特集 杉コレ in 都城

 
杉コレのスタートから都城まで
文・写真/南雲勝志
 
 

■杉コレの流れ
 

第1回は2004年、日向でスタートした。宮崎県木材青壮年会連合会(以下県木青連)日向支部、「木の芽会」の担当である。別名「木の魔界」ともいうらしい。県木青連約100名の会員のうち木の芽会は10名に満たない組織であるが、いつも何かに挑戦していないとすまない会であることは間違いない。
当時会長だった海野さんが、どうしても杉の全国コンペをやりたいと言い出した。日向市は日向市駅周辺の連続立体事業をはじめ、「木のまちづくり日向」というキャッチフレーズのもとに新しいまちづくりを進めていた。それは木の芽会にとってうってつけの話題だった。第1回のテーマを「ステーションファニチャー」と題し、内藤廣氏が設計し、3年後に完成する日向市駅舎内に設置するベンチのデザインを募った。審査委員長も内藤氏に快諾していただき、全国コンペに恥じない内容になった。僕も日向市のまちづくりに関わっていたこともあって、いつの間にか企画、運営を協力する立場になった。やはり木の魔界であった。
その最終審査は中心部に新しく完成した8街区で行われ、手探りで始めた初のスギコレは、大勢の市民が見守る中、上々の滑り出しを果たした。
杉コレのひとつの特徴は入賞作品の現物を実際に製作し、最終審査を行うところである。素材提供はもちろんの事、製作難度の高い作品に立ち向かうことで主催者側も相当苦労すると同時に新たな技術力を身につけるところが特徴的である。
翌年の第2回は宮崎支部。第1回の勢いを加速すべく川上さん、大浦さん、徳永さんらが奮闘し、宮崎市中心部「フローランテ宮崎」で行われた。テーマは「一坪の杉空間」。晴天の青空と広々とした芝生を背景に実に多彩な10台の杉空間が並んだ。環境問題のイベントを絡めたことで入場者も多かった。何となくこれからの杉コレのスタイルが見えてきた。そんな意義ある第2回であった。




  その流れで翌年、当然第3回が行われるものと思っていた。が、結果この年は開催が見送られた。僕らから見ると一枚岩に見える県木連も、内部的にはまだまだ支部ごとに考え方もやり方もそれぞれ温度差があるということだった。ある意味、これも仕方のないことだし、それも現実として直視しなければならない事実であった。
そんなこともあり少し不安もあった昨年、県の環境森林部の強力なバックアップもあって都城開催が決定、杉コレが復活した。事前準備を兼ね、「デザコンin 都城」「都城木材WG」といった昨年からの関連イベントも続き、県木青連都城支部との連携も徐々に増えてきた。
都城支部は約30名の会員を擁し、全体の1/3を占める大所帯である。木材利用技術センターという日本が誇る素晴らしい施設もある。加えて都城は家具産地としても全国的に知られ、家具をつくる腕も確かだ。ここまで条件が揃って上手くいかなかったら、スギコレの未来はない。まず大丈夫だろう、と思っていたが、これがどうも盛り上がらない。


■都城気質
  みんなで力を合わせ頑張りましょう! そういってもうなずくだけで、元気のある言葉が返ってくるわけでもない。いったいどうなっているんだ。焦った僕はデザコンの審査で一緒になった有馬先生にそれとなく聞いてみた。
すると先生は「都城は宮崎とはぜんぜん違います。ここは鹿児島なんです。人にあれこれ言われてもちっとも耳を傾けない。一緒に共同して事を行おうという意識がない。でもこれは無視をしたり、いうことを聞かなかったりということではないんです。興味がないというか、自分は自分、ひたすら我が道を行くんです。自信の表れというか。だから人のことも批判しない。私は鹿児島出身だからわかるんです。」多分そのような事をおっしゃった。 「はは〜なるほど〜。」これは少し戦略を変える必要がある。 そうはいってもいきなり大きく変わるわけでもない。本人達も焦るわけでもなく、相変わらずどっしり構えている。
そんな頑固で慎重な都城杉コレ実行委員会と打合せを重ねる日々が何度か続いた。そのたびにどうもすっきりせず、このままでは危ないかも・・・という不安もつきまとった。
もしかしたら、彼らは森林や杉材の話とデザインの話を ひとつのカテゴリーとして捉えることに慣れていないのかもしれない。細かな表現は避けるが、とにかく始まりから終わりまで山あり、谷あり、ハラハラドキドキの連続であった。


■森を守る男達。
 

先日、宮崎で放映された「宮崎の森を守る男達」というタイトルのテレビ番組のビデオをみせてもらった。それは木青連のメンバーが出演し、森林と自分たちの思いを語るストーリーだった。美郷町の黒田さん、そして都城支部からは持永氏、若松氏らがフルに登場しているではないか。普段打合せで見せている表情とは違い、とても逞しく頼りになる男達の姿があった。100年先を見据え、日本の林業を守っていくと凜と言い切っている。
すばらしい〜。そしてカッコイイ。
都城気質というのはこの辺にも起因しているのかも知れない。
杉コレは、いつも扱っている山や杉と勝手が違いどうもわからない。どこにどう力を注げば良いものか? 困った困った、というのが本音だったのだろう。
結局最後はやるしかないんだ・・・。 はじめからそう腹はくくっていたようだ。ということが最近になってやっと理解できた。


■一次審査から最終審査まで
 

そんな不安をよそに全国から多くの作品が寄せられた。昨年の9月11日、1次審査が行われた。100点余りの応募があった。審査員の評価も分かれるところもあり、なかなか選考が絞りきれなかった。こうなって来ると何を優先するかである。
すると内藤審査委員長が言った。「杉は日本中にある。でも地域によって性質は少しずつ違う。杉のデザインも、人間もどこでも同じだったらつまらない。都城の杉のデザインは都城らしくないとつまんないんだよ。なんというかなぁ、田舎っぽさとは違うんだけど、都会的でない、洗練されていないんだけど、力強さがあり、逞しい。人が何やろうと都城はこうなんだ、ってものがないとつまんないじゃない。」さすがである。その言葉をひとつの核にし、何とか10点を絞り込んだ。長時間に及んだ審査も一段落であった。


 

ところが主催者側の苦悩はそれから始まった。 現実的に構造や製作方法、またコストのことを考えるとどうもキャパを超えてしまうらしい。現物をつくるという事は何が選ばれるかでその後の状況が大きく変わってくるから、事前の読みと違ったわけだ。そんな事から、最終入賞作品の変更、若しくは点数を減らす可能性は考えられるか?という相談もあった。この段階では本当に困っていたのであろう。
この時ばかりは僕もきっぱり言った。「考えて見て下さい。コンテストのタイトルは”こりゃスギぇ〜”ですよ。全国から ”こりゃスギぇ〜”を集めておいてやっぱり出来ません。では洒落にならない。それを何とかつくって始めて”こりゃスギぇ〜”でしょう! タイトルを決めた時点からそれは当然わかっていた筈だ。」と。

その後、連絡が途絶えた。

もう連絡できなかったのか、しても相手にされない。こうなったらやるしかないと思ったのかどちらかであったのだろう。


■やはり最後はやった。
 

後から聞いた話だが、連絡の途絶えた最後の1ヶ月、実行委員の皆さんは仕事そっちのけで杉コレに没頭していたらしい。とにかく杉コレを成功させるんだ! とにかく自分たちの出来るだけの事をやらなければ男が廃る! そんな気持ちで取り組んでいたらしい。仲間同士けんか腰にもなったという。最終審査の直前にさすがに電話をした。「何とかもう少しで出来ます。だけど最後の難関が何点かあるんですよ〜、これが大変で。でも頑張ります。」若松さんから悲痛ともとれる声が聞こえてきた。
しかしながらイベント当日、神柱公園に並んだ10点の作品は素晴らしいものだった。
公園に訪れた一般の市民はそんな苦労は知るよしもなく、杉の作品に魅了されていた。
木青連都城支部の底力を見せてもらった。さすが森を守る男達である。
本当によかった…。

 

鉄結

 

会場写真。

 

鉄結

 

最終審査風景。

 

2007年暮れの忘年会で実行委員の一人である大西さんが感想を語った。イベント終了時の実行委員の打ち上げで、持永実行委員長の挨拶の途中涙で声が詰まったという。それを見て思わず自分も涙が出たという。いや、自分だけではなかったと。男涙だった。
この話を聞いた時はほんとに嬉しかった。全力で最後までやり遂げた仲間達がここに生まれた。誰のためではなく、自分たちのためにやったのだと言うことを実感できたに違いない。杉コレの本当の成功はこういった努力と感動の積み重ねである。
応募者、木青連、行政、製作に関わった人、応援してくれた人、そして訪れた1万人の市民が一体になり、杉コレ in 都城は大成功に終わった。

コンテスト終了後、県木青連都城大会の会員懇親会が行われた。会員と木青連関係者とが一同に集う席に応募者の皆さん、そして何かと協力してくれたミヤダラを初めとするスギダラの席がそこに用意された。異業種や普段関わりがなかなかとれない人達が一同に会することが実はとても大切なのだと理解していただいたのだろう。
いつの間にか県木青連は大きな力をつけてきたようだ。
本当にこれからがますます楽しみである。

さて、次回31号では応募案のデザインと杉コレのこれからについて語ってみたい。

 

鉄結

 

懇親会で紹介されるスギコレ入賞者の皆さん。



 

  ●<なぐも・かつし> 新潟県六日町生まれ。ナグモデザイン事務所 代表。
家具や景観プロダクトを中心に活動。最近はひとやまちづくりを通したデザインに奮闘。
著書『デザイン図鑑+ナグモノガタリ』(ラトルズ)など。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部



 
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