連載

 

杉と文学 第4回 『銀の匙』 中勘助 (前編)

文/写真 石田紀佳
4コマまんがのおまけもあります
 
   
 

『銀の匙』 中勘助 1912年初稿

   

中勘助は寡作の人だったので、おかげで私は彼の少ない作品をなんどか読み返す幸運に恵まれました。読み返すことの喜びを教えてくれたのが、勘助さんかもしれません。
言葉をつづることでなにかをあらわすときに、詩とか散文とか、物語とか随筆とか、ジャンルがいろいろあるけれど、銀の匙みたいな、詩のような随筆のような物語のようなつづり言葉は、わたしにとってはとても馴染みやすい世界でした。頭からお尻までぜんぶ通して読むのではなく、気のむいたところをひらいてちょびっと読むことができるのがいいのです。なので、話の筋はおぼえていないのです。このごろ気づいたのですが、わたしはあまり話の筋には興味がないようです。だから歴私小説とか推理小説を読まないのかな。
言葉にはあるていどのきまりごとがあるし、本になると、文字を読めないとどうしようもないのだけど、そういう中で、あまりきまりごとにしばられずに書いている感じがあります。音の響きやそのつらなりが鈴の音のようで、読みながら口のなかでその音というか文というかを、ころがすのが心地よい。だれか、声のいい人に朗読してもらいたいくらいです。
こんなふうにとても好きな作品でしたが、なんどめかに読み返したときに、杉があちこちに出てくることに気づきました。杉に無関心だったときには読み過ごしていたのです。

銀の匙の主人公の家族は腕白坊主のたくさんいる神田から「空気のいい」小石川に引っ越します。主人公はまだ学校にあがる前の子どもです。
その引っ越し早々のシーンには杉がたくさん出てきます。まずは杉垣の杉の葉。
そのころの小石川は杉垣をめぐらした旧士族の家が多かったそうです。そうした杉垣に囲まれた空き地なのか庭なのか、に新しい家を建てることになり、その様子が書かれています。
材木をひいてきた牛や馬が垣根につながれ、「大きな鼻のあなから棒みたいな息をつきながら馬は杉の葉をひきむしってはくい、牛はげぶっとなにかを吐きだしてはむにゃむにゃと噛む」。
馬が杉の葉をいたずらに食べるのか本気で食べるのかどうなのかよくわかりませんが、杉の匂いがたちますね。すっぱそうですけど。
こうして普請がはじまり、主人公は「胸をときめかせる」。職人さんが、鉋屑の「きれいなのをよって拾ってくれる」。「杉や檜の血が出そうなのをしゃぶれば舌や頬がひきしめられるような味がする。〜〜わきたつ木香に酔ってなんとなくさわやかな気もちになりながら日に日に新しい住居ができてゆくのを不思議らしくながめていた」。
神田の下町は当時の主人公の性質にはあわなかったようですが、この転地が彼には新しいうきうきとした感情をわきおこさせたようです。

「雨のあとなど首をたれた杉垣の杉の若芽にしずくがたまってきらきら光ってるのを、垣根をゆすぶると一時にぱらぱらと散るのがおもしろい。しばらくすればまたさきのようにたまっている。」
まるで杉垣に守られるかのように主人公は子どもらしい毎日をおくります。杉垣のクロにおばあさんが植えた栗が育ち、主人公がひろってきた胡桃が芽を出します。
前編の最後のほうでは、杉垣をはさんだお隣におけいちゃんが越してきます。
「裏の畑を間にほんの杉垣ひとえをへだてているばかりで自由に行き来ができる。私が裏へいってこっそり様子をみてたら垣根のところへちょうど私ぐらいのお嬢さんがでてきたが、ついとむこうにかくれて杉のすきまからそっとこちらをうかがってるらしかった。」
おけいちゃんは、勝ち気で、いたずらっこでもあり、女の子らしく彼をきままに翻弄します。主人公にとって初恋の人のようでした。

写真は福岡でみかけた杉垣。小石川のはどんなだったのでしょうか。

   
  福岡の杉垣
   
   
   
 
   
 
 

 

●<いしだ・のりか>フリーランスキュレ−タ−
1965年京都生まれ、金沢にて小学2年時まで杉の校舎で杉の机と椅子に触れる。
「人と自然とものづくり」をキーワードに「手仕事」を執筆や展覧会企画などで紹介。
近著「藍から青へ 自然の産物と手工芸」建築資料出版社
草虫暦 http://xusamusi.blog121.fc2.com/

   
 
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