラの方々と出会いました。
南雲さん、若杉さん、千代田さん、宮崎のスギダラメンバーの方々、日向木の芽会の海野さんを窓口に、本当に素晴らしい機会を与えて頂けたと感謝しています。
月刊杉のバックナンバーを振り返ると、日本全国のスギダラメンバーの活動や考えが掲載されており、それぞれ刺激されるものばかりです。というかスギダラの存在自体が最大の刺激だったように思えます。
全国組織である木青会活動が井の中の蛙のように感じます。
先週、都城木青会の例会で南雲さんに講演いただきました。その中で、活動では「自分が楽しむこと」が必要だと言われました。我々木青会は目先の利益や使命感にとらわれ楽しむことを忘れていたというか、楽しもうと思ってもいなかったような気がします。
スギダラは楽しさが伝わって来ます。日本全国をスギダラケにしようとするのでなく、自然とそうなる気がします。
これからも、月刊杉を読んで刺激されたいと思います。
そして、スギダラを通して日本全国のいろんな方々と交流出来る機会があればいいなと思います。


 

港  里味

こんにちわ。
いつも月刊杉が届くのを楽しみにしています。
さて、私の「記憶に残るあの記事 あの特集」ですが、やっぱり「吉野杉をハラオシしよう!」ではないでしょうか?

私、高校が吉野だったので(羞恥心以上に、三の倍数以上に、アホな高校ですが…)、吉野杉の原木など何も気にせずに見てたし、それこそ嫌な事があったら蹴飛ばしたり?(若気の至りですんませんでした)してたんですが、今となってはヘリの飛ぶ音も、製材所の木の切る香りとかが懐かしいです。
学校には 林業林産科もあったような……。
その頃は何してるんだろうと思ってました。

それでは、また。

 

片見雅俊 / 八汐木工

私の「記憶に残るあの記事、あの特集」は、2006年5月号掲載、池田陽子の「杉でつくること」という記事です。

私の仕事も木材の加工なのですが。
取り扱い量については輸入材:国産材=5:5ぐらいが現状でしょう。

家業に就いて15年ぐらいになります。
関東平野の最北地の杉処であり、原生桧の最北地などとPRしています。
ですが見渡す限り、住宅建築に使われる木材のほとんどは輸入建材などばかり。
ココ(地元)には、こんなにあるのに、何でだろう???
そう思いつつ 早 15年。
コストなのか、スペックなのか……、色々と試しながら。
そんな中、NETで情報収集していると断片的にあちこちでSUGIDA・すぎだら・スギダラと。
そのスギダラ家のご家族とはどういう親戚筋なのか調べて見ると・・・。  
日本全国スギダラケ倶楽部、な〜んだそういう事かと私も会員登録をさせていただきました。

(この記事の)推薦理由についてですが、

山や丸太の特集の多い中
なぜ杉なのか/あつかい易さ/傷つき易さ/その杢目の美しさなど、
小さな記事の中に杉の特質をまとめ紹介されていたからです。

 

神田 沙耶香

スギダラケ倶楽部のホームページ、いつも楽しく拝見させて頂いております。
今まで2回ではありますが、スギダラトーキョーのイベントに参加/お手伝いさせていただきましてどんどん杉が好きになっています。

「記憶に残るあの記事、あの特集」に、萩原 修さんの『東京の杉を考える/第21話 「多摩産材って何だろう」』を挙げさせていただきます。

何回読んでも「多摩産材」の別名を考える文章が楽しくなります。
そして全体を通して、自分はどんな形で杉と関われるかなと考えます。
ちなみに私は「東京杉」という名前が好きです。

 
辻 喜彦 / 会員No48 スギ

「月刊杉web版」三周年、おめでとうございます!
ずっと傍らに立たせて戴きながら、たいした力にもなれていない三年間でした。
でも三年・・・。
もう三年・・・。

夢空間から吉野ツアーを経て、冗談からコマでスタートした時の事、よく憶えています。
ホントにいろんな事がありました! その中から、ひとつ選べ!ったって難しスギます。
・内田さんの「杉の未来」(創刊号巻頭)と「楽しくなければスギダラじゃない」(NO−14号)
・世の中に初めてお披露目された、小野寺さんの「油津木橋記」(NO−02.03.04号)
・スギダラ発祥の地、秋元から杉仙人さんの「神棲む森と杉の木」(NO−07号)
・結構、重いものを背負ってた「特集・油津」(NO−27.28号)・・・。

でもやはり、最初に特集した「1周年記念号・日向特集」(NO−12号)を推します!
あの時に初めて、杉とまちづくりのことを正面から見つめた木がします。
そして、今また、関係者の皆さんと「証言で綴る日向」の本をまとめています。
南雲さんと海杉さんの出逢い、杉との出逢い・・・などなど、
夢空間以前の杉・宮崎との出逢いと記録をコツコツと甦えらせています。是非、お楽しみに!

そして、もう一つ印象的というか、自分の中では、未だに問い直しているのが、
NO-24号
スギダラとまちづくり(スギダラはどこへ行く?)(吉武哲信)」と
月刊杉WEB版の重みとスギダラ(南雲勝志)」の2つの文章です。

今やスギダラも、750名を超える大所帯になったとか・・・?
ネットワークも大きくなり、皆さんが各地で様々な活動し、成長されている。
ボクも、その記録を毎月拝読しては、元気をもらっています。
そのことに感謝の三年間です。

もう三年・・・!
されど三年・・・!

これからも頑張ってください!

 
横山 史 / ナグモデザイン事務所

2728号で連載されていた 油津木橋についての特集が印象に残りました。
いろんな立場の人が書くことによっていろんな視点からの話を読むことができ良い特集でした。
ついに三周年すごいですね!
24号までは月刊紙版にした時点で、すごい厚さだったので、今の号までプリントアウトしたら杉辞典になるでしょうね!
 
■出水 進也 / ナグモデザイン事務所

若杉さんのこれまでの記事のなかで何度かテーマにされている、チームの仲間との秘話が書かれた記事がとても印象に残っています。スギダラ家奮闘記第16回の中尾さん、スギダラな一生第5笑のキャッシー、第7笑の奥さん、第10笑の新入社員(当時)の皆さん。それぞれにドラマがあり、笑いあり涙あり、そしてなによりも感動があります。若杉チームの歴史を垣間見ることができました。同じようにチームの一員である僕にとっては、とても刺激になった記事でした。

ちなみに、スギダラ家奮闘記の復活もありますか?
あれ、そういえば南雲さんの杉スツール100選もまだ8回までしか…笑

 
羽田佳子 / サイレントオフィス

月刊「杉」毎号楽しみに拝見しております。たくさんの記事から印象に残ったものを選ぶなんて・・・「酷だぜ、神様・・・・」と、いうことで、身近な「杉」について改めて思い起こすきっかけになった「杉道具特集」(25号26号)を読んで思ったことを書いてみたいと思います。
「日本中に杉がある、だから杉の道具も日本中にあるのでは」という一文を読んでみて「はて、私の周りにはどんな杉があったかな」と、自分の杉人生を振り返りました。
「道具」では、ピンとくるものがなく・・・。でも「杉」で、まず浮かぶのは、通っていた中学の正門にあった一本の大きな杉。校歌に「緑の姿、ヒマラヤ杉よ〜」と登場し、入学して最初の音楽の授業では「杉は日本の象徴的な存在で真っ直ぐに良く育つ。だから、みんなにもそうなってほしいという願いで初代の校長が植えた」という話を聞きました。その木は、昭和33年の開校当時の校長先生が植え、私たちが入学した数十年後にはとても立派な姿でそこに立っていました。「なぜ、ヒマラヤ?」という疑問は残りつつも「杉に負けてはいかんな」という気分にさせるそんな存在でした。このとき、人生で初めて「杉」を意識したのだと思います。
それからというもの、3〜4年おきに杉に出会うようになりました。

中学1年 学校のシンボル「ヒマラヤ杉」
高校2年 初めて平面構成のモチーフ「杉板とフォックスフェイス」
浪人中  杉花粉発症
大学4年 木の殿堂のレポートで落としそうな単位をつかみ無事卒業
社会人3年目 スギダラに入る
現在 杉パオの中で働く

そして、最初に記事にしたのはサカモトさんの「杉の家具」を紹介するもの。振り返ってみると勝手ながら「杉」に運命を感じてしまいます。私の人生も立派に杉と歩んでいるではないか・・・。
これから、どんなかたちで杉と関わることができるのか、とても楽しみです。そして、杉の動向をしっかり(一緒に??)見て行きたいと思っています。 
どうぞ、よろスギお願いします。

 
増田奈菜

私は杉道具特集(25号26号)をとてもワクワクしながら読みました。
先人の知恵と洗練されたデザイン。
特に出水君の小銭勘定マシーンのかっこいいこと。
使える道具として部屋に飾りたいと思うほどでした。

あと、若杉さんと袴田さんの連携プレー記事も面白かった。
二人の絆の深さが見えました。
他にも沢山沢山あります。
毎回それぞれの筆者の情熱が伝わってきて、
うるうるしたり、爆笑したり、内容の濃さに感動しています。
杉がつなげるパワーに、毎回驚かされるばかりです。
これからも各地で同時多発させていきたいですね。

 
★若杉浩一

もう3年にもなりました。なんだか、とてもそんな気もしない。しかし読み返してみるとやたら凄い。それぞれのキャラクターが冴え渡っている。しかもよくこれだけのメンバーが集まったもんだと感心する。よく南雲さんと話すのだが、「スギダラという活動に何か未来が繋がっているのだろう。杉をつまみに未来と語る。たまたま始めただけだけど、皆の中の未来と杉が繋がっている」というような話をよくする。僕にとっても、会社の中のデザインは矛盾と不純に満ちている。しかし、その中で真っ当なことを忘れず続けられたのはスギダラの仲間のお陰であり、スギダラの活動そのものがあったからだ。先ほど、とある会社の社長さんが、わざわざ当社においでになり、「杉をつかったハイタッチデザインこそ日本が世界に通ずるデザインではないかと思う。頑張れ」と仰った。こんな感じで繋がっていく。全く不思議な力だ。これは何かが起きる。最近、南雲さんと頻りに言っている。
心に残った記事だが先月、油津に行き完成した夢見橋を始めて見た、そして橋の上で皆で飲んだ。夢見橋のデザインも凄いが、橋の上で佇み酒を交わす。これが最高にいい!! 川沿いに涼しい風が流れる、そして魚が跳ねる。次第に夕暮れになり色合いが変わってくる。思わず涙ぐみそうになった。
僕たちは、なんて沢山の価値を見失って来たんだろう。新ためて夢見橋の記事を読み返した。(特集 油津27号28号)沢山の人々、沢山の思い、そして暑苦しさを通り越し、躍動感さえ感じる、小野寺さんの活動、全てがここにある。「語りつがれる」「歴史」ってこんなコトから生まれるのかもしれない。規模でも総工費でもない、それぞれの中にそれぞれの「物語」ができるモノづくりをもう一度、原点に帰ってやりたい。そう新ためて思った記事でした。
有り難うございます。 さあ頑張るぞ〜〜!!お〜〜!!

 
長町美和子

「みんなで手分けして書けば、月刊でもどうにかなるよね!」なんて酒の勢いで始まってしまった『月刊杉』だから、「よろしく」と言われれば、ふだん文章を書かない人も、ちょっとは書いてる人も、みんな必死で書くわけだ。そのいろんな人による、一生懸命な表現の多彩さがいい。
 何がいちばん心に残っているか、と言えば、第3号の「瓢箪から駒。猟銃からモックル処理」。これは高知の魚梁瀬杉ツアーでご一緒した縁から、ミロモックルの関根純一さんが書いた原稿にちょっとだけ私が手を入れさせていただいたものだが、原文のにっちもさっちもいかない様子が非常に微笑ましく、もだえながら書いたであろう関根さんの思考の足取りを追って、「きっとこう言いたいんだろうなぁ」と推理しながらまとめていくのも楽しい作業だった。でも、その「伝えたい!」という素直なまなざしに打たれたものだ。そうだよなー、それが原点だな、と、教えられた経験だった。
 その一方で、文筆業でも何でもないクセに、うなるような筆力を持つ人たちがいて、おののくこともしばしばである。例えば「油津(あぶらつ)木橋記」シリーズ(2〜4号、27号)の小野寺康さん。まるでテレビのドキュメンタリー番組を見るように、場面展開も鮮やかに読む人の心をとらえる見事さ! それも「原稿の文字数に制限がないから、いくらでも書けていいよね!」なんて、オソロシイことを抜かすから憎らしい(うらやましい)。
 もう一人、シンプルな筆致でありながら、ずしりと重い、純文学のような文を書くのが5号「いとおしくもこわいすぎ」その他を書いている、建築家の武田好司さん。武田さんの場合、文章の力も素晴らしいのだが、彼のものを見る視点に強く惹かれる。7号「筒石」22号「サケとスギ」も書かれているが、何と言っても「こわいすぎ」がいい。大火の中に翻るおばあちゃんの腰巻きの描写とか、早世した同級生の女の子の思い出とか、風倒木が死体に見えた話とか、今回読み直して、改めていいと思った。
 真っ正面から「杉」を語るのもいいけれど、ちょっと意外な方向から見た文章が好きだ。27号から始まった石田紀佳さんの「杉と文学」は毎号楽しみにしている連載である。特に
3132号で取り上げている、中勘助の『銀の匙』は、思わずAmazonで注文してしまった(作者の子供の頃の観察眼、記憶力にも驚かされるが、その言葉づかいの独創的なところがとてもいい!)。
 こうして、毎号毎号「みんなすごいなぁ」と、ただただ感心するばかり。我が身のふがいなさを嘆きながら、まだ今号も自分の連載ページに手を付けられないでいる。
 
堂元洋子 / 内田洋行 テクニカルデザインセンター / 月刊杉WEB編集担当

20号から月刊杉のWEB編集をしています。内田洋行のデザインチームに配属されて半年ほどたったある日、突然なにやらWEB編集をすることになりました。そうなってしまったので、その日から通勤の時間に本で勉強しつつ、とても日本語で読んでいるとは思えないくらいのさっぱりした理解力で、隣の部署のそれまで話したこともなかった、HPに詳しそうな水上さんを無理やり捕まえてはレクチャーして!と走り寄り、わからん!と言っては何回も同じ質問を繰り返しつつ走り寄り、説明され疲れるまで水上さんのデスクから離れない、しかも一生懸命説明してくれているということしかわからない、という遅々とした学習方法をとりました。水上さん、あんまりお礼を言っていませんが、本当にありがとうございます。
その20号の特集は秋田の窓山デザインコンテストでした。その公開審査を内田洋行のエントランスでやる、と聞かされたのは当日の3日前のことです。やるしかありません。会場構成、グラフィックからパネルの製作・展示まで、3日間で怒涛のようにやりました。モノを見せること、そしてその一時的なイベントでいつもの空間をガラリと変える面白さには、ぞくぞくするほどの思いがあるので、怒涛のようにとても楽しかった。公開審査前日の夜に施工が終わって、家に帰ろうと会社を出て、振り返って見たエントランスの変貌に感動した。次の日、出社する時に徐々に近づいて見えるエントランスの光景にも感動した。
その、自分が関わった窓山デザインコンテストを編集するのはするするとできた。(実際はのろのろ、ですが。)編集者としてではなく、私のものとして、当事者として伝える姿勢をもったのはこの20号がはじまりです。それからは自分が関わった記事も、そうでない記事も、私のもんだ!という鼻息の荒さで向き合い続けています。
南雲さん、内田さん、そして毎号記事を書いてくださる執筆者のみなさまに本当にいつも感謝です。こんな少しの文章を書くのですら、毛根の成長を感じるほどの頭と時間を費やしている自分を鑑みると、3年間も毎月書き続けている執筆者のみなさんに脱帽します。本当にありがとうございます。毎回、最初の読者になれて、とても幸せです。
 
菅原香織 / すぎっち

わたしにとって忘れられない号は、「29号 2007年 年末締めくくりスペシャル号」。その年の8月から休養されていた南雲さんが復活されたからです。きっと必ず戻ってきてくれるって、信じて待ってて本当に良かった!って、心から思ったのでした。これからもスギナガク、続けていきましょうねっ!
 
内田みえ / ウチダラ

通巻35号。毎月毎月を重ねて3年。連載陣のみなさん、寄稿いただいた各地のみなさん、どうもありがとうございました。目次を見返しただけでも、ものすごいエネルギーを改めて感じた次第です。この中で、「記憶に残るあの記事、あの特集」を挙げてください、なんて実は酷なお願いでしたよね。編集部としてみなさんにお願いしながら、いざ自分が書くとなると、選べな〜い。なので、特集から1つだけ、連載から1つだけ、僭越ながら挙げさせていただきます。
 特集の中では、「油津木橋記」「続・油津木橋記」(文/小野寺康さん)です。原稿に目を通していて、胸が熱くなったのを今でも覚えています。小野寺さんの文章のうまさは言うまでもありません。まるで壮大なドラマを見ているように、その場で起こったさまざまなことや人々の気持ちがそのまま伝わってきて、感動の嵐でした。それがドラマでなく、まぎれもない事実であること、素晴らしかったです。
 連載の中では、「吉野杉をハラオシしよう!」(文/石橋輝一さん)。製材所内外のことをレポートしてくれて、とても勉強になります。そして、毎号かなりのボリュームなのもアタマがさがるところです。石橋さん、どうぞこれからもよろしくお願いしますね(無理のない程度で)。
 
★南雲勝志

35号を振り返ると、よく続いたなということと、よく書いてくれたな、としみじみ思う。連載陣はもとより、特集でお願いしてくれた方はほとんど引き受けてくれた。それも原稿料0円である。先ずそれに感謝したい。というかそれが月刊杉の継続の最大の理由であったと思う。
この35号のなかなから「思い出に残るあの記事あの特集」を書いてくれ、というお願いは考えただけで大変なことだ。ということはわかっている。読み出すと膨大な量があるし、話題も実にさまざまである。しかし、ときどきバックナンバーを見ていると、改めて感心する記事がが多い。3年目を終わり、せっかっくなので、出来ればバックナンバーをもう一度見ていただきたかった。というのが本音である。読んでくれた人、書いてくれたひとそれぞれが思いを語ってくれると、4年目に向かう何かが見えて来るのではないかと思っている。
皆さんの記憶に残る記事にリンクをつけた。一瞬にしてそこに行ける。サーバーにファイルがある限りいつでも可能なのだ。WEB版の醍醐味でもある。

個人的にはやはり1号発刊はいろんな意味で記憶に残っている。遠い昔のようだが、何より希望に満ちていた。月刊杉は吉野ツアーの帰りに発刊を決めた。冗談のような企画が実際に動き出した瞬間であった。3姉妹の文章に「いや参ったな〜、文章書くってエライことだ。」と後悔しながらも、新人の気持ちで必死に書いた。内田編集長がまとめてくれた「月刊杉とは」は名文である。そして自ら第1号特集を書いた「杉とともに」はスギダラにおける月刊杉の役目を示唆し、吉野で知り合ったばかりの出来杉こと梶谷さんの「間違いだらけのチェーンソー選び」は杉使いの新しい価値観を感じさせてくれた。

自分が関係したなかでは「上崎ものがたり」は忘れられない。地域とデザイン、その中にスギダラがどっぷりと関わり地域に感動を残した。ちいさな村に実に多くの人間が関わり、いろんな問題を抱えたなかで、一つの結果を出した、汗と涙の感動ものがたりであったからだ。
スギダラはもうスギダラではない」を書いた当時はいろいろ悩んでいた。そして迷いの中に入り込む。その時若杉さん、千代田さんに救われた。感謝している。
萩原さんの『東京の杉を考える』/第15話の「ナグモカツシがめざしているもの」にはまいった。元気がなく、消沈しきっていた時にあの文章はこたえた。嬉しかった。萩原さんはあの記事を「スベッタ」と書いているが。
継続は力なり。とはいえ良いことばかりではない。
継続するには力が必要だ。どこまで継続できるのか? 気が遠くなる楽しみだ。

 
   
   
   
   
   
   
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