特集 油津 [後編] 夢見橋の使い方

 
もうひとつのオビダラ木橋記外伝 (スギの輪が拡がっていくということ)
文・写真/ 辻 喜彦
 
 
  ■ 赤レンガ館の夜、それは始まった!
   
 

ちょうど一年前、油津で堀川運河とともに街のシンボルである「赤レンガ館」で全国赤レンガネットワーク全国大会という集まりがあった。これは杉フリークならぬ、全国の赤レンガ造の建物をこよなく愛する全国組織の皆さんの会である。この会に、ヨシダケ先生、50スギさん、ハルスギさん、杉鼓さんと共に乗り込んでいった。
普段は静かに町なかに佇んでいる「赤レンガ館」も、この日は主役。
館内は大パーティー会場に変身し、日南のおいしい食材と焼酎で大いに盛り上がっていた。
宴たけなわの頃、誰からともなく、
「町なかにこういう場所があると良いよネ」
「油津ならではのおいしい料理と焼酎を仲間でワイワイ・・・もうたまらん!!」
「だからオレは前から、ここで地ビールを造りたいと云ってるんだっ!」
「シンボル緑地の飫肥杉デッキでビアパーティーもしたいよネ」
「そういえば、シンボル緑地の木橋はいつ出来るんだっけ?」
「来年の夏くらいに完成するって聞いてますけど・・・」
「でも広場はまだ出来ないでしょ?」
「広場竣工は再来年なので、それまで完成した木橋は使えないらしいですよ・・・」
「もったいない・・・、実にもったいない・・・」
「木橋だけでも使えるようにならないのかなぁ?」
「せっかくだから、市民みんなでお祝いして盛り上げようよ!」
「諏訪の御柱祭みたいに橋桁を市民が曳いて取り付けるとか・・・」
「ついでにスギダラ全国大会in日南っていうのは、どう?」
そして日南にスギダラ家を建てた杉作さんと市のオカモトさんやMさんTさんたちを巻き込んで、好き勝手なことを云って盛り上がっていた。

   
 

“木橋完成を市民みんなでお祝いしよう! ”

誰からともなく発せられた一言から、無謀とも思えた熱〜く長〜く今年の夏が始まった!!
この時は誰も結末を知らなかったし、予想もしなかった・・・。
海杉さんの云う「杉談義からコマ」である。

でもボクは、あの日向の夢空間の始まりにも似た、新しい可能性を感じていた。
それは、日向〜油津と宮崎のまちづくりに関わらせてもらう中でボク自身が漠然と感じていた「壁」の突破口になる予感があった・・・。

   
 
  「スギダラ全国大会in日南」発足の夜
   
 

これまで、「月間杉」では、度々、油津の話題が出ているが、全体像はご存知ない方も多いと思います。それを語るには、15年くらい遡らなければならず、この外伝を読まれている方に本題へ入る前に興味を無くされる恐れがあるため、別途に年表と変遷をまとめた資料を用意しました。興味のある方は、参考にしてください。

  →参考資料のPDFを開く
   
   
  ■ 油津のまちづくりの経緯
   
 

全国どこも同じだけれども、最初からうまくいくまちづくりなど無い。
ここ油津では、この赤レンガ館と堀川運河を守るために、約15年前から地元の皆さんの並々ならぬ努力があった。町のために時間と私財を投じた彼らの努力がなければ、赤レンガ館は売却解体、堀川運河も埋め立てられ、今頃はとっくにその姿を失い、当然ながらこの特集もあり得なかったことだろう。まず、ここが油津のスゴイところであり、この港町気質の地域住民の情熱という下地の上に現在の油津のまちづくりは成立している。大きな流れで整理すると、これが第T期・油津のまちづくりである。(平成5〜12年頃)

   
   
  油津まちづくりのシンボル「赤レンガ館」   堀川運河は、地元住民の埋立計画反対運動で残されることになった
   
 

ボクたちは、日向プロジェクトの目途がつき始めた平成14年(2002年)に油津と出逢った。今年で6年目である。
平成15年、油津の歴史を再確認・再評価し、かつて飫肥杉とマグロ景気で県内一を誇った町を再生するための「歴史を活かしたまちづくり計画」を策定するために、日向での経験と反省を生かし、「行政(県・市)+市民(住民・市民グループ)+専門家」が同じテーブルで議論できる「油津地区 都市デザイン会議(以下、「デザイン会議」)」が立ち上げられた。(日向でも同名の会議を設置しているが、日向の場合は「行政(県・市)+JR九州+専門家」が基本であり、鉄道高架という大きな事業を進めるための組織であった。)
そしてデザイン会議は、原則、一般市民の公聴OKで誰でも参加できるように扉を開けている。 
また同時期に、日南市は「まちづくり市民協議会(以下、「市民協議会」)」という市民有志が参加できる市民レベルのまちづくり活動組織メンバーを公募した。
「まちづくり市民協議会」は、「街並み景観委員会」「わっしょい委員会」「木陰づくり委員会」「合併協議委員会」「NPO検討委員会」の5つの委員会で構成されており、この「街並み景観委員会」の委員長がカノ棟梁・熊田原正一さんである。 
こうして「デザイン会議」と「市民協議会」という両輪で、第U期・油津のまちづくりがスタートした。(平成13〜15年)

   
 
  油津地区まちづくり体制
   
 

日南市・オカモトさんいわく、日南市には、「城下町・飫肥」と「港町・油津」という2つの拠点があるが、「飫肥」は城下町風情が残る重要伝統的建造物群保存地区であり、武家と商人で構成された「閉じられた世界」。一方、「油津」は堀川運河と油津港を背景に、飫肥杉とマグロ景気に引き寄せられた「ヨソ者の集まり」の町であり、コミュニケーションの在り方が全く異なっているという。
まちづくりも同様で、油津には「一生会」「地蔵会」「NIC21」など多くの市民グループが以前から活動しており、これらのグループをまとめることが大変な時期があった。市民協議会会長・ホソダさんやワタナベさんたちの「みなと街づくり委員会」がきっかけとなって徐々に地域住民にもまちづくり意識が芽生え、ひとつの方向を向き始めた。ボクたちが油津へ通いだした頃にちょうどタイミングが合ったといえる。
その後、堀川運河の史実と伝統的石積み技法に基づいた復元再生の最初の区間が完成し、シンボル緑地と木橋の設計デザインがスタートした。
またその一方では、熊田原さん率いる市民協議会のメンバーが、油津の景観を守るために自主ルールを作成、市長へ提言し、これを受けて昨年、日南市景観条例が制定されるに至った。(ホントは、この景観ルールづくりだけでも大変なことで、これだけで一つの物語が書けるほど、試行錯誤の連続と様々な出逢いがあったのだが、この話は別の機会に譲りたい。油津にはスゴイ話が一杯ありスギです!)
みんなが想い描いていた油津のまちづくりが、市民協議会とデザイン会議のメンバーの活躍で具体的な姿を現し始めた。これが第V期・油津のまちづくりといえる。(平成16〜18年)

   
  この間の油津での設計デザインの奮戦は、デラスギさんの「木橋記」に詳しく書かれているので省略します。
   
   
  ■ シノハラ先生の挨拶がボクらの背中を押してくれた
   
 

油津の木橋「夢見橋」の完成までの努力と苦労は、前号特集でも各氏から詳しく記されている。ここからは「外伝」として、ボク自身が漠然と感じていた「壁」」について書きとめたい。

昨年末まで感じていた見えない「壁」は、本当の意味での「市民」「住民」の姿や声だった。地元で普通の暮らしを営んでいる住民の皆さんとの接点が無かった。
もちろん日向駅プロジェクトも油津堀川運河再生プロジェクトも、今、目の前にする姿は全国いや世界中に誇れるモノだと信じているし、関係したメンバー一人ひとりの顔や考え方が即座に浮かぶほど、強いチームワークで支えられている。
これらのプロジェクトを通じて知り合った県・市の行政担当者、市民グループや木材関係の皆さんたち、そして外人部隊であるデザインチームやスギダラのメンバーは、その存在だけでも、熱スギ・濃スギる人たちばかりである。

でも油津に6年間通ってきて、地元の一般住民の方々とまちづくりの話をしてみると、ボクらのやってきたことが、
「まだまだ伝わっていなかったり・・・」
「聞いたことはあっても感心がなかったり・・・」
そんな場面に出くわすことも多かった。
「何故なんだろう・・・?? 何故伝わらないんだろう・・・??」
それが大きな「壁」だと感じていた。
「外側の人間がそこまで関わる必要はない!」
「まして我々は、外人部隊だ!」
ウチのボスS氏などが云いそうなクールなセリフも聞かされた。
「ホントにそうなんだろうか?」
「住民の見えないまちづくりって何??」
それが見えない「壁」=プランナーの限界(?)だと感じていた。
でも、呑み会の席で打ち明けてみると、日向〜油津で共に格闘してきた仲間には、同じ思いを持っている人がいた。県のIさんやNさんである。
「みんながそんな「壁」を感じている?? みんなも「壁」を破りたがっている??」

 そんな折、昨年の12月に日向市駅の新駅開業式で、シノハラ先生が挨拶された。

「この駅はボクのモノです!ナイトウさんもそう思っているはずだ。JRの持ち物ではあるけれど、市民の皆さんは自分のモノだと思って、この駅を育ててほしい!」

 シノハラ先生の言葉に思いっきり背中を押されて、目の前にあった壁に穴が開いた!!
目の前を覆っていた「関係者」と「一般市民」という壁を破るキーワードがそこにあった。
「普通の生活を営んでいる住民自身が、出来上がる木橋を自分の橋と思ってもらえること。」
それが今まで出来なかったことだった。
「もうすぐ姿を見せる木橋を市民のモノにするために・・・まだ間に合う」
すぐにNさんとあの赤レンガ館の夜の油津木橋の話をした。
これが昨年12月末のことである。

年が明けて、思いつくスギダラメンバーに新年挨拶のメイルで投げかけをし、メイルのやり取りと杉談義の結果、みんなのアイデアを束ねて
「(仮称)オビダラ計画(木橋完成を市民みんなでお祝いするプロジェクト)」
と勝手に名付けた。
手元にそのときの企画書が残っている。

   
   
 
   
   
 
堀川運河木橋及びシンボル緑地竣工イベント企画(素案)
 
H19/01/26
  <仮タイトル>「みんなが参加できる上棟式にするために」
   
 

<イベント企画の背景>
・H14年度から取り組んできた油津まちづくりは、港町としての歴史文化とオビ杉、オビ石という地域素材、そして市民参加による景観づくりと全国でも先進モデル的な港湾事業と都市計画事業の連携によるプロジェクトが展開されており、その中核となるシンボル緑地&木橋竣工(H20年7月頃予定)によって、その第1期整備が全貌を現そうとしています。
・また昨年末の「エコプロダクツ2006(出展者・(財)宮崎県南地域新地場産業創出センター/事務局・日南市商工観光課)」におけるオビ杉利活用の提案を契機として、県内ばかりでなく全国からも注目される存在であるといえますが、特に日南市民への注目度を高めていくことが、エコプロのみならず、まちづくりや景観形成の面からも強く求められています。
<イベントの目的>
・シンボル緑地に先行してその中心的存在である木橋は、本年H19年2月頃から本格工事着工となり、5月頃には完成予定となっています。しかし、供用開始までには、シンボル緑地竣工まで、まだ1年待たなければならない状態です。
・一方、本年3月には、まちづくり市民協議会街並み景観委員会が主体となって市長提言された景観ルールも景観計画として正式決定されようとしており、町並みへのオビ杉による修景制度も導入される予定です。
・このような状況の下で、本市のシンボル素材であるオビ杉を活用した木橋工事を市民がオビ杉、そしてまちづくりにさらに関心と愛着を深めるための絶好の契機と捉え、市民総出のイベントとして取り組む事が望まれているといえます。
・竣工イベントへの市民参加によって、まちづくりプロジェクトが厚みを増す効果は、昨年末の都城デザインコンペ、延岡・上崎橋開通式や日向市駅開業でも実証されています。

<イベント具体(素案)>
1) 現在、熊田原工務店で加工されているオビ杉橋梁部材を単に運搬車で現場へ運ぶのではなく、長野県諏訪神社「御柱祭」(※1)のように市民イベントとして現場へ奉納(?)する 
2)7月頃予定の木橋完成に併せて、オビ杉デッキ空間を活用して、市民および事業関係者さらに全国から参加者を募り、木橋完成ミニ竣工式を開催する
(デッキ上でのビアパーティー・スギ屋台等)
3)木橋?シンボル緑地完成まで定期的にオビ杉活用の学習場として小中学校の野外課外授業等を開催する (出来れば父兄参観のもとで)
例)・港湾の現場で、市民が使う大きなモノ(木橋)づくりのダイナミックさを体験学習、
・堀川運河の歴史や文化を現場見学を通じて知ってもらう体験学習、
・箸箱や筆箱、みかん箱などの生活の道具を手づくりする体験学習、等
ハード整備の現場のみならず、身近な存在としてオビ杉にふれるふれ合う場を継続的に開催する。
4) そして、H20年夏には、シンボル緑地全面竣工をみんな(市民・県民・行政・専門家+全国)でお祝いする!
などを企画提案としたいと思います。
・また一連のイベントは一過性のものではなく、少しずつ楽しい交流の輪を拡げられるようにするべきだと思います。

    イベントイメージ例・長野県諏訪神社「御柱祭」
   
   
 
   
   
 

今振り返ってみると、無謀な企画書である(勢いは怖〜い)
でもこれを実現するには外部の人間(スギダラ)だけでは絶対無理!
地元で中心になってくれる人がいなければならない。

「こんなワクワクする話に乗ってくれる人は???・・・」「いるいる、ちゃんといる!」

その頃、エコプロダクトで中心的に動いていたオビタさんと、一番木橋を愛している棟梁・熊田原さん、そしていつも肝心な時に文句云いながらもちゃんとサポートしてくれるタケシタさんである。

熊田原さんの木橋への想いは、前号の記事からも察して頂けるように並大抵のモノではない。
一方、オビタさんは、エコプロダクトを通じて、「まずは全国よりも日南市民の生活の中に飫肥杉のある暮らしを拡げたい!」という熱い思いをもってこられた方である。
お三人とも、もちろん賛同してくれた。
油津まちづくりのリーダーであるホソダさんにも、きちんとご相談して、準備が整った。

こうして今年3月に地元が地元のためにお祝いするための自主組織・「堀川に屋根付き橋をかくっかい実行委員会」が立ち上がった。
そして熱〜く暑〜い今年の夏が始まった・・・。
でも予算も無く、どこから手を付けて良いか判らず、時間だけが経っていった。

   
  ここからの奮戦記は、オビタさんの「オビダラ日記<http://obidara.exblog.jp/>」に委ねます。また夢見橋上棟式・竣工式までのエピソードについては、「南のスギダラ<http://miyadara.exblog.jp/>」レポートをご参照ください。
   
   
  ■ 市民が「夢見橋」を使うということ
   
 

ここまで木橋完成外伝を整理してみると、スギダラ・メンバーが勝手に乗り込んで無理矢理仕組んだような印象も与えてしまうかもしれない。
しかし、もともとの発端は、地元のまちづくりメンバーSさんやMさんたちと、赤レンガ館で過ごしたゆったりした時間を与えてくれる場所が油津の町のアチコチにあると良いよネ!という素朴な発想から自然発生的に湧き出したイベントであり、これまでの油津まちづくりの長い歴史で、初めて市民の心のこもったお祝いだったと思っている(たまたまボクらのところに情報が集まってきただけにすぎないし、実行委員会が立ち上がってからは、地元の意思を最優先し、ボクらは裏方に廻った)。

   
 

夢見橋竣工式の後、関係者の慰労会の席で、市民協議会会長のホソダさんはこう云われた。
「今日までこの「かくっかい実行委員会」に関わられた皆様、本当にお疲れ様でした!
今日でこの実行委員会はひとまず役目を終えますが、引き続きこの橋の維持管理を市民みんなで取り組めるようにしていきたいと考えています。」
我々専門家や職人さんたち、行政担当者だけでなく、市民も一緒になってモノづくりに参加して、一緒に完成をお祝いして、一緒に使い込んでいくこと。当たり前のことなのに、なかなか出来なかったこと。
木橋の部材(込み栓)へのメッセージ寄せ書きや「紙芝居・オビ杉物語」のお手伝いなどを通じて、子どもたちやそのご家族、また行政の皆さんの中に次第に「輪」が拡がっていく様子は、とても清々しく、本来の“まっとうな”まちづくりの姿を見たような気がした。そして見えない「壁」には、大きく新たな入口が開いていた。
今も油津へ通う度に、熊田原さんではないが、廻り道をして「夢見橋」に立ち寄ってしまう。竣工式以降、いつも必ず誰かしらが真ん中のベンチに腰掛けている。
実にホノボノとした光景である・・・。

   
 
  みんなが待ちに待った「夢見橋」竣工式
   
  「夢見橋」竣工式の夜・裸足で寝転がってお祝い(これがしたかった!)   日常の生活の中の「夢見橋」
   
   
  ■ パートナーシップとは・・・
   
 

 「夢見橋」完成までのハラハラドキドキの熱かった夏が過ぎ、油津のまちづくりは今、次のステップへ踏み出している。
日南市社会実験「通り名で道案内」である。
「日南海岸きらめきライン(日南海岸地域シーニックバイウェイ推進協議会)」が主体となって、油津の地域住民(西町区・上町区・下西区・下東区)4つの区長さんがリーダーになって、ワークショップを重ね、油津の町に埋もれている資源を掘り起こし・「まち歩きマップ」の原案づくりや地区内21の道路に「通り名」を命名し、飫肥杉で使った「通り名」看板を巡るモニターツアーを11月から実施している。
この活動は、夢見橋の竣工イベントとほぼ同時に行われ、日南市のオカモトさん、サカイさん、クラオカさんらや推進協議会会長のヨシダケ先生と便りになるタニゴシさん、地元リーダーのホソダさんたちが地域住民の皆さんに声がけし、昔の想い出や記憶を掘り起こしながら、一本々々の道の昔からの愛称や新しい通り名をつけてもらい、まち歩きマップにまとめたものである。
この活動で目指しているものは、「パートナーシップ」である。
民間団体である「推進協議会」と行政(国・県・日南市)、宮崎大学そして油津地域住民の連帯連携によって地域活力や地域コミュニティを再生し、訪れる人との交流のきっかけづくり等をしていこうとしている。地域住民の皆さんにとっては、いよいよ「俺の出番・私の出番」という気運が高まっている。
また町なかには、まち歩きでちょっと疲れたら気軽に立ち寄れる「お休み処 しゃべり場」でお茶やお菓子のおもてなしをしてくれている場所もできた。

   
   
  「通り名でまち歩き」この日は子ども探検隊ツアーでした   「しゃべり場」をお店の一角に提供してくださっている「横店」の河野さん(中央)
   
 

油津のまちづくりも山アリ谷アリ、試行錯誤の連続で、やっと地元住民が主役のまちづくりが動き出したところだといえる。
油津でまちづくりの話をする時に、住民の皆さんの顔が見えてきた。
まだまだ難問は山積みだけれど、この町がこれからどういう風に展開していくのか愉しみたい。
最後に日南市のオカモトさんから預かってきたメッセージをお伝えして、ひとまずこの外伝を終わらせたいと思う。

   
 

● オカモトさんからのメッセージ
油津と日南のスギを巡る取り組みは、やっと少しだけ姿が見えてきたところです。
スギの輪を拡げるための試行錯誤と苦労は全国各地で行われているはずですが、その情報交換を顔と顔を付き合わせて一緒に考えていく時期に来ているといえます。
全国のスギダラの皆さん、一度油津に集まって情報交換・意見交換をしませんか?
そう、「スギダラ全国大会in日南」です!
企画アイデアを全国から募集したいと思います!

   
   
   
   
   
 
 
 

●<つじ・よしひこ> アトリエ74建築都市計画研究所
まちづくりプランナーかつ宮崎大学大学院学生

   
   
   
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